第二話 ガルダルの怪
「――なあなあ、お前。《ガルダルの怪》って知っているか?」
普段なら気にも留めない周囲の声に、ヴァニリノは何とはなしに耳を傾けた。
声が聞こえた方向に、チラリと目を向ける。
そこには、一つのテーブルに向かい合わせて座った、二人の青年の姿があった。
外行きの小奇麗な外套を羽織るその姿。
テーブルに置かれた軽食から、おそらくどこかの商会の商人が昼食を取っているのだろうと判断する。
その気安い言葉遣いを察するに、商談とかではないのだろう。
同僚といったところだろうか。
「……いや? なんだそりゃ?」
問いかけられた片方の青年は、少し考えると首を横に振った。
「いやな? 最近、《ガルダルの怪》って言って、なんか怪談? 都市伝説? みたいなものが町で囁かれてるんだよ。……なんでも、このガルダル市で次々と人間が行方不明になっていて、それは実は……この世のものとは思えない怪物に食われちまっているらしい」
この怪談を語っている青年はどうやらこういった話が好きなようで、身振り手振りといった演出を加えて話を盛り上げていた。
「はあ? なんだそれ。そりゃまた荒唐無稽な話だな。ただの噂だろ?」
「まあそうなんだがな。でも、行方不明者が出てるってのは本当みたいだぜ?」
「ほーん」
話を聞かされている方の青年は、どうやらそういった話にあまり興味がないようだ。
気のない様子でこたえている。
(……へ~、邪神達かが関わっていたりしてるのでしょうか? あまり派手に動くと聖神連中が面倒くさいから勘弁してほしいんですけどね……。あまり暴れると天界から出張ってこないとも限りませんし……)
一万年前の神代の大戦で大敗を喫した邪神達であったが、実は現代でも、大戦を生き残った少なくない数の邪神かその眷属が水面下で活動しているのであった。
水面下というのはまさしくその通りで、実は現代において邪神や邪教なんてものは、おとぎ話と扱いが大差ない。
神代の大戦が、神話の中に存在する実際にあったかどうか疑わしい出来事扱いされているのと同じで、一万年の時間は邪神の暴威や悪逆を風化させ消えさせるには十分だったわけだ。
邪神や邪教徒なんてものより、その辺の都市伝説の方が信ぴょう性があるのが、今の世間の考え方だ。
だがそう思っているのはあくまで世間であり、実際は違うことをヴァニリノは知っている。
神代の大戦は現実にあったし、大戦を生き残った邪神たちは、現代でなお活動を続けている。
ヴァニリノ自身も復活直後、敗れたはずの同族の気配が地上からちょびちょび感じられて少し驚いたのを覚えている。自重しないのねお前ら。元気なようで何より。
正直何をしているか興味はないが、右に左にと暗躍しているのに違いない。
仮にも負けた邪神群がこうして世界の裏側といえど活動できているのは、聖神が地上にいないせい
だろう。
聖神に比べれば人間など、邪神やその関係者にとって脅威でも何でもない。
おそらく聖神にとってみれば、世界中が死臭と邪気の覆われた一万年前の大戦に比べれば今の邪神の暗躍なんて、目をつぶれる程度の可愛いものなのなのだろう。
でもその感覚は、ちょっと感覚がマヒしているのではないかとも思うのだが……。
……あくまでもヴァニリノの意見としては、になるけれど。
まあそれも、邪神側から見れば都合がいいというもの。
聖神さえいなければ、脅威など存在しないに等しいのだから。
だがそれでも、あまりにも目に余るような行動を繰り返せば、聖神が休養を中断して天界から出張ってくる可能性は存在する。
もしそうなれば、地上の掃除が始まるのは想像に難くない。
まあそうなっても、聖神は治りかけの状態だろうから全力は出せないだろうし、邪神群も一度壊滅しているから、泥沼化する可能性も高い。
だから恐らく一方的な展開にはならないだろうが……。
どっちにしても、ヴァニリノのぐうたら生活はそこで終焉を告げることになるだろう。
だから邪神関係者たちの暗躍は、ただのんびりと暮らしたいだけのヴァニリノにとっては歓迎せざるべきものには違いない。
だからといって何か手を出すことはないのだが。
邪神連中も、バカではないのでそのあたりは分かっているだろう。
少なくとも大戦が終わって一万年、二度目の聖神邪神大戦争が起こっていないのがその証拠だ。
だからヴァニリノは、邪神の暗躍に手を出す気はない。
というかそもそも、ヴァニリノは他の邪神たちと違って世界征服や侵略に対して積極的でない…………、というか別にどっちでも良く、異世界侵略に参加したのも理由があって助太刀をしただけに過ぎなかった。
……それで死んでいれば世話ないが。
だがしかし。それも復活できたので、もーまんたいと言うやつだ。
邪神連中の暗躍も、距離を取っていればこちらに飛び火はしないだろう。
そのためには、邪神関係者が関わっている可能性があるガルダルの怪についても、情報を持っていた方がよさそうだ。
実際には、数多作られる有象無象の都市伝説のうちの一つにすぎないだろう。
しかし、可能性がわずかにでもあるなら気にした方が断然いい。
たまたま耳に入っただけの話だが、これは幸運だった。
ヴァニリノがうわさ話をする商人たちにいっそう耳を傾けていると、積極的にガルダルの怪について話していた方の商人が、探るように辺りを見回し誰も自分たちを気にしていないのを確認すると(邪神であるヴァニリノは気づかれない)、手で口元を隠し、声を潜めて話をする。
「……実はな、これはオフレコってやつなんだが……、その、行方不明になってるっていうのが、どうも魔術師ばかりらしい」
それを聞いた方の青年は、眉を顰めるとこちらも気持ち小声になって応じる。
「……は? なんだそりゃ。魔術師相手とか、どうやったらできるんだよ」
疑問の声に、気をよくした彼は得意げに、しかし小さく笑った。
「俺の友達に新聞記者がいてな? そいつから聞いたんだ。ガルダルの怪について調べてるらしくて、色々な。」
それを聞いた方の青年は、顰めっ面でぎゅっと目をつむるとそのまま立ち上がる。
「……俺、午後から商談あるから早めに商会に戻んないといけないんだよな。早く行こうぜ」
テーブルの上を見ると、彼らは話をしながら昼食を食べていたため、その上の皿は既に空になっており、お冷も残り少なくなっていた。
「お、おい。どうしたんだよ急に」
すでにレジに向かって行っている青年に、怪談を話していたもう一人も慌てて追う。
「……もうその話すんなよ。巻き込まれるのはごめんだからな」
そう言って顔もむけず、吐くようにその話題を切り捨てた。
――魔術師がたびたび行方不明になっている。
新聞記者が情報の源だという如何にも信憑性の高いその話は、一般人に比べると遥かに力の強い魔術師がいなくなっているという情報も真実の可能性がある。
そしてその魔術師の誘拐を何回も成功させている組織がいると仮定した場合、それはただのチンピラやヤクザによる金目的の犯行などではなく、もっと力のある組織が何らかの目的のために行っている可能性が非常に高い。
そのような社会の裏側に片足を突っ込む様な――そうでなくとも覗くような事をしてしまえば、何の力もない一般人などどうなるか。
その友人の新聞記者とやらも、もしかしたら何かしらの危ない橋を渡っている可能性がある。
それを察したからこそ、青年はそこで話を切り上げたのだろう。
2人の青年商人は、会計を済ませるとすぐに店を出ていった。
店の扉をくぐったときに怪談好きの方の青年が「ここってメシ美味くて安いからよく来るんだよ」と話している声がちらりと聞こえた。
もう、ガルダルの怪の話はしていないらしい。
話をするのを止められたからなのか、それとも移り気なだけなのか。ヴァニリノはその風に流れるような言葉も聞こえていたが、そのような関係ない話は気にも留めていなかった。
(魔術師を誘拐ですか……。魔術という技を持つゆえに一般人より強い力を持ち、立場の高い者も多い……。それを幾人と誘拐するのでしたら、それを行う者もまた強く大きく、そして深いでしょうねー。事実だとすれば、これはついに邪神にゆかりのある者が関わっている説が濃厚…………………………………………ま、どうでもいっか!)
ヴァニリノは考えることを止めた。
何をやっているのかは知らないが、ようは関わらなければいい。
ヴァニリノにとっては、自分の生活が崩れなければどうでもいいのだ。
例えどっかの馬鹿がヘマをして聖神に潰されようが、対岸の火事であれば問題ない。
それどころか、その顛末を肴にして酒を飲むくらいは普通にするだろう。
人間も人間同士で嫌い合ったり憎しみ合ったり、そして無関心であったりするように、ヴァニリノたち邪神にとっても、ただ同郷というだけで無条件に好意を持っているわけでは無い。
中には、不倶戴天の敵と言わんばかりに憎しみ合っている者たちもいる。
そしてヴァニリノはと言えば、元々孤独体質のため、特に憎んでいる相手もいないし、自分が嫌うような気質の相手でなければちょっと手を貸すくらいはするだろう、といった具合だった。
とはいえ自分の邪魔をする相手に気を遣うほどお人好しでは無く、他の邪神の暗躍がこれ以上活発化するようであれば、巻き込まれないように距離を置こうとは思っている。
自分で処理することもちょっとだけ考えたが、もし邪教徒や眷属ではなく邪神自身が直々に動いている場合、このガルダル市が巻き込まれてどうなるか分からないので、やはり逃げるのが吉なのに違いない。
ヴァニリノはついにガルド鳥のから揚げとビールを完食してしまうと、空の皿を見ながら唇を突き出して不満を露わにした。
もっと食べたい……。
邪神の胃袋は無尽蔵なのだ。
しかしこれ以上頼むと、ヴァニリノの財布ではお金を払いきれなくなってしまう。
だからもう料理を頼むことはできない。
だがしかし!
お金のあてはある。
それはヴァニリノの隣に置いてある大きいバッグ。
この中には、魔術師協会に納品するための自作の魔道具が入っている。
魔道具の売買は本来、魔道具組合の管轄なのだが、ヴァニリノは魔術師組合に直接魔道具を売ることで通常より高い金額で魔道具を販売することが出来ていた。
これが公になればもちろん魔道具組合はいい顔をしないだろうが、ヴァニリノにとってそれは全くどうでもいいこと。
それよりもこれを今日納品できれば、またお酒を飲めるだけのお金を手に入れることが出来るだろう。
ヴァニリノにとってはそれのことの方が遥かに重要である。
ならば、一刻でも早くこの魔道具を納品に行くのだ。
善は急げという言葉もある。
ヴァニリノはお酒とつまみへの名残惜しさに小さな溜息を吐く。
しかしお酒ならばこれから魔道具を納品した後にたっぷり飲むことが出来るのだ、と気持ちを切り替えて席を立った。
そして会計を済ませ、早足に店を後にするのだった。