第六話 禁じられた魔術
日付回ってしまい申し訳ない……
机の上で突っ伏しておりました。
寝落ちってこわい。
(……こんなところに誰か人が?)
もしやこの領域を作り上げた者がいるのだろうか。
明かりの方に向かってみると、その場所には残念ながら人はおらず、幾つもの火の灯ったロウソクだけが輝いて、奥には一つの机が置かれていた。
本棚の隅に置かれていたその机の上には、装飾の彫られた蝋燭台に数本のロウソクが立てられている。
そしてその中心には革で丁寧に装丁された、一冊の重そうな本が開かれたまま置かれていた。
「ふむ、これは…………」
本を手に取り、ヴァニリノは中身を確かめるようにパラパラとページをめくる。
その内容を確かめたヴァニリノは、ぼけっとしたその眼の瞼をほんの僅か、ピクリと震わせる。
この本は、魔導書――魔術の内容とその使用法について書かれた本――だ。それも、正規の魔導書ではない。聖教によって禁術に指定された深き魔術ばかりが乗っている。
とはいえ、ヴァニリノからいわせれば特段、驚くようなものでもない。
禁呪の魔導書は法によってその流通が固く禁じられているため、珍しいものを見た、程度の興味である。
そしてそれらの魔術は禁呪とは言っても、ヴァニリノにとっては慣れ親しんだものでしかない。
そもそも世で禁呪とされているものは、そのほとんどが異世界の邪神たちによってもたらされた魔術だからだ。
邪神の魔術は、正しい知識と必要な魔力があれば誰でも行使できる。
聖神たちから人々に齎された魔術、行使には個々人の才能が必要で、人を選ぶこの世界元来の魔術とは違う。
それが、見つかれば縛り首になるような危険を冒しても、禁術を求める人が後を絶たない原因である。
聖神の魔術では一〇〇年に一人の天才にしか使えない魔術であったとしても、邪神の魔術であれば正しい知識と魔力だけあれば誰でも使えてしまうのだから。
しかし、その邪神の魔術――深き魔術には落とし穴が存在する。
まず、邪神の魔術の知識を見た者は大なり小なり精神が蝕まれる。
そして、魔術を行使したときに使われた魔力の一部が、その魔術を創った邪神へ流れるのだ。
聖教が邪神の魔術を禁術扱いしているのは、主に後者の理由の為だった。
やっとの思いで倒し封印した邪神に力が流れるなど到底許容できるはずもないのは、まことに道理と言える。
下手したらその封じられた邪神が復活する可能性もあるため、それを禁止するのは当たり前だ。
まあ邪神から言わせてもらえば、仮にも神の創った魔術を人間が得ようとすれば精神に負荷がかかるのは当たり前であるし、魔術の制作者に魔力が流れるのは、魔術の仕組みがそうなっているだけの話だ。
聖神の魔術にそのような特性が無いのは、まず根本的に技術体系が違う事と、聖神の努力の結果と言えるだろう。
まあ、その代償として行使者の才能が必要になったのだろうが。
この机に置かれていた魔導書に記されているのは、邪神でもよく名の知れたメジャーどころの魔術と、疑似聖域の作成方法の一部であった。
疑似聖域の作成方法は邪神側にとっても特殊でそこそこ秘匿性の高い術の為、こうやって分けて書かれているのかもしれない。
おそらくこの大図書館どこかか、もしくはもっと別の場所にその方法の分割された部分が書かれた本があるのだろう。
(でもそもそもその術、私は全部知ってるんですよねー。……でも貰う)
ヴァニリノは手に持っている魔導書を自分の懐に無造作に突っ込んだ。
自分をこんな面倒くさいことに巻き込んだ腹いせじゃないよ、ホントダヨ?
ヴァニリノはきょろきょろと辺りを見渡す。
そして何かに気が付いくと、大図書館のさらに奥の方、まるで隠されているように目立たない場所に取り付けられていた、古くそれでいて頑丈な木製の扉にたどり着いた。
ヴァニリノはその木の扉の取っ手に手をかけようとする、が。
それは、目に見えない透明な壁によって遮られてしまう。
それはまるでガラスの壁の様であったが、あまりの不可視性と硬質さはガラスとは全くかけ離れていた。
「これは、《ルハ=ブジャルの障壁》ですか」
禁術指定されている邪神の魔術の一つで、邪神ルハ=ブジャルの創った魔術だ。
これは不可視の障壁を創造する魔術で、発動時に魔力を込めるほどその強度が増す性質を持つ。
目の前のルハ=ブジャルの障壁は、通常の手段では破壊できない程には高い強度を持っているのがヴァニリノには分かった。
これを解除するためには、おそらく大図書館内にあるであろう、この魔術の基点となっている魔法陣か魔道具を見つけ出して破壊する必要があるのだが――。
「それはちょっと面倒くさいですね」
ヴァニリノはその障壁をぺたぺた触ると、片手をこぶしに形に軽く握り、無造作にそれを前へ突き出す。
「せいっ」
ガラスが割れるような高い破砕音が鳴り響く。
ヴァニリノのこぶしが触れた一瞬、障壁は半透明なガラスのような姿を浮かべ、粉々に砕け散ったのだった。
ヴァニリノは儚くも割れた障壁は一顧だにせず、平静な表情で扉のノブに手をかけ、その奥へと入っていく。
内部は地下へと続く階段となっており、石造のそれは硬質な足音が響く。
空気は澱みきっており、非常に埃っぽくなっている。
階段を降りるとそこには、またもや扉が一枚。
しかしこの扉は表のとは違い、分厚い金属を何枚も合わせたような頑丈極まる重厚な鉄扉であり、その無機質で冷え切った姿は、どこかこちらを拒絶するような雰囲気を醸し出していた。
しかし、そんなもの関係なしに彼女は扉を開く――。
――が、扉は開かなかった。
ヴァニリノが首をかしげていると、ふと目に入ったのはこちら側から開閉できる大きめのかんぬき。
……かんぬきは閉まっていた。
「あッ…………」
一瞬で顔を赤く染めたヴァニリノは、右と左をちらりちらり。
そして軽く咳ばらいをすると、今度はきちんとかんぬきを開けて扉を引く。
扉が開くと、部屋の様子がヴァニリノの目に飛び込んでくる。
奥行きのある空間。
壁面の左右に沿うように幾つのも魔法のランプが取り付けられ、内部を薄明るく照らしていた。
奥には何やら大きな魔法陣が描かれているようで、淡い光を放っている。
そして、その手前には幾つかの人影。
それはまるで爬虫類と甲殻類と鳥類を掛け合わせたような姿を持った二腕二足の怪物であり、それらはヴァニリノの姿を視認すると、そのまま襲い掛かってきた。
「《混沌のものたち》ですか……」
それはヴァニリノも良く知る、邪神の奉仕種族のうちの一つだった。
奉仕種族は、邪神が身の回りの世話や自らを信仰させるために創り上げた知性を持つ生物の総称である。
邪神の手で創り出されたというところは眷属と似ているが、聖神で言うところの天の使いである眷属とは違い、神性存在ではないため生物的には人間に近い。
とはいえ、神に使役されるべく創られた彼らは人間に比べて頑丈で、戦闘にも非常に長けていた。
混沌の種族は数が多く様々な邪神に仕えている下級の奉仕種族であるため、それだけではどの神が関わっているのかは分からない。
そして、その力は他の奉仕種族と比べてもそれ程強くはなく、尋常ではない方法――邪神の禁術を使えば、人間に使役されることもある。
今、目の前にいる彼らも恐らくそうなのだろう。
しかし、敵対するならば容赦はしない。
彼らはただの人間であれば敵うことのない邪悪であるが、ヴァニリノにとっては案山子と変わらない。
ヴァニリノは腕に力を籠めると、そこから黒い靄と黒い光が噴き出してきた。それは深淵であり、奈落よりもなお深い闇だ。
腕に漆黒を湛えたまま、ヴァニリノは前にいる痴れ者どもを薙ぎ払う。
そいつらは吹き飛ばされ、壁に打ち付けられる。
そしてその時には、敵はすでに泡を吹いて絶命していた。
力を使うのは久しぶりだ。
復活してからずっと人間に紛れて生活していて、今までそんな機会が訪れることは無かった。
いや、無い様にしていた。
しかし、たまには力を使って慣らした方がいいかもしれない。
有事の際に自らの力がなまっているようなことにはならない様にした方が良い。
しかし、自ら召喚した隷属者に私を襲わせるとは――――。
「……少し、むしゃくしゃしますね」
ヴァニリノは魔法陣の方に目を向けた。
そしてそちらに近づこうとすると、しかし透明にな壁に阻まれた。
またもや《ルハ=ブジャルの障壁》が張られている。魔法陣を守るように円状になっているようだ。
「せいっ」
しかしヴァニリノはそのこぶしを無造作に薙ぎ、障壁は薄いガラスのように砕け散る。
魔法陣の中央へ足を進める。
淡く光る魔法陣の中央。
そこには、一つの魔道具が置いてあった。
――疑似神域を発生させるための、核となる魔道具。そしてそれはこれ一つではない。
他にもいくつかの核の役割を持つ魔道具が同じように守られ、この疑似神域内に点在しているのだろう。
これを破壊すれば、脱出に一歩近づくのは間違いない、が。
ヴァニリノはその魔道具をじっと見つめている――――。
――――そして興味を失ったかのようにその視線を外すと、なぜか魔道具を破壊せずに地下室を出てしまう。
いったい何があったのか。
ただ、彼女は地下室の扉をくぐるとき、小さくこう呟いた。
「――前言は撤回ですね……。とても、イラつきました」
《ルハ=ブジャルの障壁》=《ナーク=ティトの障壁の創造》