第11話【初陣】
「この世界はおもしれえ」
鎖倉龍斗という少年がたった一日で下した結論だった。
時刻は昼。この世界には時計という概念がないので、太陽や月の位置で時間を把握するらしい。
後三時間ほどで日が沈む、とラピスが言っていたので、元の世界の時間に換算すれば午後の三時ぐらいだろう。
龍斗は未だ買い物を楽しむ女性陣の後をついていきながら、自分も同じように買い物を楽しんでいた。
「お客さん! 十セルパ! これ以上は負けられねえ!」
「いいや、もうちょっと色付けてくれよ。たかが靴で十セルパは高いぜ、六セルパで十分だ!」
「ろ、ろろろくう!? 勘弁してくれよ、お客さん! こっちは首をくくらなきゃいけなくなっちまう!」
小柄な体躯にずんぐりとした体格の髭面の商人を相手に、龍斗は交渉の真似事などをしていた。
本当ならまだ四十セルパはあるのだが、魔族相手に値の引き上げ、引き下げの駆け引きは楽しかったのだ。
背後で見たセリナが信じられない、といった顔で囁いてくる。
(……もう五十セルパ使っちゃったの?)
(いや、遊んでるだけ。まだ五分の一も使ってねえ)
(……はしたない真似しないの)
(まあまあまあ、せっかくだから楽しませてくれよ。な!)
そんなこんなで交渉ごとは続く。
遊びで値の引き下げを行う龍斗の顔は余裕だが、四割も下げろなどと言われた商人は真っ青だ。
ドワーフ族の商人は珍しいわね、とセリナが言っているところを見ると、何となく理解できた。
確かに漫画とかで見る『典型的なドワーフ』は頑固な職人気質のイメージがある。
「い、いくらなんでも六セルパはねえよ! 横暴だ!」
「ちっ……しょうがねえな……わーったよ、九セルパ! これ以上がダメなら、今後は付き合えねえな!」
「ぐっ……だから、十セルパ……」
「おいおいおいおい! こっちは三セルパも譲歩したってえのに、アンタは一セルパの譲歩もできねえってのか?」
もはや極悪である。
実際にドワーフが作った靴は中々の良質品であることはラピスが確認済みだ。
むしろ十セルパで売っている事態が良心的と言っていい。
だが、こう言ったたくさんのお金が動く品物は中々売れないことも多いシビアな業界なのである。
きっとこのドワーフ族の商人も、しばらく売れなかったものだから値下げをしたのだろう。
「……わ、分かったよ、お客さんの勝ちだ……九セルパでいいよ、持ってけドロボー!」
「よっしゃ、買った! まあ、そうしょぼくれた顔すんなよ、おっさん! シーマの実、ひとつやるぜ」
「ありがとよ……」
草臥れた表情のドワーフ族に九セルパとシーマの実をひとつ渡し、ドワーフ族の靴を買った。
砂漠で全速力してしまったために、本来の奈緒の靴はボロボロになっていたのだ。
この機会に買い換えようと決め、こうして購入と相成ったのである。
とりあえずドワーフ族の商人に合掌せざるを得ない。
(……おはよ。楽しんでるね、龍斗)
(おお、起きたか、奈緒。新しい靴を買っちまったけど、いいよな?)
(軍資金はあまり切り崩さないようにね……)
気づけば四時間近くが経過している。奈緒もそれなりに仮眠が取れたのだろう。
寝ぼけ眼を擦れながら、覚醒しようと頬を叩く仕草をする。
魂状態となってあちこちを見渡す奈緒は首をかしげた。
(あれ、まだ国境の町? 確か僕たちの次の目的地は、オリヴァースの首都だよね)
(カーリアンだっけな、首都の名前。とにかく、まだ女の子たちはお買い物中だ)
(……どれだけ時間とお金を使ってるのさ)
(細かいことを言ってると大きくなれねえぞー。奈緒の計画がうまくいけば五万セルパもそれほど使わなくて済むって!)
(何が起きるか分からないから節約するように!)
保守的な奈緒と改革的な龍斗は内心で口喧嘩をしながらセリナたちのところへと歩く。
いい加減に出発するべきだ。買い物をほどほどにさせるために、龍斗に指示してセリナたちを迎えに行かせた。
女の買い物がなげえのは仕方ないんだって、などと独り言をつぶやく龍斗。
護衛剣士の桃色の髪を見つけて、いたいた、と龍斗は呟いた。
「ラピスー! まあ、当然ながらセリナも一緒だな」
「リュート殿、いかがしましたか?」
「あ、リュート。はい、これ。マントは旅の必需品よ」
「おお、サンキュ。っとと、そろそろ行こう、って親友が言ってるぜ。ラキアスが混乱している間のほうがいいんだろ?」
ハッとしてセリナが太陽の時間を確認し、そして少し苦い顔をした。
時間を忘れて買い物を楽しんでいたのだろう、己の使命を思い出して硬い表情へと戻ってしまう。
勿体無いなぁ、と龍斗は思うのだが、今は奈緒にもセリナにも余裕というものがないんだろう。
というか、ラピスにもないから実際に楽観的なのは龍斗だけなのだった。
「そうね……ちょっと時間を使いすぎたわ」
「む、お嬢様。あちらに稀少な品を売っている魔術品の商人が」
「え、ほんと……いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない……ないんだけど、今後のことを考えると」
セリナは悩みながら上目遣いで龍斗を見た。
正確には龍斗の中にいる女の子の買い物の長さに呆れている奈緒へと向けられているだろう。
奈緒がうっ、と心の中で詰まったのを見て、わざわざ龍斗が声に出して言う。
「どうするー、親友? もう時間はかけられねえのかー?」
(ぐっ、ぐぐっ……あんなことされたら、断れないじゃない……)
「もう少し待つからゆっくり見て来いってさー」
許しをもらったセリナは花が咲くように優しく笑うと、ラピスを伴って魔術品が売られている場所へと走っていった。
その姿は年相応の少女そのもので、その笑顔は奈緒が見惚れてしまうほど可愛いものだ。
(何だか……負けた気がする。主に龍斗に)
(え、俺? いやいやいやいや、ご冗談を。とりあえず俺たちも見に行ってみようぜ)
(そうだね……)
龍斗に身体を譲渡したまま、奈緒と龍斗は歩いていく。
その先には黒と紺のローブに身を包んだ男性が座り込んでいた。顔が隠れているため、種族は分からない。
彼はセリナたちと龍斗の姿を確認すると、恭しく一礼して言った。
「いらっしゃいませ、ごゆっくり見ていってください、はい」
「どんな魔術品があるのかしら?」
セリナがローブの商人から商品の説明をしてもらっている間に、龍斗がラピスに尋ねた。
「なあ、ラピス。魔術品ってなんだ?」
「はっ、簡単に言えばクロノスバッグもまた魔術品です。魔法を使った道具の数々を指していいます」
「ああー、なるほど……っと、奈緒? ああ、そっか、奈緒はクロノスバッグ知らねえもんな」
ぶつぶつ、と龍斗は呟くと押し黙った。
恐らく心の中で奈緒と会話し、クロノスバッグについて説明でもしているのだろう。
ラピスは改めてセリナのほうへと向き直り、楽しそうな彼女の姿を優しく見つめた。
ずっと追い詰められているような心持ちだった彼女の、久しぶりの楽しそうな笑顔を見て目を細めていた。
「こちらは『魔力強化の指輪』です。おひとつ二百セルパと割高ですが、魔法の威力を底上げしてくれるでしょう、はい」
「こっちのこれ、もしかして『ゴーレムの粘土』かしら?」
「お目が高い。使い魔として、護衛としてのゴーレムの頑強さはご存知かと思います。ひとつで八十セルパです、はい」
「消耗品、とまでは行かないけど、結構消費するのよね、ゴーレム兵……」
魔術品にも色々とあるんだなぁ、と説明を受けた奈緒は思った。
特に魔法を使うことになるだろう奈緒は、色々と知っておくべきだろうと思い、龍斗に頼んでセリナの隣へと移動した。
見た感じは何だか凄く珍妙なものが無造作に並んでいるが、どれもこれも高い。
奈緒たちの残り三十六セルパで買えるものはほとんどなかった。
「強化には指輪の他にも、腕輪もございますよ。こちらは桁が違いますが、はい」
「千セルパ、か……さすがに易々とは手を出せないわね」
「ですが、元の魔法の格を三段階もランクアップさせます。そよ風程度の魔法でも、嵐へと変貌しますです、はい」
「そうね……威力の増強は必須だけど……うーん」
千セルパといえば百万円だ。
えー、あんな腕輪がそんな高いのか、と魔術品の高価さに目を見開いてしまう。
個人で買えるような代物じゃないだろう、常識的に考えて、と三十六セルパしか持っていない奈緒と龍斗は頷いた。
セリナは買おうかどうか迷っている、という状況だったが、そこで突然の異変が起こった
最初に不穏な空気に気がついたのはラピスだった。
袴を少しずらして腰に挿してあった刀を引き抜く仕草をし、それを見た龍斗とセリナが気づく。
騒がしい市場が蜂の巣を突付いたような騒ぎを見せていたのだ。
商人たちは次々と店じまいを始め、売り物にして生命線たる己の商品をクロノスバッグに入れて逃亡を始めた。
ドドドドドド、とたくさんの人々の足音が遠くから響き、そしてオリヴァースの若者の一人が叫んだ。
「逃げろおおおおおおおおお!! クラナカルタが攻めてきたぞおおおおおおおおおおおおッ!!!」
その言葉が引き金だった。
事態を把握できていなかった残りの商人や国境の民たちが一斉に逃げ出したのだ。
竜人族は翼を広げて町を後にし、ゴブリン族は近くに身を隠し、ドワーフ族は短い足を一生懸命前に出した。
「これは困りました。お客様、申し訳ありませんが、私どもも失礼いたします、はい!」
魔術品を売っていた商人も既に商品を片付けると、逃亡するところだった。
その逃げ足の速さはさすがと言わざるを得ない。魔術品のような高価な商品を奪われては一巻の終わりだ。
セリナは貴重な品物の数々を惜しそうに見ていたが、やがて諦めることにした。
怒りは突如として襲い掛かってきた蛮族国へと向けられた。
「もう……人がせっかく楽しんでるときに!」
「お嬢様、ここは危険です。それがしが殿を務めますので、この町をすぐに出ましょう」
「いや……ちょっと待って」
一目散に逃げ出そうとするセリナたちを押し留めたのは奈緒だった。
翡翠色の瞳を見る限り、龍斗と身体を入れ替わったらしい。
もう間も無くこの市場を襲撃してくるだろうクラナカルタの軍勢を遠くに見据え、奈緒は静かに宣告した。
「良い機会だから、ちょっと前哨戦と行こう。クラナカルタがどれくらい強いかを知りたい」
「ちょ、ちょっと、本気なの?」
セリナが慌てるが、それも当然だった。
奈緒の行っていることは、ここにいるたった三人で蛮族たちを打ち倒そうといっているのだ。
このオリヴァースの国境の町にどれくらいの軍勢が攻めてきているのか分からないが、十人や二十人ではないだろう。
そんな圧倒的な敵の数を前にして『戦おう』というのは無謀に近い。
だが、対する奈緒は自信を示すように挑戦的な笑みで言った。
「交渉の『カード』として必要だと思う。もちろん、オリヴァース相手にね」
「……恩を売る、ですか?」
「それもあるけど、交渉の席にオリヴァースの魔王を座らせるために、ね。そういう意味でも戦うべきかな」
それに、と奈緒はもう数分もすれば広場を攻めてくる蛮族たちを見て。
「それぐらいできないようじゃ、最初から魔王への道なんて夢物語だよ」
◇ ◇ ◇ ◇
蛮族国、クラナカルタ。
軍勢はゴブリン族、オーク族に加えて魔物を従えた総勢百二十の混成部隊だった。
欲しいものは力ずくで奪う、それがクラナカルタの政治のやり方だ。
オリヴァース国境の町、クィラスは常に蛮族国の侵攻に頭を悩ませ続けてきた。町長の魔族は報告に頭を抱えた。
「ま、また来たのか……十日前の侵攻で国境守備隊は壊滅しているというに……」
クィラスの町長は悪魔族だ。角の生えた壮年の男で、気の弱そうな印象を与えている。
町としては栄えているというのに蛮族の侵攻によって商人が集まらない。おかげで収入も思うようにはいかない。
しかも守備隊は十日前に蛮族どもと雌雄を決し、痛みわけの引き分けとなった。
未だクィラスの守備隊の傷が癒えていないことを幸いに、彼らは第二陣を派遣してきたのだ。
「おのれ……守備隊は何人動かせる!」
「さ、三十人ほどです……」
「くっ……市場は放棄せよ。民衆たちの居住区には絶対に入れるな!」
「はっ!」
クィラスの町長は大至急で守備隊に指示を飛ばすと、自らも長剣を手にとって表へと飛び出した。
戦いそのものは苦手だが、人手が足りない以上は町長として戦うべきだ、と考えたのだ。
何より魔族の町を、自分が治めている町を、蛮族のような野蛮で下品な奴らの好きにさせるというのが我慢ならない。
最悪でも町民の安全を確保するため、守備隊の指揮を執りに行く。
本来の隊長は十日前に戦死したのだ。
「蛮族ども……誇り高き魔族の戦いをよく見ておけ……!」
勇ましい声を上げる町長だが、頭の隅では理解していた。
敵は蛮族、魔物合わせて百二十。こちらはたった三十の守備兵しかいない。
実に四倍の兵力差が開いているうえに、恐らく攻撃はこれからも続くだろう。第三、第四の波状攻撃が。
近いうちにクィラスの町は落ちる。
クラナカルタが小国のオリヴァースにいよいよ本格的に牙を剥いてきたのだ。
数ヶ月もすればオリヴァースという国はリーグナー地方から消滅し、ラキアスとクラナカルタの二大王国が築かれる。
もはやこれまで、早いうちにクィラスの住民たちを首都のカーリアンに護送すべきかを考えていた。
「も、申し上げます! 大変です!」
「ど、どうした……まさか、居住区が襲撃されたのか!?」
町長の諦観にも似た思考を打ち切る声。
報告として現れたのは伝令のバード族の少年だ。
バード族は人と鳥を融合させたような容姿で、背中に色々の種類の翼を生やしているのが特徴的だった。
鳩の翼を持った少年は苦々しい顔を見せる町長に向けて報告する。
「クラナカルタの軍、市場で停滞! 正体不明の一行が蛮族どもを次々と打ち破っております!」
◇ ◇ ◇ ◇
「<嵐よ、吹き荒れろ>!」
奈緒は右腕を高く挙げて言霊を告げた。
イメージは竜巻。吹き荒れる風を刃に変えて攻め立てる蛮族たちの機先を殺いだ。
先頭部隊と思しきはゴブリン族の群れだ。十人は優に超えている。
魔法による先制攻撃として風を選択し、一気に巻き上げる。
「うおおおぁあああああ!!」
「な、なんだああああ!?」
「い、いてええええええええええええ!!!」
宙を舞う緑色の肌の男たち。
空中に飛んだ彼らは竜巻の中に内包された刃によって切り裂かれ、絶叫しながら大地に叩きつけられた。
生死の確認まではできない。そんな保障は最初からしていない。
頭痛をこらえながら奈緒は僅かに呻いた。酷い話だが相手が人間だったら、きっと奈緒は罪の重さに耐えられない。
「風の魔法だ!」
「炎だ、炎を出せ! 魔物隊を前に出せえ!」
「殺せええええ、奪ええええええっ!!」
奈緒の翡翠色の瞳が炎という単語に反応して鋭くなる。
あのときのザルバードという悪魔のときのように炎に対して強烈な憎しみが胸を支配した。
だが、今度はあのときのような後先を考えないような魔法の使い方をしてはいけない。
また気絶するわけにはいかない。ゆっくりと倒していく。
「<氷の飛礫、拡散して一斉射撃>!」
イメージは雹の嵐。
どうやら奈緒は魔法の全てを嵐として表現するほうが良いらしい。
奈緒の背後に空気中の水分を凝縮、凝固して作られた氷の弾丸が配置され、奈緒の合図で一気に発射された。
一斉射撃の名の下に氷の弾丸がゴブリン族の兵たちを打ちのめしていく。
「が、ばばばばば!?」
「嘘だろ! さっきあいつは風を使ったんだ、ぐばはあああ!!?」
「二色使いだとお!? くそお、あの野郎、なにもんだ!」
予想外の展開にゴブリンたちの足が止まる。
彼らにとって今回の侵攻は一方的な蹂躙に過ぎないと考えていただけに、衝撃が大きかった。
奈緒との距離は五十メートルというところだが、そこに辿り着く前に十数人が戦闘不能に陥った。
後続部隊と合流して、一気に突破しようと考えたようだ。
だが、その行動を奈緒の仲間たちが許さない。
「<燃え尽きなさい、下郎ども>!」
「なっ……上、があああああああ!!?」
気づいたときにはもう遅い。
眼前の強大な障害たる奈緒に気を取られていた先遣部隊は、上空を飛翔していたセリナの姿に気づかなかった。
建物に隠れながら接近していたセリナは上空十メートル以内という近い位置で炎を繰り出す。
奇襲を受けた蛮族たちは業火によって十数人が巻き込まれ、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
(……うわあ……人が炎に対して自制しているのに、容赦なく焼いてくれるなあ……)
(奈緒ー、目がやばい、やばいって。クールダウンしろ)
(うん……大丈夫……多分)
目の前で燃え盛っている炎を蛮族共々、消滅させてやりたい衝動に駆られながら第二陣を待つ。
やがて先遣隊の壊滅に驚愕している第二陣のクラナカルタ軍を発見し、再び奈緒とセリナが同時に叫んだ。
奈緒が氷の魔法、セリナが風の魔法だ。
互いの威力を損なうことなく、敵兵を凍らせ、あるいは切り裂くことで動きを止めていく。
(意外にいけてる……のか?)
(いや、今はまだ向こうが魔法を使ってないだけ……そろそろ)
その声に答えるように怒りの声が響いた。
ゴブリン族、そして魔物たちによる一斉蹂躙を示す咆哮と魔法の雨が降り注ぐ。
爆発音、轟音がクィラスの市場を破壊していく。
「なっ……!?」
(お、おいおいおい……ちょっと様子がおかしいぜ、あいつら……)
奈緒たちは驚きに言葉を失った。
何故なら彼らが扱う魔法は、標的を定められないまま放たれているからだ。
小さな子供が近くにあるボールを無造作にあちこちへ投げるかのように、方向性を感じさせない魔法の力が弾けた。
それは単純な暴力の塊だ。瞳を失った獣が我武者羅に攻撃を繰り返している、そんな錯覚さえ覚えた。
セリナは戦線を離脱して奈緒の隣へと降り立つと、けほけほ、と喉を咳き込ませながら叫ぶ。
「あいつら、怒りに我を忘れているわね! もう敵と味方の区別がついてないわ!」
「じゃあ、あの魔法の雨って味方にも降り注いでるの!?」
「所詮は頭の足りない蛮族たちよね。想定外の出来事になった途端に、ただの暴徒になってしまったみたい」
どうやら、奈緒とセリナの攻撃を見て市場のいたるところに兵が潜んでいると錯覚したらしい。
周囲を破壊しながら進むうちに敵と味方の区別がつかなくなり、壮絶な同士討ちが始まったそうだ。
混乱の極みに達した兵たちはもはや暴徒だ、冷静にできるものではない。
「……数は減りそうだけど、危ないな。ラピスは?」
「もうすぐ帰ってくると思うわ」
奈緒とセリナが前と上からの魔法攻撃によって、敵を挟撃する作戦。
ラピスのように一対一で力を発揮する彼女は市場で逃げ遅れた人々を助ける役へと回ってもらった。
あちこちに飛び火する炎や地の魔法がクィラスの市場を破壊していく。
「……これは、この先を通したらまずいね」
「あれはもう、群集による爆弾よ。周囲を破壊しながら徐々に小さくなっていくわ」
「なら、ここで足止めすればいいか……セリナ、上!」
「ええ!」
上空からは魔法を飛び交う軍勢から逃げる形で飛行する魔物が飛んでいく。
イルグゥ、という赤い一つ目の鳥の化け物だ。
奇襲用として飼い慣らされた魔物だろうが、まさか自分たちが奇襲される側になるとは夢にも思わなかっただろう。
一体も通すわけにはいかない。上空の魔物はセリナが全て打ち落とす。
「<翼をもぎ取れ、風の鎌>!」
セリナの魔法の特性は『鎌』らしい。
奈緒の『嵐』よりは範囲が狭いが、こと空中戦において彼女は絶対の自信を持っていた。
現に風の鎌によって翼を裂かれたイルグゥの群れは一体の例外もなく、地へと堕ちていく。
そのまま地面へと叩きつけられ、絶命する道を辿るだろう。
(空のほうは問題ないね……)
(……おい、親友。見つけた見つけた、ご希望の標的らしき奴を見つけたぜえ)
龍斗の役割は奈緒の瞳だ。
魔法に意識を集中しなければならない奈緒に代わって、龍斗はあるものを探す役割を帯びていた。
それは敵大将の捜索だ。とにかく、何だか偉そうな奴を探し出すことを頼んでいた。
戦いというのは指示を出す総大将を討ち取ったもの勝ちだ。
(なんか、あそこででっかい魔物に乗った、あの鬼みたいな面の、ほら!)
(うわあ……ゴブリン族じゃないねえ)
奈緒が見つけたのは周囲で右往左往するゴブリンを一喝する巨大な大男だった。
遠目では判断できないが恐らく身長は二メートル以上、土気色の肌をした鬼だ。太い腕で棍棒を握り締めている。
オーク族、というゴブリン族を配下に置く蛮族だ。
そのオーク族の中でも強い存在なのだろう、彼の周囲には一回り小さい土気色の肌の鬼が二体ほど控えている。
単純に強い者が正義、とするクラナカルタの国を良く表している気がした。
「っ……乗っている魔物はキブロコスですね。ドラゴンの血を引くと言われている大型の魔物です」
「……ラピス? 避難は完了した?」
「はっ、市場に隠れていた二十数名、全員居住区へと避難いたしました。後は……」
「大将の首を取るだけ、だね」
空を見上げると、未だイルグゥを相手に戦うセリナの姿があった。
イルグゥは風の魔法を使うらしいのだが、二色の魔法を使い分けるセリナの前には敵にならないらしい。
次々と火達磨になるか、翼を切られて地へと堕ちていく一つ目の鳥の姿を見ながら奈緒は言う。
「空はセリナに任せておいて大丈夫みたいだね」
「はっ、大将首はお任せください!」
「うん、ラピスを頼りにしている。雑魚は僕が片付けるから、遠慮なく頼むよ」
作戦は決まった。覚悟も決まった。
味方同士の魔法の打ち合いが弱まっていくのは、統率が取れ始めたか、それとも数が少なくなったか。
流れ弾が少ないことを確認した奈緒とラピスは同時に頷いた。
(龍斗。突撃してもらうよ)
(よし、任せとけ。あいつの近くまでいけばいいんだろ?)
(うん。それじゃあ、切り替われ)
かしゃり、と人格が入れ替わる。
紅蓮色の瞳を確認したラピスが、破剣の術を使って身体能力を強化しながら龍斗に言う。
「リュート殿。それがしの破剣の術、やり方をよく覚えておいてくだされ」
「あ、ああ。どうやるんだ?」
「目を瞑り、己の中にある力を『球』として捉えてください。力を形あるものとして想像し、それを体中に送り込むのです」
「ん……ん……?」
ラピスの説明に一応やってみるが、反応はない。
そもそも己の中にある力、という概念が分からない龍斗は救いを求めてラピスを見るが、彼女は少し微笑むだけだった。
「まあ、今からすぐに出来るものではありません。時間があるときにまた」
「お、おう……今は大丈夫なのか? 破剣の術がなくても」
「それがしの背後について来てください。流れ弾はそれがしが引き受けます。……それでは、参ります!」
ゆっくりとしている暇はなかった。
ラピスが地面を蹴って敵軍へと突撃していく。弾丸のような速度に慌てて龍斗も疾走した。
◇ ◇ ◇ ◇
「クソ……コンナハズデハ……!」
クラナカルタの幹部の一人、オーク族のボグは魔物の上に踏ん反り返って呻き声を上げた。
身長は二メートル以上というオーク族の中でも大きな体格に加え、かなり位の高い魔物のキブロコスを従えている。
二体の全長は五メートル近くにもなり、オークやゴブリンたちは見上げるばかりだ。
クィラスの町を占領することなど楽な仕事だと思っていたが、それは正体不明の伏兵たちによって思惑を崩される。
片言の言葉で歯噛みしながら不甲斐ない部下たちを叱咤した。
「キサマラ! イツマデ! アソンデイル! ハヤク、セイアツシロ!」
「で、ですが奇襲と同士討ちで既に百人近い死傷者が……」
「ウルサイッ!!」
退却を進言しようとしたオーク族の男が、キブロコスの大きな足によって踏み潰された。
悲鳴を上げることも出来ずに絶命した仲間を見て、周囲の生き残りたちが恐れおののいた。
ドラゴンの血を引いているとされるキブロコスは首長恐竜のような見た目をしており、炎を吐くことができる。
ボグの切り札でもある魔物は本人以上に脅威となる。
「エエイ、シングンセヨ!」
「はっ、はは……!」
もはや役立たずの部下に任せては置けない、とボグが叫んで進軍を開始する。
このまま力で全てを破壊し、クィラスの町を占領してくれる、と片言のまま意気込んだ。
だが、その進軍は最初の一歩で止まることになった。
突如として現れた一陣の旋風が目にも止まらぬ速さで接近してくると、硬い鱗で覆われた爬虫獣類に切りつけたからだ。
キュオオオオ……!
大型の魔物の悲鳴が響く。
旋風は一撃で首を断ち切れないことを悟ったらしく、諦めてボグたちから距離を取った。
その背後には息を切らしながらも彼女の背後に付いてきた龍斗の姿もある。
ふっと、紅蓮色の瞳が翡翠の色へと姿を変えた。
新たな乱入者の姿を認めたボグが、己の相棒であるキブロコスを強引に押さえつけながら言う。
「キサマラ、ナニモノダ……!」
答えはなかった。
ただ単純に彼らの耳には届かなかった。
ボグが混乱の境地にいながら叫ぶ頃には、既にラピスと奈緒の両者は地面を蹴っていたからだ。
初陣の最後の戦いが火蓋を切って落とされた。
唯一、ボグの叫びを受け取っていた龍斗は、届かないことを知りつつも心の中で宣告した。
(魔王候補と愉快な仲間たちだ、覚悟しやがれ、鬼!)