10.言葉と行動の意図が汲み取れないと動けないものである
さてと。どうしたものか。あれから彗さんの折り返し電話はかかって来ない。そして、あれから一週間経っていた。また私がおかしな態度をしたせいで、彗さんが罪悪感とか感じていなければ良いんだけど。それよりなにより。どうやってこっちから彗さんに連絡をするか考えなきゃ。
そりゃ、電話をかければ良い話だけど。電話をかけた後が分からない。なにを話せば良いんだ。あれか、勝手に切っちゃってごめんね☆ みたいな感じで言えば良いのか。ますます引かれそうだ。
正直に話せば良いのか、聞けば良いのか。
電話の後ろで聞こえた女の人の声は誰なのかと。
それこそ私に関係ないと言われてしまえば、それで終いだ。こっちからなにも言う事は出来ない。
そして、それが怖いのだ。
「好きな食べ物は?」
たまたま、本当に、たまたま。今日は職場の近くのショッピングモールで買い物をして帰ろうとした時の事だ。可愛いワンピースが欲しい。あとパンプスがくたびれてきたから靴も買いたいと思う。そう思って立ち寄ったら、見知った顔がいたのだ。今の心境で会う事が二番目に複雑な人物。ちなみに一番目は彗さんだが。
それはさて置き、あ、とか声を出してしまったのがいけなかった。こちらに目を向けたトーマはそりゃあもう、不機嫌そうに私の名前を呼んできた。そして現在に至る。
「それはなんの質問ですか?」
「今日の夕食メニューを決める参考にする」
「あー、そういう事。そうだな……炊き込みご飯、あと味噌汁が好きです」
「ご飯はもう炊いて来たから白飯で勘弁してくれ。味噌汁はけんちん汁にしよう。豚肉が余ってるから生姜焼きだな」
「あれ、もう決まってるんじゃない?」
トーマくん、ならはじめから私に好きな物を聞かないでおくれよ。
「っていうか、なんです、それはご飯のお誘いで?」
「あぁ。生姜焼きが嫌いじゃなければ来い。あと、来るのが嫌じゃなければ」
「ーーなんか聞いてる?」
「いや。ただ……あいつが鬱陶しくて困るだけだ」
「彗さん元気? 今日いる?」
「今日は仕事で遅くなると言ってたが。もし兄貴に会いたいなら、明日が良いと思う」
「ううん。大丈夫です。生姜焼きご馳走になりに行きます」
へへっとトーマに笑いかければ、トーマはニコリともしないで私に言った。
「俺にはよく分からない。気持ちを伝えるだけで良いはずなのに」
「なんの話?」
「ヘタレは困るという話だ。あと、兄貴はもっと、慌てるくらい切迫詰まった方が良いと思う」
「うん?」
「日向。もし嫌だったらつき飛ばせ」
その両手は私の両頬を挟んだ。額をこつりとつけられる。熱を測ってる? いや、意味がわからないし。一体なに。私の頭の中がハテナだらけになっていると、よく通る、あの声がした。
「なにやってんだ」
ーーあぁ、久しぶりに聞く声だ。私の好きなあの声だ。なのに、私が知っているような穏やかな声ではなかった。トーマが頰から手を離す。額も離れていく。私は声のする方に目を向ける。トーマの後ろだ。
「なにしてんだ冬眞」
「兄貴」
彗さんがいた。無表情で、いつもの笑みも、穏やかな雰囲気もなくて。とても怖い表情をしてそこにいた。
「仕事は? 今日、遅くなるって言ってなかった?」
「最近、定時に上がれていないから今日こそ早く帰れと帰された」
「そうなんだ。じゃあ早く帰らないと」
とトーマが言いながら、私の肩をぐっと引き寄せる。この手、いらなくない? っていうか、さっきからこの子はなにがしたいのかしら。ハテナマークが沢山つく。トーマにこの手の意図がわからず声をかけようとした時。
「冬眞」
はっきりと、彗さんが彼の名前を呼んだ。
「お前は大事な弟だが。この人だけは、ダメだ」
なにを言っているんだろう。
「ダメだ」
彗さんが繰り返した。そこからは全てが流されるままだ。トーマが私の肩から手を離して、彗さんが私の手を引っ張って。駐車場行きエレベーターに乗って、いつもの赤い車の助手席に乗せられる。
「彗さっ」
「いいから黙って。今はなにを聞いてもダメそう。少し待って」
彼が運転席から少し身を乗り出して、私も少し運転席に近付いて。ぎゅうっと、その大きな腕に抱きしめられた。時間にしては数分だ。その腕に包まれながら私の胸は締め付けられる。
狂おしいほどに、苦しい。悲しくもないのに、目尻が熱くなる。どうしてだろう、どうして、こんなにも私はこの人の腕を欲しいと思ってしまうのだろう。
笑えない冗談は、もう冗談ではすまなくなってきていた。