ハシルンの場合
食事中の人は読まないでくださいね。
※ 長岡更紗さん主催の「パパママ誕生企画」参加作品です。
5年前の年末のことです。
魔女のラクーは長女のノンビリーの心配をしていました。
ラクーの家からノンビリーの家まで箒で一時間半もかかります。それなのにのんびり屋のノンビリーは里帰り出産をしないというのです。
出産予定日は12月30日。
年末の車の多い時に、産院まで駆け付けるのに何時間かかるでしょう。
しかしお腹の中の赤ちゃんはノンビリーの子どもです。
年末には生まれませんでした。12月の何日に生まれるかという親族間で始まった出産日予想の宝くじには誰も当選者がいませんでした。
そしてお正月休みに体勢を万全にして待っていた、初めてお父さんになるセンセーや初じいじのダンナー、それにおばちゃんズの双子に肩透かしを味合わせてくれました。
1週間経っても出てきません。予定日経過2週目に突入したある日、赤ちゃんの体重が増えすぎているとのことで急遽陣痛促進剤を使うことになりました。
「促進剤を使っても、出てこないかもしれないんだって~。だから来ても来なくてもいいよー。」
というノンビリーののんびりした指示がありましたが、ラクーはいてもたってもいられません。
ダンナーに電話をした後に、新春のバイパスを東大賀に向かってひた走りました。
産院の畳敷きの病室に着いた時、ノンビリーはまだ話ができる状態でしたが、ラクーが心配していた通り軽い陣痛が始まっていました。
「センセーは授業があってこられないんだって。やっぱりお母さんが来てくれて良かったわ。」
本当にまったくのんびりした娘です。イラチのラクーの子どもとは思えません。
「寝てたほうがいいんじゃないの?」
「ん~? まだ大丈夫ぅ。」
最初の頃は最近の出来事の話などをして親子二人でのんびりしていましたが、夜になるにしたがって陣痛が激しくなりノンビリーは嘔吐し始めました。
ラクーは自分の時には経験のない症状にうろたえましたが、夕食を運んできてくれた看護士さんは嬉しそうでした。
「強い陣痛が来てるみたいですから、生まれるかもしれませんねぇ。」
当然、夕食は食べられません。
夜遅くにやっと仕事の終わったセンセーが駆けつけてきました。
ひどく痛がって吐き続けている妻のあまりの様子に、センセーは金縛りにあったかのように怯えて固まっています。
「うちの母親を呼ぼうか?」
家が遠いラクーを心配してそう言ってくれたのですが、同居していない姑がここにきても娘としては気を使うでしょう。吐いている姿は、姑や夫にも見せたくないに違いありません。
「こんな状態だし、私が最後まで付き合うから、センセーはそこの夕食を代わりに食べて泊まれる用意をして来たら?」
ラクーがそう言うと、センセーはモソモソと娘の手つかずの病院食を食べて、一旦家に帰っていきました。
たぶん食べ物の味はしなかったでしょうね。(笑)
やっと吐くものがなくなってノンビリーは寝転んだのですが、今度は腰が痛くてたまらないらしくしきりに腰をさすってくれと言います。
ラクーの手は水仕事でガサガサしていましたので、ノンビリーのパジャマの背中が毛羽立ってボロボロになってしまいました。(^_^;)
しばらくするとセンセーが帰ってきたので、ノンビリーの背中を擦るのを交代して、ラクーも遅い食事を取りました。
夜中になり、とうとうノンビリーは待機室に連れていかれました。
畳敷きの部屋で、無口なセンセーとラクーは一緒に寝転びながらボソボソと話をします。
センセーは仕事の疲れが溜まっていたのでしょう、しだいにイビキをかきながら寝てしまいました。
それから一、二時間経ったでしょうか、看護士さんがセンセーを立会出産のために呼びに来たのです。
30分ほどでセンセーがラクーを呼びに来てくれました。
「産まれたので見てきてください。」
「え?私がいってもいいの?」
「ええ、僕はもう見ましたから。」
ばあばが分娩室に入れるなんて、おおらかな産院です。
初めて会ったハシルンは、お母さんのお腹の上にちょこんと乗った小さな赤ザルくんでした。
裸ん坊でまだ開かない目をノンビリーの方に向けて、顔をゆっくりと動かしています。
一番に目についたのは、鼻が高いということです。鼻の頭が白くなっていました。誰に似たのか目鼻立ちがはっきりとした男前です。遺伝子のいいところばかりをもらって生まれてきたんですね。
ここの産院は母乳育児を強固に推奨するこだわりのあるところだったので、ものすごく長いカンガルーケアの時間を取っていました。赤ちゃんが裸で寒くないのかと、ばあばはちょっと心配になりましたよ。(笑)
生まれたその日から母子同室で、お父さんや兄弟も泊まれるように畳部屋になっているのです。徹底していますね。
初孫の顔も見させてもらったので、ばあばはそろそろ帰ることにしました。
これからは3人家族になったのです。家族水入らずて過ごさせてあげたほうがいいかなと思いました。
真っ暗な道を西に向かって箒を走らせます。
時折、大きな音をたてて通り過ぎる夜行トラックの音に、うとうとしそうになった意識を覚醒させます。
「ヤバいヤバい。安全運転よっ。気を付けて帰りましょう。」
家に着いたのは、明け方の4時でした。
もう体も心も、ヘロヘロです。
ゴソゴソと布団に潜り込んで、目を覚ましたダンナーに「無事に生まれた。」と伝えた後は、バタンキューでした。
しかしそんなラクーを、当時一緒に住んでいた次女のヨムリンは、朝になってから叩き起こすのです。
「お母さん、私は今日は昼からの出勤だからハシルンを見に連れてって!」
・・・なんて優しい娘なのでしょう。
ラクーは再び、何時間か前に帰って来たばかりの道をヨムリンを助手席に乗せて走って行きました。
太陽が黄色い。
そんな1月9日の朝でした。
頑張れ、ばあば。