2
「よっと」
暗闇の中、奴らの誰にも気づかれないように慎重に酒場の屋根へとよじ登った。そして、屋根から屋根へと移動して、火がついている家へと近づいていく。
やつらはおそらく、リザード族の男、リザードマン。ちなみに性別的に女性の方は、リザードと呼ばれていたはずだ。
リザード族の特徴として、二足で立っている魔人であるが、人間よりも二倍ほど体格が大きく、背中付近に長い尻尾が生えている。口からは、人間を殺傷できるほどの火を吹くことができ、振り回された尻尾もまともに受け止めてしまうと、遥か後方に吹き飛ばされてしまうほどの力もある。さらに注意する点としては、刃物の類に対しての抵抗があること。完璧に抑えられるわけでもないが、上手く刃物を扱わなければ、折れてしまうほどの屈強さもある。
そして奴らは、それ以外の武器を持っていた。
「盾に、剣か。一体どこで、手に入れたんだろう」
あれではまるで、大きな人間を相手にするものだ。身体的ハンデもある上に、こちらと同等の武器も装備している。卑怯だと、言いたいぐらいだ。
「今はそれはいい。それよりも……」
移動しながら観察をする。途中から気付いていたが、夜の酒場にいた連中が先陣を切ってリザードマンの相手をしていた。数的には3体5、有利だ。
「あの武器は……あれが、王都以外でも作られていたんだ」
普通の人間相手ならば、リザードマンに為すすべなどない。しかし、ハンターといわれている連中は、特殊な武器を持っていた。
「うおぉぉぉッ!!!」
一対一でリザードマンと戦う男は、鎧に光をみなぎらせる。その光は鎧でとどまることは無く、大剣の頂きへと伸びる。
その様子を傍観するはずなどなく、リザードマンはすばやく尻尾をふるった。
「ふんッ!」
両手から振り下ろされた大剣が、尻尾をきれいに切った。切れ目から紫色の血が吹き出し、たまらずといった様子で後方へと退く。が、同時に口から火の塊を吐いていた。それは、男の全身を覆った鎧へと直撃した。
「やったか?」
そう思う気持ちは僕にもわかる。普通の装備であれば、リザードマンの口から放たれた火によって金属は溶かされ、装備者へと痛手を負わせることができるだろう。死に至ることはなくとも、三日三晩彼岸をさまようことになるはずだ。下級魔人といえば弱そうに思えるが、彼らの攻撃は人間を簡単に死へと追いやることができるんだ。
だから今までと同じだと、リザードマンは油断してしまう。尻尾が切れたのは、彼らにとっては一番脆い部分だからと。
「おらぁ!」
「くっ、なぜだ!? 直撃したはずだぞ!」
「なんでだろうなっ!!」
男が振るう大剣を手にした盾で防ぐ。受け止めた盾が震え、腕力で劣るはずもない人間と同等だと思い知らされる。僕にはそう見え、リザードマンが混乱しているようだった。
そのリザードマンだけではなく、他のリザードマンもだ。
「ふぅ」
僕は誰にも気づかれることもなく、その場に忍び寄ることに成功した。その場に伏せて、近くの屋根から騒ぎの場を改めて観察する。まず確認することがあった。
「やっぱりあれは、魔葬武具だ。王都でしか作られない、祝福の力を宿した武器……なぜあれを」
魔葬武具は、力を持たない人間が、魔人を葬るために祝福の力を込めて作られた装備だ。装備者がガイアの力を少しでも受け継いでいれば扱える装備であり、魔人に対抗しうる人間の唯一の武器である。それを彼らが扱えているのはなんら不思議ではない。彼らは魔人ではなく、人間だからだ。
僕が気になっているのは、王都でも生産が追い付いていないはずのそれを、彼らが所有していることだ。そして、魔葬武具ではないものの、人間が生み出した身を守るための金属の武器を魔人が持っていること。その二つだ。
「……今、考えることでもないか」
僕に全く情報がない以上、この先の思考に関してはすべて予想になってしまう。別に考えることが苦手なわけではないが、僕がいまここに潜んでいる理由はそのことを考えるためじゃない。そもそも、戦場で考え事をするなと日頃から僕は――
「戦場で考えことかぁ? 甘ちゃんが」
叱られていたはずなのに、不覚にも背後を取られていた。全身が身震いするような寒気が体中を瞬時に駆け巡る。
「っ!」
なぜ? どうして? ここは安全なはず、と様々な言葉を巡らせながらも、必死で僕はその場から逃れ、状況の確認をしようと飛び上がる。が、足への鋭い痛みが走り、着地は失敗し僕の体は屋根から地面へと転がり落ちていく。
「いっ――つ……」
視界はぐるぐると回り、体中が痛む。右足を確認すると、何か鋭利なもので切られたのだろうか、深い切り傷と共に大量の出血が確認できる。その途端、僕の心臓はドクドクと跳ね上がっていく。
まだ、相手の姿すら確認もできていない。状況だって、立ちあがっても――
「おい、てめぇら! このガキがこそこそ隠れてたんだがよ」
容赦なく切られた足から逆さまに持ち上げられる。視界には、村の人たちの怯えた顔、リザードマンの愉快そうな顔、傭兵たちの疲弊しきった顔が順々に写っていく。
「はぁはぁ……やらなきゃ」
よく言われていた。この世界は、ヒト同士が争う世界だってこと。一瞬の躊躇いが死を呼び寄せるのだということ。一つの勝機を失うことが、一つの敗因を増やすということ。
もっと、もっとたくさんの忠告を僕は、受けていた。だから、まだ僕には考えることができるし、きっとこの先を迎えるための逆転の一手を打つことだっててきるはずなんだ。
「僕は――」
腰に隠されたモノに手を伸ばす。ほぼ同時に、背後から声が聞こえる。
「今からこいつの首を切り落とす。てめぇら全員見とけよ!」
モノを握る。後ろの人物が動き出す。まだ、間に合う。これは――アイギスは、魔人を屠る可能性を秘めた武器。
あの人だって言っていた。僕にアイギスが扱えるということは、僕が、僕が……人間である証拠と、ガイアから祝福を受けた特別な存在だってことを。あの人は、言っていたんだ。
生へとしがみつこうとする僕の心が揺さぶられる。アイギスについている引き金を引ければ、きっと僕は助かる。でも、僕は本当に助かりたいのだろうか。
「僕は半端――――」
引き金から力が抜ける。次の瞬間、首筋へと何かが当たり、意識が遠く、遠く暗い世界へと呼び寄せられていった。