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第13話【月光と想い】

クィラスの町の歓迎は奈緒の想像を超えた。

予想ではそれなりの宿に招待され、責任者かそれなりの立場の者が礼を言う。それぐらいだと思っていた。

自分たちの予想を更に下回る扱いすら想定し、どのようにしてオリヴァースの魔王とコンタクトを取ろうかを考えていた。

だが、その考えはまさに杞憂だったらしい。


「……うーん、ここまで歓迎されると、何だか申し訳がなくなってくるね」

「そう? 妥当な扱いだと思うけど」


奈緒、セリナ、ラピスの三名は領事館の一番豪華な部屋へと通されていた。

クィラスの町でもっとも豪勢な部屋といえばここ、と言われる領事館のVIP用の部屋でセリナは紅茶を楽しんでいる。

実際に紅茶かどうかは分からないが、香りや色から何となくそんな予想をつけていた。

恭しく通された部屋の中で奈緒とセリナはやはり向かい合って座っている。ラピスはいつもの通り、後ろで控えていた。


「……ラピス、本当に座らないの?」

「はっ、主たちの席にご一緒するのは主従の考えに反していますゆえ」

「…………僕は、主じゃないんだけど」


じとー、とセリナのほうを見るが彼女は涼しい顔だった。

今更二人の間柄について言及しても仕方のないことなので、奈緒は溜息をつきながらシーマの実を口にする。

龍斗が買ってきたシーマの実は桃のような味がして、柔らかくて美味しかった。

問題は保存が数日しか持たないことだと後で聞かせられ、二十個も買った後先の考えない龍斗に文句を言うことも。

ただし、本当に美味しいので抜いてしまった昼食もかねて三つ目に手を伸ばしていた。


「どう、ナオ? あなたの思惑通りにいっているかしら?」

「うん……うまく行き過ぎて逆に怖いくらい」


オリヴァース国境の町、クィラス。

悪魔族らしき町長の歓迎の様子は今でも鮮明に思い返せる。

自分より年上の、学校の先生くらいの人から敬語で感謝の言葉を述べられ、頭を下げられたのは初めてだ。

元の世界なら一生に一度味わえるかどうか、そんな状況だったように思う。


「オリヴァースの魔王にも話を通していただけるようでしたね」

「この国の事情を考えれば、私たちを冷遇する理由なんてないでしょうね」

「はっ……どうにかして仲間に引き入れたい、と考えるでしょう」

「まあ、その期待には応えられないわけだけど」


つまらなそうに、奈緒たちはそんな言葉を口にする。

歓迎してくれたクィラスの人たちには悪いが、奈緒たちがやろうとしていることは全て自分のためだ。


「それで、参謀さん? この後のご予定は?」


いたずらをする少女のようにセリナは笑って奈緒に問いかけた。

一度、命の危機を感じながら共に戦い、それでもなお、自分に協力してくれる参謀に信頼を寄せている。

護衛剣士ラピスと同じくらいの信頼を、そして別の種類の信頼を彼に与えていた。

応じるように奈緒が黒い笑みで答える。


「まず、おさらいだけど。僕たちの標的はクラナカルタ。その国を打倒して、セリナの王国を立てる」

「敢えて一番力の弱いオリヴァースじゃなくて、クラナカルタを狙うのですね?」

「うん。砂漠の国だから国力は低いかも知れないけど、攻め落としても一番リスクが少ない国だからね」


ラピスは誰に言われるまでもなく、自分たちの荷物からリーグナー地方の地図を取り出し、机に広げた。

奈緒は彼女の気遣いに感謝の言葉を口にしながら、指で地図をなぞっていく。


「僕たちは傭兵を使って戦力を整える。だけど、資金はたくさんあるとはいえ、やっぱりいつか底をつく」

「そうね。そうなる前に資金を手に入れるか、正規兵を抱え込むか」

「実際、国を運営するにも資金が必要だからね、そうなると、五万セルパぐらいじゃ到底足らなくなってしまう」


現に小国と呼ばれるオリヴァースの国とて、セリナの資金の十倍以上の国家予算があるだろう。

クラナカルタの国家予算がどれくらいかを考えると、何だかあまり貯蔵していないような気がしないでもないが。

とにかく、資金はあまり切り崩したくないのだ。

逆に言えば、資金を切り崩すということは傭兵たちだけに戦わせないようにする、ということにも繋がる。


(オリヴァースの軍をいただく、ってことだよな?)

(まあ、そこまですんなり丸ごと貰えるとはとても思えないけど。一軍くらいは貸してもらえたらいいな)


声に出した説明をあんまり領事館で堂々と言うのは何なので、腹黒い作戦のほうは心の中で。

何も自分たちと傭兵だけで戦う必要はない。

基本的に戦争は数だ。なら、より多くの兵たちを集めれば犠牲も少なく、労力も少なくクラナカルタを落とすことができる。

今回の戦いはまず、その足がかりのひとつと言える。


「文字通り、クラナカルタは隣国の両国にとっても目の上のたんこぶ。だからこそ、機会があれば討伐したいはず」

「私たちが機会を作るのね」

「正確には、そういう風に仕向けるように交渉するんだけど。オリヴァースから一軍でも小隊でも引っ張れれば成功」

「その交渉に魔王をつかせるための、今回のクィラスの戦いだったわけですね」


割と大雑把に心温まる彼らの陰謀が続いていく。

もちろん、ラピスがドアの前に背中を張り付かせて気配を探り、盗み聞きを防止しているのだが。


「町長の話では魔王がいるオリヴァースの首都、カーリアンから伝令が帰ってくるのは、急いでも明後日らしいよ」

「まあ、片道が一日くらいですからね」

「謁見、協議も含めればいくらバード族とは言え、二日以上はどうしても掛かるものよね」

「クィラスの町ではお嬢様たちを英雄として祭り上げようとしているようですが」


表向きでは歓迎の意を示すため。

裏を考えるならクィラスの町を住みやすい町と思わせ、今後ともクラナカルタの侵攻を防いでほしい、というところだろう。

英雄という言葉は人間特有のもので、魔族たちはなかなか使わない。

現にクィラスの町長は奈緒たちのことを『英傑』と称していた。違いはささやかなものだが、込められた意味は大きい。

英雄や勇者、といった言葉は魔王を殺害した人間に送られる称号なのだ。


「うん、まあ、そっちの方向は次の機会に有効利用させてもらうよ」

「目立ちたがらないのね、ナオは」

「昔にちょっとね。あんまり目立ったりするのは好きじゃないかな……まあ、今は積極的に派手にやってるけど」


取り繕った笑みを浮かべた奈緒は、半分くらい食べたシーマの実を一気に口の中に放り込む。

桃のような瑞々しい甘さとは裏腹に、いちごのようなものにある酸味がほとんど感じられない。

これが普通に木の実だとはとても思えない。

どうにも世界共通の事柄と違う事柄があって、なかなか覚えづらいものがある。


「まあ、結局のところ、今はゆっくりと傷を癒しながら待つしかないってことだよ」

「そうね……ラピス、怪我の具合はどう?」

「問題ありません。破剣の術で回復させれば、二日もあれば完治します」


脇腹に大きな紫色の痣と、身体の至るところに細かい擦り傷を負ったラピスは自信たっぷりに笑う。

この程度の怪我など日常茶飯事なのだろう、傷跡ひとつ残すことなく完治してみせると言い切った。

ふと、その言葉を聴いた龍斗が、奈緒へと提案を持ちかける。


(奈緒、ちょっと代わってもらっていいか? 聞きてえことがあるんだけど)

(ん? いいよ)


かしゃり、と人格が入れ替わる。

突如として翡翠から紅蓮へと瞳の色を変えた奈緒たちを見て、セリナが胡乱な瞳で言う。


「先に人格が変わるって言ってほしいわね……突然、瞳が切り替わるのは慣れないわよ、リュート」

「悪りい、悪りい! まあ、そのうち慣れんだろうがよ。それよりも……」


かなり大雑把な謝罪の言葉を口にしたあと、龍斗は視線をラピスへと向ける。

もちろん聴きたいこととは破剣の術のことだ。


「なあ、ラピス。破剣の術って結構万能っぽいけど、どういう種類があるんだ?」

「……そうですね。簡単に言えば身体強化の術がほとんどでしょうか」


ラピスは少し考えると、いささか得意げな口調で語る。

周囲が魔族ばかりだったため、破剣の術について講釈をするような機会がないからだろう。


「斬撃強化、脚力強化……キブロコスとの戦いでは、身体の硬質強化も用いました」

「ふむふむ……つまり?」

「言わば『己にのみ作用する魔法』です。人間が魔法も使わずに大型の魔獣などと戦うための方法と言えるでしょう」


身体強化型の人間と魔法攻撃型の魔族。

このふたつに今のところの優劣はなく、僅かに国民全員が魔法を使える分、魔族たちのほうが有利だという。

だが、破剣の術はそれなりの修行をすれば誰でも使えるものであり、汎用性も高い。

稀に才能を持った破剣の術使いは、剣の一撃で城の門を打ち砕くとすら言われている。


「今回、私が利用しているのは『治癒』です。正しくは生命力の強化、というものですが」


用は誰の身体の中にもある免疫や血小板の動きを加速させるようなものかなぁ、と奈緒が心の中で思う。

そういう化学的な知識をまるで覚えていない龍斗は、単純にゲームの回復魔法みたいなものか、と考えた。


「それって俺でも使えるもんなのかな? さっきの戦いじゃ、結局使えなかったんだが」

「一月ほどの修練を行えば、誰でも治癒は使えますよ。リュート殿はまず、そこから修行していきましょう」

「ううむ、一ヶ月かぁ……まあ、そう簡単にはいかんわなぁ」


奈緒と違って龍斗には才能がない以上、足りない分は努力で補うべきだろう。

事情を理解していない奈緒に向けて龍斗が言った。


(なあ、奈緒。お前の身体を使って修行することになっちまうけど……いいかな?)

(破剣の術の修行のこと? いつの間に)

(お前が計画練ってうんうん唸っているときにな、教えてもらえるように頼んでおいたんだよ。それでだな)


龍斗は申し訳なさそうにしながらも続けた。


(魂状態のときは、奈緒の身体は魔法を使うためのものになっちまってるよな?)

(うん。……ああ、そうか。魔族みたいな身体じゃ、破剣の術の修行はできないね。龍斗が表に出ておかないと)

(そうなんだよ……だから悪りいんだけど、修行のときは身体、貸してくれねえかな)


遠慮がちに語る龍斗。魂の居候をしてもらっているだけでも申し訳ないのだろう。

身体がひとつしかない以上、奈緒が表に出てこれる時間はこれからも少なくなっていくに違いない。

それを知った上で、奈緒は快く首を縦に振った。


(もちろん。いつも龍斗には助けてもらっているし、これくらいは協力させてよ)

(ありがとよ、奈緒)

(うん)

(お礼に今度、風呂場に突撃してやるから。俺が制裁されているあいだに存分に……)


言葉は最後まで続けられることはなかった。

奈緒は快く首を縦に振ったままの純粋な笑みのまま、切り替われ、と心中で呟く。

かしゃり、と人格が入れ替わって再び所有権が奈緒の下へと戻る。

やっぱり笑顔を向けたまま、奈緒は親友の断罪を告げた。


(有罪。禁固一時間)

(ちくしょう! 最近の俺は檻に入れられて叫ぶのが仕事みてえになってんぞ!!)

(言っとくけど、基本的に僕の身体だからね! 事情を知ってるセリナたちはともかく、他の人たちは違うんだよ!?)


ぎゃあぎゃあ、と心中で叫ぶ親友たち。

再び翡翠の色へと瞳を入れ替えた奈緒たちを見て、セリナは無駄と知りつつも溜息をついて言う。


「だから……切り替わる前に言ってくれないと、困るってば……」




     ◇     ◇     ◇     ◇




その後。

結局、時間が余っているのなら今すぐにでも、というラピスの意見に従って龍斗は保釈された。

龍斗へと身体を委譲し、奈緒は親友の奮闘を見学しながら計画をつめる。

基本的に破剣の術の修練方法は簡単なものだった。別段、身体を鍛えるような修行をするわけではない。

身体の中にあるはずの『力』を認識し、それを形として捉える修行から始まった。


「むう……む、難しいぜ……」

「イメージが大事ですからね。身体の中には確かにリュート殿本人の力が宿っているはずなのですが……」

「そもそも、奈緒の身体を使っていたら、無理なんじゃね?」

「それについても、実は少々気になっているのです。今までの魔族たちの常識を覆すような発見があるかもしれません」


言いながらラピスは床の上に正座をして、精神集中をしている。いつもの日課だそうだ。

ちなみに主のセリナは何かの書籍に目を通しながら暇を潰している。

ラピスと同じようにイメージしながら正座を敢行する龍斗はその言葉に首をかしげた。


「常識を覆す?」

「はい。今までは身体の構造上の理由から、魔法や破剣の術の有無が違うのだと信じられていました。ですが……」

「現に俺たちのときは、奈緒のときに魔法が使えて、俺のときには使えない?」


龍斗の言葉にラピスは首肯した。

ザルバードという山羊頭のように身体の中に炎を貯める器官があったり、とかそういう話ではない。

魔族と人間は身体の構造上が違う。だからこそ、魔法が使えたり破剣の術が使えたりしている、と考えられていた。

だが、異端ミュータントのように例外の存在がいつも議論を醸し出していた。

その問いについてラピスは仮説を提示した。


「もしや、魔法や破剣の術が使えるかどうかは、身体の構造ではなく魂に由来しているのでは、と」

「そうなると、奈緒が魔族っぽい魂で、俺が人間っぽい魂ってことか?」

「そうですね。ナオ殿とリュート殿が入れ替わるたびに、身体の構造がそっくり入れ替わっているなら話は別ですが……」

「うええ……」


想像すると少しグロいので、龍斗はそれ以上考えるのをやめた。

ラピスの語る常識が魔界レメゲトンでどんな風に重要な役割を占めているのか分からない。

分からないからこそ、大したことはないんだろう、と龍斗も奈緒も考えることにした。

実はその革新的な仮説を証明してしまう存在が自分たちであり、もしも証明されれば世界の常識を覆すのだが。

どれくらいかと言うと、地球が丸かったと思われていたものが平らだった、と証明されるぐらいに。


(オリヴァースの魔王は協力を取り付けるとして……カードは外交か、それとも恐喝のほうがいいかな……うーん)

(…………)

(相手の人柄を見て決めるべきか……うーん、うーん……いっそ国を裏から牛耳って……いや、それはリスクが……)

(……あの、奈緒さん。人が集中しているときに物騒な作戦朗読はやめてくれませんか?)


他にも『乗っ取り』だとか『脅迫』だとか、交渉のカードとして使うには物騒すぎる単語が飛び出す。

奈緒は龍斗の文句に気づくと苦笑しながら自分の心の部屋へと戻っていく。

唐突な話題変換を迫られた龍斗は、結局この日は大した成果を上げることはできなかった。


「まあ、初日からうまくいくとは思っていませんよ」

「むぐぐ……」


ラピスにしては珍しく、かんらかんら、と愉快そうに笑うのを見て龍斗は釈然としない気持ちで頷くのだった。

しばらく奈緒は思考の部屋から出てこないようなので、ラピスに稽古をつけてもらうことにした。

いかに破剣の術を学ぼうとも、基礎ができていないようでは意味がない。

明日へと疲れを残さない程度に日課にしよう、と心に決め、ラピスを伴って領事館の庭で修練を開始した。

結局、奈緒が再び表に出てくる夕方の時刻まで、龍斗は身体を動かす楽しみを再認識した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……うう……身体がだるい……」


狩谷奈緒は町長主催の晩餐会から帰っていた。

クィラスの町の最高の宿で食べた豪勢な食事を更に上回るものを胃袋に収めた奈緒だが、表情は明るくない。

龍斗とラピスが訓練の名を借りて身体を動かしていたツケが、今の奈緒に回っているからだ。

俺に任せておけばそのうち理想のスタイルになれるぜ、と明るく言って魂状態の眠りについた龍斗に文句が言いたい。


「うーん、このまま部屋に戻るのもアレだし……少し風に当たろうかな」


領事館一階のパーティー会場では、既に食事がほぼ終わっている。

奈緒と龍斗はたまに人格を切り替えて、交互に味を楽しんでいたのだが、やはり身体はひとつだけだ。

腹いっぱいに豪勢な食事を堪能したのはいいのだが、限界に近い量を食べているために息苦しい。

理想のスタイルは食欲を絶つことが始めるべきでは、と思いながら奈緒はバルコニーを目指した。

だが、そこにはどうやら先客がいたようだ。


「セリナ」


手すりに寄りかかって赤い月を見上げていた彼女の名前を呼ぶ。

バルコニーは領事館にしては広く、五人ほどが並んで月を見上げるくらいの広さがある。

テーブルや椅子といったものはなく、床一面に敷かれた白いカーペットがある。

床だけでなく、腰掛けるようなちょうどいいスペースにまで敷かれており、セリナはそこに身体を預けたまま奈緒を見た。


「こんばんは、ナオ。今日は月が綺麗よ」

「うん。ここの月は赤いんだね……僕たちの世界では淡い黄色だから新鮮だよ」

「魔力を帯びた月だもの。魔族は月の光を取り入れて魔力を回復させたりしているのよ」


なるほど、と奈緒はセリナの隣に座りながら感心した。

夜になると電気をつけるかのような明かりが部屋を満たしていた。

どうやら何らかの方法を使って月の魔力を変換しているのだ。今の彼女も同じだろう。

セリナが魔法を使った夜、必ず月明かりの下で風に当たるのはそういう意味だったか。


「なら、僕も魔力を回復させてもらおうかな」

「それがいいわ。魔力増幅の施設もあるでしょうけど、私は自然の光を浴びるのが好きよ」

「でも、効率的にはそういう施設のほうが回復するんでしょ?」

「風流がないのよ」


これまた、なるほど、とセリナらしい言葉に奈緒が苦笑する。

龍斗はぐっすりと眠っていて、ラピスもまた早いうちに部屋で休憩を取っている。

完全な歓迎状態のここなら常に控えていなくてもいい、とセリナが言ったのを奈緒は思い出していた。

久しぶりというよりは、初めての二人っきりだった。


「不思議ね」

「何が?」

「今の私、少し満たされているの……」


セリナがふわり、と短く笑った。

また出逢ってから二日しか経過していないのに、それが自然の笑みだと奈緒にも判別できた。


「前はね、こうしなきゃ、頑張らなきゃ、って思いが強くてね。余裕が一切なかったの」

「今の僕みたいだね……」

「そうね。一番面倒なところをあなたに押し付けたからかしら。何だか、心に余裕が持てているわ」


そう言ってくれると、奈緒も頭を悩ましている甲斐がある、と思った。

自分が頑張ってることへの影響が彼女を楽にさせているのなら、何だか少し誇らしい気分になる。

二人は揃って赤い月を見上げながら、ゆっくりとした時間の中に身体を預ける。

この雰囲気は、悪くない、と感じた。


「あなたに逢えてよかった。あなたを見出した自分を褒めてあげたいわ」

「まだ始まったばかりだよ?」

「多分、あのままの私じゃスタート地点にも立てたかどうか、よ」


苦笑気味に語る彼女を見て、奈緒もつられるように優しく笑みをこぼした。

彼女は聡明だ。人の言葉を確かに受け入れ、それを自分勝手な理由で跳ね除けようとはしない。

出逢ったばかりの自分の換言を素直に受け入れることができる。

奈緒の中にあった貴族像はもう少し人の話を聞かないような印象があったが、それもやはり固定概念だったのだろう。


「セリナは、揺れないね。殺し合いをしても……僕は動揺してる、情けないけど」

「違うわよ。やっぱり怖いよ、私だって」

「全然、そうは見えない」

「貴族は、誇らしくあれ。私はそう教えられたの。だから私は人前でそういうのは見せないようにしてるわ」


月を見上げる彼女の表情は安らかなものだ。

奈緒が見せた弱音を包み込んで、いつもは見せない弱みをセリナも見せる。

彼女なりに元気付けようとしているのかも知れないが、奈緒は彼女の心まで読むことはできない。


「僕はね、セリナ。炎が嫌いだよ……憎らしい」

「……それはやっぱり、リュートを殺されたから?」

「うん……炎を使うセリナには悪いし、これから使うな、なんて無責任なことは言えないけど」

「あなたが常識はずれの魔法を使って倒れてしまうとき、必ず炎が関係してくるものね」

「まだ二回くらいだけど、今後もそうなるかも知れない……自分の力が暴走してしまうかも」

「……あのね」


セリナは見上げていた月から視線を外し、真剣な表情で奈緒の瞳を見た。

翡翠の瞳を見据えたまま、彼女は真摯な表情で警告した。


「あれがもう、暴走なの。使った後に気絶してしまうような魔法は、もう暴走なのよ」

「……そうなの?」

「そう。炎が引き金になっているだけに私が強いことを言えるわけじゃないけど……出来るなら闇の魔法はやめなさい」


闇の魔法……奈緒の絶望の心を具現化したような、と奈緒は考えている。

確かに今までの二度、いずれも倒れてしまったときは闇の魔法を行使したという共通点もある。

威力は大型魔獣すら一撃で葬るようなものだが、その代償は奈緒自身の身体を確かに蝕んでいくだろう。

奈緒はできるだけ善処することを示すために、控えめに小さく頷いた。


「うん……頑張ってみる」

「……お願いね。私もラピスも、心配はしているつもりなんだから」

「ありがとう……」

「いいのよ」


お互いに薄く笑いあうと、また赤い月を二人で見上げた。

セリナは奈緒の肩へと手をかけると、密着するように身体を奈緒へと寄せた。

奈緒の肩に寄りかかるような体勢になる。少女の柔らかな感触と、女の子特有の仄かな香りに奈緒は動揺する。


「……せ、セリナ?」

「肩くらい貸しなさい……」

「う、うん……」


ビシィ、と硬直する奈緒はもはや月を見る余裕がなくなった。

身体ひとつ動かしてはいけないのでは、と考えると指一本にいたるまで凍りつくしかない。

顔は僅かに紅潮し、動悸が少し激しくなるような錯覚に陥った。

対してセリナはこつん、と奈緒の肩に頭を乗せたまま、静かに言葉を口にする。


「ねえ……ナオ」

「な、なに?」

「あなたは何を求めているのかしら?」


セリナの言葉の意味が分からず、奈緒は首をかしげた。

抽象的過ぎたかしら、と意地悪く微笑むと、セリナはもう一度同じ質問を噛み砕いて言う。


「私の参謀さんは何を求めて、魔王の地位を蹴ってまで参謀をやっているのかしら?」

「えっと……」

「どうせ協力するなら魔王になっちゃえば良かったじゃない。やる仕事はどうせ同じなのに、どうして?」


それは、と言葉に出そうとして口をつぐむ。

何しろ確固たる理由というものが奈緒にはなかったのだ。

ただ、セリナという少女を放っておけなかっただけ。他にやることもなかったから手を貸した。

だけどそんな建前も、目の前にぶら下げられた報酬ごほうびを拒絶する理由には至らない。


「なんか、そういうのは嫌だった、かな」

「そういうの?」

「そう。身体を捧げる、とかそういうの……それが嫌だったから、だと思う」

「……ふうん」


セリナはあまり男性との面識がない。

より正確に言うなら深い意味での付き合いをしたことがない。

男女交際はもちろん、友人としての男性もいなかった。一番身近だったのが父親で、その次は教育係ぐらいだ。

だから一般男性など知識としてしか知らないので、マニュアル通りの男と目の前の少年は違うことが分かった。

女にも性格が千差万別ある。やっぱりそういうものなのか、とセリナは妙な納得をしていた。


「あなた、律儀なのね」

「龍斗には散々文句を言われたけどね……」

「そういうとこ、割と好きよ」

「……っ」


顔を紅潮させたまま絶句する奈緒を見て、セリナはくすくすと可笑しそうに笑った。

そうやって奈緒をからかう彼女の顔も少し赤かったが、余裕のない奈緒がそれに気づくことはなかった。


「言っておくけど、私はまだあなたを魔王に据えることを諦めてないわよ」

「今から条件破るかも、なんて宣言は立派だね……」

「ちゃんと条件の穴は突いてるもの。そんなに嫌なら、私に嫌われるような行動をとりなさいな」

「…………むう」


何だか参謀としてはやってはいけない、混乱で頭が動かない、という状況に陥る小市民。

わざわざ自分から嫌われる方法を取れるぐらいなら、親友に潔癖症などとは言われない。

結果的には彼女がこれから何をしようと黙認するしかない。


「まあ、でも……今はこのままでも、いいわよね……?」

「……うん、いいと思うよ」


肩に掛かる頭の重さが更に増した。

それが彼女が彼に預ける信頼の重さにも思えて、くすぐったい気持ちになってしまう。

当初よりはリラックスできた奈緒はセリナと共に月の光を浴び続ける。

ゆっくりとした時間と、何だか不快じゃない不思議な感覚が流れ、二人は黙ったままお互いを感じていた。





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