空と彼女
そう、あれは二年生のころ。同じクラスに笹倉笙子という女子がいた。
にぎやかな女の子ではなかったが、クラスになじめていないというわけではなかった。
話しかけられれば応えるし、班行動のときも違和感なく集団に混ざっていた。
たぶん、純粋にひとりで空を見上げるのが好きだったのだろう。
彼女はいつも空を見ていた。空しか見ていなかった。
「いつも空を見上げてるけど、飽きないの?」
あれは特別教室での授業中。途中で忘れ物に気づき、それを取りに教室に戻ったときだった。
笹倉は早退をするために、誰もいない教室で帰宅の準備をしているようだった。
ただし、その手は止まり、目はいつものように空を見上げていた。
そんな笹倉に、僕はふと疑問を投げかけた。
「同じ空はないから」
返ってきた彼女の声はとても小さかったけれど、静まり返った教室ではよく聞こえた。
同じ空はない?
「でもさ、空はひとつしかないだろ。どこにいても、同じときに見上げれば、それはひと続きの同じ空だ」
何気なく口にした僕の言葉に笹倉が振り返った。
そして僕をまっすぐに見つめる。
その目は、蒼く、深く、澄んでいた。まるで僕を吸いこんでしまいそうなほどに。
僕は立ち尽くしていた。
笹倉も、動かなかった。
まるで全ての時間が止まったようだった。
その時間は、帰りの遅い僕を呼びにきた友人が現れるまで続いたのだ。
――彼女が僕たちの前から姿を消したのは、そのすぐあとのことだった。
※※※
僕は思い出した。
そして確信した。
メールの送り主は、笹倉だったのだ。
彼女は二年生の二学期の途中にいなくなった。
もちろん、卒業アルバムにも載っていない。
特に仲が良かっただけでもなく、言葉を交わしたことも、その一度くらいしかないはずだ。
だから彼女のことを思い出せなかった。
けれどメールの送り主があの笹倉であれば、送られてくるのが空の写真だというのはうなずける。
とても笹倉らしい。
いや、笹倉以外ではありえないだろう。
けれど、耳の奥には、先ほど聞こえた言葉が残っていた。
笹倉が、どうしたと言っていた?
僕の脳は一時活動を停止しているようだった。
冷静になろうと心がけ、その言葉の意味を考える。
……死んだ?
死んだ死んだ死んだ。
死ぬってなんだ?
死ぬっていうのは、死というのはつまり……。
それは、もういないと、どこにもいないと、そういうこと……。
彼女はもう空を見上げてはいない。
――そういうことじゃないのか?
僕の手からグラスがすべり落ちた。砕け散る音が鋭く響く。
僕はグラスの破片を踏みつけながら、ふらりと数歩、進んだ。
「今……、今、笹倉が死んだって、そう言ったのか?」
一番近くにいた女の肩に手をかける。
「夏木くん?」
「笹倉は、死んだのか?」
「ちょっと、夏木くん……」
「笹倉は……」
「亡くなったそうよ。この春に。同窓会の案内状を送ろうと思って、なんとか今の住所を調べて、連絡を取ったら……」
背後から声がした。
振り向くと、そこには河合が立っていた。
そうか、幹事のこいつなら、住所を知っているはずだ。
「そんなわけない。一昨日も、僕の携帯にはメールが届いたんだ。笹倉に違いない。笹倉なら、僕のメールアドレスを知っていてもおかしくない」
「夏木くん、大丈夫?」
「そんな……そんなわけない。じゃあ、違うのか? あのメールは笹倉じゃないのか? だとしたら、いったい誰が……」
僕の普通じゃない様子に、河合は言葉を失い、心配そうにこちらを見ていた。




