おやすみなさい、もう、夢は見ませんよう( 一 )
「いいんだ」
どちらが本心か分からぬまま、仔どもは言う。死んでもいいと思ったのも本当、死にたくないと思ったのも本当。
さあ、いまはどっちだ。
そもそもの根本から、仔どもはわけが分かっていない。腹を割いて楽になったはずなのに、呼吸をしていることだとか、思考していることだとか。
そんな全部すべて、もういま何も考えずにすむのなら、誰かに喰われてしまってもまったく構いやしなかったのだ。諦めることが防衛手段だった仔どもが行動に起こした初めてのことが、命を絶つことだったのだから。
「さみしいのは、いたいのは、もうやだよ」
『それは喰われる痛みよりも重大か』
仔どもはすこし笑ってしまった。そんな痛みなら、もうとっくに慣れていた。肉体の痛みなどなんのことはない。だが心の傷は自覚するたび、膿んで疼く。
「痛くなくはないけど、平気。だってきっとすぐに痛くなくなるよ」
跡形もなく喰われてしまうのならばきっと、痛みなんて一瞬だ。自分の身体だって、躊躇いなく裂いたのだ。その先で得るものを考えれば、それくらいの代償がなんになろう。
嗚呼、そうか。
喰われたくないと。死にたかったくせにそう願ったのは。ただ仲間だろうと勝手に誤解していた相手に、裏切られることが怖かっただけで。
そう納得してしまえば、寸毫も未練はなくなった。あとももう、次に来る死が永遠の闇であるよう、願うだけ。
『妙な人間だ。死を望むか』
妙な人間か、その通りだ。
何だってこんな、いちいち質問に答えているんだろうと仔どもは思った。口を開くことさえ億劫だった。それでも勝手に口は動いて、刹貴に答えをくれてやる。
ゆっくりと紡ぐ声はぺったり地に落ちた。「うん、だって、」
疲れてしまった。生きていることが面倒になるほど。繰り返し浴びせられる言葉の数だけ、仔どもは何度も現実を突きつけられ、諦めた。
散々仔どもを踏みにじったそのくせ、ここ数年は視界に映すことすらしなかった。
諦めを認めるには、永い時間と、苦労がいったけれども。
愛してほしいとは、何度も願ってきたけれど。
そうやってまたどこかに期待するせいで、何度も裏切られる。もう、ここで終わりにしたかった。
人の世にもバケモノの世にも居場所がないなら、もはや死を道行きにするほか、一体どんな手立てがあるというの。
「ねえ、ここにいれば、またさっきの奴ら、来るかな」
仔どもはぼんやりと刹貴に訊ねた。返答を待ちながら、身体が重いな、と他人事のように意識する。自分の声のはずなのに、随分と遠くで歪んで聞こえた。
『来るだろう。千穿も他も、皆この外れを根城にしているからな』
そうか。安心してうなずいた。ならばもう少しここにいよう。
残念なことに死に場所を探しにいくには、ぼろぼろになってしまった仔どもの足は不向きだったので。何で切ったのかは掴めないが左足の腱の近くが裂けていて、感覚がない。
額をはじめとする細かい裂傷はもちろん、千穿に噛まれた首からもまだ血が出ていた。心ノ臓の近くにも縦に裂けた傷がある。
そのせいかどうかは分かりかねたが、なぜだかひどく疲れた気が仔どもにはした。
刀でもあったらよかったのになあ。自分の身体なのに意思に沿ってくれないことにやんわりと苛立つ。首から伝って落ちてくる生ぬるい血も、その感覚に拍車をかけた。
その不快感から逃れようとしていると、そのうち頭の中は煙が巣くっているみたいにぼうっとしてきた。
眠たいな。
だんだんまともに座っていることも難しくなってきて、仔どもは二、三度よろけた後に身体の命じるまま地面に倒れこんだ。痛みなんて慣れていた。けれどもう、その痛みすらも感じなくて、薄皮一枚隔てた衝撃を、感覚として得ただけだ。便利だな、と見当違いのことを仔どもは思う。
自分の今の状態を推し量るすべを、仔どもは持っていなかったのだから。それにたとえ分かっていたとしても、仔どもは喜ぶことしかしなかっただろう。
『どうした』
訝しげに呼んでくる刹貴にうん、と仔どもは我ながら不明瞭な答えを返す。
月に冷やされた土は氷のようだった。それが身体の熱を溶かし、常温にし、やがて温度を下げてゆく。
仔どもは身体を震わせてあたりに視線を巡らせた。焦点が定まらない。
ぶれる視界の遠くに、町屋が見えて。そちらでは家屋がほんの数寸だって隙間がないように身を寄せ合っている。それなのに自分の周りにだけぽっかりと拓けているものだから、仔どもはひどく心細いような気持ちになった。
近くに見えるのはたったひとつ、木々に隠された屋根の端だけ。淋しいのは嫌だと、何度も言っているのに。そのために死んだのに。駄々っ仔のように仔どもは思った。
とりあえず、そちらへ行こう。少しでも、淋しくないようにしよう。手を使って這っていけば、たいしたことのない距離だ、移動するくらいは可能だろう。
何度もよろめきながら身体を起こして、そして仔どもは傍らに目を止める。
風鈴。
もう仔どもには必要のないものだけれど、持っていたい。疎まれようとも変えられないたったひとつ。それでも仔どもは母が、大好きだった。