人の外、されど人外の外( 一 )
二
不意に足元に影ができ、頭上から声が聞こえた。肩を揺らして見返ると、異体のバケモノがじっとりとこちらを見おろしていた。絡みついてぐちゃぐちゃな髪は金。手には鋭い爪を有している。巨体を屈めて仔どもにくっつきそうなほど近づけた顔は異常に大きく、その面の多くを占める眼球がぎょろギョろと蠢いていた。
見られて、いる。
真っ直ぐに、視線を交わして。声をかけて。
すうと涙が引いていった。
仔どもは浅薄だったから、またそれに見合った期待をする。先ほど自省したばかりだというのに。
「あ、」
仔どもは思わず声を漏らした。常人ならば恐ろしい姿に抱くのは、湧き上がる安心感。
こわばっていた頬が、わずかに弛緩した。
自分に甘いこころの奥底がまだ、赦されているのかと誤解した、その一瞬。
『どうやってこの町に入り込んだ、ムスメ。忌々しい。人間払いの風鈴を飛ばしているはずだ』
何寸にも満たない近距離でバケモノはぞっとするような、ざらついた声を吐き出した。
いくら愚かでも、その口調が決して仔どもを歓迎しているわけではないことくらい理解できた。悪意には敏感になるような、生き方をしていた「え、」
どうやって。知らない、そんなの知らない。いつの間にか、ここに来ていた。思考を止めていた頭がゆるゆると再考を始める。
混乱する頭で、言葉を紡いだ。舌足らずな声、言葉に吃音が混じる。
このバケモノは誤解している。知らせなければ、と思った。同じであることを知らせなければと思った。
「死んだ。死んだ。だから、人間、もう、 違う」
その必死で言い募った言葉を、バケモノは鼻であしらった。
『笑止、笑止。貴様からは人間の匂いがするではないか。喰ってやる、喰ってやるぞ、ムスメ。我らが夜の町に踏み入った戒めだ』
空気が湿気を含んで重くなる。肩が、下がる。バケモノの発する蔑んだような哄笑だけが、重たい空気を破って響いていた。
嗤うバケモノの後ろにはさらに幾匹のバケモノが控えていて、舌なめずりでもしそうな勢いで仔どもを見つめていた。
「でも、バケモノ、よ。髪、」
こんなに白くて。ひととは違っていて。同じ、はずなのに。初めて出逢えた、同類のはずだった。
(それなのに喰われるの)
誰か。性懲りもなく、何かに願った。
助けてと。
さっきは一度確かに、あの狭く暗い場所で願ったのと同じように死を、切望したのに。
刹那、声を聞いた。
それを容れて、仔どもは泣き笑いのような笑みを浮かべた。願いとは真逆の、それは冷たく凍てついた声だった。
諦めてしまえ、と。そう言う自分の声を脳裏で、聞いてしまった気がした。生きても死んでもどうせ裏切られるのだからそれならばいっそ。
喰われてその魂ごと。
跡形もなく消え去ってしまえばいい。
助けてと、そう願うことは自分の首を絞めるだけだと仔どもはようやく了解した。
二度目の、賢明な判断を仔どもは下したのだ。あの閉ざされた場所で腹を裂いた、その英断を。
それなのに。
暗い、空洞ががぱりと開いた。そのなかで歪に尖った牙を、仔どもはぼんやりと三本まで数えた。
一、二、三。それ以外の数を知らなかったからそれ以降は数えられなかった。やんややんやと騒ぎ立てる声は、くぐもって届く。身体を鋭い爪で締め付けられた。歯を首筋に宛がわれる。ねっとりとした息が顔にかかった。
今度こそ、安心できると。伏せた顔で、それでも仔どもは少しわらった。零れた涙があるのが、可笑しかった。
なにもかも承知していた。
それなのに。
『何をしている』
その声は、唐突に響いた。