3話 制服を着た女(前編)
の、喉が渇いた……
俺の死に場所はここなのか……?
俺は広大な砂漠の真ん中で死にかけていた。
ここに足を踏み入れたのは、単なる好奇心からだ。
死に場所を探して俺はひたすら平原を歩いた。変わり映えしない景色。だがそれも終わりをつげた。平原の終わりは、砂漠の始まりだった。砂丘が俺の目の前にこんもりと、まるでたわわなおっぱいのように盛り上がっていた。
普通ならここで引き返すだろう。だが俺は砂丘に登ることにした。
そして頂上にたどり着いた時、急な突風に体をとられた俺は、砂丘から転がり落ちてしまったのだった。
戻ろうとして砂丘を登ろうとしたが、どういうわけか砂漠側には強い風が吹き荒れていて、遮るものがない砂丘では体のバランスがとれず転がり落ちてしまった。何回試しても無理だったので、俺は諦めて砂漠のただなかを突き進むことにした。他に選択肢は無かった。
この砂漠は見掛け倒しでちょっと歩けばまた別の場所にいける、なんてことはなく、歩けど歩けど一面砂・砂・砂。太陽はじりじり坊主頭を焼いた。
俺の死に場所はここなのか……
歩くのはもう疲れた。もういいじゃないかここで。ここなら、誰の迷惑にもならずに死ぬことができるだろう。
俺は歩くのを止め、砂漠にあぐらをかいた。尻がじんわりと熱くなる。
どうせなら水をしこたま飲んでから死にたかったが……こんなとこに足を踏み入れた俺が悪いんだ。
ホルスターから銃を抜く。
思えば俺らしい死に様か…
こめかみにマズルをつけ、引き金をーー
「わ、わー! ちょっと待ったーー!」
いきなり、何者かに押し倒された。背中を熱砂に焼かれ、慌ててその何者かを押しのけて飛び起きる。
「What the fuck!」
俺は何者かに銃を向けた。
「わー!?う、撃たないで下さい!」
恐怖に顔を引きつらせ、その何者か――年の頃15、6の少女はホールドアップした。
「……Do you know a gun?」
「え!?どぅーゆーのー……あ、いえす!イエスアイドゥー!」
いかにも話し慣れてない英語だ。
だが、久しぶりに言葉が通じる相手と出会えたことに不覚にも泣きそうになる。
俺は銃をホルスターにしまった。
「あの、諦めようとする気持ちはわかりますけど……もう少し頑張りましょうよ!あ、お水もありますよ!?」
セーラー服を着た少女が細長い水筒をスクールバッグから取り出し、俺に差し出してくる。
セーラー服。これは海軍の制服として有名だが、日本の学校の制服として採用されていることはジャパニーズ・ポルノで知っていた。
前の甲冑の女や耳の尖った女とは違い、この娘は見た目もアジアンガールだ。どうやら、正真正銘の日本人らしい。
俺は水筒をしばし見つめ、受け取る。
「カタジケナイ」
「あはは…随分古風ですね」
この挨拶がサムライ時代のものであることは知っていた。照れ隠しである。
水を一口だけ口に含み、張り付いた口内に潤いを与えてやった。すると、気が狂いそうになるほどの喉の渇きが俺を襲った。体が、もっと水分を寄越せと訴えてくる。
「…Thanks」
これ以上飲んだらこの娘の分が無くなってしまう。
俺は理性を総動員して水筒の中身をすっからかんにしたいという欲求を我慢し、少女に水筒を返した。
「あの、もっと飲んじゃっても大丈夫ですよ。近くにオアシスがあるんです。…ええと、ユーキャンドリンク ディス ウォーター ビコーズ オアシス イズ ニアー」
「Oasis!? Really!?」
「イエース」
俺が必死な様子がおかしかったか、少女はクスクス笑った。
「遠慮なくグビッといっちゃって下さい」
少女が手のひらを上に向けて勧める。我慢しなくていいことを理解するやいなや、本能的に水筒に口をつけ、喉を鳴らして水を飲んだ。そして一瞬で空にした。
もう終わり? 嘘だろ?
水筒を覗き込むが何も見えない。水滴が落ちてきやしないかと水筒を舌の上に逆さまにする。駄目だ、もどかしくて死にそうだ。誰か俺を殺してくれ――
「そ、そんなに必死にならなくても、あっちにまだしこたまありますから」
肩を叩かれて我に返った。
「……HAHAHA」
醜態を晒しちまった。バツが悪いとはこのことだ。
「あ、ごまかし笑いは万国共通」
「HAHAHA」
少女に促され、俺は尚も笑いながら立ち上がった。
熱砂に足を取られながらしばらく歩く。少女の歩幅は狭い。じりじりと頸を焼かれながら、俺はこの少女が本当は幻なんじゃないかと思う。本当は俺は死んでいるのではないか?俺は日射病が見せる幻影についていってるんじゃないか?
まあ、それならそれて別に構わないか。
「ほら、あそこ!」
幻にしては驚くほどはっきりと少女が叫んだ。
指差す先を見る。
黄土色一色じゃないか――いや。
豆粒のようだが、確かに青色のモノが陽炎で揺れている。
「Oh my Godes!」
俺は走りだした。時間が経てば、あれがまるで炎天下に置かれたアイスクリームのように、消えてなくなってしまうのではないかと思ったからだ。
俺の心配とは裏腹に、走れば走るほど、視界の青は存在感を増した。
いいぞ!そのままだ!
陽炎に揺れなくなるほど間近になり、それが湖であることがわかる。全身を歓喜が支配した。マラソンのラストスパートようにがむしゃらに走る。
ゴールだ、くそったれ!
たっぷりと清潔そうな水を湛えた湖に、頭を突っ込んだ。
「プハッ、もういつ死んでもいい!」
いくら飲んでも水が無くならない嬉しさのあまり、俺は雄叫びを上げた。
「ね?しこたまあったでしょ?」
声のした方を見ると、少女がいつの間にか追いついていた。
「ああ、全く最高だぜ。あんたは俺の救いの女神だ」
少女は返事をせず、俺の方をきょとんとした目で見ている。
「あれ? 日本語喋れたんですか?」
今度きょとんとするのは俺の方だった。
「ん、お前さん、さっきより英語が上手になってないか?まるでネイティヴレベルだぜ」
「英語?私は日本語を話してますよ?」
「おいおいからかうのはよせ。それが日本語だったら、俺の国の人間は全員日本人だってことになる」
「んん??」
会話が噛み合わない。俺も少女も首を捻った。
「――あなたは、私が話す言葉が英語に聞こえるんですね?そしてあなたは、先程までと変わらず英語を話している?」
「あ、ああ。その通りだ。俺も君も確かに英語を喋っている」
「私には、あなたが話す言葉が日本語にしか聞こえません。もちろん私も日本語を話しています……」
少女は顎に手を当てて考え込んだ。俺は何も言わずに少女の頭のてっぺんの枝毛を見つめる。
「もしやこの水、飲めば言葉が通じない相手でも意思疎通ができようになる、万能こんにゃく的な何かなの……?」
尚も悩み続けている少女に、俺はかねてからの疑問をぶつけてみることにした。
「君はどうしてこの世界にいるんだ?」
枝毛から転じて、少女の顔を見る。
「へ?え、ええと……」
「俺は、この銃で頭を撃ち抜いたんだ」
腰に挿してあった銃を見せると、少女の顔がこわばった
「それって――」
「俺は確かに、あのカビ臭いアパートの一室で自殺したはずなんだ。口の中に銃身を入れて引き金を引いた。そして気が付くと、俺は天国でも地獄でもなく、この変てこな世界にいた。……まあ、あるいはここが死後の世界なのかもしれないが――自殺を許さない宗教があるのは知っているかい?」
俺は少女に尋ねる。
「……はい。世界で一番有名な宗教ですよね」
「そうだ。俺は別に信徒じゃないんだが、お袋は熱心だった。俺がまだガキの頃、毎週のように教会に通っていたっけ。……案外神様は、その息子である俺にもその教義を適用したのかもな。だとしたら、甚だ迷惑な話だが」
俺は美しい湖を見て目を細める。
「俺はこの変てこな世界で、変てこな人間や化物に会った。だからいまさら魔法のように言葉が通じるようになったところで、別に驚きもしないね――ん、あんた、随分顔色が悪かないか――」
顔面蒼白となった少女は、よろよろと砂の上に膝をついた。
「わ、わたし、やっぱり死んじゃったんだ……あの時、トラックに轢かれて……!」
少女は苦しげに呻いた。嗚咽し、掌で顔を覆う。涙がこぼれ落ちて、乾いた砂に染み込んだ。
ああ……俺は大馬鹿野郎だ……
俺は、この娘の一縷の希望さえも毟り取っちまった……
この世界が夢であることを。目が覚めれば、いつもと同じ日常に戻れるという望みを。両親におやすみを言い、友達と遊び、学校で退屈な勉強をする。そんな当たり前の毎日に戻れると、この娘はまだ信じていたんだ。
俺が、どん底に突き落としたんだ……
救いようのないクソ野郎だな。
泣き続ける少女に、俺は何も言うことができない。死に損ないの俺に、そしてまた死のうとしている俺に、声をかける資格など無かった。
少女に背中を向ける。
砂漠で野垂れ死ぬのがお似合いだったんだ……
俺はその場から歩み去った。