12.人は現実から目を背けたい時、逃げ出してしまうものである
ぱちん、と。風船が割れたような感覚だった。目が覚めたというか、びっくりしたのだ。その光景に目玉が飛び出るかと思った。それほどの衝撃は受けた。
目の前で、彗さんが、女性と抱き合っていたのだから。
そろそろ梅雨の時期。じめじめとしたこの感覚は、生まれて何十年と経つがいまだに慣れない。このじめじめ感を払拭するには、どうしたら良いか。
そうだ、出かけよう。何処でもいい。気晴らし出来るところを探そうと思った。そう思った時に、真っ先に浮かんだのは何故か彗さんの顔だった。
最近、私はあの人の顔ばかり思い出してしまう。この間のごにょごにょがあったせいだとも思うが。それよりなにより、私が、それを嫌だと、感じていないのがなによりマズイ。
冗談ではないのだと自覚したのがこの間だ。冗談ではすまない、すなわち、真剣に思ってしまったという事である。
あの人が好きだ。声が震えそうなくらい心を焦がしている。あの瞳に、私が映っていれば良いと思う。
「重症だ」
困った話だ。こういう時は、一人になって落ち着いて考える時間が必要だ。
という事で。
お休みの日、気晴らし決行。午前中からアクション映画を見て頭をスッキリさせ、その足でお気に入りのパスタ屋に入り、ランチでお腹いっぱいだっところであの公園を散歩しようと思ったのだ。
あそこは、私の大切な場所だから。
大切な事を考える時は、大切な場所が良い。そう思っての事だったのだ。あの場所にはいつもトーマがいた。だけど、今日はあの人がいた。
本当だったら嬉しいはずなのに、そんな訳にもいかなかった。
「ーーあぁ。大丈夫。大丈夫だから」
かろうじて聞こえるその声は、抱きしめている女性をあやしているようにも聞こえた。だがしかし、その声はとても甘く、優しく。聞いているこっちが泣きたくなるくらいの声音だった。
大丈夫じゃない。私は全然大丈夫ではなかった。
回想終了。現在に至る。今、目の前で起きている事が事実であった。
彗さんが女性を抱きしめ、優しく声をかけている。そんな状況が目の前に繰り広げられていた。
よりにもよって、私の、大切な場所で。
全てがスローモーションに感じた。
風が吹く音も。
女性のスカートが靡く姿も。
顔を上げた彗さんも。
見開かれたその瞳も。
彼女から離れようとするその仕草も。
彗さんと目が合った。あぁ、そう。動揺してはいけない。予想もしてた事だ。冷静に、努めて冷静に対応しよう。
私は彗さんに微笑んだ。それとは裏腹に頰が濡れる感触にちくしょうと思う。彗さんが驚いた顔をしてる。なにか、なにかを言わなければ。なにを言う? この場に適した言葉とは一体なんなのだろう。そう考えていれば、自然と口が動いていた。
さよなら、と。
どうしてその言葉を口にしたかは分からない。ただ、最も相応しいと思った言葉だったのだ。皮肉にも、私はその言葉を数年前にも同じ場所で口にしていた。
走って走って、公園を抜ける。早く家に帰りたい。誰も見ていない所で大声をあげたい。あんな光景は見たくなかった、と。




