おじさんから変態に改名しました。
お菓子を買って、妻の元へ向かったセルウィルスは正座をさせられ叱られていた。愛する妻の愛のある叱責は心を震えさせた。
愛する妻はスクエアタイプの眼鏡を蝋燭の火で光らせ、侮蔑の眼差しで夫を見下ろす。カーテンを締め切り薄暗い部屋は怪しい雰囲気を醸し出す。
ああ。何て背徳的で艶かしいのだろう。
ペチンッ
自身を抱きしめ恍惚の笑みを浮かべたセルウィルスに、愛する妻はカッと目を見開き鞭を打ち付けた。
「何で帰ってきた!?」
頰に鞭を打ち付けられたにもかかわらず、嬉しそうな夫に益々怒りが湧いたようでヒールの靴で肩を蹴っ飛ばされた。
愛が痛い。愛で身体が痺れる。幸せだ。
はぁ。と吐息を吐くと妻が、だから痛めつけても面白くないのよ!と鞭を床に投げ捨てた。
え。もっと痛めつけてくれないの?
残念がると、愛する妻は遊びはお終いよと手を伸ばしセルウィルスを立ち上がらせた。
手を貸して椅子に座らしてくれた妻は相変わらず無表情だが、セルウィルスの話を聞くようだ。
「もっと痛くても平気だよ?」
つまらないなぁ。平気と言うより大歓迎なのだが。
「あんたが精霊で丈夫なのはわかってはいる。でも、それじゃあつまらない。私はね。苦しみ悶える姿が見たいのよ」
無表情で素敵な事を言う。しかし快感をどう苦しめばいいのだ。
「適当に苦しむから!」
もっと嬲って!
「それが気に食わないのだが...。もうこの話はやめ。あんたはウンディーネを探っていたはずだが、情報は掴めたか?」
妻は仕事の話ばかりして、俺への嫌がらせのつもりかな?なんて酷い妻だ!
「知らなーい。俺ウンディーネに興味ないもん。どうしても話して欲しかったら、キスして!」
唇を突き出し、催促した。妻は冷たい眼差しで分かったと頷く。俺はドキドキしながら目をつぶって待っていた。
しかし、後頭部をぐわしっと鷲掴みされ机に顔面を押し付けられた。机と熱いキスをした俺は後頭部になおも力を込められて鼻も潰れた。
「ぎ、ギブ...!」
悲しくも机を手でバシバシ叩き降参の意思を示した。
「もうふざけない?」
「ぶ、はい!」
妻は手を離した。息もままならなかった俺は机からペリッと顔を離すと、スーハーと深呼吸した。妻は口角をあげて少し嬉しそうだ。
妻が嬉しそうだし、机とキスした甲斐があったね!
俺が嬉しそうなのが気に食わないようで、妻はまた冷たい眼差しで情報は?と脅してきた。
えーとウンディーネの話ね。全部話したいのだけど、妻は宰相だし、バックにはあの女王さまがいるから精霊を害する恐れがあるし、気をつけないとなぁ。
それによりによってヴィニーと接触している。
「ヴィニーってやつがクレイ伯爵の地位を狙ってリウィアちゃんが酷い目にあってる。ヴィニーを捕まえるべきじゃない?」
妻は表情を一切変えない。知ってるということか。
「ヴィニーは陛下の伯父だ。クレイ伯爵の血筋だし、爵位を継いでもおかしくない。リウィアさんは精霊だ。人間の法に適用されない」
なるほど、女王陛下の都合のいいように法は適用されるようだ。リウィアちゃんは人間と精霊の子供ってだけで、人間でもあるのだ。俺はリウィアちゃんが精霊だとか言ってないのに誰から聞いたんだ。
まっそんな胡散臭いところがいいんだよね〜。
「なら、とっととヴィニーに爵位をあげちゃえばぁ?」
このままじゃリウィアちゃんが可哀想。カーラさんは女王さまを尊敬してるし現当主は幼いし案外大丈夫だろう。
「その件で女王さまが口出しすることはない。当人同士で決めることをお望みだ」
あの女王のことだ。絶対に楽しんでいる。性格歪みきってるな。
「ウンディーネと王家は契約を交わしている。ウンディーネは湖から出ることを禁じられ、王家は湖をウンディーネのものと認める。初代バラント女王が何故こんな契約を結んだのかが知りたい」
妻の言葉に、契約の理由を言ったらアウトだと危機を感じた。
精霊使いが転生したら教えてねって神様に伝えといてねって初代女王にアンゲラがお願いしたからなんだよ。
この情報を聞いて神様関連だと知った女王はキレるに決まってる。
「分かった。調べておくね!」
俺は風になる!
ぶゅーと窓を開けて俺は逃げた。
ダイニングルームでアベルは執事と私兵隊の1人と今後のスケジュールの予定を話し合っていた。予定はアベルが不在の期間が長かったので、急な予定しかないのだが。
「王家主催の舞踏会の招待状が届いてます。日程は3週間後です。ご参加しますか?」
「参加する。サベラにパートナーを頼める?」
王家主催の舞踏会は断ると外聞が悪くなる。参加すれば貴族間の繋がりが広がる。最大の情報交換の場所なので、是非参加したい。
「ええ。サベラ様もそのつもりでした」
「なら、手間が省けた。もしヴィニーが現れた時に対処できる。あと、牢に繋いだ男は何かはいたか?」
ヴィニーに置いてかれた配下2人はクレイ伯爵邸の地下牢にいる。拷問する素振りをすれば何でもペラペラ喋る。但し、重要な事は知らないようで役に立たない。
私兵隊の若い男は首を振る。
「新しい情報はありません。どうします?」
「そのまま閉じ込めて置いて、ヴィニー相手じゃ人質にもならない」
「はい。了解です」
老執事が椅子に座るアベルにぐいっと真剣な顔を近づけた。
「旦那様。もうそろそろ結婚相手を決めてはいかがでしょうか?同い年の貴族の女性の方々は結婚してるか婚約してますよ」
「...俺。男だもん」
「男だからといって、油断していると一生独身で過ごすことになりますよ?」
独身貴族最高だと思う。お金自分で使いたい放題だ!姉や老執事は結婚しろと言い続けるんだろうな。結婚の話題は面倒くさい。なるべく避けたい。
「…実はゴシップ誌の新聞記者が、とある情報を流して欲しくなければ金を寄越せと脅迫文を送ってきました」
ゴシップ誌か!この人たちは俺のこと嫌いなんだな!散々好き勝手に書いといて、今度は脅しかよ!
「とある情報って?」
「女王陛下と旦那様は愛人関係だと」
女王の思惑通りか。女王にとって不名誉なことだと思うのだが、あの女王の考えなどさっぱりわからん。
「ほっとこう。記事にされなくとも、誰かが噂を流す。それよりも、フリッツ先生は?」
噂好きの貴族を黙らせる手段などないのだ。ほっとけばそのうち忘れる。
「見張りはつけております。とくに変わった動きはありません」
「くれぐれもバレないように。特にヴィニーと女王には気をつけて」
「女王陛下でございますか?」
この兵にはわかんないだろうね。あの女王は人外の者にしか殺意を向けない。朝着替えるときに気づいたけど首が掻きむしって赤くなっていた。瘴気を女王がつけたに違いない。女王は魔人化してるかもね。女王が魔人化したら魔王だね。
赤くなった首は襟で隠した。
「女王陛下はね。俺の事が大っ嫌いなんだよ。だから妨害してくるに違いない」
「えっ。でも愛人なのでは?」
思わず目が見開いた。嘘でしょ。普通愛人関係だなんて信じないでしょう。相手はこの国のトップで、俺なんてまだ子供みたいなものじゃん。
「それ。信じる?」
「隊長は女王陛下と仲が良かったじゃないですか。最近は交流が減っているようでしたが、禁断の愛故に会うと切なくなるからだと解釈しちゃえます」
この男は恋愛小説でも読んでるのか。俺で泥沼な恋愛を妄想するな。
ふと今朝見たメイドの顔が浮かんだ。何故だろう悪寒がする。
「いやいや違うから!これには深くてどうしようもない理由があるの!恋愛とか甘っちょろい理由じゃないから!」
大袈裟だけど殺すか殺されるかの関係だね!詳しくは言えないけど。
「深いんですか。分かりました」
若い男はゴクリと唾を飲んで、頷いた。
何故だろう。この男が誤解を解いたようにみえない。むしろ、更に誤解した気がしてならない。
女王陛下とは確かに仲は良かった。カーラのように女王陛下に忠誠を誓っていた。だって、命の恩人だし、弱者に優しいし、権力を振りかざさないし、頭良いし、武芸も出来るし、尊敬してたね。
神様の記憶が戻らなかったら、ずっと仲良かったんだろうね。世の中何があるかわからないものだ。
「隊長は女王陛下との交流が減ってから、性格変わりましたよね。それも関係あるんですか?」
「そんなに違う?」
おかしい。気付かれないように前のように接していたはずだが、客観的にみえてなかった様だ。
「前は正義感溢れてましたね。危なっかしい感じでした。今はだいぶ慎重になりましたね。前の隊長なら、ヴィニーを徹底的に追い詰めたと思いますよ」
確かにそうだ。前の俺なら、女王と協力してヴィニーをとっとと追い詰め、牢に入れるか国外追放にするかしたなぁ。今の俺は女王と協力できないから、ヴィニーの行動を待つしかないとも言える。
てか、女王と仲たがいするとかこの先大丈夫なのか俺。
乾いた笑いがこみ上げた。
トントン
ダイニングルームにノック音が響く。老執事が扉に向かう。しばらく扉の外にいるメイドと話して戻ってきた。老執事の目が僅かに泳いでる。
「リウィア様がいらっしゃいました。朝食をお持ちいたします」
老執事はそう言って、素早く部屋を出て行った。ちなみにメイドと話していた扉とは別の扉。
おじいちゃんなのに機敏な動きだ。逃げたな。俺だって逃げたいのに!リウィアは怒ってるのか!?
アベルはメイドがいる扉に近づき、深呼吸して扉を開けた。
すると目の前には乗馬の格好のリウィアがいた。しかも、ズボンで動きやすそう。いや、それよりリウィアはどんな表情だ...。なるべく笑顔で顔を伺うと、リウィアは顔を背けた。
その反応は怒っているの?照れているの?どっち?!
「なんで乗馬の格好?」
ストレートに聞くのが恐ろしくて、関係なさそうな話題を口にした。リウィアは顔を背けたまま低いトーンで喋り始めた。
「私ね今とってもイライラしているの。だから運動したいの」
なんか怖いこと言ってない?要は俺にイライラしてない?
「そっかぁ。うちに良い馬がいるから良ければ、乗馬しよっか?」
リウィアの様子から多分乗馬する気分ではない。でもさ、これ以外にその格好の意味がないのでわ?
首を傾げた俺の顔を真っ直ぐ見て、リウィアはとんでもない事を言いおった。
「私と剣の勝負をして!」
リウィアの顔は戦士のそれだった。ああ、そういえば脳筋だったなぁ。母親に会うために、深い湖を何度も潜り込んでいた姿を思い出した。
俺はそんな勝負付き合いたくない!
「ごめん。よくわかんないけど、俺が悪いんだね。謝るよ」
謝れば大抵のことは丸く収まる。俺が最も使う社交術だ。
「よくわかんないのになんで謝るのよ?!だいたい貴方が無理やりベッドに入れるからいけないのよ!」
やはり俺が悪かったようだ。記憶がないから夢遊病かもしれない。眠い時ってたまに記憶がないんだよ。だと言っても許してくれないだろうし、謝るしかない。
「本当にすいませんでした。心からお詫びいたします」
頭を下げた。リウィアが許してくれるまで、頭を下げよう。
しばらく沈黙が続くが、リウィアが仕方ないわねと折れた。
良かった!解決した!頑張ったよ俺!
嬉しくて顔を上げるとリウィアは呆れていた。リウィアの目がキラッと光る。
...嫌な予感
「私と剣の勝負をしたら、許すわ」
どうやら、譲るつもりはないようだ。リウィアは決めたら譲らない頑固な性格だ。父親が禁止しても、湖に行っては潜っていたことは知っている。だから、こちらが譲るしかない。
「...剣は木刀にしてね。防具は付けること。それなら勝負を受けるよ」
剣の試合は刃を潰した剣を使うことが多い。刃を潰した剣でも骨を折れるし充分に殺傷能力が高いため危険だ。木刀もそうなのだがまだ鉄より軽い分だけマシである。本当は東方の国にある竹刀を使いたいのだが、この国には竹がない。今度、貿易会社に注文しよう。
「ええ。わかったわ」
リウィアは無事了承した。もうこの話題はやめて朝食にしよう。騎士道が根付くこの国で女性相手と勝負とか気が乗らないな。
闘志を燃やすリウィアの姿に、女神の言うその子はリウィアではないなと思うアベルであった。




