愛されたくて、生み出したモノ
自分よりも大柄な男に、上からぎゅっと抱きしめられる。それに身を委ねながら、私は硬い胸板に顔を寄せる。
これが、生きている中で1番心地よい感覚だ。すべての悪意やうんざりする現実から守ってもらえるようで、庇護されていると強く実感できる。
うっとりと目を閉じながら、私は小さめの声で呟いた。
「ねえ、私、あなたのことが大好きなの」
「うん」
柔らかい声。どんな顔で言っているのか、気になって少し身体を離した。
男の美しい目は私だけに注がれている。私が身体を離したことが気になったのか、男はこちらの顔を覗き込んできた。ふわりと揺れた真っ黒な長髪。それに一度目を奪われるも、すぐに視線を戻す。
私はゆっくりと男の頬に手を伸ばした。軽く首を傾げた彼だが、私の手を振り払おうとは一切しない。むしろ、嬉しそうにふわりと口角を上げた。
そんな男に、私は問いかける。
「あなたも、私のこと好き?」
「うん。世界で1番」
砂糖をまぶしたような優しい声だった。その声は私の中で浸透していき、その感覚は身体の隅々へと広がっていく。
ああ。
湧き上がるのは歓喜。
そして虚無感。
この男――いや、そもそも「男」かも怪しい。この「モノ」は私が作った。
この安心感も。この喜びも。
全部、全部。私が自分の好みで作り出したものであり、私自身による成果。
それを自覚していながらも、これに縋るしかない。なんて愚かな人間なんだと自嘲しながらも男の皮を被った「モノ」に手を回す力を強めた。
◆
愛されたい。それが私の人生における指針だった。
私は、愛されていなかった。
この広大な世界の中、私しかいないみたいだった。この世には覚えきれないほどの人がいるはずなのに、私は透明人間のようだった。
愛されたかった。だってきっと愛は温かくて心地のよいものであるはずだ。みんな愛を求め、愛を囁き、愛を伝えたがる。私だって、それに浸りたかった。
愛されたい。私だけのことをみてほしい。そんな空想めいた執着心に包まれた私は、ふと思いついた。
それなら、自分で作ってしまえばいい。私だけを愛してくれる人を。そして私の好みの人を。
いや、人ではない方が良い。だって、人の心は移りゆくから。それならいっそ。
そう思った私は、「私だけを愛してくれる理想の存在」を作ることにした。
私は研究にのめり込んだ。人が手を出していいのか分からないところまで手を出し、
そして完成したのが、目の前のモノだ。
中性的な見た目。ふわふわとして優しい声。温かい眼差し。私のことを肯定してくれる。そんな、私にとって都合の良い存在。
「あいさん」
男が私に微笑みかけているのを見たとき、生まれて初めて満たされた感覚がした。足りていなかったパズルのピースがそろったかのようだった。
私は幸せになれる。そう確信した。
しかし、それは最初だけだった。
数日経つと、変わることのない現実から、私は目を背けることができなくなってきた。
もどかしさや虚しさで私の心はごちゃごちゃになり、次第に彼から距離を取るように心がけるようになった。
それを放っておいてくれる彼ではなかった。私が悩んでいるところを放っておかないのも私の好みなのが、憎らしくもなってくる。
私の方に伸ばしてきた手を振り払って、つい叫んでいた。
「だって、あなたは私のことを好きっていうでしょう!?」
「……」
「……だって私がそうしたもの」
心に渦巻くどろどろと真っ黒な気持ちのまま、私がそう呟くと、彼は何も言わなかった。きっと、困っているのだろう。
しばらくして、ぽつりと声がした。
「じゃあ、試してみようか」
「え?」
彼が無表情でこちらを見ている。その顔すら私の好みなのは言うまでもない。彼が私の頭にゆっくりと触れる。
軽い電流が流れる感覚。プツリと意識が途絶えた。
◆
遠くから鳥の鳴き声がする。妙に眠くて布団を手繰り寄せた。
「あいさん、朝だよ」
柔らかい口調で名前を呼ばれて、やっと目を開く。すると、美しい目がこちらを向いていた。
「おはよう」
「……えっと、おはよう」
何か違和感がある。しかし、これが当たり前のようにも思える。それすらも何かおかしい気がする。
おかしい。おかしくない。相反する感覚がして、戸惑っている間に、彼はこちらに微笑みかけてくる。
「今日も愛してるよ」
「え、あ」
どくり、と心臓が激しく音を立てた。固まる私に、彼は柔らかく微笑みかけてくる。
「どうしたの?」
「えっと……」
何かがおかしい。いや、やっぱりおかしくないかもしれない。
そうだ。この人は。この人だけは私のことを愛してくれているんだった。
少しずつ思考がはっきりしてきた。うん。少し寝ぼけていたのかもしれない。
「私のこと、愛してるんだよね?」
「うん。世界で1番」
にこやかに愛を囁く彼に、私は抱きついた。
ずっとこの時間が続けばいいのに。強くそう祈った。
◆◆◆
カチカチとキーボードを叩く音が薄暗い部屋に響く。先ほどまでの余計な設定を解除し、慎重に記憶のデータを積み上げていく。違和感ないように気をつけながら。
しばらくしてキーボードから手を離した男は、「女」を見つめた。
眠っている。それは当然のことだ。彼女の電源は切ってあるから。
人と見紛う真っ黒な髪に触れた。手触りのいい髪がするりと手からこぼれ落ちた。
顔にかかっていた髪をどけたことで、はっきりと顔が見えるようになった。陶器以上に滑らかて整った顔を眺める。先ほどまでは恐怖に支配され、怯えに満ちていた顔からは、すべての表情が消えていた。
「今回はちょっとやりすぎたかな」
わざわざ記憶をいじったことに罪悪感はある、が。気づけば緩みそうな口元に手を当てた。
自分だけが不安になっているのだと思っていた。
だから、試してみようと思ったのだ。同じ立場になったとき、「彼女」がどう思うか。何も思わないのか。あるいは彼女も虚しく感じるのか。
そしてその実験が導いた結果に、笑みを隠せない。
◆
男はずっと自分が嫌いだった。コンプレックスだらけで、嫌なところばかりだった。
中性的な見た目も。どこか掠れた声も。平均よりも高い身長も。全部、全部嫌いだった。
自分のことを肯定してほしい。愛してほしい。短所まで大切に思ってほしい。全てを愛してほしいなどという感覚は強欲であると気づきながらも、その気持ちを消すことなどできなかった。
人の気持ちを勝手に変えることはできない。それなら、作れば良い。そう気づいた男は、自分を愛してくれる存在を自分で造ることにした。
どのような存在がいいだろうか。
触れたときの肌や髪の感覚。嬉しいときの笑い方。男を見たときの彼女の反応。
ほかにも様々なことを考え、外面も内面も深くこだわった。
そうして何度も試作を重ねて、少しずつ改良していった。自分のことを肯定してくれる「理想の彼女」を作り出したのだ。
目の前で砂糖をまぶしたようにふわりと笑う彼女を見て、男は満足だった。全てが報われた気がした。
少なくとも、最初は。
時間が経つにつれて、物足りなくなってきた。それでもどうしても一方的な愛に思えた。男は自分で作りだしたものに自分だけが依存し、溺れていく。自分だって、相手に求められたかった。
だから試してみた。「作り出された側」である彼女の記憶を置き換えて、「自分自身が作った側であり、作り出された存在に愛される」という状況だと認識させた。
すると、彼女は思ったよりも男の行動に一喜一憂したのだ。ときに喜び、ときに落ち込んだ。縋るように男のことを見つめ、男の行動に依存しきった。
同じ状況になれば、同じ気持ちを共有する。それは間違いなく、彼女自身が男を求めているということだった。
じわじわと心を満たす甘美な感覚。愛を渇望していた男は、緩みそうになる口元を覆った。
「愛してる」
自分の好みでありながら、男のことを本当に必要としてくれる。そんな存在が世界の何よりも愛おしく感じてしまうのは、きっと必然なのだ。
――淡い光に包まれているような感覚はいつまで続くのか、一時かあるいは永遠か。




