3
ずっと、生まれてこなければ良かったと思っていた。
誰からも必要とされず、誰の役にも立てず、人間でもなく魔人でもない半端者で。
誰かの役に立ちたいって願っても、誰の役に立ちたいのか、何ができるのかそれさえもわからなくて。
なんでこの世に生れてきたんだろう、って何度もあの人に問いかけた。
あの人は、ただこう言うだけだった。
「すまない」
当然、僕が求めていた答えとは違っていた。そして、僕が探していたはずの答えは、一生帰ってくることは無かった。言うまでも無く、これからもその機会が生まれること無いんだろう。
なぜなら僕は、世界から見捨てられたのだから――
「はぁ、ほんっと、見ちゃいらんないわね。死んだってのに、いつまでも辛気くさい顔をしてんのよ!」
「……えっ?」
瞼を開く。世界は終わっておらず、続いてるわけでもない。だとしたら、どういうことなんだろうか。
「ここは……? それに、君はリトルなの?」
「私は私よ。私以外の私がいるはずないじゃないの」
そう言いながら、僕の周りをヒラヒラと飛び回る。辺りは深い暗闇なせいか、彼女の白い羽は光り輝きこの世のものと思えないほど綺麗に見えて、より一層現実感が薄まった。
「やっぱり、そういうことか」
「何がよ」
「ここはきっと、現実じゃないどこかなんだろ」
「まぁ、そうね。現実といえば現実じゃない、けどねぇ。だけど、現実といえば現実で…………あっ、クロトが死んだのは現実よ」
「じゃあやっぱり……」
「でも、違うの!」
一体全体何が違うのだというのだろうか。リトルの説明することは矛盾があって理解することはできない。そもそも、死んだというのが正だというのにも関わらず、ここが現実だという話が信じられるはずがない。加えて、リトルの言葉もどこか曖昧だ。
もう、僕の覚悟は決まっていた。僕は誰からも生涯必要とされることもなく、命を落としてしまったんだ。幸いなことといえば、代わりに誰かの命を奪ったことがないというだけだ。
「もういいよ、そんな気休めなんていらない」
「だから、ち――」
「もう、いいんだ。ここは、僕が生きていくにはあまりにもつらすぎて、疲れたんだ」
「……そう」
どうして、リトルが目の前にいるのかはわからない。予想するなら、彼女は僕が心を許せた数少ないヒトの一人だからなのだろう。
死ぬ前には、走馬灯が現れるという。僕には、いい思い出なんてものがないから、代わりに彼女が現れてくれたのかもしれない。僕の存在を認めてくれた、短い人生の内の一人だから。
「また逃げるのね。少しは、認めてたのに」
「…………君に、僕の何がわかる?」
「わかるわ。優しい男の子だってこと」
「違う、僕は」
優しいんじゃない。怖い、ただそれだけなんだ。怖いから、目の前の現実から目を背け、選択をしようとしなかった。流されるがまま、僕の理解者であるあの人も見捨て、ただただ目の前の出来事を眺めていた。波に逆らうことなく流れ続けるだけの流木、僕はまさしくそれだ。
「違わない」
「……もう、やめてくれ。どうして死んでまで、僕はいじめられなきゃいけないんだよ! 違うんだ! 僕は、優しいとかそういんじゃない!」
「だって、自分が命を落とすことになっても、信念を曲げなかったじゃない。私は覚えてるよ、クロトが言ったこと。自分が死ぬことになっても、ってやつ」
途中から耳を塞いだ。目もつぶる。しかし、リトルの声は脳に響き渡る。
「違う違う違う! 僕はそんなヒトじゃない。ただ、何も選べなかったけで」
「――選んだ方が楽だったのに、ね」
「それ、は……」
リトルが言いたいことはわかる。僕がもし選択をできていれば、今よりはマシな境遇であったはずだし、死んでからも自分の人生を省みて後悔することも少なかったはずだろう。
だけど、僕にはできなかった。正確な理由はわからないけど、わかることはある。
あれは僕が、王都で兵士団のテストを受けた時だ。兵士としての力を示す最終テスト、対人戦をした時だ。確か僕は手を抜いた。相手だった同じ試験を受けた人間に、手加減をして地べたを這うことになった。
あの人は僕に聞いた。どうして、力を示さなかった。お前がちゃんと力を示せば、アイギスを渡され、お前を見下してきた連中を見返せるんだ、と。
その問いに、僕はこう答えたはずだ。
「誰かを傷つけてまで、ほしくなかった」
あの時、初めてあの人のあんな表情を見た。失望を感じさせるなんて生易しいものじゃなくて、僕を息子を、出来の悪い子供を見るかのような目。いいやあれは、そんな生易しいものじゃなく、他人を遠くから眺める冷ややかな視線だった。
あれから僕は、あの人を父さんと呼ぶことは無く、あの人もまたクロトと名前で呼んでくれることは無くなった。あの人の最後を除いて。
「やっぱり、優しい。でも、その優しさはただの自己満足だわ」
「うん」
「力を持つ者は、力の責務を果たさなければならない」
「そうだね」
「あの時も、今日も、クロトは戦うべきだったのよ。運命を変えたかったのなら、ね」
「僕もそう思う」
もしかすると僕は、あの人に見捨てられたことに意固地になって、世界から見放されたと勘違いして、それならいっそ、と。あの時の言葉を無駄にしないためにと、利己的な主義をひたすらに貫いてきたのかもしれない。
「どう? 少しは後悔した?」
「後悔はした、けど……」
「けど?」
「自分を貫けた。だから、未練はないよ」
「はぁ、あんたって奴は……」
本当は未練がある。できることなら、南の国、魔人が住まうタルトロス帝国の帝都、そこに行ってみたかった。あの人が死ぬ間際に、そこに行けと言っていたから。でも、別にあきらめがつかないわけじゃない。
僕は立ち上がり、リトルを見下ろす。あきれているのだろうか、何かを考えるように僕の前を右往左往する。
「さぁ、早く連れて行ってくれよ。ここが終着点ってわけじゃないだろ? リトル、君がいるなら僕は心強いよ」
「……うぅん、どうしよう」
「さぁ早く!」
「うっさいわね! さっきまでうじうじしてたのに、何でそんな笑顔なのよ!」
「えっ? ほんと?」
「そうなのよ! あぁもぅ……調子狂う。私のイメージと全然違うのよね」
心が穏やかになっていく。やっぱり、最後が彼女で良かった。だけど、現実の彼女はそうではないだろう。ちゃんと、目的地に辿りつけるといいな。
「……決めた。最初はちゃんと合意を取ってからにしようと思ってたけど、もうやってらんないわ。ここで、貴重な時を使うのももったいない。クロト、いいわよね?」
「うん、何かよくわからないけどいいよ。早く行こう」
「言ったわよね。クロト、あなたはどこへでもついてくる?」
「う、うん。っていっても、行き先は一つしかないと思うけど」
「まぁ、そう、ねぇ……元々そう決めていたしね」
何か会話がかみ合ってない気もしなくもないが、続けて相槌をした。何かおかしいな、とは思っていたけど、死んでいると知っていたから、多少のおかしさはしょうがないと考えた。第一に、これは僕の妄想みたいなもののはずだ、と。
「いい? クロト、これからは私が、あなたの運命になってあげる。これから、クロトがすること全部、一緒に背負ってあげる」
「うん、ありがとう?」
「その代わり、躊躇わないで。あなたの目指したい世界を描くために、力を使って。私がついてあげるんだから、絶対に運命から逃げないで、ね」
「えっと、うん、わかった」
不穏な気配を感じていた。僕の伸びきった後髪が揺れている気がする。これは、風? 巻き上げるような、空へと舞い上がるような。
「私が、運命になってあげる。クロトがすること、全部私が責任取ってあげるわ」
「リトル、君は何を」
「神よ、かの者の時を逆行したまえ」
その刹那、世界は色を変えていき、僕の頭では処理することができない世界が展開されていく。
「クロト……お願い、力を受け入れて」
僕には理解できない。理解はできないが、終着点には辿りついた。