第16話【楽しいな】
翌日、バード族の伝令が帰ってきた。
奈緒たちはクィラスの町長に橋渡しを頼み、オリヴァースの魔王への謁見を頼み込んだのだ。
普通に真正面から謁見を求めても、長い間待たされなくてはいけなかっただろう。
伝令が持ってきた返事は奈緒の期待通りのものだった。
『魔王カリアスとの謁見を許可する。紹介文を持ってカーリアンの城へと訪れよ』
順番待ちを回避した奈緒は密かに喜びを噛み締めてみたり。
エルトリア家の名前を出せばすぐにでも謁見が通っていたかも知れないが、できるだけその方法は使いたくない。
オリヴァースがラキアスに取り入るために敵に回る可能性があったからだ。
真正面からならともかく、表で歓迎されている間に裏で毒でも仕込まれたらたちまち奈緒たちは敗れてしまう。
とにかく、エルトリア家の名前を使わずに優先的に謁見を許可されたのは僥倖だった。
もちろん、数日中に謁見を許可されるように頼んでいたのだが。
(……お前、伝令に一週間以上待つつもりはない、って脅しただろ)
(時間制限がないと意味ないしね)
休暇から帰ってきた龍斗は、少し元気が無さそうだった。
何があったのかは気になったが、龍斗は遊びに疲れたのだと言うだけだった。
確かに身体中が筋肉痛で、動くたびに身体のあちこちが軋みをあげている。頻繁には身体は貸せない、と思った。
というか、咳のひとつでもしたら腹の底から激痛が走る。
(龍斗……身体が、すごく、痛いんだけど……)
(い、いやあ、つい全力疾走でラピスに付いていったり、だな……はははは)
(龍斗、龍斗。僕もね、心の中を色々と改装してみたんだよ、新機能満載なんだよ)
(はっはっは、お前、新機能って……ま、まさか、さっきからいつもの牢獄が要塞並みに堅牢になっているのは!)
(拷問機能付きだよ、試してみる?)
(テメエ! 自分の心の中をそんな物騒なもんで埋め尽くしてるんじゃね……ぎゃあああああ、ギロチンがー!)
騒がしい心の中とは裏腹に静かな朝が過ぎていく。
心の中で追尾してくる断頭の刃から逃げ回る龍斗に一切目をくれることなく、奈緒はセリナたちと合流する。
領事館の広場では既にセリナとラピス、それにクィラスの町長とバード族の青年たちが集まっていた。
町長は恭しく一礼して奈緒を迎えると、気弱そうな笑みを浮かべて口を開く。
「お待ちしておりました、ナオ様……ご要望どおりオリヴァース魔王、カリウス・ヴァリアーの謁見の準備が整いました」
「ありがとう。滞在する間も色々と世話を焼いてくれて助かったよ、感謝しています」
「とんでもありません。本当ならいつまでも滞在していてほしいぐらいですが……」
それはきっと本音だろう、と奈緒は思う。
ボグ率いるクラナカルタ軍を打ち破ったとはいえ、第二第三の軍勢が攻めてくることも考えられる。
むしろ、その可能性は強まったに違いない。
好戦的な国といわれる蛮族国ならば、自軍の壊滅に我を忘れてせめてくる可能性は十分に考えられる。
「町長。クィラスの町の守備隊だけでは恐らく持たないでしょう。今のうちに対策を考えなければ」
「そう、ですね……僅か数百人ほどの町民たちですが、これだけの襲撃を受けてもなお、逃げようとはしない者たちです」
「放棄は、できませんか……ならば、傭兵を雇うしかなさそうですね」
「値は張りますが、それしか手段は無いでしょう」
何だかんだと言っても奈緒もクィラスの町が気に入っていた。
自分たち優先ではあるが、クィラスの人々も助けたいと思っている。だから町長と真剣に頭を悩ませていた。
しばらく話しているうちに理解した。町長は奈緒たちに絶大な信頼を寄せている。
それがセリナの高貴な態度と奈緒自身の策略によるものだとは気づかなかったが、これなら良いかも知れない。
「……町長。クラナカルタは打倒するべきだと、思いますか?」
「は? そ、それは当然でしょう! 生産性もなく、我々から奪うだけの蛮族どもなど滅びるべきです!」
「それは、蛮族だからとか、そういうのは関係なく?」
「か、関係なくてもです。宣告もない奇襲を受けて守備隊は壊滅しました。家族を失った人々が大勢いるのです!」
そうだ、クィラスの町長は良くも悪くも『町長』なのだ。
ある程度の打算は働かせるし、利用できるものなら利用してみせるだろう。
全ては彼が命を預かる数百の民衆の命のために。気弱で線の細い悪魔族の男にはそれだけの重圧がある。
追い詰められた彼が考えているのは民衆のためだ。そうでなければ、守備隊隊長など兼任するものか。
「……僕たちは、クラナカルタを討伐したいと考えています」
「な、なんですと!?」
この発言に驚いたのは町長だけではなかった。
仲間であるはずのセリナやラピスでさえ、この状況で町長に暴露することに驚愕の意図を露にした。
確かにそれぐらいは話してしまってもいいかも知れない。
問題はセリナたちの目的。それだけは断固として死守しなければならない。それはもちろん、奈緒も分かっている。
セリナたちは驚きつつも黙っている。駆け引きや細かい計画の運営は、全て奈緒を信頼して任せているのだ。
「カリアス・ヴァリアー魔王との謁見の目的は、クラナカルタ討伐の兵をお借りしたいからなんです」
「し、しかし、私たちは今まで何度も討伐を目指してきましたが、結局は返り討ちに……」
「お忘れですか、町長」
奈緒が自信満々の壮絶な笑みを向ける。
町長や側近のバード族たちは息を呑んだ。奈緒らしくないほど獰猛な笑みだった。
「僕たちが三人で敵軍の一部隊を葬ったことを」
このとき、クィラスの町長は戦慄を感じ取った。
今までオリヴァースの部隊が攻め入ったとしても、敵の一部隊すら撃破できたことはない。
それをたった三人でやり遂げてしまった奈緒たちを見て畏怖にも似た何かを覚えたのだ。
敵に回せば恐ろしい存在だが、味方に回せばこれほど頼もしい存在はいない。
そう、錯覚させられるほどの畏怖だった。
「僕たちもクラナカルタの横暴は許したくない。今こそ、オリヴァースの力を借りて討伐するべきだ」
「そ、それでは……」
「ただし」
変な希望を持とうとした町長を一言で制止する。
演技とはいえ、翡翠の瞳は爛々と輝いていて、獰猛な笑みは龍斗のそれに近かった。
奈緒はこの場の雰囲気が自分の主導になっていることを確認し、なればこそ自信満々という演技をして語る。
「クィラスの町にも協力してもらいたい。それに承諾してもらえないかな、魔王とは別に」
「そ、それはどういう……」
「たとえオリヴァース魔王が協力してくれなかったとしても、クィラスの町は僕たちを支持する。それを誓って欲しい」
ざわざわ、と周囲の側近たちが蜂の巣を突付いたような騒ぎになった。
何を傲慢な態度を、と憤る者がいた。
そして確かに、誓うべきかも知れない、という意見を出す者もいた。
町長は口をパクパクと数度動かすと、引っ繰り返ったかのような声で叫んだ。
「そ、それはオリヴァースを裏切れ、ということですか!?」
「違うよ。ただ、僕たちに協力してくれればいい。他の何のためでもなく、クィラスの人々を守るために」
このままでは国が滅ぶことは、クィラスの町長も理解していた。
最前線のクィラスなど一週間も保たないかも知れない。そうなれば待っているのは悲劇と破滅だ。
現状、オリヴァースの王都でも協議が行われているのは間違いない。
だが、それを待っているあいだに滅ぼされてしまう危険性のほうが遥かに強いことは言うまでもなかった。
「このままでも、オリヴァースはいずれ滅びる。だからこそ、あなたが道を示すんだ。前例を作ることで」
「む……むむ」
「クィラスの数百人に留まらず、オリヴァース数千人の人々の未来を守るために」
「………………」
「これから起こる悲劇を打ち破るためには、あなたが一歩を踏み出さなければならない。それが分かるか!」
強い口調と叩き付ける事実に広場が静まり返った。
黙していても終焉が近い。もはやオリヴァースの国では蛮族国を止められない。
町長は苦悩しながらも考えた。
彼が今、護らなければならないものは何か、ということを。
浮かんできたのは家族の顔であり、同僚の顔であり、部下の顔であり、そしてクィラスの人々の笑顔だった。
そうだ、そのために人々の長となった。
名誉欲も確かにあった。
富や財を築くという夢も確かにあった。
だが、それ以上に彼がこの町を捨てられない理由は、クィラスを愛しているからだ。
そこに住む人々の笑顔を守りたかった。クィラスの町は自分が主導して導いていかなければならない町だ。
十数年の町長生活のなかで、クィラスの町は自分の子供たちのようなものだ。
だからこそ、憎き蛮族どもに滅ぼされるなど死んでもごめんだった。
「分かりました」
側近たちが、町長の決断にざわめいた。
それを手で制して、『クィラス町長、ジェイル・コバール』は確かな声で宣告した。
今の彼に宿っているのは威厳だ。線の細い気弱な男だったはずの彼が、初めて見せ付けた畏怖だった。
「クィラスの町の命運、ナオ・カリヤ様にお任せいたします。生かすも殺すも、あなた次第だ」
「……感謝、します。町長」
「ジェイル、とお呼びください、ナオ様。このまま黙って滅ぼされるぐらいなら、祖国すら見限りましょうぞ」
奈緒は、その畏怖に当てられてしまった。
気弱な町長が今まで見せなかった、覚悟を秘めた威厳に奈緒のほうが敗北したかと思った。
セリナも、そしてラピスも戦慄に近い感情を抱くことがやめられなかった。
だが、心強かった。ジェイル町長を仲間として引き入れることが、凄く頼もしいことに感じた。
「じゃあ、ジェイル。僕たちはこれから王都カーリアンに行きます。その間に、傭兵たちを集めておいてほしい」
「畏まりました。ですが、クィラスの財力ではどれほど集まるかどうか……」
「今は一週間ほど、町を守れる兵力があれば十分だよ。僕たちはその間にオリヴァース魔王との協力を取り付けてくる」
クィラスの町だけではなく、オリヴァース全体が協力してくれることになれば攻勢に出ることが出来る。
オリヴァース正規兵とセリナたちが集める傭兵、そして奈緒たちのような戦力があれば。
絵に描いた餅を現実に引っ張り出すことも、夢物語ではなくなってくる。
「ジェイル。一筆、書いてほしいものがある」
「は、何でしょうか?」
「『クィラスの町は協力を表明した』と示す文章を。これを魔王への交渉の道具として使わせてもらいたい」
「すぐにでも」
ジェイルは臣下として奈緒に一礼すると、すぐに己の書斎へと歩いていく。
その背中に向けて奈緒は釘を刺すように言葉を投げかけた。
「僕たちとクィラスの町は運命共同体になる。ジェイルと、クィラスの人たちにも協力を頼むよ」
「は、分かっています」
クィラス町長、ジェイルの後を従うように側近たちも退出していく。
彼らの中には不満もある者がいたが、それでももはや決まったこととして覚悟の面持ちをしている者ばかりだった。
クィラスの町を丸ごと抱き込むことに成功した奈緒は、ようやく安堵の息をつくことになる。
はあ、と息を吐いてその場に倒れそうになる奈緒の身体を、セリナが支えた。
「大丈夫?」
「はは、うん……もう、何ていうかね……僕、偉そうに何を言ってるんだろ、って感じ……」
「なかなか威厳があったわよ。ジェイル町長には驚いたけど」
「うん……あの人は信用できると思う。ああでも……たったこれだけでも疲れちゃったよ……」
しかもこれからは、今までとは比べ物にならない魔王との謁見がある。
セリナたちと共に国を建てたことを考えると、対等に接しなければならないというおまけ付きだ。
そうするための材料を次々と揃えているのだが、それでも不安で心臓が爆発しそうだった。
(龍斗、龍斗。今後一切、身体の所有権を渡していい?)
(待て待て、お前はもっと自分を大切にしろ! そう簡単に身体を安売りするな!)
(龍斗ならいいよ)
(やめろ。これ以上、俺を惑わすな)
(いや……惑わされること自体、問題がありすぎる気がするけど……まあ、冗談。ちょっと逃避したくなっただけ)
そんな会話を交わしていくうちに、奈緒の緊張も何とか解けていった。
セリナにそっと笑いかけると、自分の足で何とか立ち上がる。
「ありがと、セリナ……何とか落ち着いた」
「いいのよ。大切な身体だもの、大事にしてあげなさいな」
「セリナも大事なんだからね?」
ぺしり、と頭を軽く叩かれた。
単語がひとつ抜けているだけで効果は抜群だった。
「え、なんで叩かれるの?」
「…………」
「え、なんで睨まれるの?」
「…………知らないわよ、馬鹿」
「ええ、なんで怒ってるの!?」
理解が出来ない、と言わんばかりに叫ぶ奈緒。
龍斗に対して助けを求めようとしたが、残念ながら知らぬ振りを貫くようだ。
セリナは奈緒から顔を背け、金色の髪を指で弄りながら忙しなく視線を移していた。
ラピスから見た彼女の顔は僅かに紅潮していたのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇ ◇
慌ただしくなった領事館の人々を他人事のように見つめながら、セリナは部屋の荷物をまとめていた。
無自覚に恥ずかしいことを言う天然馬鹿と別れ、今はラピスに荷造りを任せている。
ほとんどがクロノスバッグに入るような小物なので、それほどの時間は掛からなかった。
最後のひと時、とばかりにテーブル前にある椅子に座るセリナ。
「…………むう」
「いかがしましたか、お嬢様? ナオ殿のような溜息をついて」
「え、嘘……移っちゃったのかしら……?」
思えば奈緒も困ったときには、むう、と唸っていたような気がする。
そう、奈緒だ。狩谷奈緒。
セリナ・アンドロマリウス・エルトリアを惑わせる問題児にして夫候補、彼のことを考えると調子が狂う。
頼りがいがあるのに、どういうわけか本音は自信がなくて、支えてあげたい気分に駆られる。
何だか凄く弱そうで、現にプレッシャーに潰されているのに、それでも倒れずに笑顔を向ける。
「……困ったわ。いや、それとも都合が良いのかしら?」
「お嬢様?」
「なに? 今の私は平常心でいることに一生懸命なのだけど……?」
「顔が赤いです」
即答され、セリナは堪らなくなってテーブルの上に突っ伏した。
平常心でいることができるのは言葉だけのようで、それ以外のところは取り返しの付かない速度で崩壊中。
うがーっ、と女にあるまじき悲鳴でもあげたいセリナは、それでも貴族らしくあるために我慢した。
テーブルに沈むラピスの主は肩を震わせて何かに耐えている。
「うう……私の余裕綽々の演技が、最近どんどん崩されてる気がする……」
「十年間以上で培ってきた、貴族としての嗜みが、ですか?」
「そう……たった三日よ。たった三日で、私の十年間は打ち破られたのよ……自信喪失しそう」
認めよう、セリナ・アンドロマリウス・エルトリアは、恋にも似た何かを感じ取っている。
たった三日だけ一緒に行動しただけの少年を相手にして。
確かに初対面で夫になれ、と言ったこともあるし、本気で好きになれば奈緒の条件も跳ね返せる。
だけど、こんなに早くだと思うと、むしろセリナのほうが困惑していた。
「ねえ、ラピス……これって恋なのかしらね」
「ううむ……例えば、ナオ殿を見るとどんな気持ちになりますか?」
「何ていうか、胸がぽわぽわ、する? あと、視界に入ってたら安心するんだけど、いなかったら捜したりとか……」
「……お嬢様。それがしも恋の経験がありませんから断言は出来ませんが」
ラピスは微笑ましい、と告げるような困った笑顔のまま語る。
次の彼女の言葉はセリナも簡単に予測できた。
「やられてしまっているかと」
「うわあ……なんだろう、この情けなさと気恥ずかしさが混ざった気分は……」
普通に恋では、と言おうとした言葉をラピスは飲み込んだ。
セリナと同じように男性との交際経験がゼロのラピスでは、間違った言葉を口にする可能性もある。
金色の髪の乙女は冷たい感触を求めるように、額に手を当てた。
「……こんなの、私じゃないわ。落ち着きなさい、セリナ……貴族は誇らしくあれ、よ……」
「そ、想像以上に憔悴していますね、お嬢様」
「たった三日なのよ! 負けた気分になるなんてものじゃないの!」
我を忘れて叫ぶセリナだが、そうこうしている間にも色々なことを思い出す。
初めて出逢ったとき、自分を庇って抱きしめられたときの感覚。
厳しい言葉で諭されたときの悔しさと、それでも手を貸してくれると言ってくれたときの嬉しさ。
一緒に月の光を浴び、肩を寄せ合ったときの心臓が破裂しそうになるほどの緊張。
そして一日逢えなかったときの物足りなさと、僅かな不安や寂しさ。
きゅん、と胸が締め付けられるような痛みがあった。
耐え切れなくなったセリナは椅子から立ち上がると、ベッドのほうへと退避した。
ぽすん、と柔らかいシーツの上に横たわって枕に顔を埋めた。
冷たい感触が気持ちよくて、同時に身体がこんなにも熱くなっていることを自覚した。
「お嬢様、お休みになるにしてもあまり時間がありませんが……」
「いいのよ、眠るつもりはないから。少し頭を冷やしたいだけ……んー、冷たくて気持ちいい……」
割といっぱいいっぱいらしいセリナを見て、やはりラピスは困った苦笑いを浮かべた。
貴族としてのセリナではなく、少女としての素の彼女を久しぶりに見た気がしたのだ。
素の表情、本音という単語を思い出したラピスは思考する。
思い出すのは昨日のこと。炎に怯えたことで自己嫌悪に陥った、一人の青年のことだ。
「……それで、ラピス。リュートとの逢引はどうだったのかしら?」
「ぶふっ……!? あ、ああ、逢引ではありません! それがしはリュートと得物を買い求めにいっただけです!」
矛先を逸らすためか、それとも気を紛らせるために告げられたセリナの言葉だが、ラピスは異様に反応した。
桃色の長い髪の先端を弄り、動揺を隠すように顔を背けて言い訳をするが、全然隠せていない。
セリナ以上に彼女は純情なので、セリナはくすくすと意地の悪い笑みを浮かべた。
「へえ、リュート、ね……へえー……」
「な、なんですか、その蛇の魔物のような目つきは! 何が狙いですかお嬢様!?」
「いつの間に呼び捨てか……仲良くなってるみたいね、ラピス」
ふふっ、とからかうようにセリナが微笑んだ。
ラピスは顔を赤くすると、あーうー、と言葉にならない悲鳴をわたわたと叫ぶ。
小声早口で言い訳する護衛剣士を見ながら、セリナも楽しそうな笑みを浮かべた。
この気持ちは不快なものじゃなかった。
「楽しいわね」
そっと、ベッドに身を預けた少女がさらに呟いた。
「こういう気持ちは、なんだかとても楽しいわ」
◇ ◇ ◇ ◇
「ジェイル。奴らが侵入してくる拠点は砂漠を通った……ここの砦なんだね」
「は、クラナカルタは町など作らず、堅牢な砦を拠点としています。商人も一切、寄ることはありません」
「うわあ……国、どうなってるのさ。政治とか商売とか治安とか」
「政治は無法地帯、商売はせずに他国から奪ってばかり、治安は言うまでもなく……」
「くしゅん! くっ、あいたたた……」
「おや、風邪ですかな……?」
「い、いや、そんなはずは……むう?」
今後の情報収集と作戦会議をしていた奈緒は、首をかしげる。
噂でもされているのかな、と自己完結して改めてジェイルとの話し合いに集中することにした。
カーリアンまでの道のりは馬車だ。
客人としてオリヴァースに迎えられることになっていて、馬車が用意できるまでの間、奈緒は情報収集を行っている。
(くしゅんっ、はくしょん! あー、畜生!)
(ええ、心の中でも咳って出るの……?)
(な、なんだか、しなければならない衝動に駆られてな……)
(……へえ)
◇ ◇ ◇ ◇
オリヴァース国首都、カーリアン。
人口三千人の都市の中でも一番目立つのは、装飾を施された城だろう。
城を中心として城下町を作り、政治を運営しているのがオリヴァースの魔王だ。
彼の名はカリアス・ヴァリアー。
エルドラド族、という森の民とも呼ばれる魔族であり、種族を示すように彼の頭には草花の王冠が載せられる。
見た目は人間と大差は無い。普通に比べて長身で美形が多いことと、髪に僅かながら草花が混じるのだ。
カリアスもまた種族の違いとして、身長は高く、そして整った顔立ちをしていた。
「兄上」
「ん……?」
王の個室に静かに入室したのは黒髪の乙女だった。
カリアス魔王と同じ種族、エルドラド族であることは頭上に花冠のようなものが載せられていることから分かる。
緑色の簡易的なドレスに身を包んだ彼女は、優しげで人を安心させてくれるような雰囲気をまとっている。
歳は二十にも満たないだろうが、落ち着いた物腰は十代の少女とは思えない。
種族の例に漏れず高身長で、そして同性が見てもハッとするほどの美人を部屋に迎え入れたカリアスは言う。
「ラフェンサ、どうした?」
「例のクィラスの英傑との謁見をする、と伺いました」
「反対か?」
「いいえ。正しい判断だと思います」
魔王カリアスの妹、ラフェンサ・ヴァリアー。
彼女はオリヴァースの国の将軍であり、有事の際には飛竜を駆って戦う国の柱のひとつだ。
オリヴァースでは三人の将軍が軍を統括しており、ラフェンサは近衛軍を率いている。
「家臣たちが不安になるのも分かる。たった三人で百人以上を打ち破った者たちだからな」
「……そうですね」
「謁見の場で暴れられたら大変だ。我々などあっと言う間かも知れないな」
くつくつ、と朗らかな忍び笑いをするカリアス。
まだ二十代前半の王は危機感が無いかのように、他人事のような言葉を口にしている。
決して楽観的なのではない。これはカリアスという男の生来の性格のようなものだ。
妹のラフェンサも同じように微笑むと、くすくす、と声を立てずに笑う。
「わたくしたちの立場がありません」
「おっと、すまないな。ひとつ寛大な心で許してくれよ、ラフェンサ」
「ええ、兄上。それよりも、クィラスの英傑について、兄上はどのように見ていますか?」
「そうだな……」
カリアスはふっと笑うと部屋の窓を開けて空気を入れ替えた。
緑色の髪を風になびかせながら、彼は己の予感というものを口にする。
「我を利用するため、といったところだろう」
「その通りですね」
「せいぜい、相手の思惑に易々と乗らされないように注意しよう。ラフェンサも傍に控えてくれるな?」
「はい、兄上。お任せください」
首都カーリアン。
二人の兄妹は座して訪れる者たちを待つ。
善か悪か、敵か味方か、己に利する者か害する者か。
挑むような心で奈緒たちを待つ魔王の口元は、楽しそうに歪んでいた。
「楽しみですか、兄上?」
「当然だ。我をどのように利用しようとするのか、今から楽しみが止まらない」