第四話 ヴァニリノの好きな食べ物
遅くなりまして、申し訳ございません!
仕事の残業がありまして…………今日中に投稿できてよかったです。
ロバートの話が終わり、ヴァニリノが解放されたのは日が落ちてからだった。
夜の帳が落ちたガルダル市の街並みは、昼間に比べれば落ち着いたものになっているが、それでもまだまだ人通りは多い。
通りには魔法の光を放ち続ける魔法の街灯がずらりと立ち並んでいる。
通りに面した建物の窓からは魔法の光が漏れ出ていた。
平日の仕事が終わった人間たちは、その多くが帰路につきながらも酒屋やレストラン、仕事疲れを癒すための娯楽施設などに吸い込まれていく。
その人の流れに、神秘的なまでに顔の整ったローブ姿の女性――ヴァニリノの姿があった。
支部長ロバートの長話から解放されたヴァニリノは、精神的に疲れた体を引きずりながら、酒場の多い歓楽街に足を踏み入れていた。
ヴァニリノは軽くなったカバンを持ちながら、明るく騒がしい大通りを歩く。
そして辺りを見回しながら、今夜飲み明かすための酒屋の物色する。
(あそこにしようか、いや、あそこも捨てがたいですね。お~酒とつまみの匂いが漂う……)
ヴァニリノはこれから飲む酒とつまみを想像して頬を緩める。
そんなとき、その酒飲みの鼻孔に、ふと何処からかこれまでとは違う匂いが漂ってくるのを感じた。
(……ん? これは、私の好物の匂い……?!)
それはとても薄く、常人にはまるで分らない程でしかない匂いだった。
しかし、ヴァニリノの邪神嗅覚は確かにそれを感じ取る。
それは確かに、復活してから五年間まったく機会に恵まれず、食べることのできなかったヴァニリノの好物の匂いだった。
その匂いは、どうやら表通りから裏通りに入る、目の前のわき道から漂っているようだ。
ヴァニリノは、くんかくんかと鼻を鳴らす。
そしてそのまま、導かれるようにわき道へ入っていった。
狭いわき道は、表通りの光が届かず非常に暗い。
街灯もほとんどなく、その道は闇に沈んでいた。
道が一つ違うだけで、様相がまるで異なっている裏通り。
その道は歩いていると、常人では恐ろしく薄ら寒い気分になるだろう。
ヴァニリノが感じた匂いは、そんな裏通りの中でもさらに奥の路地の方から漂ってきていた。
薄く香ってくるその匂いを辿りながら、その暗く寒い奥の方へずんずんと進んでゆく。
表通りから離れた路地はすでに真っ暗であり。
僅かにある街灯以外は、雲に半分以上隠れた月と非常灯の明かりが、周囲を照らすだけだった。
しかしその夜闇に全くとらわれることなくしっかりとした足取りで進んで行くヴァニリノ。
ヴァニリノの邪神アイにはとって暗闇など障害にはならず、昼間と同じようにものが見えていた。
しばらくすると、そんなヴァニリノの目にとあるものが飛び込んでくる。
動力である魔力が切れかけ、薄暗くなった光を放つ街灯。その下。
そこには、血だまりに倒れ伏した男がいた。
その顔は苦痛と恐怖が深く刻まれており。
その様子からその男性がすでにこと切れているのは明白だった。
「これは……」
(――これは……とても新鮮な良い死体だ!)
(――芳醇な血の香り、ここからでも解る健康な肉の弾力! その悲痛な表情は、その素晴らしい死体に鮮やかな色どりを加えている!)
ヴァニリノはじゅるりと涎をすする。
(先ほどから香しい人間の血の匂いがしていたと思ったら、これがその正体だったのか……! ……少しくらい、つまみ食いしてもいいかな)
そのとき、ヴァニリノは暗闇の奥から気配を感じ取る。
興奮のあまり崩れた口調を整えつつその気配へ誰何した。
「……そこにいるのは誰ですか?」
すると、暗闇からその返答とばかりに、数筋の閃光が放たれた。
その光の直線は、瞬く間にヴァニリノの体を貫く。
腕部、腹部、頭部。
貫かれた場所に風穴が空いた。
しかしその穴は、その空いた穴の周りの肉が蠢いて一瞬で塞がる。
その時、空の上で動いた雲で月が顔を出す。
月明りが、黒いローブで体と顔を隠した二人の人間を映し出した。
その周到に隠された姿。
それは、その人物たちの体形や顔はおろか、その性別すら分からなくしている。
しかし黒いローブで隠されたその顔は、それでも隠し切れない程の驚きをあらわにしていた。
ヴァニリノは、黒ローブが手に持つ黒塗りされたL字の道具に目を向ける。
「それは、魔法銃ですか。魔導法違反ですよ?」
平静な声で呟かれる声に、黒ローブたちは再度引き金を引いた。
対してヴァニリノは、間の抜けた声を上げる。
「うわーなにをするんだやめろー」
しかし、光弾で出来た穴はまたもやすぐに再生される。
全く傷を与えられないヴァニリノに、さらに動揺した様子を見せる黒ローブたちは、一瞬の逡巡を見せた後くるりと背を向け、素早く逃げて去っていってしまった。
「あ、ちょっと……」
のばされたヴァニリノの手が空を切る。
そこに残されたのは、ヴァニリノと男性の死体のみである。
「これ、いいんですか~。頂いちゃいますよ~」
……逃げられてしまった。
きちんと追いかければ捕まえられるとは思うが、面倒いし、ぶっちゃけ関わりたくない。
邪神が暗いものと関わることを避けるのは変な話だが、聖神に目を付けられないためには必要な措置である。
ヴァニリノは穴が開いてしまった自分の服を見下ろす。
そして手を振ると、腕から黒い霧のようなものが噴き出して服の穴の開いた場所に吸い込まれる。
すると次の瞬間には服の穴は修復され、新品と遜色ないものになっていた。
苦悶を浮かべる男性の死体を見下ろすヴァニリノ。
その顔は心なしか輝いているように見えた。
「いいんですよね…………。うん、じゃあ素晴らしい食材をいただいたことだし――――この世の、全ての食材に感謝を込めて、いただきます!」
ヴァニリノは死体の前にひざまずき、手を合わせていた。
◇◇◇
漆黒の闇に包まれた何処か。
その中でとある人物が呟く。
「なに? 目撃者を始末できなかったというのかい?」
その近くに怯えたような気配が二人。
「大変申し訳ございません!」
「こちらの武器がまるで効かず、おそらく高位の魔術師だったかと思われます」
強い怖れに震えた声。
「言い訳は聞きたくないんだ」
しかし、紡がれた言葉は無感動だった。
その人物が何かをすると、肉の塊が無造作に潰されるような音が二つ同時に起こった。
辺りに鉄錆に似た、それでいて全く異なる濃い匂いが充満する。
ぴちゃり、と粘性の高い液体を踏んだような音が響いた。
「高位の魔術師か、それとも何らかの異能持ちか……、面倒だね。とはいえ放っておくわけにはいかないし、しょうがないけど我らが主様にご協力願うしかない、か。面倒だけどね」
その声を最後に、その人物の気配は消え去る。
その後、そこにはただ静寂だけが取り残されるのだった。