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腹を裂きてミるまぼろし( 三 )



 着ている物から判断するに、おそらくは男なのだろう。(かさ)を目深に被ったそのひとの手元からは涼しげな音が響いていた。


          風鈴。


 仔どもはまじまじとそれを見つめ、そして自分の手に視線を落とした。似ているのだな、と自分の風鈴を見つめる。青銅で出来た、風鈴。その表面には細かな文様がびっしりと施されている。


 話しかけようか、仔どもは躊躇(ためら)っていた。言葉を交わす誰かがほしい。止めろという自分に反目(はんもく)してまで、そう確かに望んでいたはずなのに、それが出来る人間が目の前にいるとまったく、どうしていいか分からなくなるのだった。その機会を、今まで与えられたことなどなかったものだから。


 どうしようか、どうにも男に近寄りがたく尻込みしている間に、彼は手近にあった提灯に手を伸ばし、器用に風鈴を結わえ付けた。カラン、カらん、物静かに風鈴を鳴らしながら、提灯はまたどこかへ流れていく。それが消えていくのを見届けて、男はそのまま仔どもに気づくことなく歩み去っていった。


「あ、」


 反射的に、追いかけた。けれど数歩で怖気づき、足を止める。なんと言えばいいのか、やはりまだ思いつかなかったから。こんにちは、という無難なあいさつさえ仔どもは習っていなかったし、言葉をを交わすことすらもしないほど育ててくれた(ひと)とは話をせず、見て習うにはすべてのひとが遠かった。


 あるいはそこに立っていたのが男だったせいか。仔どもはその縁者を筆頭に、男という生き物に対してすっかり恐怖を刷り込まれてしまっている。


 声を掛けた挙句、返されるのが拳かもしれぬと思えば身も(すく)む。己に好意が返されるとは、仔どもには想像だにできないのだ。


 結局仔どもは風鈴を握りしめ、黙って立っていることしかできない。


 そうしているとまた真横から聞きなれた音が華やいだ。


 見ると、風鈴を片手にした女がひとり。そわりと首筋を()でていく怖気(おぞけ)に背を震わせながら、それでもひとが近くにいることに仔どもは喜んだ。それに、今度は女だ。


 こんなに近くに、でも自分から声をかけるすべをまだ見つけられていなかったから、できるならばこのひとから自分に話しをしてくれやしないかと淡い期待。


 それなのに、たった数歩の距離しか離れていないのに、彼女は仔どもには目もくれず、漂う提灯に向かって手を伸ばした。


 驚きで、仔どもは目を見開いた。息をすることすら忘れて、袖口から伸びた女の白い手を見つめた。


 にゅうとありえないくらいに長い、多分仔どもふたり分ほど(つな)げたらできるであろう長さの腕を、その女は持っていた。


 彼女は提灯を引き寄せ、それと同時に短くなった腕を袖にしまい、提灯に風鈴を結ぶ。何事もなかったように家へと消えていく。


 そこではようやく、仔どもはゆるく(またた)いた。不意に足から力が抜け、そのままへたり込む。抱いたのは恐怖ではなく、えも知れぬ親近感だった。


 なんなのだろう、あのひとは。


 普通ではないだろうな、という確信だけはあった。幼かったころのひと時以外、仔どもはあまり多くのひととは係わり合いにならなかったけれど、腕が伸びるなんて特技はだれも持っていなかったはずだから。


 その関わった極少数の人間は、仔どものことをバケモノと呼んだ。呼ばれずとも、それ相応の視線なら受けていた。仔どもは実は、あの狭い檻のような部屋に、蔵に閉じ込められていた理由が、ここにあるのではないかと思っている。


 仔どもは背で乱れた、長い髪をふるえる指先で()()った。視界に現れたのはおぞましいまでの白。


 産声を上げたときから老いて生まれたこの()まわしさを、一体どのように受け入れるべきであったのだろう。そのうえ瞳の色すらも、蒼く(にご)っているとなれば。


 これが人であるものか。


 だったら、彼女はきっと自分と同じバケモノと言うのだ。普通とは違うものをそう称するなら、彼女だってバケモノだ。


 初めて見つけた同胞に、仔どもは(くら)かった目を輝かせた。


 話したいな、話をしたいな。同じバケモノならば、だったら大丈夫なんじゃないか。違うことが気持ち悪いのなら、仔どもを傷つけることなどしようはずもない。

 彼女なら裏切らない。


 そんな、幻覚めいた思いを抱いてしまった。



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