悪夢のはじまり3
一階のリビングで父と向かい合ってソファに腰掛けていた。しかし、リウィアは話かける気なんてないし、父も話す気はないそうだ。
その静かな空間は、チリンという音によって動き出した。ファニーが素早く玄関へむかった。しばらくするとファニーがリビングに戻ってきて、父に耳打ちをする。父が立ち上がり玄関にむかった。
来てしまった。どういう顔をすれば良いのだろう。頑張って笑おうとしても無理だ。顔がこわばる。静かにしてよう。
父が女の人を連れてきた。ぱっと見ファニーと同年代。癖のない赤毛はきっちりまとめてあり、エメラルドグリーンの瞳はすっと細められている。神経質な貴族だという格好に仕草。父を誑かしたようには見えなかった。
「リウィア紹介するよ。こちらはカーラ。子爵家のご息女だよ」
「は、はじめまして」
緊張しながらなんとか挨拶できた。なんでこちらがこんなに緊張しないといけないのだと内心ちょっと苛ついた。
「カーラ。ここにいるのはわたしの養女のリウィアだ」
この言葉に怒りがこみ上げる。そうリウィアは父の実の娘であるはずなのに、養女扱いなのだ。周りにはラエティティアと結婚したことは秘密なのだ。水の精霊だから公にできないみたい。リウィアはついさっき父が教えてくれるまで知らなかった。リウィアは近くの町に行っては同い年の子とよく遊んでいたのだが、オーソンを父だと言って不思議な顔されたのはこのせいだった。
「はじめましてリウィアさん。色々驚かれていると思いますが、無理にわたしを受け入れなくていいです。どうぞ気長にやっていきましょう」
受け入れなくていいと言ってくれるのは正直有難い。この先もずっと受け入れられないかもしれないけどね。
「リウィアさっきも話したと思うけど、わたしはこの人と結婚することにした。これは決定事項だ」
カーラの印象は思ったよりも悪くはない。だが、結婚を認めるかどうかは別だ。リウィアがどう思ったところで父は考えを改めるつもりはないのだろうが。
「なんでこの人なの?」
父はカーラを愛してるのか。そのことが一番気になって仕方がない。
「彼女の家は代々クレイ家を支えてくれている家系なんだ。それに彼女はとても博識だ。伯爵を継ぐことになったわたしには必要なんだ」
かつてオーソンの父であり、リウィアの祖父がクレイ伯爵だった。しかし、あの火事の一件で祖父と伯父とその妻が亡くなった。伯父の妻は妊娠中であった。爵位を狙う父の仕業ではと疑われたが、それだけは有り得ないとリウィアは断言できる。父は人を傷つけることができない優しさを持っている人だ。身内の贔屓目だからかもしれないが、虫さえ可愛そうで潰せないのだ。ある意味気弱とも言える。リウィアは現在進行形で精神的に傷ついてるけどね。あと、父は爵位には無頓着である。平民の方が父には向いている。
しかし、伯爵の地位は順当にいけば、次男の父が継ぐのは当然であった。
リウィアは結婚の理由が愛ではないと分かり少しほっとする。
「明日にでも、伯爵邸に引っ越そうと思う。今日は荷造りをしなさい」
「えっ。やだよ」
「ならファニーに頼んどくね」
「そうじゃなくて、ここにいたいの」
ここには母との思い出が沢山ある。母がいる湖にも近いし正直ずっとここにいたい。
「1人でここに残るのかい?」
父は意地悪を言う。リウィア1人で生活していけないのは良く分かっているのだろう。
「1人でいい。リウィアにはお母様がいるもん」
リウィアは意地になった。
「オーソン様。リウィアさんの好きにさせてはどうですか」
ずっと黙っていたカーラが口を開いた。思わぬところから援軍がきたことにリウィアは驚く。
「私はリウィアさんとすぐにうまくやっていける自信はございません。多少の距離があった方がお互い楽かと思います」
複雑な気持ちだけど事実なので、リウィアも頷いとく。
「はぁ。わかった。リウィアの好きにさせよう」
父はカーラの言うことは聞くらしい。ちょっと腹が立つが、ここにいていいならいいかな。
リウィアは部屋に戻っていいと言われて、喜んで退散した。
すごく母に会いたいなぁ。父にばれないように、一階の窓から外に抜け出し湖に向かうリウィアであった。
霧はすっかり晴れて、湖は綺麗なアクアブルーだ。夜明け前の薄気味悪い青さとは全然違う。
これならいけると思い、リウィアはドレスを脱ぎ捨て、キャミソールとカボチャパンツ姿になって、湖に飛び込んだ。
ううっ。水が冷たい。
まだ春の始めなので当然寒い。しかし、リウィアはあらん限り潜った。湖は底が見えないほど深い。底には到底たどり着けなかった。水面に戻り、深呼吸。
水晶宮に行きたいのに無理かぁ。待てよ。リウィアは水を操れるんだよね。できるかも。そういえば、霧が不自然に道を作っていたよね。あれが水の精霊の能力だとしたら。
「私を水晶宮に連れて行って!」
叫んでみると、なんか水に引っ張られてる。これは、成功か。
「何してるの!」
誰だろう。父じゃないよね。
リウィアのすぐ横にジャボンと音を立てて誰か飛び込んできた。その衝撃なのか、水が大人しくなった。
その誰かはリウィアを陸へと引っ張る。
「離して!」
リウィアはせっかく水晶宮に行けそうだったのに邪魔するなんて酷いじゃないか。
抵抗も虚しく陸へ引っ張り上げられた。
「死ぬつもり?」
そんなつもりはないと声の主に抗議をあげようとして、息をのんだ。
目の前には長い艶やかなプラチナブロンドの髪を1つにまとめた、透き通ったエメラルドグリーンの瞳の水に濡れた美少女がいたのだ。リウィアよりは身長高いので年上だね。
これは夢なのか。美少女の周りにキラキラが見える。というかこの美少女は人なのか。1つの可能性にハッとなる。
「水の精霊?」
「えっとちょっと待って、なんて?」
「お姉さん水の精霊?」
リウィアはもしかしてこの人(精霊)は、母の元へ連れて行ってくれるのではと期待した。
「あのね。僕は男!あと、水の精霊はお伽話でしょ!」
なーんだ違うのか。紛らわしい姿だな。なら邪魔しないでほしい。リウィアはまた湖に潜ろうとした。しかし、美少女男に阻まれた。
「どいてよ!」
美少女男はリウィアの前に立ちはだかる。シャツが濡れて身体の線がはっきりしている。細いけど、筋肉が付いてるのが分かる。本当に男の子だった。自分より顔が可愛いから悔しい。
「男のくせに〜」
美少女男は首を傾げる。しかし、ハッとしたようにまた目をつり上げる。
「君は何をしたいの?」
何って決まっている。
「お母様に会いたいの!だから、どいて!」
「え?」
「この中にお母様がいるの!」
「そうなんだ...」
この男、だんだん憐れな子を見る目になってきてるし。絶対意味わかってないし。だからって水の精霊ですって言っても信じないんだろうね。
仕方がない。リウィアは諦めて家に帰ることにした。なんだか頭が熱いし、また邪魔が入らないときに来よう。リウィアがドレスを着ると、男の子はほっとしたようだ。
「君は誰かと一緒にきたの?」
「ううん。1人」
「家はどこなの?」
「すぐそ」
言い終わる前に、お嬢様と呼ぶ声が響いた。ファニーだ。湖に近づくなと父に言われたことを思い出した。うわぁ怒られる。戸惑う美少女男の後ろに隠れることにした。
「お嬢様そこにいたのですか!」
ファニーはカンカンに怒っていた。
「アベル様すいません。ご迷惑をおかけしました」
ファニーは美少女男に申し訳なさそうに詫びている。アベルという名前なんだ。
えっ知り合い?
アベルとファニーの関係を考えている隙にファニーに腕を掴まれた。
「さぁ、帰りますよ!こんなに濡れて風邪でも引いたらどうするのですか!アベル様も屋敷で身体を暖めて下さい」
うわぁん捕まったぁ。お説教やだよー。
「は、はい」
美少女男はファニーの気迫に圧倒されているようだ。ファニーの方が美少女男より身長が高いからかな。
「ねぇ、このお兄さんは知り合いなの?」
「この方はカーラ様の弟君ですよ。後でちゃんと謝るのですよ」
「弟?」
母から父を奪った女の弟。
この瞬間から、リウィアの中のアベルの評価はただでさえ低いのに(容姿の評価だけは高いのだが)さらにガクッと下がった。
リウィアは、この先の約8年間、父とカーラ同様アベルも避けていたのであった。