悪夢のはじまり2
ひどく嫌な夢を見た気がする。うっすらと目を開けると眩しかった。カーテンに隠されてない窓から太陽の光が射し込む。壁にかけてある時計を見ると午前10時を過ぎたぐらいだ。いけない家庭教師がくる。あわてて起き上がる。こんな時間だから母が隣にいないのだろう。ハウスメイドのファニーが寝台の横の椅子に座っていた。ファニーは20歳の労働階級の娘だ。
「おはようファニー」
「おはようございますお嬢様」
「ごめんなさい。寝坊したわ。急いで支度するから手伝って」
ベッドから降りながらそう言ったが、ファニーから返事がない。どうしたのかと訝しむ。
「どうしたの?」
「どうしましょう。これは嫌な夢に違いありません」
ファニーの顔色が悪い。体調でも悪いのかもしれない。
「ファニー大丈夫?」
今日は休んだ方がいいかもしれない。母にファニーのことを相談してみよう。
「お母様はどこにいるの?」
台所かしら、庭で花の水やりかしら。母は花が好きだからなぁ。
「奥様はっっ…もう帰ってこないと旦那様がっっ」
「えっ?」
帰ってこない?家出?だって母は リウィアのことを愛してるっていったよ。リウィアを置いていくなんてあるはずないのに。ファニーは体調が悪いから混乱しているのだ。
「ファニー落ち着いて」
「気を失ったときのことを覚えておりませんか?朝旦那様が、お嬢様を抱えてらっしゃって、理由をきいても教えてくださらなくて、ただ奥様と離婚したとだけおっしゃってました」
「そんな…」
あの夢は現実だったのか。そんなっ。まさか。
「ファニーわたしは…」
その次を言う前にギィィと扉が開く。
「話がある。ファニー席を外してくれるかい」
「かしこまりました」
おかしい。いつもは扉をノックするのに、それだけ余裕がないのかも。父は緊張した面持ちだ。リウィアの顔を見てくれない。いつもは、リウィアに笑いかけてくれるのに。
「今日見たことは本当に信用してる人にしか話してはいけないよ」
「ファニーは信用できるわ」
「本当に?水の精霊は普通の人からしたら、不気味かもしれない」
「お父様はお母様や私のことが不気味なの?」
「そんなことあるわけないよ」
「でも離婚した」
リウィアは泣きそうになった。なんで相談してくれないの。なんで勝手に離婚するの。怒りと悲しみで顔が熱くなる。
「ごめんね。理由は言えないけど、リウィアとラエティティアのためなんだ」
「…」
父は本当に優しい人だとリウィアは知っている。リウィアや母にだけではなく、みんなに優しい。そんな父が決めた離婚も本当にリウィアたちのためを思っての行動なんだろうが、それでも酷いよ。
「ラエティティアがいない今、リウィアは水の精霊の能力を自由に使える。けれど、決して使ってはいけないよ」
リウィアは全く訳が分からなかった。
「ああ。その前に水の精霊のことを知らなかったんだね。光と闇と四大精霊という物語があるだろう?水の精霊はその四大精霊のひとつ。綺麗な湖の中に水晶でできた宮殿を建てて、その中で暮らしているんだ。とても美しい女性の姿でまるで人間にしか見えない。しかし、彼女たちには心がない。人間の男と恋をすることで心が芽生える。水を操る能力があり、人間の男を水晶宮に引きずり込むことがあるそうだ。そして、男が地上に戻ったら100年たっていたこともある」
男の人にとっては恐怖だわ。しかし、リウィアは心があるから男を狩る必要はないだろう。
「水を操る能力って何?」
「あの火事の事故を覚えているかい?外に出るときラエティティアが私達を水で覆って火から逃してくれたんだ。その場に水があれば良かったのだがなくて、ラエティティアは自分の身体を水にかえた。そして、身体を壊してしまった」
母はそんな無茶をしてたのか。
また泣けてきた。
「リウィアは半分は人だ。だからそこまでのことはできない。だが、能力を使うと心が壊れてしまう。いいね。絶対に使ってはいけないよ」
そんなこと言われても、力のことがよくわからない。母に聞きたいが…。
「お母様に会えないの?」
「それはだめだ」
頑固な父は一度言い出すと何を言っても意思を曲げない。後でこっそり湖に潜ってみよう。リウィアは泳ぐのが得意だ。海に泳ぎによく行った。能力の血が入ってるからかもしれない。
「湖にも近づいちゃダメだよ」
考えてることがばれてしまった。さっきから大人しく聴いていれば、あれはダメこれもダメとばっかり。リウィアは腹が立ってきた。後、それどころじゃないけど家庭教師が気になる。
「先生は?」
「今日は断っておいた。リウィアに大事な話があるんだ」
散々爆弾投下されてるのにまだあるそうだ。もう大爆発しそうだよ。
「実は再婚するんだ」
リウィアの口があんぐりと開いた。
なんだって?
「今日呼んでるから会うんだよ」
「絶対やだ!お父様なんてダイッッ嫌い!」
優しいと思っていたが撤回だ。父なんて最低だ。
リウィアは布団を被って丸まった。
もう話すことはない。早く部屋から出てってほしい。
「リウィア」
まだいたのか。父の声にリウィアはいっそう丸くなった。しかし、布団は残念ながら声を遮ってくれなかった。
「リウィア。父を嫌うのは仕方がない。だが、これから会う人のことは嫌わないでほしい」
「会わないわよ!」
父は相談してくれないのに、要求することが多すぎる。もう本当嫌いだ。
扉がキィィと開く音がしてから、パタンと閉まる音がした。去って行ったことに安堵した。
しかし、すぐに扉のノック音が響く。
「お嬢様わたしです」
このハキハキとした女性の声は、ファニーだろう。ちょうどいい。愚痴をファニーに聴いてもらいたい。布団にくるまるのはやめた。
「どうぞ。入ってきて」
静かに扉が開いた。朝食をお盆に載せて持ってきてくれた。しかし、リウィアは食欲がなかった。
「ごめんなさい。あまり食欲がないの」
「お嬢様。少しは召し上がらないと元気になれませんよ」
そう言って、ファニーは朝食を隅にあるテーブルの上に置いた。
よく見たらファニーの顔色は部屋を出て行く前よりますます悪くなっていた。どうしよう愚痴を言いにくい。
「お嬢様。着替えましょう」
ん?どういう意味だろう。確かにずっとナイトウェアのままだから普段着に着替えたいが...。
「これからお嬢様の母替わりとなる方がお見えになります。きっとお嬢様に必要なお方です。だからその...」
「ファニーまで会えって言うの?でも私は無理だよ」
ファニーはわたしの味方じゃないのか。父を誑かしたであろう女なんて会いたくない。
「お嬢様。今はお辛いでしょうが耐えてください。いつか必ず報われます。それまでわたしがお嬢様をお守りいたします」
「ファニー...」
ファニーはわたしが物心つく前から側にいてくれた。ファニーは姉のような存在だ。ファニーの言うことなら信じれる。
「ファニーの言うことなら信じるわ。だから、ずっと側にいてね」
耐えてたものが溢れ出す。涙で視界が悪い。そっとリウィアは暖かくて柔らかいものに包まれた。ファニーが抱きしめてくれたのだ。リウィアはそれにしがみついてわんわん泣いた。