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0.これは昔話だ、苦い思い出である

やや文字数多く読みにくいかもしれません。ご容赦下さいませ。


いつからか、いつなのか。その男の子は無表情に無感動にただ淡々と話す。正論を唱える。だけど、それは決して冷たいわけなんかじゃなくて。決して無感情なわけじゃなくて。自分の思った事を素直に述べているだけなのだ。そう分かったから、思ったから、私は彼を嫌いになんてならなかった。むしろ、呆れるほど尊敬の念を抱いて、彼ともっと話をしたいと思って、そう思って彼と接していた。


忘れもしない、二十三歳の夏。公園にいた彼は真夏だというのに涼しい顔をしてベンチに座っていた。美しい顔をした男の子だった。純粋な日本人だと分かるのに何故だか、こう浮世離れしたような不思議な雰囲気を持つ人だった。彼は自分の事をトーマと名乗った。

私は彼のそのあまりに涼しげな顔に暑くないのかと馬鹿げた質問を投げかけたが、案の定、それは否定に終わる。そう、暑いに決まっているのだ。彼は私にそう返した。正論だ。


よく見ると彼は制服を着ていた。まだ学生だったのだ。私が中学生?と聞くと彼は少しムッとした顔をして高校生だと言った。なるほど、申し訳ない事をした。この年頃の子供は難しい年頃だ。


そんな彼は洋書とノートを片手にしていた。なんだ、英語の勉強か、それとも格好をつけているだけなのか。その本面白い? と聞くと彼はこの本は昔から何回も読み返しているものだ、面白いというより好きな本だと返して来た。私が思っていた事とはまるで違う。彼はこの本をちゃんと読んでいたのだ。

私がなんかごめんと謝ると、謝る理由がわからないと首を傾げられた。美形は何をしても美形だった。年下の彼はまだ十六歳だった。うん、とはいえもう十六歳だ。きちんとした会話もできる、なんて事のないただの十六歳だった。


彼は私にこう聞いてきた。お前はなにをしているのだ、と。私は仕事が休みなのと返した。すると、彼は驚いたように学生じゃなかったのか、と呟いた。たしかに、まだ学生っぽさが抜けないが君より年上だぞと言ってやりたい気持ち。伝えたい言葉はうまく形に出来なくて、私は曖昧に笑った。


それから、私は彼と別れ、次の日の仕事帰りにも彼と出会う。それはやはり公園でだった。今日は洋書は持ってなく、ノートだけを開いていた。生温い風になってきた夕暮れ時。私が声をかけると、彼は少し目を細めて昨日ぶり、です、と微妙な敬語をつけて言葉を返した。敬語、なくても良いよと私が返すと、そうか、と簡単に敬語はなくなった。不思議だ。ぶっきらぼうなのに、優しい喋り方に聞こえる。彼にはこれが一番合っている気がした。


そして次の日も、その次の日も、彼は公園にいた。なにかする事はないのか、学校は? と聞くと八月の学生は休みだと返された。しかし学生服を着ているじゃないかと私が聞けば、普通の服で分からなくなったら困るから、と。なにやらよく分からない返しが来たのでとりあえずスルーしておいた。


季節は巡る、暦の上では冬。それでも彼は公園のベンチに座っていた。私がトーマと声をかけるとやはり目を細めて返事をするのだ。

その時から私はおかしくなっていた。いや、たぶん夏からおかしかったのだろう。トーマの姿を見る度に、彼と会う度に体が震える。心がざわつく。目の前が霞むのだ。それは間違いなく、私にとある危険な感情を抱いたのだと頭が警告していた。トーマの横顔、本のページをめくる指、目を細める仕草、その口調までもがあまりにも私の心を締め付ける。苦しい、心が震える。どうしたら良いのだ、トーマ、と名前を呼んだ。



暦の上では春。彼はまだ学生服を着ている。私と会う時は、必ず。だから実感するのだ。私達は歳の離れた友人、なのだと。思う事にさえ心が締め付けられる。きっと、私の心にダメージを与える天才だ彼は。だからちょうど良い、卒業式だ。トーマを卒業しよう、そうしよう。これ以上、ダメージは受けられない。


桜の木の下にいる彼は美しかった。背は夏の時より伸びた。もう中学生とは間違えまい。身体つきも男らしくなっている。これで良いのだ、きっと彼はこれから素敵な恋をして、素敵な男性へとなっていく。それで十分、夢をありがとう。


桜が綺麗、トーマが呟く。

弁当持って花見がしたくなるな、と彼が呟く。

今度近くの桜並木を見に行こう、とその人が呟く。


その言葉を聞いて、私はとてもじゃないけど受け止めきれない感情を持て余して。両手で顔を覆った。鼻水も涙も涎までもが出てて、ぐちゃぐちゃだった。トーマの息の飲む音が聞こえた。あ、嫌われた。絶対。気持ち悪いと思われた。もっと綺麗に別れたかったのに、どうして上手くいかないんだろう。ひどい嗚咽を交えながら、私は彼の名前を呼び、そして、ごめんとだけ謝った。謝る理由がわからないと、彼はいつもの口調で言った。そして、分からないから教えて、と。何故泣いているんだ、と。


そっと指の隙間から彼の顔を見ると、ひどく頼りなさげなその顔が見えた。こんなぐちゃぐちゃな気持ち悪い女にトーマは優し過ぎる。今後、悪い人に騙されないようにしてほしいものだ。

トーマ、と私が呼ぶ。すると私の好きな表情をした彼がそこにいた。そして。


私はトーマに嫌われる事をした。

たぶん彼の顔に鼻水も付けたし、涙もつけたし涎も付けた。汚い話だ。こんな美しいものを汚してしまった。ふわりと出来たら良かったが、そこは思うようにいかず。くちゅっとやけに生々しい音をさせて、彼を突き飛ばし、さよならと、だけ。それだけを言って走り逃げた。



暦の上では何度目かの春。あの日以来、彼に会ったことはない。


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