同僚に嫌がらせされ上司にセクハラされたので仕事辞めたい
リウィアと別れたアベルは王都ローリスの中心、女王の住むローリス城のエントランスの外にいた。
ここに来る途中、ローリスにある貴族の為のアパートに寄って正装に着替えた。
その時に、平和の神を崇拝する宗教の神教派の輩に絡まれた。
バラントの宗教は大きく2つある。
聖母エリスから生まれた精霊を信仰する精霊教。
地上に残った最後の平和の女神アストレアを敬い、その女神を追い出したとされる魔女エリスを悪とする神教。
精霊使いの1人ステファンはエッディンの生まれのため、その領地を治めるクレイ伯爵家は精霊教だ。その配下であるレイアン子爵家も当然ながら精霊教だ。
無宗派や中立派もいるため、アベルとしてはそちらが良かった。しかし、貴族間のしがらみは色々と面倒でヘタに派閥を抜ける訳にもいかなかった。
そんな訳で、精霊教派と対峙する神教派の貴族に絡まれた。口調は丁寧だが、それ以外はチンピラと変わらない。
こいつらに俺の正体バラしたら、どういう反応するのだろうか。宗教は形だけで、心から崇拝する者はバラントにはいないから一緒の事だな。と思って笑っていたら、気に入らなかったようで、殴られそうになった。避けて、仕返ししてあげたけどね。
「前髪乱れたし」
イブニングコートを着たアベルは、整髪料で前髪が後ろに撫で付けられた髪から跳ねた髪を整える。
巨大な扉までぶつぶつ文句を言いながら歩く。
女王の親衛隊の2人が扉の横で警備をしていた。
「お疲れ様」
アベルが話しかけると、守衛をする親衛隊の1人が笑いかけた。
「レイアン子爵お久しぶりです。海外はどうでしたか?」
「ごめん。詳しくは言えないんだ」
「あっいえいえ。そういう事でしたらお気にせず」
ウンディーネのことが親衛隊にはバレていない様で良かった。けど女王には報告したと姉が言ってたし、油断できない。女王を敬愛する姉には困ったものだ。いっそのこと女王派を作ってリーダーになればいい。本当にやりそうで怖いから言わないけど。
親衛隊の人が両扉のうち片側を開いて、アベルに入るように促した。
城に入ると女王の親衛隊の近侍が出迎えた。和かにお辞儀をする近侍は素朴な女性でアベルより少し年上に見えた。
「お待ちしておりました。すぐに女王陛下の元へご案内します」
近侍の後をついていく。そして、嫌な想像が頭をよぎる。
「すぐにということは、待たしてしまいましたか。俺の首が飛ぶかもしれませんね」
アベルの顔面が真っ青になった。あんなチンピラさっさと殴っておけばよかった。女王の方が何倍も怖いのだ。
「いいえ。陛下は子爵に会えることをそれはもう楽しみにしております。その様なことには絶対になりません」
その言葉が逆に怖い。
「...そう願ってます」
廊下を通り、王の間に着いた。中に通され、女王が座る玉座の5メートル手前で跪いた。
「人払いを」
護衛と近侍が去っていく足音が聞こえた。相当怒っていて、これから殴られるのではと不安になる。
「顔をあげて下さい」
「...はい」
金縁された紅い椅子に座るのは、黒い髪に瞳の肌の白い女性。淑やかな美人と評するのが正しいだろう。歳は33だが、見た目は20歳にしか見えない。落ち着いた雰囲気だけが歳相応だ。
「遅れて申し訳ございません。どの様な罰でも受けます」
「そんなに怯えないで下さい。傷つきますよ?」
「ですが...」
目の前の女王は穏やかな笑顔をアベルに向けていた。しかし、目は笑っていなかった。
もう本当やだ。帰りたい。女王は何を怒ってるんだ!
「私が貴方を罰するだなんて、罰当たりにも程があるでしょう?」
「女王陛下は我ら貴族を罰せれる立場でございます。決して罰当たりにはなりません」
アベルは冷静な態度を崩さなかったが内心凄く焦っている。
怖い!何この人怖い!どこまで知ってんだよ!
「ふふ。そうですわね。私としたら可笑しなことを言いました。忘れて下さい。それはそうと、貴方ウンディーネの住処に行きましたね?結婚はさせられましたか?」
もう本当喋りたくない。だが、相手が女王だからそうもいかない。
「住処には行きましたが、結婚はしていません」
「結婚もしないで戻ってこれるとは信じらません。何か条件があるんですね?」
ウンディーネに詳しい様だ。ウィルが相談役だから知っていて当然か。隠し事が通用しないようで、恐ろしい。
「はい。実は、ウンディーネの前世の恋人を連れてこれたら結婚はなしだと言われ湖から出てこれました」
「...前世ですか。なるほど、それで貴方は来るのが遅くなったのですね」
笑みを深めた女王の頭上に渦を巻く黒い雲が見えたのは気のせいだろか?
「やはり怒っていますか?」
正直なところ、貴女に会うと碌なことにならないから会いたくないです。とは言えない。
「いいえ。愉快なお話に免じて許します。お相手は見つかりましたか?」
女王様は精霊関連の話は嫌いなんだよね。ご機嫌を取る為に少しアベルは嘘をつくことにした。
「まだです。その様ないるかわからない人を探すなんて無謀にも程があります」
「ふふ。まともな事を言いますね。確かに余程、前世と同じ特徴があるか、それともその人物に記憶があるかしないと無理でしょうね」
女王様は何か根拠を持って言っているようだ。
「女王様は前世があると考えているのですか?」
「まさか。全ては精霊の世迷言。信じるに値しません」
女王の頭上に再び黒い雲が渦巻き、ゴロゴロ鳴っているように見える。
女王は立ち上がり、跪くアベルの手を取り立たせた。
手が冷たい。
「レイアン子爵。私は貴方達のような若い芽に自分の考えを押し付け用とは思いません。自分達の目で見て感じて歩んで欲しい。ウンディーネの件も好きにして下さい」
はっとアベルは女王を見た。この人の根底は1年前から変わっていない。
バラントの貴族達の歴史は長くて500年以上と古い。歴史に胡座をかく自尊心を失って腐った貴族は多い。この女王は腐った貴族の粛清をし、民に希望を与へ奮い立たせることに力を注いだ。その結果、古い歴史を持つ貴族に毛嫌いされ女王の地位から落とそうとする者が後を絶たない。ほとんどの若い貴族達は女王を支持するが、古い貴族達の知識と経験には敵わない。
今の女王の地位を守るものは、前王が受けたとされる精霊の祝福とその前王から譲り受けた黒髪と黒眼。その祝福と黒髪、黒眼から前王は聖母エリスの生まれ変わりだと一部で騒がれたとか。
女王は民を愛する正義感の強い女性だ。だが、精霊や神などが大嫌いだ。自分の地位を守るものがそれに関係すると思うと吐き気がするそうだ。
アベルを見る女王の目付きが獰猛な獣のそれに見えアベルは固まった。
「ただ。私は貴方のその澄んだ心が何か別のものに見えて不安なんです」
女王は固まるアベルを拘束するように抱きしめ、耳元で囁く。
「私に貴方の全てを見せてくれませんか?」
一見愛人の様な振る舞いだが、アベルにとっては只の拷問だ。
殺される!
「陛下。この様な振る舞いは誤解を生みます。どうか陛下の名誉の為にも離れて下さい」
やんわりと言えたことにホッとした。本当は突き飛ばしたい。
だが、女王は不思議そうに首を傾げた。
「今更ですよ?私が人払いした時点で、私達が愛人関係だと噂が立つでしょう」
「あの...割と人払いしますよね?」
前の謁見も人払いしたから、それが普通だと思っていた。
「貴方の時だけですよ。気づきませんでした?」
俺が他の人の場合を知る訳ない。いや知ろうと意識しようとしなかった。
未婚の男女が2人きりの場合は誤解を招くが、女王は既婚者のうえ年齢が10歳は離れているし大丈夫だろう。そう思ってた。
「噂にはならないかと思いますが...」
「むしろ噂になってくれて構いませんのよ。私はそう望んでます」
アベルの首元に女王は顔を寄せてキスをした。
冷たい感触に首筋がゾッとした。
アベルは唖然と女王を見つめた。
女王はそれはもう楽しそうな無邪気な顔をしていた。繰り返し言うが目は笑っていない。
「だって貴方ちっとも結婚しないんですもの。私の愛人という立場をあげてもいいのですよ?」
「...ご心配をおかけしてすいません。申し訳ございませんが、気分が悪いので失礼します」
アベルは女王を押しのけ逃げた。この空間に居たら頭がおかしくなりそうだ。
このとき女王は満足げに心の底から笑っていたことは誰も知らない。




