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 授業が終ってもまだほとんどの生徒が残っていて、教室の中はにぎやかだった。


「さようなら」

 

 亜里沙は、友だちに気づかれないように小さな声で挨拶をすると、部屋を出てそっと塾のドアを閉めた。夜気はひやりと冷たいがもう体を縮めるほど寒くはなく、あたりにはかすかに沈丁花の香りが漂っている。けれど、亜里沙の足は重かった。夜の九時を過ぎているのに、それほど空腹も感じない。自宅のマンションに帰るには、大通り沿いにまっすぐ行くほうがずっと近道なのに、亜里沙はコンビニの角を右に曲がった。そして住宅地の間の細い坂道をのろのろと登っていった。

 

 家に帰りたくないわけがある。

おととい私立高校の合格発表があって不合格になった。塾でも太鼓判を押されていただけに、予想もしない結果だった。クラスメイトたちはほとんどが合格した。とにかくひとつ行ける高校が決まったことで安心感が生まれ、学校も塾も発表までのぴりぴりした空気に比べればずいぶん雰囲気が和らいでいる。そんな中に亜里沙は身の置き所がなかった。


 本番に弱いタイプとでもいうのだろうか。部活の陸上部でも、練習では好タイムを出せるのに大会になると負ける。体育祭や学習発表会などの学校行事でも、ここ一番という時にミスったりとちったりと例をあげればきりがなかった。亜里沙自身は自分のことを、特に気が小さいとか注意力がないとか思っていないのに、なぜか本番となるとうまくいかないのだ。しかしまさか受験で失敗するとは考えてなかっただけに、亜里沙のショックは大きかった。


「あんまり気を落とすな。まだ公立があるから、お前の実力ならこれから全力でがんばれば大丈夫」

 

 昨日行われた臨時の三者面談で、担任の木内先生はそう力づけてくれたが、その言葉は亜里沙の頭の上を素通りした。三者面談では、私立を失敗したことで、予想通り公立高校の志望先を変えることを勧められた。けれど亜里沙は第一志望のK高校がとても気に入っている。校風も自由な感じだし、制服も可愛い。しかしその高校は今の亜里沙の成績からすれば、合格ぎりぎりのラインにあった。もしも公立に落ちればあとは二次募集をする私立を受験することになるので、木内先生はそれを心配して志望校を変えるようにアドバイスしたのだ。


「どうする?」


 先生の話を聞いたあとで、母の桂子が亜里沙にたずねた。亜里沙はしばらく無言でうつむいていたが、やがて消え入るような声で言った。


「ちょっと……考えていい?」

 

 第二志望のS高校にも見学に行ったが、なんとなく学校の雰囲気が暗いのが気になった。それに家からはかなり遠くて通学に時間がかかる。


―― K高校へ行きたい

 心の中ではそう思いながら、その日亜里沙は結局自分の正直な気持ちを先生にも桂子にも言えなかった。


 面談のあと、桂子は受験のことを話題にはしなかった。悩んでいる娘を追い詰めてもしようがないという母の気づかいがわかるだけに亜里沙はつらかった。来年は、ひとつ下の弟の信司の高校受験があって、自分が私立へ行くことになれば経済的に大変なのだという、家庭の事情も分かる年になっている。気が進まなくても、確実に合格できそうな公立を受けるのか、一か八かでどうしても行きたい学校にチャレンジするか。考えても考えても結論は出ず、次第に亜里沙はもう自分がどうすればいいのか分からなくなっていた。十五才の少女には重過ぎる選択が体と心にのしかかって、亜里沙はその重みに今にも押しつぶされそうに前かがみでとぼとぼと夜の道を歩いていった。


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