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あなたへと蒼天を乞う


「だって、だって、おかしい、よ。ど、して空が。諦めるの」


 仔どもを諦めることから遠ざけたのに、その空が諦めていてどうするのだ。

 確かに才津はよく空で遊びはするし、不本意なことを言いはするけれど、空をかわいいと、大切な子だと思ってのことには違いないのだ。ちゃんと待っていないと怒って、いると分かれば笑み崩して、そんな才津が空を放り出すなんて、にわかには考えつかない。


 けれどやっぱり空はわらった。やはりひとは、諦めるとわらうのだと仔どもは悟った。


「おれが、女だから。もしおれが女だと気づいたら、才津さまはおれをもうお傍にはおいてくれない」

「どう、して。女の子だって、空は空でしょ」


 いいえ、とせつなくそらは否定する。


「才津さまは女が刀を持つのをひどくお嫌いです。だがら本当のことを知ったとき、主人はきっと怒って怒って、哀しんで、そして」


 数度息を吐き出し、そのときのことを思ったのか、空は声を詰まらせた。色のない瞳に映っているのは、そんな未来の情景。


「きっとおれを、赦してはおかない」


 それは懺悔(ざんげ)するような声音だった。そして、自らを断罪するような口調だった。


 赦してはおかないのはきっと空のほうなんだろう。主人に対して隠しごとをしていることが、空にはもうたまらないのだ。けれど、晒すことも出来ようはずもなくて。

 こんなにも才津を敬愛しているのに、傍に在るだけで空は明白な背信をしているのだ。


「才津さまのお母さまは人間でいらっしゃいます。お父さまは高位な狐の妖モノだと。

 昔、主人に訊いたんです。お傍を離れるのは嫌だったから。でも才津さまは人間の女が戦うのは嫌だと言った。お母さまの姿と被るからって。

 才津さまのお母さまは死なないためにずっとずっと、ひとを殺してころして、そして亡くなったかた。いつも、泣いていらしたんだそうです。そんなのは見たくないって。

 だから主人は女のひとに己が手を汚させたくないんです、」


 覇気の抜け落ちおちた言葉は、なつかしむような雰囲気のそれに変わっている。


「でも、だったらおれは、女のおれは、どう考えたって才津さまには不要、なんですよね。だっておれの手は刀を握るためにあるし、それで何だって斬ります。才津さまのために、そうあれかしと育てられたんだ」


 空は両手で顔を覆った。嗚咽が、指の間を伝って漏れ聞こえる。


 なのにお傍を、離れてしまった。おれは才津さまをお守りせねばならないのに。そうでないなら、何の価値もないのに。


「おれはっ、平気なんです、平気、なのにっ」


 仔どもは気の利いた台詞などやっぱり思いつかないものだから、答えなんか書いていないそこここにうろうろと視線を彷徨わせている。そして行燈の照らす淡いに転がっている包みを見つけ、ほんのすこしほっとした。包みを拾って、また空の元へ戻る。


 胸を(すが)るように掻き抱いた指先から血の気が引いているのが痛々しくて、仔どもはその手を取って小さな自分の手でくるんだ。冷えた手がかわいそうだった。


「おま、おまんじゅう、食べよ」


 広げた風呂敷を見て、空は涙で濡れた瞳を不思議そうにしばたいた。「甘いもの、食べたら元気になるよ。才津さまが、空にもあげてって」


 仔どもは自分のこぶしよりも大きなそれをひとつ取り、空の口元へと持っていった。おずおずと開かれた口がやわらかな饅頭を食み、平らな喉で飲みこむのを見届ける。


「あまい」


 小さな声がつぶやき、またひとくち。仔どもから饅頭を受け取って食べだすのを、安堵の面持ちで見届けて仔どもは自分の分を口にする。ぎっしりと詰まった餡が口の中でほどけて、たいそうやさしい味がした。


「おいしいね」


 こくん、と同意のように首が振られ、仔どもを見たまなざしはまだ涙にぬれている。ふうわりとわらった拍子に睫毛に宿っていたひとつぶが、ほろりと落ちて頬を伝った。


「ふふ、こんなに悲しくっても饅頭は美味いものなんですねえ」


 ほろほろと。音もなく。生まれて流れる、想いのぶんだけ。


 ずっとすっと、空は我慢していたんだろうか、このおもいを。荷物を下ろして休む場所を、探していたんだろうか。それを預けてもらうにはずいぶん仔どもは役不足で、返してあげる言葉も持たない。けれど、すこしだけでも、軽くなってくれればいいのにと願った。大好きなひとにこんなに苦しい表情をされるのはいやだった。


「空」「お嬢さん」


 抱きしめて、頬をすりよせて、それでも傍にあるとそれで精いっぱい。


「こんなふうに、大丈夫になって行くんでしょうか。お嬢さんが笑えるようになったみたいに。才津さまがいなくとも生きていけるとわかる、

 おれは一番、

                          それが怖い」


 変わっていく仔どもを見ながら、今は無理だと思い定めていてもいずれ同じようになれるかもしれないと、空は安堵し、恐怖している。


 けれどそうして変わってしまうのは、それが空のためであっても何やら不幸なことのように仔どもには思われた。


 どうかこの涙を止めて、才津さま。空を泣かせないであげて。


「笑っていて、ほしいの」


 いつだって。どうか晴れ間を見せていてほしい。仔どもが思い描く、うつくしい蒼天(そら)のように。


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