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――人間と魔人、どちらもヒトでありながら、歩み寄ることは無く、北と南、間に湖を隔てて、争い続けてきた。
北の人間を統べる者は、ガイア。争いを好まず、弱き者を助け続けた男であり、どんな者でも優しく受け入れ続けた、とされている。人を癒す力を持っていて、生涯の幕を閉じるその時まで、人々を癒し続けた。
南の魔人を統べる者は、レイア。争いを好み、弱き者を嫌い、強き者のみを認めた絶対的支配者であり、ガイア亡き後、北と南の協定を破った女。北の大地に混沌をもたらした張本人である、人間が忌むべき存在。
だから、僕たち北に生きる人間は、北の大地に存在する魔人どもを蹴散らし、南の大地に住まう魔人を消滅させるなければいけない。
女神エレーネがもたらしてくれた加護と祝福を。それを受け継いだガイアの意志を守るために――
「旅人さん!」
「――えっ?」
「せっかくのシチューが冷めちゃうよ?」
「あ、あぁ……そうですね」
目の前にあるスープのようなものを見た。何日かぶりのまともな食事であるためなのかか、とても美味しそうに見えた。横に置かれていたスプーンを手に取り、口の中にそれを入れると、食べたことのない複雑な味が広がっていく。
「これ、なんていう料理でしたっけ?」
「シチューだよ、シチュー。まさか、お兄さん知らないのかい?」
「い、いや、ちょっとした確認です。僕が食べてきたシチューとは、違うから」
「そうかい。で、味はどう?」
「…………はい、とても、美味しいです」
カウンター越しに、中年ぐらいの女性は笑顔で頷いてくれた。なぜか僕は、その行為に言いようのない感情を覚えた。
「話を戻すんですが」
あの日から二日後、僕はトードー村という場所に訪れていた。先ほど見せてもらった地図を参考にすると、ここは王都ガイアから南東に進んだクロノア領に位置する場所だろうか。
確か、クロノア領は、かつてはクロノアという偉い人が収めていた領土だけど、魔人との紛争によって命を落としたはずだ。その内、領の名前が変わるはずだが、未だにその代理者は表れていなかったためか、クロノア領に住まうほとんどの人が生計を立てている農業の出来にも影響を及ぼしているらしい。。
「パラス村に、エレーネ様の生まれ変わりが出たとかなんとか」
そんな話を聞いていたので、南西に位置するファイスト領を避けて、南東に進んできていた。もしかすると、安く寝床を借りれるんじゃないかと思って、僕は心もとないお金を手に持ちこの酒場へ訪れた。
ここに訪れたのは正解だった。わずかなお金で一夜の宿と二食分の食事を確保することができたからだ。
「そうなんだよ。かつて、この大地を救ってくれたといわれるエレーネ様の生まれ変わりが、パラス村にね」
目の前の女主人は、笑顔で答える。心なしか、声が弾んでいるように思えた。僕には興味のない話ではあるけど、こういう噂話がこんな辺ぴな村の小さな酒場まで広まっているんだとすれば、知っといて損な話ではないんだろう。僕は、適当に話を合わせることにした。
「生まれ変わり、ですか。でも、本当なんですか? 僕には信じがたい話ですが……」
「そうだねぇ、あたしも正直言って信じられないよ。でも、信じられないといいながらも、信じたいんだよ」
「どういうことですか?」
「それは――」
ほぼ同時に、入り口のドアが開いた。3、4、5人と、続けて人が入ってきた。
「酒だ、酒をくれ!」
「あいよ!!」
その集団はみな、鎧を身に着けていて、各人様々な武器を手にしていた。それらを、座った椅子の横に置く。金属がぶつかりあう音が、ガヤガヤとした声の合間に聞こえてくる。
今気付いたが、ここのカウンターに座ってるのは僕だけだが、酒場にはたくさんの人がいたようだった。視線が動かしたのがちょうどよかったので、周りをキョロキョロと見るふりをしながら、さっきの集団を覗き見た。
どこの者かは見当もつかないが、僕を捕えに……というわけではないらしい。って、何をバカなことを。そもそも僕は、生きているなんて思われてないだろ。いてもいなくても、こきを使えるどうでもいいような人間が一人いなくなった、そんな程度だろう。
と、自分で思っていて悲しくなったので、一つの懸念は失くすことにしよう。
「気になるかい?」
「えっ?」
「ずっと、見ているからさ」
振り返ると、女主人は慣れた動作で料理を作っていた。どうやら、お酒は女性の息子らしき男性が運びに行ったらしい。
「まぁ……あの人たちは、よく来るんですか」
「よく、とは言えないけど、ここ一週間ぐらいはずっとだねぇ。晩になると、朝まで浴びるように酒を飲むどうしようもない奴らさ」
「なるほど」
その先を聞こうか悩んだのだが、口からは出てこなかった。それを察してくれたのか、こちらを向くことは無くしゃべり始めた。
「あいつらは、ハンターさ」
「ハンター?」
「賞金稼ぎのやつらさ。あたしたちの町長がファイスト領の協会に金を出して、雇ったのさ」
僕は黙って聞くことにした。
「あたしが小さい時には、武器を取って魔人に対抗しようなんて人はいなかったんだけどねぇ。世の中、変わっちまったもんだよ。もちろん、あたしはうっとおしく思ってるわけじゃないんだけどね」
知らなかった。こんな小さな村さえも、魔人の毒牙が迫っていたことに。
王都ガイアからは、毎日誰かしら出兵していたのにも関わらず、この国の平和を守れていなかったということになる。
「王都じゃ対応してくれないことでも、金さえ出せば解決しようとしてくれるからねぇ。うちの村にも最近魔人が現れ出してね。最初は畑を荒らす程度だったんだけど、終いには村に直接出向いてくるようになってねぇ、困ったもんだよ。だから、金次第で追い払ってくれるあいつらを雇ったってわけさ」
「そう、だったんですか」
「物騒な世の中になっちまったもんだよ。この間、王都もたくさんの魔人に襲われたって聞いたしねぇ……どうしてそんな争いたいんだろうかね。元は同じ、いいや違うね。今も同じヒト、なのにねぇ」
――だから、エレーネ様の生まれ変わりに期待したいのさ。アトレア様とは違う面でね。
耳からそんな声が入ってくる。しかし、僕の思考にはさして影響を与えず。
僕はただ、ここの人たちを守ることができれば、と思いながらも、自分にそれができる意志があるのかどうか、ひたすらに問いかけていた。
ふとシチューが空になっているのに気付いたが、あの味すらも何か、僕に対して問いかけているような気がして、僕は黙って宿代を支払い、酒場の二階にある部屋へと向かった。
部屋で、誰かに話しかけられたように思えたが、気にせず僕は泥のように眠った。
この後、魔人が村を襲ってくるなんて夢にも思わなかった。