第一話 邪神ヴァニリノ
これは、遠い遠い昔の話だ。
神々と人間が穏やかに暮らしていたある日のこと。
彼らは歌を歌い、暖かな太陽の下で寝て、平和で穏やかな日々を過ごしていた。
太陽は地上に遍く暖かな光を届け、空は緩やかな風をいっぱいに届かせていた。
――しかし、その平和な日々は突如として終わりを告げる。
突然、世界に亀裂が入ったのである。
そこからあふれてきたのは、異世界から侵略にきた邪神たち。
雲霞の如く世界に広がる邪悪なる神々とその眷属たち、無数の奉仕種族。
邪意と悪辣と背徳の者共が世界中に解き放たれた。
みなの歌は悲鳴に変わり、大地には闇の嵐が吹き荒れる。
嘗てない世界の危機。
神と人間は、力を合わせて戦った。
とある邪神を谷の底に封印し、とある眷属は討ち果たし、とある一つの奉仕種族と戦い勝利した。
しかしその間に、とある戦神が倒れ伏し、とある天の使いが闇へと飲まれ、一つの人々の軍が深き魔術で灰になった。
その激しい戦いは永遠に続くかと思われた。
しかし、長い長い戦いの中、神と人間全ての力を合わせ、彼らは遂には邪神たちを打ち破る。
そして、その戦いで深く傷ついた神々は、人間と離れて永い眠りに入ることになる。
この戦いは後世から、《神代の大戦》と呼ばれた。
そして、それから長い時が流れることになる――――
◇◇◇
《神代の大戦》から約一万年後。
もはや《神代の大戦》は遥か古代の出来事であり。
古き神話の中で、まるで創作の様に語られるのみとなっていた。
《神代の大戦》で神々が地上を離れてから、未だ天界から戻ってきてはいない。
地上は、その多くを人類が支配する、人類の楽園となっていた。
世界に七つある大陸。
その内、最も大きな大陸《ユリンシア大陸》。
その西部にある、とある王国。
そこには《ガルダル市》と呼ばれる大きな都市が存在する。
ガルダル市は地方都市ではあるものの。
魔法産業による発展で、他の都市と比べても決して見劣りしない規模になっている。
そのガルダル市の片隅にある、とある一つの飯屋。
地域に密接している、大衆的な食事処。
その中に、酒を飲んだくれている女性がひとり。
ちなみに今は、人々が汗水たらしながら仕事をしている真っ昼である。
その女性が、声を上げてオーダーする。
「お酒もう一ビンおねがいしまーす!」
彼女は茶髪をセミロングにしたシンプルな髪形。
その下に覗く貌は非常に造形の整った怖ろしいまでの美人だ。
しかしそれは、酒の快楽に溺れただらしない表情のせいで、取り返しのつかない程に崩れている。
着ている物はシンプルなパーカーにパンツスタイル。
そして、暗い色のローブをその上に纏っており、
寄れた服は彼女のものぐさな性格を現していた。
彼女の名前は”ヴァニリノ”。
一万年前に神と人に敗れて死に、長い時をかけて最近復活した邪神ヴァニリノである。
復活したものの、侵略や支配の欲は無く、今は人間の女性に姿を変えながら自由気ままな生活を送っていた。
人々の働く真っ昼間からそれを横目に酒を煽るその姿は、まさしく邪知暴虐の神そのものである。
「お客さん。お酒はいいけど、こんなお昼から飲んでて大丈夫なのかい?」
ホールのおばちゃんがヴァニリノのテーブルに追加の瓶ビールを置きながら、陽気な、しかし心配そうな声音で尋ねる。
ヴァニリノはそれに手を振った。
「いいの、いいの! やることちゃんとやっていますから、うるさく言われる必要もないんですって」
邪神のやることとは、いったい何なのだろうか。
「ならいいけどねぇ」
ヴァニリノは、テーブルに置かれていた”ガルド鳥のから揚げ”を一つつまむと、ぽいっと口の中に放り込んだ。
新しいビールをコップに注ぎ、ぐびぐびと飲み干す。
彼女はから揚げの味と、ビールの喉越しを楽しみながら、心の中で呟く。
(は~、こっちの食べ物もおいしいけれど、やっぱりたまには好物を食べたいところですね~)
ちょっとした不満にヴァニリノは少しだけ頬を膨らませる。
しかし酒つまみのから揚げをパクパクと口に入れるその手は止まる気配はない。
ヴァニリノが復活したのは、今から約五年ほど前のこと。
《神代の大戦》。
そう呼ばれていた、世界の命運をかけて戦った大戦から一万年もの時間が経った。
ヴァニリノはその大戦にて敗れ、それはもう完膚なきまでに死んだはずだったのだが、運よくというかなんというかどうにか復活することが出来たのだ。
それでも復活するまでに一万年もの時間がかかって、そのときあらためて見たこの世界は様変わりしていた。
もともとこの世界にいた神々――聖神たちは地上から離れ、その代わりにのように人はその数を大きく伸ばし、文明を大きく高めていた。
そして人と別れた聖神たちは、天界と呼ばれる場所に引きこもり大戦時の傷を今でも癒しているらしい。
死んでからもすでに完全復活を成し遂げた、ゴキブリの如き生命力を誇る邪神ヴァニリノとは大違いである。
とはいえ、この世界における侵略者――邪悪なる神々でもこれほどのしぶとさを見せる神は珍しいため、大敗を喫した邪神とその眷属たちが全盛期に比べ今どれほど生き残っているのやら。
だがまあそもそも、侵略してきたのは邪神たちの方であって、そして返り討ちにあっただけである。
自分自身が死んだヴァニリノから見たとしても、控えめに言って自業自得であった。
恐らく、邪神の多くは大戦時に死んだか封印されたのだろう。
まあぶっちゃけ、そのあたりは正直どうでもいい。
ヴァニリノにとっては、今この瞬間飲んでいるビールの味の方がよほど重要な事項であった。
ヴァニリノはガルド鳥のから揚げをひょいひょいと口の中に投げ入れ、ぐびりとビールをかっ込む。
「っかぁ~~! この一杯っぱいのために生きてるっ!!」
と昼間っから酒を飲む20代独身女性(見た目)。
――ヴァニリノがそうやってお酒を愉しんでいると。
彼女の少し赤みの射した耳に、不意に近くの席で話している男性の声が入ってきた。
「――なあなあ、お前。《ガルダルの怪》って知っているか?」
本日、あと一話更新予定です。
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