第9話【無欲な少年への評価】
小国のオリヴァースとはいえ、最高級の宿を建てた以上はそれなりの設備が整っている。
一泊一部屋三十セルパ、食事は夕食のみだが豪華な料理といっていい。
部屋は玄関から入ってすぐに木造の机と椅子が設置されているリビングがあり、その奥には寝室が用意されている。
更にその奥、寝室から分岐してシャワー室がある。
寝室の近くに設置してあるのが何の意図かについては考えないことにした。
寝室は二人用と四人用があり、セリナたちが選択したのは四人用の寝室だ。
四人用は二人が眠れるベッドがふたつ付いている。
片方が奈緒たちで、もう片方にセリナが眠る。ラピスは床で眠るだろう。
奈緒がセリナの申し出を受けていたなら、恐らくセリナは五色の異端と同衾していたに違いないだろうが。
「………………」
セリナがいた場所は部屋の中ではない。
彼女は奈緒たちがいる借りた部屋から出ると、そのまま廊下を歩いて豪華な装飾の施されたバルコニーへと出ていた。
服装は胸元が少し開いた寝巻き、という無防備なものだったが、今のセリナには関係なかった。
謝って転落しないように設けられた白い木造の柵へと身を預けると、暗闇に染まった町並みを見渡していた。
正確に言えば町なんてどうでも良かった。ただ、冷たい夜風に当たりたかった。
「……何やってんだろ、私」
奈緒の痛烈な言葉がセリナの脳裏によぎった。
先のことを考えていない。何も知らない無知なお嬢様が考えたような計画には乗れない。
別世界の少年にそんなことを言われた。彼ですら破綻を見破れるような穴だらけの作戦だった。
ひとつひとつの事実が彼女の心を打ちのめしていた。
「じゃあ、どうすればいいってのよ……」
女は魔王にはなれない。
エルトリア家を復興させるには魔王に連なるしかない。
だが、各国の魔王はリーグナー地方の覇者であるラキアスとの争いの種であるセリナを娶ったりはしないだろう。
いかに公爵の血筋を入れるとしても、ラキアスと事を構える危険は冒せない。
だからこそセリナはそれすらも許容する魔王を捜し求め、もしくは新たな魔王を擁立することを決めたのだ。
「どうすれば、私は父様の恥をそそぐことができるのよ……?」
父、ラグナにかけられた嫌疑を取り払いたい。
復讐が何の意味もないことは理解しているが、父を殺したリーガル家がのさばっていることが許せない。
王族殺しの真相は分からないが、セリナはリーガル家の陰謀だと確信している。
エルトリア家を嵌め、自らが王族の地位につくために画策した。
いつでも策略というものは利益を総取りにして笑う者がいる。
「……ねえ、教えてよ……私は、このまま泣き寝入りすればいいの……?」
消え入るような声でセリナは柵に寄りかかって組まれた自らの白い腕に突っ伏した。
冷たい夜風がセリナを嬲り、ストレートに下ろした柔らかな金色の髪が舞い上がる。
しかし今のセリナはそちらには気にも留めない。
彼女の心を支配しているのは憎悪と悲哀と、そして焦燥だ。
唇を噛み締めた彼女は引き裂くような痛みを胸に宿しながら、口の中で呟いた。
「教えてよ……父様、ラピス……ナオ」
彼女とて悩み、苦労してきた。
何の苦労も知らない貴族時代に別れを告げてから。
大切な軍資金を切り崩すのを恐れ、できる限りの節約は行った。
今日は豪勢な宿に泊まったが、それは大切な客人がいたからだ。
新進気鋭の魔王として迎えようとするのだから、それ相応の交渉の場を用意した。
いつもはコーマの実ですら買うのを惜しみ、水と旅に必要な生活物資だけを買って放浪していたのだ。
公爵家として高い生活水準を幼い頃から知っていた彼女にとっては、苦痛の日々といっても過言ないだろう。
「……みんな……みんな、死んだの」
唯一の家族だった尊敬する父。
セリナのお転婆ぶりに胃を痛めながらも、いつも笑って許してくれた執事。
昔話を聞かせてセリナを楽しませてくれた婆や。
彼女の教育係を勤めた厳しくも優しかった教育係。
立場の違いも気にせずに面白い話を聞かせてくれた庭師。
公爵家に繋がる分家のお嬢様で、セリナ相手にいつも微笑んでくれたご令嬢たち。
いつもセリナの身の回りの世話をしてくれたメイドたち。
ラピスの部下として公爵家の護衛をした職務に忠実な近衛兵たち。
「無念を晴らさなかったら……その人たちの想いは、何処に行ってしまうのよ……」
みんな、死んだ。
公爵に連なる者たちは皆殺しにされた。
セリナが知っている公爵家令嬢としての世界のすべては完膚なきまでに破壊された。
そして恐らく、セリナが知っている世界以上の惨劇が『アンドロマリウスの変』という名で執行された。
セリナという少女の人生のすべてをぶち壊しにし、親しい人たちのほぼ全員を皆殺しにされた彼女の憎悪は凄まじい。
「だから……私は……わたしは」
支離滅裂な独白が続く。
口に出して決意を確認しなければ折れてしまう。
ラピスまで死んでいたとしたなら、セリナは今頃この世にはいなかっただろう。
彼女は限りなく一人に近い存在で、どうしようもなく一人になることが怖い少女だった。
瞼を閉じ、伏せられた瞳から宝石のような涙が零れ落ちる。
(一人は……もう、いやだ……)
胸の前で両の手をきゅ、と握り締め、苦しそうに息を吐いた。
彼女の華奢な体が僅かに震えているのは、夜風による寒さではなく孤独になる恐怖だ。
悪魔族の寿命は二百年、人間の二倍以上を誇る。
このままひっそり生きていたとしても、いずれラピスには先立たれる。そのとき、セリナは本当の意味で独りになる。
息を大きく吸って、白い吐息と共に怖れを吐く。
(私は諦めない)
弱音は一人のときに吐く。
誰かの前ではいつでも気高く、強くあらねばならない。
それは貴族のときからの慣習にしてセリナという少女の座右の銘だ。
無様を大勢の前で晒すような真似はできない。それは対等の者には付け入る隙を与え、下の者には動揺を誘う。
「貴族は、誇らしくあれ」
もはや没落した貴族の一人娘だが、その教えだけは心に刻む。
それがセリナの生きる道であり、彼女を支えるひとつの一本の芯であり、その姿が人々を導いていく。
小さな唇を噛み締め、痛みによって弱気を吹き飛ばしていく。
一度の失敗で彼女は折れない。そんなことで諦めてしまうような願いを、身体を捧げてまで叶えようとは思わない。
さあ、一度挫折したからこそ燃えてきた。
何気ない動作でセリナは右の掌から炎を生み出す。攻撃用でなければ言霊として口にする必要もない。
夜風に揺れて今にも消えそうな赤い光は、今のセリナの立場を表しているようだった。
それでも炎は消えない。どんな逆境という名の風に吹かれても、反逆の意思は決して掻き消えない。
彼女は身を預けていた柵から離れると、バルコニーを後にするために振り返った。
「……?」
その先に、若干息を切らせたまま跪くラピスの姿があった。
着の身着のまま、という言葉をそのまま表すかのように桃色の髪は跳ね、黄色の寝巻きを着用していた。
妙齢の女性としては二人とも少しはしたない格好ではあるのだが、幸いにして誰もバルコニーには訪れない。
いったいどうしたのか、とラピスの様子から只ならぬものを感じたセリナが口を開くよりも早く。
「お嬢様、な、ナオ殿が……」
「ナオが……? どうしたの?」
嫌な予感が膨れ上がった。
ラピスがここまで混乱にも似た表情で報告するのも珍しい。
どんな苦境であろうとも、苦々しい表情は見せても純粋に混乱しているラピスを見るのは久しぶりだ。
もしや奈緒が寝室から資金と共に姿をくらませたのかしら、と最悪の報告を覚悟していたセリナに向けて。
「じょ、条件付きで……お嬢様に協力してくださる、と……」
「え?」
言われた言葉の意味がセリナには良く分からなかった。
追い詰められすぎた彼女の思考が自分に都合の良い解釈を勝手にしてしまったのか、とすら考えた。
呆然とした彼女に向かって、聞き間違いではないと示すためにもう一度。
「お嬢様に力を貸してくださる、と。……それがしは確かにナオ殿の口からその言葉をお聴きしました」
「ほ、ほんと!? え、だって、さっきは断るって……」
「条件が、提示されております」
セリナの赤い瞳がその言葉で細くなった。
奈緒の提示した条件、それがどんなものなのか。少なくともセリナにはまったく予想がつかなかった。
魔王としての地位、魔界での富と名誉、そしてセリナの身体。およそ考えられる全ての報酬を提示した。
それで断られる以上、セリナにはこれ以上の何を差し出せるかの予測がまったく付かなかったのだ。
「ラピス……まさか、身を鬻いだわけじゃないでしょうね……?」
「はっ……それがしも、それで協力していただけるのなら、と考えましたが……ですが」
唯一の可能性もまた否定された。
もはやセリナの考えでは奈緒の言う条件が予想も付かないものになっていく。
ラピスがこれほど混乱してしまうほどの条件。聞くことすら怖れてしまうようなものなのだろうか。
セリナの最悪のさらに下まで考えようとする予想を、次の言葉が呆気なく打ち消した。
「『簡単に身体を許すようなことをしない』こと……それと『自分を大切にする』こと、それが条件だと」
「……は?」
「魔王には別の、お嬢様が本当に好きになられた方を据え、自らは参謀として協力すると……ナオ殿は」
セリナは最後まで話を聞かなかった。
何かに突き動かされるようにバルコニーを飛び出すと、そのまま廊下を走っていく。
目指す場所は当然、彼女たちの部屋だ。そこには件の奈緒がいる。
ラピスと同じように純粋な混乱状態となったセリナは、己の内から沸き上がる疑問の数々を止められないでいた。
◇ ◇ ◇ ◇
「い、い、いったいどういうことよ!」
「おっ、来るのが早かったな。もうちっとだけ声を小さくしてくれるか? 心の中の親友が集中できねえ」
寝室の扉を文字通り蹴破ったセリナを迎えたのは、紅蓮色の瞳だった。
背後にはしっかりとラピスが付いて来ており、寝室の入り口の前でいつもの服従の姿勢を取って跪く。
服従の相手は俺じゃねえだろ、と突っ込みを入れようとした龍斗に対し、セリナは叫んだ。
「ナオを出して、リュート!」
「却下だ。具体的な計画は明日の朝に発表するってよ、それまで親友は徹夜で考えごとだ」
ふたつあるうちのベッドのひとつに腰掛ける龍斗。その表情はセリナたちの反応を予測してのものだろう。
セリナはバルコニーに訪れたばかりのラピス同様、金色の髪をところどころ跳ねさせて登場した。
胸元が開いた寝巻きはむしろキャミソールに見えなくもない。
奈緒より積極的な龍斗はくつくつ、と笑ってセリナの胸元を指差し、指摘に気づいたセリナが腕で胸元を隠す。
「と、とにかく一度話して、理由を教えてもらわないと眠れないわ。あなたたちの狙いがまったく読めない!」
「読む必要はねえよ、額面どおりに受け取れや」
「あなたたちにどんなメリットがあるのよ! 損な役回りのうえ、得なんて負けた時に責任逃れができるぐらいじゃない!」
魔王としての地位。
それに伴う豪勢な生活と偉大な名誉。
その他、たくさんのメリットがただの責任逃れと釣り合うとは到底思えない。
龍斗は面倒くさそうに頭を掻きながら、そんなことも分からないセリナに向けて言い放つ。
「俺もな、正直言って奈緒は馬鹿だと思ってんよ。欲がねえっていうか、善人っていうか」
「善人なんて理由で納得できないわ……」
「俺もだ。でも、残念ながら本当にそれだけなんだよなぁ。昔から損な役割ばっかり引き受けちまうんだ」
それを昔、龍斗は要領が悪い、と言った。
良いやつだとかお人好しだとか、そういう表現にも限界があった。
だから悪い言葉で言えば少しは欲深になってくれるんじゃないか、と期待したのが中学二年生の冬だ。
高校生を過ぎてもこれなのだから、まったく効果を上げられなかったが。
「奈緒はさ、女に幻想を抱いているんだよ。思春期にはよくあることじゃねえか」
「幻想?」
「そそ。アンタたちに売春……いや、違うな。なんていうのか、この世界じゃ。ああーっと、娼婦ってある?」
「……あるわ」
「よし、今度連れてけ……いや、悪い冗談だ。とにかく、奈緒はアンタたちに娼婦の真似事なんてしてほしくねえのよ」
もちろん、セリナたちだってそんなことはしたくない。
そういう意味を込めて龍斗を睨み付けるが、とうの龍斗は涼しい顔だ。
奈緒曰くの千人斬り伝説は伊達じゃない。奈緒本人は伊達であってほしいと願っているが。
龍斗は奈緒の身体を使って黒い前髪を弄りながら言う。
「だいたい、条件の最後に言ってんだろ? 『もっと自分を大切にしろ』って、それが奈緒の本音だろ」
「…………あ、呆れた善人ぶりよ、そんなの……」
「俺とは違ってな」
龍斗だったらこうはいかない。
手伝うなら最大限の報酬を引き出さなければやる気など起きない。
まあ、奈緒と龍斗が逆の立場だったとしても奈緒の強硬な反対に結局は断念していただろうが。
生まれた頃からの付き合いがある得がたい幼馴染だ、嫌われたくはない。
「ただし、俺から条件がある。俺は善人じゃねえんだわ」
「……何かしら」
「ひとつ。奈緒の善意を裏切るような真似をしたら、あいつが許そうが俺は許さねえ」
「当然よ。そんなことはしないだろうけど、憶えておくわ」
「もうひとつは……」
龍斗は、セリナの背後で控えているラピスへと視線を移した。
セリナも釣られるように背後を向き、四つの赤い瞳を向けられたラピスが跪いたまま首をかしげた。
彼はラピスの身体を上から下まで検分するように見て、やはり、という具合に頷いた。
「なあ、ラピス……って俺も呼び捨てでいいのか? セリナのほうもだけど」
「はい、それで構いませんが」
「私も問題ないわ」
「んじゃあ、ラピス……アンタ、砂漠でメチャクチャ早く走ってたろ? あれって何か仕掛けがあるんじゃねえか?」
ラピスの体つきは女性としての柔らかさがある。龍斗の見立てではスポーツ選手と大して遜色はない。
魔界での平均的な身体能力は分からないが、少なくとも筋肉の付き方は龍斗と変わらないはずだ。
だが、現にラピスは龍斗の世界でいう車の速度と大差ない速度で、砂に足を取られるはずの砂漠を走った。
そこには何か、特殊技術かもしくは魔法があるのか、と考えたのだ。
「はっ……これは破剣の術です」
「はけん? 派遣、覇権……んー?」
「人間が魔族と戦うために編み出した、人間の魔法みたいなものよ。『破魔の剣』っていうのが正式名称」
「……肝心の魔の部分を略すってどうよ……?」
「私に言わないで」
破剣の術は人間限定の魔法のようなものだ。
魔族は身体の中にある魔力を通す回路から違うらしいから、破剣の術は使えないのだという。
逆に言えば人間も魔族とは身体の構造が違うため、魔法が使えないのだとか何とか。
だから魔法が使える人間が異端と言われ、人間社会で迫害されて魔族の土地へと移り住むのだとか。
もっとも、九割以上が災いを恐れた同族たちによって殺されてしまうらしいのだが。
「人間の土地に行かなくてよかったわね。町全体が敵に回るなんて当たり前よ」
「魔族は人間を嫌ったりしねえのか?」
「するわよ。だけど、どちらかというと下等生物を見下す感覚に近いわ。でも異端は別よ、同族として扱われるわ」
「人間の親を持ってしまった魔族に過ぎない、と。多少の差別はあれど、そのような考えが浸透しております」
そりゃあラッキー、と龍斗が手を叩いて喜んだ。
何だかんだと言いながらも美少女二人に保護してもらい、お金の心配もいらないなどかなりの好条件だ。
龍斗が漫画で読んだ展開では、お金の通貨から違って飢えたりすることが多い。
日頃の行動の成果だな、と思ったところであまり良くなかった自分の素行を思い出し、奈緒にそっと手を合わせた。
「で、結局、破剣の術がどうしたのよ」
「ああ。その話を聞く限りだと、俺も習得できるかな? 俺が出ているときだったら、魔法使えないんだけど」
龍斗の言葉に二人はようやく彼の条件が理解できた。
自分にも破剣の術を教えろ、というものだ。
もちろん断る理由はないのだが、五色の魔法を扱う奈緒のことを考えると扱えるかどうかは首を傾げてしまう。
「その、理論上は可能なのですが……ナオ殿のことが引っかかります」
「今までひとつの身体にふたつの魂なんて、前例がないのよ。片方が魔法、片方が破剣を使えるなんて……」
「聴いたこと、ないか。まあ、そうだよなあ」
そもそも異端というものが、どうして存在しているかも分からない。
彼らに魔法を使わせているものは何なのか、という謎はいまだ解明されていないのだ。
残酷な話ではあるが、異端を殺して解剖し、その謎を解き明かそうとしたこともあるらしい。
人間の科学者たちはその身体を切り裂いて構造上の違いを調べたらしいのだが、残念ながら謎は解けなかった。
「だけど、やっておきてえんだ。教えられるのなら教えてほしい」
「それが、リュート殿の条件ですか?」
「ああ。生憎と俺は身体を張ることしかできねえからな、強くなれるのならもっと強くなりてえよ」
奈緒に全てを押し付けたくない。
鎖倉龍斗にできることがあるのなら、それで親友を手助けしてやりたい。
狩谷奈緒が絶大なる才能でこの世界を渡り歩くなら、鎖倉龍斗は壮絶なる努力で彼の親友であることを誇りたい。
考えることが苦手な龍斗は、いつでも身体を張ることしかできないのだから。
「分かりました、それがしでよければ伝授させていただきます」
「おっしゃ! セリナも奈緒に魔法の使い方を教えてやってくれよな」
「……ええ、あなたたちが本当にそれだけでいいのなら」
これにて、交渉は成立した。
奈緒と龍斗はエルトリア家復興のために行われる戦争に協力する。
報酬は今後しばらくの生活の保護と、彼らが生きるための力を身につけさせること。
彼らはもはやそれ以上を望まないし、望むべきでもないと思っている。
「それじゃ、明日から頼むぜ。今日はもう寝ちまうけど……」
ふと、残りひとつしかないベッドに目をやった。
ひとつのベッドは龍斗が占領している。そして、二人の少女は残りひとつのベッドを釣られるように見た。
まさに椅子取りゲーム、と思うよりも早くラピスが言う。
「それがしは床で寝ます、ご心配なく」
「……いやいやいやいや、それはねえわ、うん。それはねえって」
龍斗が首を振った。それはもう珍しく真面目な顔で。
女性関係にだらしない生前の龍斗でも、さすがに女を床で眠らせて自分がベッドへ、なんてことはしない。
そんなことをしても気になって眠れないし、後で奈緒にも怒られるだろう。
「ラピスが床で寝るぐらいなら、俺が床で寝るぞ。じゃねえと奈緒が文句言う」
「しかし、それがしは臣下です」
「参謀役なら俺たちも臣下だし、ラピスとは対等かそれ以下じゃねえか?」
占拠していたベッドから降りようとしたところで、セリナがそれを声で押し留めた。
「悪いけど、そこであなたたちが床で眠ったら、今度は私たちの立場がなくなるの」
「いやいや、俺たち新人だし」
「魔王として私たちを従える可能性もあるのよ」
えー! と、龍斗が驚きの声を上げた。
セリナは当然のごとく、ベッドのひとつを占領するとラピスに向かっておいで、おいでと手を振る。
彼女の言動に龍斗とラピスが同時に泡を食った。
「お、お前、魔王の件は諦めてねえのか!?」
「そ、それがしは臣下です! 主と同じ寝床では示しが付きません!」
まったく同時に叫ばれた言葉だったが、ひとつひとつをセリナは確かに聞き分けた。
あらあら、とセリナは少し驚きに目を見開きながらも、蕾が開花するような笑みを浮かべた。
「今から魔王候補なんて見つからないわよ。ナオが一番近い場所にいるの。
幸いにも私、ナオの人柄そのものに興味がわいてきたの。身を捧ぐなんてこと関係なくてね。
それとラピス、このままだと三人平等にベッドで寝るか、三人平等に床で寝るかになるでしょ?
せっかく久しぶりの高級な宿なのにわざわざ床で寝るなんて、馬鹿みたいじゃない? だからおいでなさい」
むぐう、と二人それぞれが同じ反応を見せた。
確かに奈緒の条件の穴は『セリナ自身が奈緒を好きになる』ことで即座に解決してしまう。
そんな馬鹿な、と龍斗は言いたくなるが、少し考えると納得した。彼の無欲な所に何かを感じ取ったのかも知れない。
一方のラピスも何かに葛藤していたようだが、やがて抵抗は無意味と悟ったらしく、しずしずとセリナに近づく。
同時にまた二人が納得したため、思わずセリナは噴出してしまった。
「ふふっ……あなたたち、良く似てるわね……あはは……!」
「へ?」
「なっ、なな!?」
そんなこんなで奈緒を除いた彼らの新しい一日が終わりを告げる。
龍斗は心の中で奈緒に告げる。
(勿体無かったな、親友)
今も心の中に閉じこもり、目の前の少女のために頭を悩ませている奈緒に瞳を閉じながら思う。
(あの子、初めてちゃんと笑ったぜ)
そんなことを思ったが、それは口に出さないことにした。
奈緒が彼女をもっと笑わせてやればいい。
そのために親友は今、寝る間も惜しんで計画を詰めている。今度は奈緒が笑わせてやれば良い。
こんな一時の笑みではなく、願いを叶えたときの心の底からの笑顔を見せてもらえばいい。
がんばれよ、親友。
セリナとラピスは同じベッドに横になり、遠慮がちなラピスへと遠慮なく身体を密着させるセリナの姿が目に留まる。
目の毒だなぁ、と苦笑しながら反対方向へ身体を転換させた。
柔らかいベッドに身を埋め、人の身体に宿りながら龍斗は夢の中へと落ちていく。
それじゃあ、また明日。