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憑きモノ王子とダークな騎士団  作者: 漆之黒褐
序章 『光の王子リース』
1/19

【プロローグ】 光になった王子様と、その他1名

 新魔歴二一三年、【地】の季節。


 その日、フランヴェル国国王ジークウェルト・オーズ・G=フランヴェルは、自ら兵を率い、隣国サザーランドへと向けて進軍していた。

 率いる兵士の数、約七○○○。

 その数は、サザーランドの全兵士数とほぼ同等の数だった。


 但し、その兵質は大きく異なる。


 特産である駿馬兵を中心とした練度の高いフランヴェル軍。

 対して、サザーランド軍の中身はほとんどが雑兵。

 しかし数は同数でも、サザーランド軍は領地全土の守備を捨て、全兵士を一箇所に集める訳にはいかなかった。


 ジークウェルトは、同盟国であり妻の実家でもある隣国フォーブルグに対し共同戦線を事前に取り付けていた。

 進軍するフランヴェル軍の足取りは、非常に軽いものだった。

 例え敵方に地の理があったとしても。


 そんな自軍の勝利を一欠片も疑っていない者達の中。

 国王の周囲よりも厳重に騎士達によって守られた一角があった。


「まさか、この年で初陣する羽目になるとはね……」


 老練の騎士と、年若い騎士達によって囲まれた少年が呟く。


「父上は何を考えているんだろうね」


 少年の名は、リースウェルトと言った。

 愛称はリース。

 ジークウェルトの第一子であり、次期国王が約束されているフランヴェル王国の王太子。


「そうですな……この〈イシュタリス連合国〉は、この先間違いなく戦乱の時代へと突入致します。

 その前に、リース王子の初陣を勝利で飾っておこうという魂胆なのでしょう」


「うん、それって後々面倒になりそうだからって意味だよね、バル爺」


「引退した儂をわざわざ引っ張りだすぐらいですから、その可能性は低くないかと」


 王子の呟き(ひとりごと)に、併走していた老騎士が答える。

 老騎士は、まるで我が孫を見るかの様に穏やかな笑みを浮かべていた。


 王太子に対し、一兵卒でしかない老騎士の口が礼を失している事に、王子や周囲にいる若騎士達は誰も気にしていない。

 それは、彼等がリースの為人(ひととなり)を知っていたからだけでなく、老騎士が彼等全員の剣の師である事も影響していた。


 老騎士の名はバルトフェト。

 かつて身一つ剣一つでフランヴェル国の騎士の地位を授かり、数々の戦勲をあげたフランヴェルきっての猛将。

 一騎当千の実力を認められ『千騎士』の称号を与えられ、また『千騎長』――千人の騎士を率いる、フランヴェル国の最高位の軍団長位――という肩書きまで持つに至った騎士の中の騎士。


 現国王ジークウェルトの祖父の代から仕えている、フランヴェル国においては誰もが知る騎士だった。


「バル爺とこうして会うのは3年振りぐらいかな? 昔とちっとも変わらないね」


「流石にこの年ですからな。早々変わりますまい。王子はこの3年で、成長……したのですかな?」


「あ、酷い。これでも身長伸びたんだから」


 疑問の声を投げてくる老騎士に、馬上の少年がムッとする。


「そうは見えぬのですが……確か、リース王子は今年で11歳でしたな」


「うん。普通、初陣は早くても12歳ぐらいの筈なんだけどね」


「11歳も12歳も、王子ならばそれほど変わらないでしょう……(主に身長的な理由で)」


「何か物凄く酷い事を言われた様な気がするんだけど、気のせいかな?」


「気のせいですな」


 周囲にいる若騎士達が必至に笑いを堪えているのを見て、リースはそれが絶対に気のせいではないと思った。


「そういえば、バル爺は引退してからは毎日ダンジョンに潜ってるんだよね?」


「はい。この〈イシュタリス連合国〉領にある《磨羯之迷宮カプリコーン・ラビリンス》に潜っています」


「相変わらずバル爺は元気だよね。なんで引退したの?」


「あまり年寄りが長く居座っても後身が育ちませぬからの」


「……本音は?」


「むさ苦しい男どもや身持ちの堅い貴族子女に剣を教えたり戦場で斬って捨てる詰まらぬ毎日よりも、右も左も分からぬ駆け出し女冒険者達の面倒を見てちやほやされる日々の方が千倍も楽しいと気付きましたからな」


 サラッと出てきた耳を疑う様な言葉に、周囲で聞き耳を立てていた騎士達の顔がぎょっとする。


「なら、本当のところは?」


「いっこうに王子の剣の腕が上がらぬので、責任を取らされて厄介払いですじゃ。ジーク様は平民上がりの儂にあまり良い感情を持っておられませんからの」


「うん、まぁそうだね」


 フランヴェル国の駿馬兵のほとんどが貴族出身の者達で固められている事は有名な話だった。

 バルトフェトが最初に仕えた先々代の頃はそうでもなかったのだが、周辺国と同盟を締結しそれなり平和な次代が続いた弊害か、徐々に貴族至上主義が蔓延していった。


 近年では貴族階級にない者が騎士になる道も随分と狭くなっている。


「して、王子の腕は上がりましたかな?」


「はははっ」


 リースは笑って誤魔化した。


「まぁ、戦を経験すれば否が王でも上達する事でしょう」


「だと良いね」


「何を他人事の様に仰られているのですか。下手をすれば命を落とす事になるのですぞ?」


「う~ん……まだその実感が、どうもね」


 何重にも守られた騎士の層をリースは見渡す。

 勝ち戦がほぼ決まっていると言われている遠征で、この様に過剰防衛されれば実感も薄れるというもの。

 常勝バルトフェトまで側に付いているのだから尚更だった。


「今の所、フランヴェル王家には直系の跡継ぎは王子しかおられませぬからの」


「父上、毎日あんなに頑張っているのにね」


「フランヴェル王家の血筋は何故だか男に恵まれていませぬ。王子も気をつけなされ。というか頑張って励んでくだされ」


「一応、善処はするよ。あんまり気は進まないけど」


 姉妹に恵まれすぎる環境に身を置いているが故の苦悩だった。

 その苦悩は、フランヴェル王家に産まれた男達の長き命題でもあった。


「アリステル渓谷に入った様ですの。ここを抜ければサザーランドです」


「この渓谷はフォーブルグ領なんだよね」


「はい。もちろん通行許可は取ってあります」


 フランヴェルとフォーブルグは、2箇所から共同でサザーランド領へと攻め込む手筈となっていた。

 サザーランドはフランヴェルの北に位置している。

 フォーブルグはフランヴェルの北東。


 フランヴェル軍は、まず囮の部隊が北西からサザーランド領へと攻め入る。

 時を同じくして、アリストル渓谷西からフォーブルグ軍の囮部隊が、フランヴェル軍の囮部隊と合流するべくサザーランド領へと攻め入る。

 2つの囮軍が西で戦っている間に、フランヴェル軍の本隊はアリストル渓谷内を密かに進み、北へと抜ける。

 その先でフォーブルグ軍本隊と合流し、東から一気にサザーランド王都を制圧する共同二面作戦だった。


「二面作戦は分かるけど、わざわざ僕達がこの渓谷を越えて東から攻め入る意味あるのかな。素直に西と東で別れて戦った方が良くない?」


 王子のいる本隊は、渓谷の中を川に沿って北上している。

 左右は高い岩壁。

 上を見上げると空はほとんど見えない。

 暫く進めばその渓谷を左右に繋ぐ橋が見えてくるとの事だが、渓谷に入ったばかりなのでまだその橋は見えてこなかった。


「ただ攻め入っただけでは、守る側に有利な敵地ですので被害が大きくなるばかりです。

 西は湿地帯が多く、我が軍の利点である駿馬兵が活かせません。

 しかし、この渓谷の出口を塞いでいる砦を抜ける事が出来れば平原。

 一気にサザーランド王都へと駆け抜ける事も可能でしょう。

 王都さえ落とせば戦に勝ったも同然です」


「その肝心の砦を突破するにはどうするの?」


「フォーブルグ軍が渓谷の上から砦に攻め入り、門を開ける手筈となっております。

 但し、大軍を動かせば勘付かれる恐れがあるため、少数との事ですが。

 砦の制圧後、我が軍本隊の後方を固めると同時に、領土を広げるためにフォーブルグ軍の本隊も進軍を開始します」


 後から本格的な進行を行うフォーブルグはほとんど漁夫の利になるが、それでフランヴェル軍の被害が抑えられるならば良しとする考え方だった。


 もちろん、戦後の領土問題は多少揉めるだろう。

 交渉を有利に進めるため、フランヴェル軍は王都を速やかに制圧する必要がある。

 遅れれば遅れるほど、フォーブルグ軍は領土を拡大していく。


 ジーク王の考えでば、王都より東のほとんどはフォーブルグにくれてやるつもりだが、西側はやるつもりは無かった。

 当然ながら、同じく漁夫の利を狙ったは他国によって。西側も多少は奪われるだろうが。


「それにしても……」


 そんなスピードが勝負を決める戦において、如何にして王子に手柄を立てさせるか思案していたバルトフェトとは異なり、王子は別の事が気になっていた。


「この道は、上から攻撃を受けると一方的な戦いになりそうだよね」


「そうですな。下手に魔法で反撃しても、落石を引き起こし被害が拡大するばかりです。

 それ故、安全が確保されない限りここを軍で通り抜ける事はまずありません。

 サザーランドもそれが分かっているため、何度となくこの地を手に入れようとフォーブルグに攻め入っております」


「今は渓谷の西にある砦までフォーブルグが治めているんだよね」


「我が国も何度か領土とした事もありますが、どうしても分断される事が多く、守りきることが出来ておりません。

 両国の安寧の為にも、やはりサザーランドを退ける事は必要でしょう」


 リースの父、ジークウェルト国王がフォーブルグ王の妹を娶り同盟を結ぶ前は、この地を中心に三つ巴の戦を繰り広げていた。

 頻繁に統治国が変わるため、元々この地に住んでいた者達はいつの間にか逃げ去り、今は砦が一つあるだけで街一つない土地と化している。


 人が住まなくなれば、モンスターが集まってくる。

 いつしか渓谷の西の地は〝魔の三角地帯〟とも呼ばれる様になっていた。


「そんなに心配めされますな。昔は兎も角、今の両国は友好関係にあります」


「案内役の使者もいるんだっけ」


「はい。王と共に先頭におります」


 リース王子達がいるのは、軍の真ん中辺り。

 出陣の際に別れたきり、王子は父に会っていない。


 二人が次に会うのは、恐らく敵国サザーランドの王都になるだろうとバルトフェトは踏んでいた。


「……念の為、聞いておきたいんだけど良いかな?」


「何ですかな?」


 この戦のどこで活躍すれば良いのかと聞いてくるのだとバルトフェトは考えていた。

 王子の剣の腕が昔とほとんど変わっていないのならば、間違いなく自分がお膳立てをしなければならないだろうとも考える。

 しかし、そもそも敵の姿が見つけられなければ手柄を立てる事も出来ない。


 王率いる先陣は砦の制圧はそこそこ、一気に王都へと駆け上がるだろう。

 ならば、王子が武勲を立てるのは、その捨て置かれた砦以外にない。

 とすれば、少し急ぐ必要があるのだが……王子の周囲を過剰に取り囲んでいる騎士達が邪魔で、それもままならなかった。


 次期国王のリース王子に取り入ろうとする若者達。

 その魔の手から守ろうとする王子の人徳に惹かれ集まった若者達。

 それを陰から見守る大人達。

 そんな過剰戦力の中に埋もれる事で、少しでも身の安全を高めようとする者達。

 そして、リース王子を守るべく王が使わした、バルトフェトを含む本当の護衛騎士達。


 出陣した時点ではそれほどでも無かったのに、進めば進むほど人は増えていった。

 それが今では、渓谷の狭い道にギュッと縮められ、あまりにも密集し過ぎている。


 渓谷に入って暫くすればもう少しマシになるかと思っていたが、無駄に見栄を張りたがり引く事を知らぬ貴族が多いため、事態はまるで改善していなかった。


 これでは王都攻防戦でも、先陣が戦闘を開始しても後続が追いつかず、隙間が多く空きすぎて、横腹を突かれ分断させられてしまう可能性も高い。

 流石に王も、この事態は予想していなかったに違いなかった。


「もし、フォーブルグが裏切っていたとしたら、僕達はどうなるのかな?」


 その王子の問いに、経験済のバルトフェトはすぐに答えを返す。

 敗北以外にあり得ぬでしょうと。

 勿論、それは杞憂。

 あり得ない事だとして、その考えをバルトフェトは既に切り捨てている。


「さっき上の方で何かが光ったように思えるんだけど」


「ふむ……きっと、使者殿が上と連絡を取っていただけでしょう」


「ああ、そうか。タイミングを合わせて砦に攻め込むんだっけ」


 光を使って交信する方法は、別段珍しい事ではなかった。

 但し、硝子鏡は高価なので、この場合は良く磨いた金属鏡を使用している。

 魔法を使って報せる事も出来るが、砦近くでは魔力感知で常に探るぐらいの事はしているので、この場合は適切ではない。


「じゃあもし、後方にいる味方が裏切ってきたとしたら、どうなる?」


「それは……場合によっては、より悲惨な事になるでしょうな」


 上空からの一方的な攻撃は無いにしても、退路を断たれる事になる。

 とはいえ、正面の砦を抜ければこの問題は解決する。


 但し、それで助かるのは先陣だけであり、密集状態でほとんど身動きの取れない中陣は、応戦するにしても逃げるにしてもあまり碌な事にはならない。


 裏切った味方の目的が王子の首だったならば、それこそ多くの者の命が消える事になるだろう。

 場合によっては、バルトフェト自ら邪魔な味方を切り捨てて道を開く必要があった。

 その許可は王より出ていた。


「王子、あまり悪いように考えますな」


 王子はこれが初陣。

 それも致し方のないのだろうと思う。


「こんな御時世だからね。これから本当に戦乱の時代へ突入するのなら、もうそういう時代に突入していると考えておいた方が良いと思わない?」


「良い心がけだとは思います。

 ですが、それはこのような多くの耳に入る状況で口に出す言葉ではありませぬぞ。

 思慮深き事と臆病者は紙一重。

 特に王子の様な背のひく……女性と見間違うほどの美貌を持った者が口にすえるべきではありません」


「ちょっ!? 言い直すにしてもそれは無いんじゃないかな!?」


 リース王子は背も低いが、女の子にも見える中性的な容姿をしていた。


 王子の近くにいる騎士達の中に、その美貌に惹かれた者が混じっている事を誰も否定出来ない。

 むしろ半分はその容姿が目当て。

 男性主体のフランヴェル軍において、王子が見える位置は最も心安らぐ場所でもあった。


「まぁ、王子の身長は兎も角」


「ちょっと! そこは兎も角しちゃ駄目だよ!? 僕はまだ絶対に成長期に入ってないだからね!」


 むしろ成長期は終わっていて欲しいと思う、一部の騎士達。

 残りは笑いを噛み殺して必至に耐える。


 咄嗟に顔を背けた者は、間違いなく悪。


「……ああ、どうやら砦戦が始まったようですな」


 先程、王子達は上空に架かっていた橋を通り過ぎたところ。

 戦場までの距離は、およそ渓谷の半分。

 やはり予定よりも先陣と離されているとバルトフェトは推測する。


「さぁ、我等もぐすぐすしている訳にはいきませぬぞ」


「とは言ってもね……」


 どうやっても身動き取れない密集状況に、王子は剣を抜く事すらも躊躇う。


「こういう時、王子は剣を引き抜き掲げるのです。

 そうすれば、周りの者達が王子の意を汲み、道を開けるなり突撃を開始するなりするでしょう。

 王子は今、剣を振る騎士の一人ではありません。

 指揮官の一人である事を御自覚下さい。

 その剣は敵を斬るためだけではなく、騎士達に命令を伝えるための指揮棒でもあるのですぞ」


「えっと……それ、初耳なんだけど」


「――儂のいない3年間、王子がどのようにお過ごしだったか何となく分かりました。永い眠りについていたのですね。だからほとんど成長していな……」


「この剣を無礼な爺の首を刎ねる為に使っても良いんだけど!?」


「はっはっはっ。斬れるものなら斬ってみせ……」


 王子の緊張を解すための軽口が、突然止まった。




 ――刹那。




「全員、耐上空防御姿勢っ!」


 バルトフェトの大声が渓谷内に響き渡った。

 しかし、一瞬間に合わず。

 多くの騎士が、その不意打ちの矢を受けて命を落とす事となった。


「なっ!? バル爺、何がっ!?」


「王子!」


 突然に上空から飛来した無数の矢。

 幸いにして矢はリース王子には当たらなかった。

 だが、乗っていた白馬の身体に2本刺さり、暴れた馬に振り落とされる。


 すぐにバルトフェトが王子を自分が乗る馬の上に引き上げ、王子が混乱する馬達によって踏み殺されるのを防ぐ。

 突然起こったその事態に、暫し王子は唖然とするより他なかった。


「まさかフォーブルグが裏切ったのかっ!?」


 目が良かった騎士の一人が、渓谷の上から見え隠れする紋章旗を見て、思わず叫んだ。

 その騎士の叫びが、更に騎士達の混乱に拍車を掛ける。

 サザーランド軍から攻撃を受けるよりも精神的ダメージは遙かに大きかった。


 そしてそれは同時に、予定していた砦攻めが失敗に終わる事も意味している。

 フォーブルグの助力あってこその渓谷越えと、その先の砦攻め。

 砦門は内側から開けられる予定だったので、攻城兵器も持ってきていない。


 一方的に攻撃され続けるこの状況下で、攻城兵器無しのまま堅牢な砦を攻め落とすなど、やる前から勝敗が見えている。


 故に、バルトフェトの判断は素早かった。


「撤退だ! 速やかに撤退せよ!」


 既に一戦を退いている身なので、バルトフェトに指揮権などない。

 だが、この場にいる全員がバルトフェトを知っているため、その命令を無視するような者はいなかった。


 否。


 この死が間近に迫っている状況下では、規律を気にする者でも我が身可愛さにバルトフェトの力強い命令を聞く以外の選択肢は存在しなかった。


 しかし、バルトフェトはその命令は仕方無しに発したものでもあった。

 自らが鍛え上げた練度の高い軍ならば、このような場合でもまず隊列を整える事を優先させる。

 火事が発生した際に、我先に逃げようと出口に殺到した結果、被害が拡大してしまう事と同じである。


 では何故、バルトフェトは統制しなかったのか。

 理由は、その指揮権が無いからだ。

 逃げる事には一も二もなく諸手をあげる者達でも、軍として統制の取れた動きをさせようとすると反発を招く。

 早く逃げたいからこそ、その反発は強くなる。

 そこに我先に逃げようとする者が現れれば、更に状況は悪くなる。


 3年。

 それだけ軍から離れていれば、平時ならば兎も角、絶対窮地の緊急時においてまともに指揮出来るとは思わない。


 例え悪手であろうとも、それが現状では最善手である以上、バルトフェトは取らざるをえなかった。

 最優先事項である王子の命を守るために。


 軍の指揮という面倒な仕事を放棄し、ただ一騎士として王子を護衛する。

 矢が降り注ぐこの戦場で、それが最も王子の生存確率をあげる方法だった。


「バル爺! 僕は良いから、皆を!」


 バルトフェトは一瞬言葉を飲み込んだ。

 何故なら、それは実は不可能ではないからだ。


「――その命令は聞けません、王子。儂は王子一人の身を守る盾としてこの場にいます。これは……王命です」


 本気でそれを成そうと思えば、出来ない事はない。

 しかしそれは、王子の身を危険を晒すということ。

 ただでさえ身の安全が保証できないこの状況下で、王子の生存確率を大きく下げざるをえないその選択肢を選ぶ事は出来ない。


 『千騎士』という称号は、剣。

 剣であるからこそ、『千騎長』も活きてくる。

 何も守る必要がないからこそ、大きな力を発揮出来る。


「一気に駆け抜けますぞ!」


 バルトフェトはリースの言葉を無視して駆けた。

 一箇所に留まるのは危険。

 敵の攻撃は、明らかにリースのいる一点を狙っていた。


「くっ、魔法兵までおるのか!」


 矢雨に続き空から降ってきた炎の塊に、密集していた騎士達が悲鳴をあげる。

 ここにきて王子の周りにいた騎士達の練度の低さが浮き彫りになった。


 混乱の渦中、まともに魔法防御出来ず多くの騎士達が討ち死にしていく。

 そのほとんどが、リース王子を狙った攻撃によるものだった。


 それから一刻。

 一方的に虐殺される光景を目の当たりにして、2人の間にはもはや言葉は無かった。

 悲鳴ばかりだけが飛び交う死地。

 バルトフェトはようやく渓谷の入口付近まで辿り付く。


「バルトフェト殿、ご無事でしたか!」


 這々の体で逃げ帰ってきた2人を、後陣を任されていた将の一人が迎えた。


「おおっ、シュレック卿か!」


 渓谷の入口を囲むように整然と並ぶ槍兵達の中から出てきた男性に見覚えがあったバルトフェトは歓喜した。


 シュレック卿はバルトフェトと同様、古くからフランヴェル国に仕えてきた将の一人。

 目立った功績はないが、一時期はバルトフェトの副官を務めていた事もある。


「王子は?」


「無事じゃ。此処におる。何とか守り通した」


 馬を横向きにして、王子の姿を皆に見せる。

 だが、王子はまともに挨拶をする事が出来なかった。

 険しい表情を浮かべてシュレックの姿を瞳に映している。


「そうですか。それは良かった」


 そう言うシュレックの顔には、本当に喜んでいるような笑みが浮かんでいた。


「……シュレック卿?」


 しかしその笑みに、バルトフェトは不穏な色を感じ取る。


 バルトフェトが咄嗟に腰の剣を掴んだのと、シュレック卿が腕を振り上げたのはほぼ同時だった。


「討ち取れ」


「まさかっ!? 裏切ったか、シュレック!!」


 突然、反旗を翻した味方が放った矢と魔法の雨に、理解が追いつかなかった騎士達が為す術なく命を散らしていった。


 それは、もはや戦と呼べるものではなかった。

 渓谷の中に戻れば、上から矢と魔法の雨が降ってくる。

 渓谷の外では、槍を構えた兵達が半月に取り囲み、その後方から渓谷内へと向けて矢と魔法の雨を放ってくる。

 いつの間にか暗雲が立ち籠めた戦場に、屍の山が築かれていく。


 フランヴェル軍はその絶望的な状況で、バルトフェトの指揮により何度となく突破を試みた。

 しかし裏切ったシュレック軍の防御は堅く成功する事は無かった。

 突撃する兵数は渓谷から逃げ帰ってきた騎士達で埋める事は出来るが、決定的な突破力がどうしても足りなかった。


「――バル爺。バル爺が突撃すれば抜けられるんじゃないの?」


 指揮の邪魔になるため、リースは別の馬に乗り移っていた。


「はい、間違いなく。ですがそれでは……」


 だが、リース王子を狙った攻撃は今も続いていた。

 一応、矢が届かない位置を確保し、直線的に飛んでくる魔法攻撃は護衛の騎士達が防いでいる。

 しかし確実に安全という訳では無い。


 一時的にでも王子の側を離れる事にバルトフェトは躊躇する。

 しかしこのままでは先にフランヴェル軍の方が力尽きてしまう事は明らかだった。


 まともに傷兵を匿う事も出来ない。

 糧食のほとんどは後陣が運んでいたので、以て一日。

 敵の目的はリース王子の首一つだというのはシュレック自身が堂々と宣告していたため、時間が経てば経つほど仲間割れの危険性が増す。


 決断するより無かった。


「ラインハルト、コルトイーガー、オルンドル」


 バルトフェトが決断してくれたのを悟ったリース王子が、側近の騎士達を呼ぶ。


「四半刻、お願いね」


「「「我が命に代えても!」」」


 信頼する側近達の言葉をやや強引に引き出したリースがバルトフェトを見る。


千騎長(ヽヽヽ)バルトフェト、頼んだよ」


 その称号は既に国王へ返却されていたが、リースは敢えてその称号でバルトフェトを呼ぶ。

 こんな時でも〝お願い〟や〝頼む〟などという、上に立つ者にあるまじき言葉を使うのは相変わらずかとバルトフェトは思う。


「はっ! 必ずや!」


 バルトフェトが率いた数は、生き残っていた騎士達のほぼ全てだった。


 七○○○人いた兵は既に五○○をきっている。

 国王ジークウェルが率いていた先陣はほぼ全滅。

 後陣にいた約二五○○の歩兵は寝返り、これまでの戦いで数は減っているが、その数はバルトフェトが指揮する数よりも圧倒的に多い。


 だがフランヴェル軍にもまだ勝算はあった。

 それは、残っている兵がほぼ全て騎馬兵である事だ。

 突破する事さえ出来れば、逃げ切る事が出来る。

 王都に戻った後も苦戦は続くだろうが、フランヴェル軍はその持ち前の機動力を活かす事で挽回する事は不可能ではない。


「僕達も続くよ!」


 バルトフェトがこじ開けていく穴に、リース達はすぐに駆け込んでいった。

 バルトフェトの突撃が失敗すれば、その場で待っていても死ぬのは明らか。

 突撃の成否を確認するまでもなく、リース達は決死の覚悟で駆けていく。


「今だっ、討て!」


 しかし、その事はシュレックも読んでいた。

 突破を試みようとするバルトフェトを無視し、ここぞとばかりにリース王子への攻撃を兵達に指示する。


「ぐぁっ!」


「オルンドル!」


 側近の一人が頭に矢を受け、馬上から落ちる。

 鉄壁で知られていたその男の最後は、実に呆気ないものだった。


「王子、振り返ってはなりません! 今は前だけをっ!」


 そう言っている間に、リースの前を塞ぐ様に敵兵士達が躍り出てくる。


「我は剛槍のコルトイーガー! 貴様等にリース王子の首をくれてやる訳にはいかん!」


 先んじて突撃した事で、リースの速度は落ちる事はなかった。

 だがその代わりに、強引な突撃を敢行したその側近の馬が敵刃を受け、戦場に沈む。

 多勢に無勢、敵陣深くで馬を失ったその側近が討ち取られるのは逃れようのない未来となった。


「王子、先に逝きます……フランヴェル国に栄光あれ!」


 そして遂に、最後の側近であった男性も命を散らす。


「皆の忠義を、僕は一生忘れない」


 リースは駆けた。

 自分の為ではなく、散っていた皆の為に。

 後ろを振り返る事無く、ただ前だけを見て。


 そして遂に、敵の姿が視界から消えた。


 前にはバルトフェトの姿があった。


 彼のいる場所へとリースは駆ける。


 助かったと思った。


 もう大丈夫だと思った。




 ――だが、世界はリースに牙を剥く。




 漆黒に彩られた暗雲の中から、一条の雷がリース目掛けて落ちる。


 リースの意識はそこで途切れた。






★☆★☆★☆★☆★☆★






 ところ変わって、異世界にて。


「……はっ……はっ……はっ……はっ……」


 滝川(たきがわ)一騎(かずき)は、自転車を漕いでいた。


 背中にはパンパンのリュック。

 つい今し方まで、一騎は電気街で年に一度の買い物をしていた。

 その帰り道だった。


「ああ、やばいな。雲行き怪しくなってきた。急ごう」


 天気予報では快晴だったのに。

 そんなご無体な、と考えながら一騎は速度をあげる。


「くっ、雨に濡れたら洒落にならん」


 既に一騎は汗だく。

 しかし背中に背負っている物の重みに比べれば、そんな辛さなどモノともしない。

 何しろ一年に一度と決めた大奮発の買い物なのだ。

 家に着いてからのワクワクに比べれば何のその。


 その一騎の前に、待ちに待った下り坂が視界に入る。


「ふっ、勝った」


 頭の上ではゴロゴロと鳴っていたが、ここまでくれば後は下るだけ。

 何故かその一角だけ周囲は田んぼで何も無かったが、まさかの出来事なんて早々起きはしない。


「全力全快! 俺は今、光になる!」


 滝川一騎、十七歳。

 その日、一騎は本当に光となった。


 ゴロゴロ。

 ピカッ!


「っ!?」


 超絶に運悪く、雷に打たれて。








次話はきっとモフモフ……きっとモフモフ……


挿絵(By みてみん)

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