8.目で訴えられては逃れる事が出来ないものである
「……」
「……」
なに、この気まずい空気。いや、気まずいのは仕方ないと分かってはいるんだけどさ。
会ったら話さなきゃいけない事、聞きたい事、沢山あったはずなのに。彗さんの顔を見たら、聞きたい事も全部吹き飛んでしまった。
安心してしまったのだ。私の言葉に返事をしてくれた事に。私はまだ拒否はされていないんだと、そう安心してしまった。
「あの」
「ひゃい!」
びっくりした。彗さんから私に話しかけてくるとか。びっくりして舌噛んでしまった。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
痛かったが。それより、なんでしょうか? と私が尋ねれば彗さんはその場で少し頭を下げてごめん、と謝った。
「……どうして彗さんが謝るんですか?」
「この間、俺が加茂さんを怒らせたから。きっと、なにか余計な事を言ったと思うから」
「そんな事、ないですよ。そんな事」
ただ、私がつまらない感情を抱いただけだ。
私は意地悪な質問をする。
「でももし、あるとすれば……余計な事ってなんだと思いますか?」
「それは……正直、わからない。でもこんな気まずいのは嫌だと思うから」
彗さんの頭のてっぺんを見ながら、この人の頭を見るのは二度目だと思った。それもこの家で、二度。
彗さんは悪くない。悪いのは、嫉妬まがいな感情を抱いて、彗さんに冷たく接した私だ。
「彗さん。頭、上げて下さい」
私はこの人のこんな姿が見たかったわけじゃない。
謝って欲しいと思ったわけじゃない。
「謝るのは私の方です。ごめんなさい。嫌な、態度をして」
「いや、それは俺が」
「違う。違うんです。私がその、勝手に勘違いをして」
「勘違い?」
「誕生日プレゼントを……彼女への誕生日プレゼントを選んでいるのだと、そう思ってしまって」
「は?」
「で、私の欲しい物を彼女さんにあげるとか、その」
き、気まずい。だが言うぞ。
「ちょっと、嫌だとか。思ってしまったの」
その時の彗さんの顔は、泣きそうな、恥ずかしそうな、難しそうな。色々な感情が入り乱れた表情になっていた。
その顔すらも、彼は美しかった。
ダメだ、どうしても捨てきれない、あの日の記憶が。どうしてだかはわからないけれど、彼があの日のトーマと重なる。彼はトーマではないのに、どうしてあの日と同じような表情をするのだろうか。
「あれは、トーマの誕生日プレゼントを選んでいただけだから」
「うん」
「勘違いさせて、ごめん。ごめんなさい。でも違うから」
「うん」
「本当にわかってる?」
「わかってるよ」
「それなら良いんだけど。でもこれだけは言っておくからな」
「なに?」
「加茂さんにだけは、そういう変に勘違いされたくない」
一瞬フリーズ。そして、動けない。
深読みして良い言葉なのだろうか。どういう意味で言っているのだろうか。段々と近付く彼に、私はどう切り出して行けば良いかわからない。どうして、この人は私の中にどんどん入ってくるのだろう。そして、どうして私はそれを嫌だと思わないんだろう。
「加茂さん……日向、さん」
「日向で、いいですよ。トーマもそう呼んでるし」
「ひなた、日向。俺の名前、呼んで」
「彗さん?」
「……あぁ」
「彗?」
「ーー」
どくり、と。その瞳に一気に熱がこもった気がした。頰に添えてくる手に、近付く距離に、逃げることは出来ない。
「けーー」
「ごめん、良いところで悪いけど。帰って来たからね」
「ぎゃあ!」
こつこつと壁を叩いて、自分の存在を示す。トーマがそこに立っていた。やだ、もしかしてずっといた!? どこから!?
「冬眞。帰って来たらただいまくらい言え」
「はいはい。ただいま。それから兄貴、そういう事は俺が帰って来ない日にしてよ」
「そういう……?」
「あぁ、日向は気にしないで良いからな。なんでもない、だよな冬眞?」
「答え一択しか残されてない質問はやめてくれ。それより、今日、俺、誕生日なんだけど」
そうだ。うっかり忘れるところだった。今日はトーマの誕生日。私は彗さんにケーキの事を言わなきゃと彼の顔を見上げる。
「お誕生日って聞いたから、二人にケーキ買ってきたんです」
「ケーキ? 二人分?」
「はい。良かったらぜひにと」
「ありがとう。良かったな冬眞。中身なに?」
「チーズケーキとガトーショコラです。……昔、チーズケーキをトーマが、好きだと言っていたのを思い出して」
「ーーえ」
「彗さん?」
「あ、いや、そうか。そうだな。チーズケーキが好きだ」
「でも、トーマ。覚えてないんですよ」
「悪かったな。覚えてなくて」
「へぇ……そうか。そうなんだな。日向、ケーキありがとう」
「いえいえ。さて、それじゃあ兄弟水入らずで、どうぞお誕生日会。私は帰りますので」
「日向もビーフシチューを食べて行けば良い」
「いやぁ。実は私、明日仕事なので。今日は早めにお暇するよ」
「なら俺が車で」
「だいじょーぶです。トーマお誕生日おめでとうね。それじゃあ」
私を引き止める彗さんの声から逃れるように、私はさくさく玄関からさよならした。今日は兄弟でお誕生日して下さい。