第15話【鎖倉龍斗という少年】
鎖倉龍斗という少年は光のような存在だった。
小さい頃から友達に囲まれ、人との距離を間違えることもなく、常に明るいムードメーカーだった。
子供の頃に流行った歌の一節に『友達百人できるかな』という歌詞がある。
龍斗は冗談抜きにして本気で友達を百人作った、と言われても信じられるくらい、人望のある男の子だった。
勉強は苦手で成績は下位だったが、それを差し引いて運動神経が良かった。
様々な部活に助っ人として参加する反面、自身はどこにも籍を置くことはなかった。
龍斗と付き合う女性の数も多かった。
二股を掛けたこともあるし、それ以上のことをやってのけたこともある。
決して軽い男ということはなかった。別れる女も多かったが、大抵のことはお互い笑顔で別れることが多かった。
人との距離を間違えなかったからだろうし、龍斗という少年の奔放さを誰もが理解していたからだろう。
『いつか背中を刺されても知らないよ?』
『そんときは大往生ってこったよ』
男女ともに親しまれていた少年。
運動の場では華々しく脚光を浴び、小さく地元の新聞にも載ったほどだった。
彼の周りには自然と人だかりが出来ていたし、常に皆の中心に立ってイベントを進めてきた人物でもある。
勉強関連は苦手だったが、運動全般においては誰よりも頼りになる。
そういう少年が鎖倉龍斗の少年時代だった。
『……また正義の味方ごっこ?』
『ごっことはひでえなぁ……おら、奈緒。治療してくれよー』
『もう……荒事にあんまり関わるもんじゃないよ?』
中学時代になれば我を通すことが難しくなる、と一般的には言われている。
だが龍斗はそんなの関係ない、と言わんばかりのマイペースで常に友達たちの中心に居続けた。
いじめを見つければ強引に止めて入ったことがある。
それで怪我をしようが、停学になろうが、ヤバい連中から目をつけられようが、龍斗の生き方は何も変わらなかった。
簡単な話だ。
彼はいつでも自分の好きなように生きている。
それだけ純粋で馬鹿なのだと、翡翠の瞳の親友は語っていた。
『……で、女の子たちの誘いを断って、ここに来ちゃったの?』
『しょうがねえだろー? 突然倒れた幼馴染を放ってゲーセンに行ったら、親になんて言われることかー』
『ただの風邪だよ……』
『そうだな、ただの風邪らしい。だからさっさと治して、ゲーセンに行くぞ』
『うん……』
勉強は相変わらず苦手だったが、大人になっていくにつれて頭が良くなっていった。
知識としては落第点だったのだが、彼はたくさんの人付き合いから様々なことを学んでいったのだ。
だから頭の回転は速い。そして人付き合いという枠組みの中では、高校生としては抜きん出た経験を持っていた。
それが鎖倉龍斗のもっとも油断ならないところだ、と親友からは言われていた。
『龍斗は、有りのままの自分しか見せないね』
『何しろ隠し立てするような人格を持ってねえからな! いつでも素のままだ』
『うん……そうだね』
『だからよお、奈緒。お前も素のままで接してくれよ。変な遠慮とかしねえでさ……俺とお前、幼馴染で親友だろ?』
『…………うん、そうだったね』
鎖倉龍斗と狩谷奈緒。
その存在は光と闇のように相反していた。
彼らの役割も、彼らの性格も、彼らの事柄も、その全てが正反対だった。
光の象徴だった龍斗は、誰であろうとも深い付き合いをしたいと願うなら、素のままの相手を好きになりたい。
多くの友達とも、付き合った女の子たちに対しても、幼馴染の親友に対しても。
それはもちろん、新しい世界で一緒に肩を並べて戦うことになる戦友に対しても。
そんな彼が、一度だけ嘘吐きの仮面を被ったことがある。
小学校のときではない。そんな子供の話ではない。
中学校のときでもない。彼はいつでも正直に生きてきた。
高校生のとき。これもまた遠いようで近い。外れ、というわけではないが、当たりというわけでもない。
今の鎖倉龍斗は高校生ではなく、親友の心の中に巣食う居候だ。
(………………)
そう、嘘を付いているのは現在のことだ。
仮面は今の快活そうな彼の顔を道化の笑顔で覆い隠してしまっている。
その真実を告げることは永久に無いだろう。
知らないほうがいいときもある。真実の炎は時として、人の心を欠片も残さず燃やし尽くしてしまうのだから。
◇ ◇ ◇ ◇
「……という夢を見たわけなんだぜ」
「いや、知りませんが」
最速でクールな返事を返された龍斗が、町の入り口で崩れ落ちた。
結局、最初の追いかけっこは十分も続くことなく、ラピスの拳の一撃で龍斗は気絶させられた。
もう色々と面倒くさくなったラピスは龍斗をお姫様抱っこで抱えあげると、そのまま破剣の術を使って疾走したのだ。
最初からこうすれば良かった、とこっそり溜息をつく護衛剣士。
「完全に遠慮が無くなったな、ラピス。いや、俺的にはばっちこい、だけど」
「ばっちこい、の意味は分かりませんが。少なくともリュートに敬意を向けるのが馬鹿らしくなったのは確かですね」
「あ、あれ? もしかして好感度ダウンしてる?」
「いいえ、親しみやすくなりました。これがいいと仰るなら、このままにしますが」
うーん、と龍斗は挑むような表情のラピスを見て唸った。
呼び捨てと気軽な態度が端々に見えるのだが、それはむしろ龍斗にとって見れば嬉しいことだ。
問題は彼女の口調だろう、と龍斗は考える。
「……敬語もやめない?」
「むしろ素のそれがしが敬語なので……これ以上砕けたものを望まれても」
「そっか。うちの世界じゃどんなに敬語な奴でも、最終的には敬語が無くなるんだけどなぁ」
さすがにラピスのように大貴族に幼少の頃に拾われた、という経緯を持っていてはそれもないだろう。
小さい頃から敬語で会話していたに違いない。
むしろ呼び捨てで自分を呼んでくれる、というところだけで満足しておくべきだろう、と考えて息をついた。
そうして改めてクィラスの隣町、と呼ばれる町並みを見た。
「へえ……活気があるなあ」
「ミオの町です。クィラスの町とは違って国境ではありませんから、商人たちも安心して商売が出来るようですね」
人口は最前線のクィラスよりも遥かに多く、千人以上が暮らしている。
小国オリヴァースということもあって少ないぐらいで、ラキアスでは全体で一万人以上の魔族が暮らしているらしい。
そんな説明をラピスから聞いたのだが、龍斗は首をかしげた。
「何ていうか、クィラスといい、人口が少ないよな、魔族って」
「そうですね。人間は一家で三人くらい子供を作りますが、魔族は身体の体質上か、子供が生まれにくいんです」
「それが人口低下の原因に繋がるわけか……少子化を思い出すなぁ」
「リュートの世界でもあったのですか?」
「おう。こっちは生まれにくいんじゃなくて、あまり出産しようとしていないだけだったんだけどなー」
人々の生活が営まれているミオの町を、ラピスと二人で歩いていく。
威勢の良い掛け声は商人たちのものだろう。露出店のような気軽さでそれぞれが営業をしていた。
シーマの実やコーマの実を売る八百屋のような職業の人。彼らは雑貨として路上で物を売る生活をしているようだ。
「刀剣屋ってのは何処かねえ?」
「掘り出し物でしたら路上で売ってることも多いですが、今は間に合わせで十分です。店を探しましょう」
「なあ、ラピス。あれとか、そうじゃないか?」
龍斗が指差した先には、ふたつの剣をクロスさせた旗が門の上に飾られている店だった。
市場を行く人々の波に揉まれながらも、何とか店の前に這い出る。
木造ではなく、石造りの建物だ。それを見ただけでそれなりの店であることが理解できた。
三匹の子豚ではないが藁の家、木造の家、石造の家と豪華度が分かれており、さらにその上には金属がある。
家の立派な具合を表すのは強度だと、ラピスは教えてくれた。
「ちゃーす」
「失礼します」
「いらっしゃいませ」
さすがにドアだけは木で出来ていた。中へと入室すると髭を生やしたドワーフ族の男が出迎えた。
媚びへつらうような笑みを顔に貼り付けながら、値踏みをするように商人はラピスたちを見る。
ある程度欲に曇った瞳は商人特有のもので、龍斗もラピスも気にしなかった。
彼らの目的は商人ではなく、彼が売っている刀剣の類だ。
「お客様、どのような品をご所望ですか?」
「刀を見たいのですが、少し見せていただいてもよろしいですか?」
商人に断りを入れて、じっと壁に立てかけられた刀や樽の中に入っている刀を見比べていく。
龍斗の見立てでは樽の中に無造作に放り込まれているのは安物で、壁に立てかけているのが高いのだ、と思った。
生憎と一介の学生である龍斗には刀の見方など分からない。
だから他の武器を探してみようか、とあちこちに視線を向け、ゲームさながらの世界に浸って叫び声をあげた。
「うおー、すげえ。鉄球だ鉄球、ギザギザの棘付き! こんなの売ってんのかよ!」
「当店は何でも揃えるのが自慢でございます。お客様は何をお望みですか?」
「んー、悪い。今日はあの子の付き添いなんだけど、色々と見ても構わねえかな?」
「もちろんですとも。何かお気に召したものがあれば、仰ってください」
正式に許可をもらった龍斗は、剣や槍、斧に弓など色々なものを手に取ってみた。
どれもこれも生前では触ることも無かったに違いない、本物の武器の数々に一少年の龍斗は興奮した。
「いやー、すげえすげえ! しかも軽く振りやすいように作られてるんだな!」
「軽い……? え、ええ。わたくしども、最高品質の商品をご提供いたしておりますのが、自慢にございますゆえ」
「おお、これとかヤバくね? でっけえ剣だなあ、おい!」
夢中になった龍斗が手に取ったのは、彼の身長ほどもある鉄の塊のような剣だった。
龍斗の身長といっても奈緒の身体のため、全長は約百六十センチほど。ただし分厚い刃渡りは三十センチもある。
もはや剣というよりは鈍器だ。刃も申し訳ない程度に作られているが、そんなものは必要なさそうだった。
何しろ剣の重さだけで振り下ろされた相手は全身の骨を折られて息絶えるだろう。
「どれどれ……って、お? おお?」
「な、ななななななな!?」
龍斗の困惑の声と、ドワーフ商人の腰を抜かす声が店内に響いた。
刀の鑑定をしていたラピスが何事かと思って龍斗のほうを見る。
そこで今度こそ、ラピスの目が大きく開かれた。そのまま瞬かれた瞳は目の前の光景を信じられない、と言っている。
龍斗が何をしているのかを端的に表現しよう。
見た目、四十kgを超えそうな大剣を龍斗が片手で持っていた。
驚いているのは大剣を持った本人もだ。
彼は想像以上に軽かった大剣をぼんやりと眺めると、左右に何度か振ってみた。
ごうっ、と風圧が商人とラピスの間を横切っていき、龍斗がぽかん、と口を空けたまま首をかしげた。
「……えっと、こんなに重たそうなのに意外と軽い剣だな!」
「………………」
「………………」
「……え? なに? これって俺が変なの? そうなの?」
龍斗が怪力というわけではない。少なくとも元の世界ではそれほどではなかった。
しかも今の龍斗の身体は奈緒のものだ。実は彼が怪力の持ち主だった、というのも有り得ない、と龍斗は首を振る。
確かにこの大剣は重い。どう考えても鉄の塊に違いない、と思っていた。
だが、実際に体感した龍斗の感覚は、せいぜいが五kgほど。
普通の剣や刀にしてはずっと重いが、大剣としてなら違う。格別の軽さだと錯覚したのだが。
「……ご主人。あの大剣、どのようなものですか?」
「は、はひ? ええとですね、あれはオーク族用に作られた大剣なのですが、結局振るうことができませんで」
「怪力自慢のオーク族でも、ですか……」
「え、ええ……場所もとるし、誰も買わないし、で。そろそろ廃棄しようと思っていたのですが……」
ラピスは唖然とした面持ちで龍斗を見ていた。
そういえば今まで、奈緒や龍斗が何かを持つような仕草をした記憶が無い。
それは彼らも同じなのだろう。だからこそ今まで、自分の身体の中に眠っていた力に気が付かなかったのか。
いや、そんなはずがない。そんな都合の良いことは有り得ない。
破剣の術、だ。
そうとしか考えられなかった。
龍斗は今、破剣の術の中でも最も一般的な『破』の術を使っている。
筋力増強、脚力増強。そうした身体的な強化が『破』の術として考えられている。
今の龍斗は自分も知らずに破剣の術を使っているに違いない。
「おっちゃん、この剣いくらー?」
「は、はい? お買い上げになりますので?」
「……ふむ。ご主人、私も壁に立てかけられているあの刀が欲しい。用立ててくれ」
「た、ただいま! 少々お待ちください!」
どたばた、と店の奥へと走っていく店主には目もくれず、ラピスは龍斗を見た。
黒髪に紅蓮の瞳、童顔を野性味の溢れる笑顔を見せる彼は一体どんな存在なのだろう。
そもそも、狩谷奈緒や鎖倉龍斗といった別世界の人間はこの世界にどんな影響を受けたのだろうか。
しばらく考えていたラピスが、唐突にひとつの可能性に辿り着く。
「……そうか。今まではナオ殿が表に出ていることが多かった。だから、ナオ殿が先に『覚醒』した」
奈緒の話を聞く限り、今までの彼は魔法など使えない一般人だったという。
それが突然この世界に降り立って魔法を使った。
つまり、その時点で狩谷奈緒は魔界に順応したのだ。それも魔族として、異端として目覚めた。
今回もそれと同じかも知れない。そう、仮にもしもの話だが。
鎖倉龍斗もまた、破剣の術に関して絶大な才能を持っているのではないだろうか。
「リュートは今日一日、表に出ていたから……時間差でリュートもまた、覚醒を果たした……?」
「ら、ラピス? どうした、そんな変な顔をして」
「い、いえ……」
目を逸らしながらラピスは一人、考えた。
魔法に絶大な才能を持って頂点に立つ存在。それは魔王と呼ばれ、崇めたてられる。
闇の頂点、その頂にいる絶対なる闇の住人にして帝王。
それが狩谷奈緒の才能であり、闇の絶対的な君主であり、人々を畏怖で従わせる者だ。
逆に、破剣の術の絶大な才能を持つ人間は別の呼称で呼ばれる。
光の頂点。その頂として人々を導く完璧たる光の住人にして英雄。
それが鎖倉龍斗の才能であると仮定するならば。
「勇者……」
光の絶対的な存在であり、人々を希望と共に導く者だ。
魔王を討ち滅ぼし、人間たちの英雄として偉大なる名誉を手に入れることのできる存在だ。
もしも、ラピスの仮定が正しいとするならば。
そう思うと、ラピスは心の奥から震えだす感動にも似たなにかを抑えることができなかった。
「あなたたちは魔王でありながら、勇者ということですか……?」
◇ ◇ ◇ ◇
商人に代金を払って店を出て行く。
ラピスは胸の内に湧き上がった疑念を止めることができなかった。
帰り際に龍斗に声をかけ、その詳細について問いかけた。ラピスの表情の真剣さに龍斗も息を呑む。
「リュート。今のあなたは破剣の術を扱えています、何故だか心当たりはありませんか?」
「い、いや……さすがにねえよ。気づいたら、って感じだからな」
「少なくとも、私は破剣の術を使おうともあの大剣を振るうことはできません。あなたは『破』に対して才能がある」
さすがに往来であんな大きな得物を持つわけにもいかないので、件の大剣はクロノスバッグの中である。
龍斗は自分の手を握り、そして開きをして具合を確かめた。
「『破』って身体増強の術だったよな?」
「はい。今のリュートならば、私と同じかそれ以上の速度で走ることが出来るかも知れません」
「制限時間とかないのかよ?」
「基本的に『破』の術にはありませんね。魔法と比べて特に優れているのが持久性です。単純ですが故に効果は高い」
試しに龍斗は走ってみることにした。
ミオの町を後にし、思いっきり森を突き抜けて地面を蹴り、大地を駆けた。
「うおおおおおおお、速ええええええええええええっ!!!」
風を切る音がして、今まででは考えられないほどの速度で龍斗は疾走した。ラピスもその後ろにつく。
ある程度走ったところで、息が上がったらしい龍斗は足を止める。
「はあ……はあ……おいおい、これは役立たず返上か?」
「立派に返上ですね。他が使えるかどうかは分かりませんが、今はこれだけでも十分すぎるでしょう」
「車ぐらいの速度が出たな……こりゃあ、元の世界に帰れたら世界新記録を更新しちゃうぜ……?」
「喜びの理由が何やら不純な気がします」
冷静に突っ込まれて苦笑する龍斗だった。
心の奥には嬉しさが込み上げてきて、とにかく叫びたい衝動に駆られている。
役立たず返上。龍斗はついに力を手に入れた。
これでようやく、龍斗は奈緒の親友として堂々と誇れることができるのだ。もう、奈緒にだけ押し付けることもないのだ。
殺し合いを奈緒にだけ強要させることもなく、これからは二人で分かち合っていける。
「これで、俺も奈緒を助けられるぜ……む?」
密かに喜びを噛み締めている龍斗は、自分たちに向けられる敵意に気が付いた。
それも複数であり、前方だけでなく後ろにまで広がっている。道中にギアウルフという魔物に襲われたことを思い出す。
それと同じように周囲全体から殺気が放たれており、ラピスも警戒するように声を落として龍斗に言う。
「魔物のようです……」
「……どうやら、囲まれちまったみてえだなぁ」
「はい……見た感じ、六体といったところでしょうか。本当にあなたは魔物に好かれるようです」
「褒めてねえだろ」
「当たり前です」
二人が揃ってニヤリと口元に獰猛な笑みを浮かべた。
ミオの町に行く途中の二人ではない。逃げ出したりするしかなかったあの時の二人ではない。
すらり、とラピスが新しく買ったばかりの刀を腰に挿した鞘から抜いた。
龍斗もまたクロノスバッグの中から無骨な大剣を取り出すと、それを思いっきり振り回して威嚇した。
そう、あのときのような無力な二人ではない。
「それではひとつ……」
「……試し切りといっちまおうか、おい」
それ以降の言葉は必要なかった。
ラピスが地面を蹴る。それと同時に龍斗も大剣を構えると雄たけびを上げた。
◇ ◇ ◇ ◇
魔物はギアウルフが五体と、そしてボス格のリザードウルフの計六体だった。
黄色い体毛の狼たちの中で一回り大きく、そして体毛が燃え盛る炎のように赤いのがリザードウルフだ。
大きさは豹ぐらいで、彼らは自慢の脚力を生かして龍斗たちへと襲い掛かる。
彼らの習性は群れで行動し、旅人を襲うというものだ。ボス格には絶対服従を示す縦社会の中で生きている。
「うおらあッ!!」
龍斗の振るう大剣が、ギアウルフの一体を弾き飛ばした。
素早い身のこなしをする狼たちだが、破剣の術を使用した龍斗も同じくらいの速度で動ける。
結果として避けることの出来なかった狼の華奢な身体が、大剣によって薙ぎ倒された。
キャイン! と犬がバットで殴られたときのような鳴き声と共に一匹が沈む。
「おおー……何だか罪悪感が」
なまじ、手に殺した感触が残るだけに複雑そうな顔をする龍斗。
襲い掛かってくるとはいえ、野良犬をバットで殴ったとしても何だか複雑な感情が残ってしまう。
だが、そんな甘いことを口にする龍斗にラピスの怒号が飛ぶ。
「そのようなことでは戦場では戦えませんよ!」
「わ、分かってるっつーの! 相手は人なんだろ魔族なんだろ!? それを殺さなきゃいけねえんだろ!」
やけくそに叫んで、改めて思い知った。
これが奈緒を苦しめ続けている正体だ。手に殺した感触が残らなくとも、確かに己の意思で生き物を殺していく。
昼寝をしている子猫を踏み潰すことですら、躊躇してしまうに決まっているのに。
奈緒は己の指揮で人を殺していくことを自覚して、それでもやめようとしないのだ。
恐らくは一人の少女のために。
「シッ!」
ラピスの刀が閃き、断末魔の叫びもあげることが出来ずに一体のギアウルフが絶命する。
胴体を真っ二つにされた狼のことなど目もくれず、次なる標的に向かってラピスは跳躍した。
その姿を見た龍斗は唇を噛み締めた。
あの護衛剣士もまた人も魔族も魔物も殺し、それでもなお、己を見失おうとはしていない。
それが強さだ。敵を斬る言い訳を他者に求めていない強さだ。
「くそが……おうともさ、上等じゃねえかよ……!」
龍斗だって殺す理由を親友に求めたりはしない。
大剣を持った理由は自分のためだ。
鎖倉龍斗が、奈緒の親友で居たいがために、こうして力を示して剣を振るうのだ。
「来やがれ、てめえら! 俺は親友ほど優しかぁ、ねえぞおおおおおおおおおおおッ!!!」
咆哮と同時に地面を蹴り、鉄の塊を叩き付けた。
ギアウルフの一匹が龍斗の一撃を避け、牙を向いて肉薄した。だが、龍斗は飛び掛かる狼の横腹を蹴りつけた。
そこから先は機械的な作業のようだった。身体能力の上がった龍斗の蹴りは狼の骨を砕いたらしく、横たわっている。
もはや戦えないだろうギアウルフにも容赦なく大剣を振り下ろし、内臓をぶちまけさせた。
「よっしゃあ、次来い!!」
隣では戦い慣れたラピスが二体のギアウルフを撃破したところだった。
血すら刀に残さないように振り払い、そして改めて最後の一体、リーダー格のリザードウルフを睨み付けた。
配下が全て倒されても、決して退こうとはしない赤い体毛の狼に龍斗は余裕の笑みを浮かべた。
「後はこいつだけな、楽勝楽勝!」
「油断していると怪我をしますよ。リーダー格のリザードウルフは周囲の雑魚とは違います」
「あん? 何が違って……」
そこで龍斗の身体が凍りついた。
彼はそれを目の当たりにした瞬間、身体が恐怖に縛り付けられて動けなくなったのだ。
リザードウルフの口元からは炎が見えた。
それはほんの少し、口元から漏れただけのか細い炎だったが、それだけで龍斗という一存在が強く揺れた。
「あ……」
炎だ。
燃える炎だ。
鎖倉龍斗を殺した炎だ。
全身が焼け焦げていく感覚を今でもまだ憶えている。
炭になった身体、激痛と衝撃で頭が壊れていき、滅びていく身体を他人事のように見つめた。
灼熱、業火、灰燼、焔の暴力が深く龍斗の心を滅ぼしていく。
「ああ、あああああ、ああああああああ……!?」
手に持っていた大剣を手放してしまう。
身体中がざわざわと恐怖に包み込まれて、一歩も動けないまま呆然と炎を眺めていた。
親友の隣に立ちたい、と願っていた龍斗の心が溶けていく。
その隙を狙って赤い体毛の狼は炎を吐こうとしたが、そうなる前にラピスの刀が頭を切り裂いていた。
呆気なく狼を切り捨てたラピスだったが、彼女もそんなことで気をとられてはいられなかった。
「り、リュート! しっかりしてください!」
「はあ……はあ……ああ、畜生っ、畜生がああああああああああ……っ!!!」
龍斗の口から漏れたのは手負いの獣の絶叫だった。
ラピスが思わず気圧されてしまうような、素の姿の龍斗の純粋な苦悩を見せられた。
龍斗は地面に思いっきり拳を叩き付けて、這い蹲ったまま叫んだ。
「くそ、くそ、くそがああああっ!! なんでだよ、何で怖がってんだよ、俺! 馬鹿じゃねえのか畜生っ!!」
「リュート……火が」
「っ……ああ、そうだよ! 火が怖ええんだよ……身体が動かねえんだ……こんなっ、こんな様でよお……!」
肩を震わせて龍斗は滅茶苦茶に咆哮した。
叫ばれる言葉の中は強弱が不安定だ。それは独白であり、懺悔であり、八つ当たりでもあった。
自分で自分の感情を制御することが出来なかった。それが出来ないほど龍斗は追い詰められていた。
破剣の術が使えるようになった。これで戦えるようになったのだ。
舞い上がっていたのだ。たかが『その程度』のことで喜んで、そして自分の弱さというものに気づいてしまった。
「こんな様で、奈緒を助けてやれるだなんて……良くも言いやがったなこのクソ野郎がああああああああっ!!!」
自分が許せなかった。
結局、このトラウマが奈緒をも苦しめている。
炎を見たときの親友の心のドロドロを思い出すと、見てるこちらが苦しかった。
あのとき、悪魔たちに一人で突っ込んだあの出来事がどれほどの間違いだったかを思い知らされた。
龍斗は奈緒の身体を傷つけると分かっていても、硬い地面に頭をぶつけてしまおうとするのを止めることができない。
「やめなさい、リュート! 傷つくのはあなただけじゃないんですよ!」
「くそ……くそ、くそがぁ……!」
打ちひしがれる龍斗をラピスは背中から抱きしめた。
これ以上、龍斗を自由にさせていてはいけない。彼は何処までも自分の存在を呪うのだろう。
トラウマを克服しない限り、彼の中の後悔は続いていくに違いない。
「落ち着いてください……リュート……お願いですから……」
抱きしめる腕に力を込めた。
意外と男らしい体付きであることが手の感触で伝わってくる。
龍斗もようやく、ラピスが背中から自分を抱きしめていることに気づいたらしく、回された腕に手をやった。
荒い息を吐きながら、手負いの獣は呻くような声で言う。
「悪りぃ……もうちょっと……こうしてて、くれねえかな……」
「……はい。あなたが、落ち着くまで……」
時刻はもうすぐ夕方になる。そろそろ帰らなければセリナが心配するだろう。
だが、龍斗もラピスもその場から動けなかった。龍斗を取り巻く絶望がその場から足を踏み出させようとしなかった。
親友にも話せなかった苦悩を素のままに龍斗は吐き出した。
それはラピスに対する信頼であり、尊敬だ。
「絶対、いつか……強くなるから。殺す理由を他人に求めねえぐらいに、炎なんかに負けねえぐらいに……」
「……はい。期待していますよ、リュート……」
静かな二人の時間が流れ続けた。
停止した空間に似たもの同士が傷を舐めあうような行為だが、それも自然な姿としてそこにある。
ようやく、この日、この時、この瞬間に。
ラピスは鎖倉龍斗という男の素顔を、本音を、弱いところを見ることが出来た。
決してそれは悪いことじゃない、と思えた。