13.思い込みで行動を起こすと、とんでもない事になる
「待てって言ってるだろ! この」
「いやっ……」
掴んだ手は、私を逃してはくれない。強く引っ張っても離してはくれなかった。
「離してってば!」
「離したら逃げるから嫌だ」
「今、混乱してるから彗さんと話したくない!」
「ダメだ」
「なにが!」
「今、日向の言う事を聞いたら一生後悔する」
だから、離さないと。彗さんは真剣な表情をして言った。
「……彼女はいいの?」
「構わない」
「ーーっ」
彼女って、認めたよね。今。じゃあ、彼女がいたのにこういう事して、彼女がいるのにこの間みたいな事したわけ。
「……だ」
「日向」
「やだ。彗さんの顔、見たくない。話したくない。離して」
「……ひな」
「名前を呼ばないで!」
なんでそんな風に呼ぶの。追いかけてくるの。離してくれないの。なんで私の傍にいるの。
「もうやだ……。こんなの」
「日向、目を強く擦らないで」
「触らないで! 違うでしょ、私の事なんて構ってちゃダメでしょ?」
「……日向?」
「私、もう彗さんとは会わない。だって嘘はつきたくない」
平気な顔をして彗さんとまた会うのは無理だ。好きな気持ちを抑えてこの人に会えるわけがない。ましてや、彼女がいるのに、下心満載で会えるわけがない。
「……嘘ってなに」
「言わない。言えない。だってーー!」
怖い顔をしていた。ぎらりと目付き鋭く、穏やかな顔はしていなかった。私の手を、今度は彗さんが強く引っ張る。
「わっ」
「例え日向が嘘をついたとしても。俺は日向に会いたい。毎日だって会いたい」
「……やっ」
「それで日向が罪悪感を感じるなら、俺が安心させてやる。俺に会ってくれるなら、どんな嘘でもついていい」
でも、と。
「日向がつらい思いをするのは嫌だし、見ていたくない。だから、その嘘が本当になるように、俺が一緒に考えるよ」
「け、いさ」
「嘘を本当にすれば、日向はつらくないだろ? だからさ」
会わないなんて、言わないでくれ。そう言って、私の手を握った。今度は優しく包むように。
あぁ、なんなんだこの人は本当に。お人好しにも程がある。
「……ふ、ふふ。あは」
「日向?」
「ん。ううん、違うの、ダメだなって。だって嘘が本当になったら悲しいから」
だって、彗さんなんか好きじゃないって嘘をつき続けてそれが本当になるなんて。悲しすぎる。やっぱりダメだなって。嘘を本当にする事は。
「じゃあどうすれば良い?」
「え?」
「どうしたら、日向は俺の傍にいてくれる? どうしたって、離れていくならどうしたら良い?」
「だからそういう事が」
「そういう事がなに? 間違い? 間違ってても構わないよ。日向がいてくれるなら」
ヤバイ。どっかのネジ外れたみたいになってきてる。
「そういうのは私に言う台詞じゃないでしょ」
「じゃあ誰に言えばいいんだ。日向以外に言う相手なんていない。日向だけしか欲しくない」
「はーー」
なに言ってるのだ。私より言う相手がいるだろうに。
「彼女、いるでしょ?」
「彼女? もしかして、千歳の事か?」
いや、名前は知らないが。千歳さんというのか。そう、その千歳さんがいるのに私しかなんとかとか、言ったらダメでしょと強めに言うと。彗さんは首を傾げて。
「彼女? 彼女って……つまり待て。あいつが俺の恋人だと言いたいのか?」
「だから! そうなんでしょ!」
「違う! どうしてそうなるんだっ?」
「ーーはっ!? だって、だってさ! 彼女ってさっき言ったじゃない! それに抱きしめて……!」
「それは違う! 彼女っていうのはただの呼び名で……! というか。あれにはちゃんと恋人がいるぞ」
恋人? え、つまり誰かの恋人?
「し、信じられない……」
「今から千歳に電話をかけたって良い。誤解がとけるならな」
「……でも」
「こんな時に嘘なんてつかない」
「じゃ、じゃあ。なんであんな」
あんな優しい声で、あの人をなだめるように。優しい手付きで、彼女の肩を抱いていたの? それはつまり、あの人の事を好きなのではないの?
「相談に乗っていただけだ。途中で、あいつが泣きだすから……よろけて崩れそうな所を支えた」
「そ、そう。でも」
「でもじゃない。それだけだ。なにを思ったか知らないけど」
ふわりと。今度はその腕に私を抱く。
「自分からこんな事するの、日向しかいないよ。日向だけ」
「でも、この間の電話の時」
女の人の声がした。と言えば。彗さんは少しだけ笑った後に、やっぱり誤解してたかと言った。
「あれも千歳。職場が一緒だから」
あと聞きたいことある? と聞かれて、私はその腕の中で首を振った。
恋人じゃ、なかった。ならば私はこの人の事を好きだと思っていて良いのだろうか。その先も望んで良いのだろうか。この腕が、腕だけじゃない、手も顔も心も全部、私が望んで良いのだろうか。
「日向」
ぎゅうっと。強く抱きしめられる。安心する。
「もう会わないって言わない? 一緒にいてくれる?」
彗さんが好きだ。だから言えない。もう、会わないなんて言えない。でも、ここまで人の気持ちを振り回したんだからちょっとくらい意地悪したい気持ちになる。
「会わなくはないですけど。しばらくは彗さんの顔は見たくないです」
「……えーと」
「だって彗さんの顔を見たら、文句言いたくなってしまいますから。だから」
しばらくは、さよならです。なんて、ほんの出来心だったんだ。ちょっと困った顔が見たかっただけ。その余裕を崩してやりたかった。でもそれは、間違いだったとすぐに悟る。
「どうしたらいい?」
「はい?」
「その言葉を撤回させるのは、どうしたらいい?」
彗さんは真剣な顔をして言っていて。だけど、どこか悲しそうな表情をしていた。
「もう、さよならなんて言葉を聞きたくないんだけど。どうしたら、その言葉は撤回されるんだろうな」
「彗さん?」
「昔、同じ言葉で、同じような顔をして言ったの覚えてる? それで、その言葉にどれだけ驚いたか」
もう会えないと思ったよ、と。
「でもまた会えた。だから決めた。もう後悔しないようにしたい。もう二度と、あんな思いをするのはごめんだから」
ちょっと待っておさらい。同じ顔で同じ言葉? そんな事を言った? いや、言ったとしてもあれはあの時だけだ。トーマにだけだ。トーマに? え、本当に? あの日のトーマに?
「彗さん……?」
「なんだ」
「私、それ言ったのトーマに……」
「冬眞じゃない」
彗さんは私の指先にキスを落としながら、嘘のような事実を突きつけた。
「俺だよ。あの日、ここにキスをもらったのは」