第17話【セリナの戦い―――私を信じなさい】
馬車の旅は約三日ほど掛かった。
破剣の術を使えば一日で辿り着ける距離だったが、無闇に急ぐことはしなかった。
一応はオリヴァース国の客人という扱いを取られているため、護衛もかねて送られなければならないのだ。
ラピスも本来は護衛される役だったが、セリナの護衛はそれがしの仕事だ、と言って譲らなかった。
結局、馬車には奈緒とセリナの二人が乗り、ラピスはそのまま護衛たちの一団に加わることになる。
護衛されたままの旅も暇なので、二人はセリナの本を読んで知識を得ることにしていた。
「魔力強化の腕輪か……高い高いって思ってたけど、これは高いのも仕方ないなぁ」
「そうね。これを作っていた職人も亡くなったし、技術も継承されなかった。世界に出回っているのは百に満たないわ」
「うーん、そう言われるとクィラスの町では多少値が張っても買っておいたほうがよかったかぁ……」
「ええ、惜しかったわ。本来の相場は一万セルパぐらいだもの……千セルパなんて、破格の値段だった」
聞けば聞くほど惜しい話である。
もっとも、セリナ自身も一人で本を読んでいたときに相場を知って歯噛みしたのだ。
あのローブの商人が何処に逃げたかは知らないが、本当に惜しいものだと思う。
奈緒は馬車の中に設置された木の壁に寄りかかりながら、自分が持っている本に目を通す。
(見てよ、龍斗。魔物ってこんなにいっぱいいるんだね)
(おー……本を読むのは楽しくねえけど、何だかゲームの攻略本見てるみてえで楽しいな)
(あ、これってキブロコスだよね。あの首長恐竜)
(すげえな。あれってランクCなのかよ……Aとかどんな怪物だっての)
魔物は子供にも分かりやすいよう、FからAまでのランク付けがされていた。
危険度のランクであり、それは魔物の強さを証明していると言っていい。本には全二百種以上が掲載されていた。
Fは成人前の子供でも魔法を扱えれば倒せるぐらいであり、Aまで行くと百人以上の討伐部隊が必要になる。
まあ、野生の魔物はDランク以下が大半なのだが。
「奈緒、ちょっと聞いて」
「うん、なに?」
「龍斗も破剣の術を使えるようになったし、よほどの想定外がなければ戦力にもなる」
うん、ともう一度奈緒は首肯した。
破剣の術の中でも最も一般的な身体強化の術、それを龍斗が使えるようになったことは記憶に新しい。
びっくりした奈緒だったが、親友が自慢げに大剣を振り回しているのを見て顔を綻ばせたものだ。
若干の不安要素、炎という弱点はあるが。
「それでね、奈緒。あなたに魔法の制限を設けようと思うの」
「制限……?」
「ええ。あなたは戦いが起きるごとに暴走している。それでは命を縮めるわ。最悪、周囲の人まで巻き込まれる」
セリナの糾弾に奈緒は苦い顔で頷くことしかできなかった。
魔法の暴走、という単語が引っかかる。
イメージとしては確かに周囲を巻き込んでしまう、というものがある。今までは幸運にもそうなっていない。
要するに奈緒の魔法は敵味方関係なく放たれかねない、爆弾のようなものなのだ。
「ひとつ、闇魔法の使用は禁じる。知ってる? 闇魔法を扱う魔族が少ない理由」
「単純に数が少ないだけじゃないの?」
「それももちろんあるわ。でも、闇魔法は暴走しやすいの。原動力が心の闇、とまで言われているくらい」
現に闇を宿した魔族の半分くらいは、その力に呑み込まれて暴走してしまうらしい。
人に被害を与えてしまう暴走した魔族は、万国共通の法律によって処分されることが許されている。
国籍も種族も王族貴族も関係なく、そういう決まりが存在しているのだ。
そして闇魔法はもっとも暴走しやすい魔法として、民衆たちからは禁忌の属性とまで言われているらしい。
「ひとつ、魔法の使用は一日に三回まで」
「え、初日とかあんなにたくさん撃ってたのに……? 三回って少ないような」
「戦争ならともかく、ただの戦いで魔力は極力使わないほうがいいわ。何しろ、あなた……制御できてないんだから」
「……むう」
事実を真正面から突きつけられ、困った顔で奈緒は俯いた。
確かに龍斗と同じく炎を見れば、もはやセリナから言われた制限すら忘れて咆哮してしまう可能性もある。
もっとたくさん魔法を使いたいのなら、制御する方法を学びなさい、と言われてしまった。
子供のように駄々をこねるわけにも行かないので、これにも頷く。
「最後のひとつは魔法の件じゃないけど……炎を見て我を失わないこと」
「…………ごめん、自信ない」
確かに理屈では分かる。
暴走すれば周りにも危害が加えられてしまう。
それはいつか敵だけじゃなくて、セリナやラピスといった仲間たちにも及ぶだろう。
でも、例えば敵から炎の敵意を向けられたとき。その瞬間、奈緒の理性は完全に弾け飛ぶ。
「私が炎を使っているから、あまり大きなことは言えないけど……」
「いや、セリナの炎は実は結構、自制できるんだ。僕が確実にダメなのは、自分に炎を向けられることだと思う」
「……そうなの? なら、私たちで優先的に炎使いを倒していけば、少しはマシなのかしら……?」
「まあ、それでもやっぱり炎は胸がざわつくから嫌いなんだけど」
そんな会話をしながら奈緒たちの旅は続いていく。
ラピスを含めた五人の護衛に守られた客人として、まさに貴族そのもののような扱いでオリヴァースの地を闊歩する。
途中に現れる魔物たちも障害にはならず、彼らの旅は安心して続けられた。
二日目には龍斗が表に出てきていた。
このときは何故かラピスも馬車に乗っていた。護衛は四人に減ったが、問題はないと判断したらしい。
セリナはそんなラピスの態度を見てくすくす、と笑うのだが、ラピスは極力その笑みに気づかない振りをした。
龍斗とラピスの会話が馬車の中で行われる。
「なあ、ラピス。あそこにとても美味そうな果実がだな……」
「ダメですからね! 絶対に馬車から降りないでくださいね! リュートは魔物を引き寄せるんですから!」
「人を魔物寄せの天才みてえに言うなー!」
「実際、その通りだと思います!」
一日目とは打って変わって騒がしい馬車の旅。
セリナは生き生きとした表情で龍斗と会話するラピスを見るのが楽しいらしく、微笑を浮かべている。
今はまだ友人、といったところかしら、などと得意げに分析などをして暇を潰していた。
龍斗とラピスの漫才コンビの会話は続く。
「なあ、ラピス。そういえばあれから五日経ったな。どうしよう、従姉の誕生日だ、殺される」
「え? い、いや、それがしに言われましても……」
「誕生日を忘れただけで殺されるなんて、随分物騒な家族なのね、リュート。それとも世界が物騒なの?」
「はっはっはー、たとえ元の世界に戻る手段とやらがあっても、もう俺は戻れねえええ!」
心の中で奈緒は苦笑した。
龍斗が唯一苦手にしているのが、姉代わりの従姉なのだ。
ちなみに女子プロレスの新進気鋭の期待の新人らしく、龍斗は彼女と渡り合ってきたからこそ鍛えられたとか。
龍斗曰くの『ボスゴリラ』は、本気で戦うなら拳銃を持っていても奈緒は降伏する自信がある。
前の世界のことを懐かしむ奈緒は、ふっと寂しげな笑みを浮かべていた。
「なあ、ラピスー」
「ええい、今度は何ですか! 何を見つけたんですか!」
「用を足したいんだけど、トイレは何処に」
次の瞬間、女性陣からの冷たい視線が龍斗の身体を貫いた。
男女混合での旅ではある意味で壮絶なほどの問題である。空気を読めない龍斗は更に言う。
「ん……? そういえば、二人はいつトイレに……」
今度こそ、無遠慮な質問をしようとした愚者の腹部に衝撃が走る。
セリナとラピス、両名は僅かに顔を赤らめながら彼の肉体に蹴りを放ち、避けられなかった龍斗は沈む。
ごとり、と音を立てて馬車の中に倒れ伏したか、すぐに慌てて起き上がった。
龍斗ではなく、翡翠色の瞳の奈緒のほうだ。
「痛っ、ぐぐぐ……龍斗、一撃で気絶しちゃったよ」
「無神経な男はどうかと思うわ」
カーリアンまでの旅は半日に一度ぐらいで、何処かの町や村に着く。
女性陣はそのときに済ませてしまうのだが、半日に一度なので旅はなかなか恐ろしい。
龍斗がもう少し注意していたならば、彼女たちが食事や水を日頃よりも少なめに摂取していたことが分かっただろうに。
あまり言及するような話でもないので、これ以上は割愛する。
「それにしても、セリナもラピスも最近遠慮がなくなってきたよね……」
「愛よ、きっと」
「ええー……」
そんなこんなで二日目が終わる。
◇ ◇ ◇ ◇
三日目、ようやく一行は首都カーリアンへと到着した。
最初に目に入ったのは町の高いところに築かれた城だ。外敵から身を守るための西洋風の城だった。
下に城下町が広がっているのは日本の江戸時代を思い出すが、やはり建物は中世ヨーロッパを髣髴とさせる。
生まれて初めて見た城の存在に圧倒された奈緒が、感嘆の溜息をついた。
「すごいね……」
「もっと大きい城もあるわよ。ラキアスの王都は城の中だけでも野戦のように戦えるぐらい」
「それは……すごいね、ほんとに」
からから、と馬車の歯車が大地を転がる音がする。
カーリアンの城下町に入ると、突然現れた馬車に目を奪われる人々と目が合った。
馬車とはいえ、天幕などがあるわけではない。セリナや奈緒は千人近い人の視線の中を進んでいく。
注目されることに慣れていない奈緒だが、貴族だったセリナの表情は涼しいものだ。
「少し落ち着きなさい、ナオ」
「う、うん……でも、何だか見世物みたいで、ちょっと。目立つのは嫌いなんだよ……」
「いずれ誰もが名前を知ることになるんだから」
「……いや、ちょっと待って。今の言葉は何だかおかしい気がしてきたよ?」
「気のせいよ」
奈緒が表に出てきているためか、それとも民衆の中に混じる刺客を警戒しているのか、ラピスは馬車の外だ。
護衛が五人に増え、二つ首の馬に引かれた馬車は城のほうへと進んでいく。
クィラスよりも活気があるのは当然か。
カーリアンの町は王都なだけあって華やかで規模が大きく、奈緒は視線を動かしながら『さすが王都』と感心していた。
やがて、城の前へと到着した。馬車が停止し、護衛の一人が恭しく頭を下げる。
「ナオ様、エリス様、我々の任務はここまでです」
「ありがとう。助かったわ」
「はっ」
エリス・セリナという偽名を使ったセリナは優雅に微笑む。
奈緒は馬車から勝手に降りると、なんとなくセリナへと手を差し出してみた。
「降りれる?」
「あら。そこは『エスコートしましょう』と云うものよ、ナオ?」
「はははっ」
セリナの柔らかい手を掴み、馬車からの降車をエスコートする。
背後にはラピスが付き人のように控えており、その様子はさながら貴族のご令嬢そのものと言えた。
門の前に立つと、奈緒たちを歓迎するように一礼する存在がいた。
黒髪の乙女は緑色のドレスを身にまとい、思わず奈緒がハッとするような美しい微笑で名乗り出た。
「ようこそ、クィラスの英傑の皆様。わたくし、近衛部隊長のラフェンサと申します。ここからの案内はわたくしが」
「ええ、よろしく頼むわ、王妹殿下」
「わたくしのこと、ご存知でしたか?」
「リーグナー地方でなら知らない人のほうが少ないわ。オリヴァースの将軍にして、カリアス陛下の妹君」
奈緒に紹介するような形でラフェンサのことを語るラピス。
エルドラド族、という森の民。本で見た魔族の種類を思い出しながら、奈緒も薄く笑って一礼した。
ラフェンサも返すようにもう一度頭を下げ、柔らかく微笑んだ。
「魔王カリアスは皆様の到着を心待ちにしていました。どうぞ、謁見の準備は整っております」
「ありがとう。行きましょう、ナオ、ラピス」
「うん」
「はっ」
ラフェンサの後ろについて歩く。
行動の優先権を持っているのはセリナだと、一連の行動を見ていてラフェンサは考えた。
僅かに後ろを振り向き、彼女たちの立ち位置を確認した。
ラピスは完全に従者としての姿勢を貫き、セリナの数歩後ろを歩いていた。彼女は用心棒のようなものだろう。
(この女性が主でこの人が従者みたいだけど……問題は、こちらの男性ね)
ラフェンサの視線が奈緒へと向けられた。
彼の姿はどう考えても従者のラピスと変わらないはずだ。歩き方もぎこちないし、洗練されていない。
エリス・セリナと名乗っている少女のほうはラフェンサと同じように上流階級の洗練された言動と知識を持っている。
彼女がこの集団の核だと思うのだが、少年の立ち位置が気になるのだ。
(隣同士を歩いている。つまり、彼女と彼は対等の間柄ということになるわね)
そんなことを考えていると、セリナと談笑していた奈緒の翡翠色の瞳と視線がぶつかり合った。
ラフェンサは少し驚くと、取り繕うように笑みを浮かべて、そして改めて前を向く。
クィラスの英傑、と呼ばれた彼らの素性は実のところ分かっていない。
ラピスと呼ばれた者が人間であるらしいことは分かる。奈緒もまた、魔族とはあまり思えない雰囲気を持っている。
エルドラド族は本質を見抜くことが得意だ。
いかに竜人の羽で偽装していても、エルドラド族のラフェンサは魔族ではないことを看破した。
(兄上は楽しみにしていたけど……わたくしはやはり、不安ね)
彼らの狙いが分からない。
彼らの素性すら分からない。
そんな彼らを謁見の場に招くということに反対も多かった。
一週間しか待たない、という脅し文句に加え、クィラスを救った者ならば礼の一つも言わねば諸国に笑われる。
魔王カリアスはそのように告げて、今回の謁見の場を取り持ったのだ。
「皆様、こちらです」
「……わあ、広いな。たくさん人もいる」
赤い絨毯を一面に敷き詰めた床を歩き続け、ようやく謁見の場へと到着する。
奈緒の眼前には威風堂々の光景が広がっていた。
数十人もの近衛騎士が左右で一列に並んで整列しており、遠く五十メートルほどの距離に玉座がある。
その玉座の前には大臣と見られる魔族たちがこれまた左右に整列していた。
(魔王の姿とやらがねえな……やっぱり魔王ってのは、俺たちのイメージ通りなのか?)
(固定概念固定概念。そんな悪魔の翼を持って黒いマントを羽織った巨大な身体のいかついおじさんは出てこない)
(な、何で俺の想像を完璧に描写しやがった!?)
(いや、今の龍斗は結構駄々漏れだよ……)
心の中でそんな会話を交わしつつ、奈緒たちはラフェンサに導かれるまま前へと進んだ。
左右の兵士や騎士たちの合間を拭うようにして進み、そして大臣たちの前へと立つ。
玉座との距離は二十メートルほどの場所で待機することになる。
セリナが最初に跪くようにして膝を付き、奈緒も見よう見まねで平伏するように膝を付いた。
ラピスもまた謁見の場で刀を預けてきたらしく、無手のまま追いつくと、セリナたちの行動に習った。
「待ちくたびれたぞ、クィラスの英傑たち」
謁見の場に若い男の声が響いた。
奈緒が顔を上げると、奥の部屋らしきところから草花の王冠のようなものを被った男が玉座へと進むところだった。
見た目は二十代前半。やはり妹のラフェンサと同じくエルドラド族らしく、高い身長と端整な顔立ちが印象的だ。
オリヴァース魔王、カリアス・ヴァリアーは玉座に座ると、笑みを浮かべて奈緒たちを歓迎した。
「先のクィラス襲撃の折、たった三人でクラナカルタの一部隊を撃破したという。おかげでクィラスの民の命は救われた」
「とんでもございませんわ、カリアス陛下。私たちは正しいと思ったことをしただけです」
「くっく、たった三人で百人以上の蛮族を打ち破っておきながら。それでは我々の立つ瀬が無い」
言葉の内容はともかく、怒っているわけではないようだった。
どちらかと言えば悪戯っ子の苦笑のような、無邪気なものに近かった。
主に受け答えをするのはセリナだ。
奈緒は魔王相手に舌が回る自信がなかったので、大部分はこういったことに慣れているセリナに任せることにした。
「して、我に用があって謁見を望んだ、と聞いている。本題に入ってもよろしいかな?」
「もちろんですわ、陛下。私たちは陛下のお力をお借りしたく、こちらに参りました」
「ほう……」
カリアスの黒い瞳が僅かに細くなった。
彼の視線は膝を付くセリナへと向けられ、そして浮かんでいた微笑が一瞬消えてなくなった。
彼女を見定め、検分するような視線だった。
「エリス・セリナ殿だったか……お名前は」
「……はい」
「なるほど。そういうことか……」
カリアスの独白は何かに納得したかのような呟きだった。
奈緒たちはおろか、魔王側近の者や大臣たちでさえ分からないような呟きだ。
しかし、カリアスの言葉の意味を理解した者がこの場に二人いた。
一人は魔王の妹、ラフェンサ。そしてもう一人は他ならぬセリナ自身だ。
「久しぶり、というべきか。セリナ殿」
「……お気づきになりましたか、殿下。いいえ、今はもう陛下ですわね」
それでようやく、奈緒とラピスの二人も気づくことが出来た。
魔王カリアスと貴族時代のセリナは面識がある、と以前に彼女は語っていたことを思い出したのだ。
だからこそ、面影を残す彼女を見てカリアスは気づいたのだろう。
エリス・セリナが偽名であることを。そして、彼女の正体がエルトリア家の生き残りであるということを。
「……謁見はここまでにしよう」
カリアスの一言に大臣たちがざわめいた。
奈緒はしくじったか、と唇を噛み締める。セリナに協力するということはラキアスを敵に回すことに等しい。
クラナカルタだけで手一杯のオリヴァースには彼女の存在は重すぎたのか。
だが、それに反してカリアスの次の言葉は予想を裏切るようなものだった。
「セリナ殿。詳しい話は私室で伺おう。そのほうが良さそうだ」
「……はい」
何だろう、と奈緒はカリアスとセリナの間に流れる雰囲気に疑問を発した。
少しだけ魔王と見詰め合う彼女の姿を見ていると、胸がチクリ、と痛んだのだ。
自分の感情をうまく言葉にもできない奈緒に向けて、王妹ラフェンサが足を進めると微笑んだ。
「お連れの方はこちらにどうぞ。ご案内いたしましょう」
「あ、いや……その、セリナが」
「……エリス様は大事なお話がある、とのこと。邪魔をなさってはいけません」
「ぐっ……」
事実、謁見に現れた者を王の私室に招くこと自体が非常識なのだ。
現に今でも納得のいかない大臣たちが、王を案じるような声で諌めている。中にはセリナを罵倒する声もあった。
カリアスは少しばかり気楽な表情で大臣たちの意見を抑えている。
奈緒はセリナへと駆け寄ると、内緒話のような声で言う。
「せ、セリナ、大丈夫、なの……?」
「…………ええ、きっと。ナオには色々とカードを集めてもらったし、後は私の戦いね」
「あ……う、でも……その」
「……私が心配?」
「当たり前じゃないか!」
思わず叫んでしまって、魔王と大臣たちの視線が一気に奈緒へと突き刺さった。
居心地が悪い。そしてここで我侭を言っても意味が無いことは理解できた。
それでも納得のいかない奈緒に心から援護の声が届く。
(奈緒……気持ちは分かるけどよ。ここで暴れても仕方がねえんだろ……?)
(う、うん……)
(セリナのことは俺も心配だけどさ……ここは、な?)
(信じるしか、ないか……うん、そう、だよね……)
奈緒が恐れているのは交渉が失敗に終わるかどうか、だけではない。
セリナの身の安全が心配だった。だけど、それを心配するということはオリヴァースの国を信じていないことになる。
それでは協力など夢のまた夢だ。だから、ここはセリナを信じて待つのが正解なのだ。
(どうしよう。全然納得できない……)
セリナはというと、大声を出した奈緒を見て驚いている様子だった。
何だか拗ねている様子の奈緒を見ていると、セリナは仕方ないなぁ、という笑みを浮かべてしまう。
「セリナ殿、こちらへ」
「ええ。今行きますわ。……ねえ、ナオ」
なに……? と不安げな声が返ってきた。
その様子が何だか可愛くて、セリナは笑いを抑えきれなくなってきた。
それでも表情を引き締める。奈緒に全てを任せてばかりではない。ここからはセリナの戦いだ。
だからこそ、彼を安心できるような力強い笑みを浮かべてセリナは言う。
「もっと堂々としなさい。それでも魔王候補?」
「でも」
「いいから、私を信じなさい。他の誰でもなく、他の何でもなく、あなたの知ってるセリナを信じなさい」
そう言って彼女は歩いていく。
魔王の私室へと。魔王がその気になれば命でも何でも奪えるような虎口へと。
彼女の足取りは確かだった。恐怖とか不安とか、そういった余分なものを感じさせないほど堂々としていた。
奈緒は彼女の後姿を見送り、右手で左腕の腕を爪を立てるほど握り締めた。
彼女の姿が扉の向こうに消えていく。
ラピスとラフェンサに促されるまで、奈緒はセリナが消えていった扉をずっと見つめ続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇
魔王の私室は思ったよりも物が少なかった。
カリアスが寝るためのベッドと、彼が職務をするための机と椅子、そして趣味のための本棚があるだけだ。
物が少ないからこそ広々とした私室を見渡して、セリナは口を開く。
今度は謁見用の他人行儀の口調ではなく、彼女本来のものだった。
「あんまり派手じゃないわね」
「国の財政は厳しくてな。我が一人贅沢をするわけにもいかん」
「あなたの元来の性格でしょ、カリアス」
「二人きりになった途端、遠慮の欠片もないな、セリナ殿。まあ、我はそのために私室に招いたわけだが」
くつくつ、とカリアスは人懐こい笑みを浮かべた。
椅子が魔王の分しかないので、セリナは勝手にベッドに座ることにする。
「久しぶりだな。三年前の舞踏会のとき以来か」
「そうね。一人称、変えたんだ?」
「あのときは、俺、と言っていたか。……生きていたんだな」
「もっとも、セリナ・アンドロマリウス・エルトリアは公式には処刑されたことになっているけど」
「無事でよかった」
「ありがとう。とはいっても、あなたにはあんまり良い報告じゃなかったんじゃない?」
そんなことはない、とカリアスは首を横に振る。
舞踏会では一曲踊ったこともある仲だ。生きていたのなら嬉しいことだ、と彼は語る。
例え彼女の存在自身がオリヴァースを滅亡に追い込む可能性があろうとも。
だが、旧交を温めにきたわけではなかった。それは両者共に分かっていることだ。
だからこそカリアスは挑むような、楽しむような表情で告げた。
「さて、用件を聞こうか。君は我をどのように利用したい?」
セリナの戦いはこの言葉と共に幕をあける。