1
「はぁぁぁ」
「……」
「はぁ」
「何だよ。何かあるなら言ってよ」
「べっつにぃ?」
「悪かったよ」
トードー村を出発してから三日ほど経っていた。僕たちは、南へ最短のルートを通るわけでもなく、西へ迂回するわけでもなく、南西へと中途半端な形で歩みを進めていた。
端的に言えば、理由は僕のせいだった。
「体力には自信があるッ! なんて口にしてたくせにさぁ、山を一つ越えただけで弱音を吐くなんて、ね」
「くっ……しょ、しょうがないだろ! 僕だって最初は余裕だと思ってたんだよ。きっと僕は山を舐めていた、それだけなんだよ。それに、平坦な道になってからは僕はスピードを緩めていないだろ?」
「論点をすり替えるのは良くないわよ。地図を見ればわかるでしょ? こう真っ直ぐ行くのと、こう斜めに進むのとでは、どっちが早いと思う?」
「すいませんでした!」
そんな簡単な話じゃない。本当はそう言いたかったけど、確かに彼女にとってはどちらのルートも変わらないはずだ。僕は二本の足で地面を歩いているけど、リトルは背中から生えた羽で空を飛んでいるんだ。そりゃあ、彼女にとっては最短がいいに決まってる。
「それにしても、お腹が空いた。こんな中途半端なルートじゃなきゃ、どっかの村に辿りつけたのかもしれないのにねぇ。私、こう見えても結構体力の消費が激しいのよ」
そう言って、リトルは僕の頭へと寝転がる。どうにも、サイズ的に僕の頭の上にちょうど寝転がることができるみたいだ。
「ごめんなさい」
この話も聞くのは何度目だろうか。彼女がこうも皮肉屋だってことが、この三日間で痛いほど身に染みた。
ため息をつきたくなるのを我慢して、前方を見上げる。実は、結構前からファイスト領は見えていた。
「あそこに入ったら、なんでも好きなもの食べていいから。だからさ、いい加減機嫌を直してもらえると……」
「そうね、考えておいてあげる」
ファイスト領は、堅牢な壁に覆われていた。どうにも、安全な交易をするためには安全な場所、というのがファイスト領の領主の文句らしい。そのため、こんな広大な土地を壁で覆っているのにも関わらず、ファイスト領へ入るのには、北門東門南門、の三か所しかない。
西門は、その先が海となっているため開けてはいないが、漁を行うための漁港が南門と北門付近には設備されている。以上からわかるように、北門と南門は共に、ファイスト領の最北端最南端の西側にある。であれば、僕たちは東から訪れているので、南西の方角に進んでいるといったが、実は嘘で、徐ヶに北へと進路を変えて東門へと向かっていたわけだ。
こうして考えれば、リトルが文句を言うのも無理はない。明らかに僕たちは無駄な道のりを歩いているのだから。
「おっ、あそこが入口っぽいね」
「そっ。じゃ、私は中に入るわね。あとはよろしく~」
「うん、わかった」
ともあれ、東門へと着けた。僕はそこで一息つけると思っていた。が、そういうわけでもなかった。
ファイスト領東門は、中央市場へ真っ直ぐといけるため、他の門と違って比較的人通りは多いと聞いていた。というよりも、南門と北門に限って言えば、常に門が開けた状態ではなく、警衛にあたってる者が来訪があり次第開ける、ということらしい。そうなってしまうと、今、身分を証明しずらい僕にとっては、門が開けた状態にある東門から入るという選択肢しかなかったはずだった。
「これなら、大丈夫そうかな」
本当はかなり不安だったけど、前に聞いた情報通り東門は人の出入りが盛んに行われていた。これなら、怪しまれることなく進むことができるだろう。なんていったって、この広い門に警衛は二人だけだ。一番真中をそつなく進めば、いけるに決まってる。
などと僕は考え、足を前へと進めた。
「止まれ!」
心臓が跳ね上がる。ただ、僕と決まったわけは無い。ここで、周りを探るように顔を動かしてしまっては、余計な疑いをかけられる可能性だってある。
何食わぬ顔をしてるつもりで、僕は歩みを止めなかった。が、警衛の者が視線の隅に入ってくるのがわかってしまう。
「貴様、貴様だ! そこの黒い髪に白い布を羽織った男!!」
周り中から目を向けられている気がする。確かに、そんな奇抜な格好をしているのは僕くらいだ。
「……えっと、その? 僕ですか?」
「そうだ! 貴様、あからさまに怪しい格好をしているな。ちょっとこっちへ来い」
なるほど、言われてみれば僕は怪しい格好をしている。布で全身を覆い隠しているなんて、何かやましいものがあると思われても仕方がない。
と、冷静に分析をしていたが、心臓は鼓動を速めていく。どうして気づかなかったのか、と。こんなにも怪しい格好で通るなんて、まるで声をかけてくださいと言っているようなものじゃないか。もし仮に、僕が囮で他の誰かを通過させようとしての行為であれば話は別なのだろうけども。待て、こんな考察は今はいらないぞ。
「は、はい」
僕はできるだけ平静を装って呼ばれた方へと向かう。僕を呼んだ警衛の者は、腰に剣を携えているだけの軽装だ。ここは、王都の警衛をしている兵士とは別だと思った。
「悪いが、怪しい服装をしていたので声を掛けさせてもらった。問題が無ければ、その布の下を見せてもらってもいいか?」
「わかりました」
僕は布をはぎ取る。リトルが服の中へ移動したのは理解していた。そうなると、ここを上手く切り抜けるための問題は一つになる。
「ふむ」
男は、僕を中心に円を描くように歩き始める。そうして、全部見終わって僕の目の前へと戻る。
「質問してもいいか?」
「はい」
「我が領へは何の用で来た?」
「ハンター、と呼ばれる職に興味があります。できるなら、なりたいとも思っています」
ここまでは、僕が想定していた受け答え。僕が腰に携えているナイフと小さな盾は、説得力へと繋がるはずだ。
「そうかそうか。それはいい心掛けだ。最近は魔人がこの辺りにも出没するようになって来たからな。でもな坊主、いくつだ?」
「えっと、17です」
坊主と呼ばれる年じゃないはずだけど、そう見られるということは僕はそんなに幼く見えるのかな?
いや、王都ではそんなこと言われたことは無いし、坊主なんて言われたことは無い。だから、目の前の男にとっての話なんだろう。
「まだまだ若ぇなぁ。坊主みたいな若いのがやるもんじゃねぇ。ハンターってのは、危険を顧みず命を張れるようなやつがやるようなもんだ。あんなもんに進んでなるもんじゃねぇぜ?」
表情を見る。どこか、僕を心配そうに見ている気がする。これなら、上手く切り返せれば中へと入れそうだ。
「いいか、坊主。その心掛けは立派だと思うがな、まだまだ若けぇんだ。命を大事にしろ。そして、若いうちは女と遊んでおけ。それが、若い特権ってやつなんだぜ」
「……そ、そうなんですか」
「そうなんだよ!」
しかし、僕にはそんな経験はあるはずなど無く、相手の話は止まることは無い。思ったけど、僕は経験あることの方が少ないな、と感じていた。
これでも、救護とか炊き出しをやっていたので、その辺りには自信はあるんだけど。
そんな関係ないことを考えつつも、もちろん話は進んでいた。そして、僕が恐れる核心へと近付く。
「大体なぁ、ハンターって奴の多くは頭がおかしい奴が多くてなぁ。おかしいで済めばマシだが、狂ってるような奴までいてよ…………で、坊主。その腰にあるナイフと盾の間にあるもん見せてもらっていいか?」
「えっと、これ、は……」
こうなることは予測できていたはずなのに、頭の中の計算は追い付いておらず、言われてからどうするか悩んでしまう。これはとても悪い癖だ。早めに直した方が良い。
それよりも今、僕はどうするべきか。強行突破を試みるか、中のそれを見せてしまうか、それともあきらめて後ろへ引くか。どれも駄目に決まってる。どれがマシかといえば後者に決まっているが、それではこれからの旅は続けられない。どうしても、ファイスト領へは入る必要があるんだ。
「…………っ」
口の中に溜まった唾液を飲み込む。その間に、事態は思わぬ方向へ進んでいった。
「あぁん? 頭がおかしいだと?」
僕と目の前の男は同時に声の主へと顔を向けた。そこには、明らかに人間ではない女性がいた。
「そうだ。お前なんかはいい例だろ。戦闘狂いの強欲女のくせに」
「はぁん……あたしの勘違いじゃなきゃ、あたしは喧嘩を売られてるんだよなぁ?」
身長は一体どれくらいあるんだろうか。ちょうど、通りかかった成年ぐらいの女性の2倍ほどの身長がありそうだ。それに加えて、強靭な肉体の男性に負けない体躯に、人間にはない鮮やかな褐色の肌。
あれは、間違いなく人間じゃないと言い切れる。
「やめてくれ。喧嘩は売っていない。ニクスに喧嘩を売ったら、問答無用でこっちがぼこられちまう」
「じゃあ、なんだっていうんだよ」
ニクスと呼ばれた女性がボサボサした長い髪をいじりながら近づいてくる。露出の多い服に、大きな剣を腰に下げているため、色々な意味で目立っている。
その証拠にほら、すれ違う人々は彼女を見て驚いた表情をしていた。
「今な、俺はこの坊主に人生のなんたるは、というのを教えていたわけだ」
「おう」
「それでな、この坊主、ハンターになりたいなんて言うから、そいつは止めとけ、っていう話をしていたわけだ」
「何でだよ」
「魔人を倒して人間の平和を守る、なんて言えば勘違いしちまうけど、実際は頭のおかしいやつとか、狂ってるやつとか、頭のおかしいやつとかしかいないだろ?」
「あぁん? やっぱりてめぇ、喧嘩売ってるじゃねぇか!」
「いや、売ってはいない。俺はあくまでも、世間一般の評価を坊主に教えているわけでな……」
二人の間で、トントン拍子で話が進む。二人の視線は僕から離れお互いへ、周りの感心も完全に二人に移っている。
これは、チャンスか?
「……よし」
僕は、こっそりと体をずらしつつ、足を少しずつ動かし距離を広めていく。そして、二人の視線が僕へと動かないことを確認して、そのままその場を抜け出し、ファイスト領の中へと入って行った。
よくわからないけど、助かった。僕は胸をなでおろして、もう見えない女性へと秘かに感謝したのだった。