表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空を渡る魔女と、遅れて届く手紙  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/20

第十七章 最後の配達

 北方に戻ったのは翌日の夕方だった。

 峠を越えて、平野を飛んで、山を越えて、針葉樹の森が見えてきた時、体の中で何かが緩んだ。緊張していたのだと、帰り道に気づいた。行きは緊張していることにも気づかないほど、気持ちが前を向いていた。

 局に降り立つと、ロアンが縁側にいた。

 今日は空を見ていなかった。扉の方を向いて、待っていた。

「おかえり」

「ただいま戻りました。届けてきました」

「そうか」

 それだけだった。

 ロアンは扉を開けて中に入った。夕飯の準備をする音が聞こえた。

 ミリアはポストを下ろして、縁側に腰を下ろした。

 空が暗くなっていた。星が出始めていた。三月の星は、冬の星より少し高い場所にある気がした。

「ポスト」

「なんだ」

「届けた」

「届けた」

「アルトさんが動く。今日の午後から、和平のための動きを始めると言っていた」

「そうか」

「うまくいくといいんだけど」

「うまくいくかどうかは分からない」

「分かってる」

 ミリアは星を見た。

 未来の手紙が内ポケットにあった。

 届けてはいけない、という警告。それでも届けてよかった、という結論。

 警告の方はもう来た。届けてしまった。しかし結論の方の意味は、まだ完全には分かっていなかった。


 翌週から、日常の配達が続いた。

 北の集落、東の農家、山の研究者。いつもの路線をいつもの順番で回った。受取人の顔が分かった。どの家に犬がいて、どの家の主人が話し好きで、どの家が留守がちか。半年近く通ってきて、路線がすっかり体に馴染んでいた。

 南の状況は続いていた。

 本局からの通達は来ていた。緊張が続いている、衝突があった、外交交渉中、という内容だった。しかし全面的な戦争にはまだなっていなかった。

 アルトが動いているのかもしれない、とミリアは思った。しかし確認する術はなかった。

 北の集落の女性への手紙は、三月に入って一通来た。

 女性は封筒を受け取った時、前回のように泣かなかった。ただ静かに、両手で持って、「ありがとう」と言った。

 その顔が、前より落ち着いていた。待つことに慣れた顔だった。


 三月の終わりに、ロアンが珍しいことを言った。

 夕飯の後、かまどの前で茶を飲んでいた時だった。

「ミリア」

「はい」

「来月で半年になるな」

 ミリアは少し考えた。

「そうですね。九月の終わりに来たから」

「半年、ここで飛んだ」

「飛びました」

「どうだった」

 ミリアはお茶をすすった。

 すぐに答えが出なかった。半年間の配達が、頭の中を流れていった。ヴェルナーへの手紙、エリスの父親の手紙、カレンへの手紙、保留の手紙、王女からアルトへの手紙。

「想像していなかったことが、たくさんありました」

「想像していなかった、というのは」

「こんなに色々な手紙があるとは思っていなかった。こんなに色々な人がいるとは思っていなかった。手紙を届けるたびに、知らない人の人生に少しだけ触れる。それが毎回、違う」

「そうだな」

「最初は、能力のせいで郵便魔女になるしかなかったと思っていた。今は、この仕事に向いていたのかもしれないと思ってます」

 ロアンは茶を飲んだ。

「向いている。最初から思っていた」

「え」

「お前が来た日に、鞄を渡した。あの鞄を持った時、重いと言った。手袋越しでも感じた」

「はい」

「接触感応の能力を持つ魔女が、手紙の重さを感じる。それは、郵便に向いている証拠だ」

「最初からそう思っていたなら、もっと早く言ってくれればよかったのに」

「言っても信じなかっただろう。自分で知るまでは、言葉では届かない」

 ミリアはそれを聞いて、少し笑った。

「それも、手紙みたいですね。受け取る準備ができていないと、届かない」

「そうだな」

ロアンは珍しく、少し笑った。皺だらけの顔に、柔らかい笑みが浮かんだ。


 その夜、ミリアはポストに尋ねた。

「ポスト、私はもう一人前?」

「覚悟はできた。だが経験が足りん」

 ポストはそれだけ言った。


 四月になった。北方にも春が来た。雪が解けて、土が出てきた。木の芽が出始め、朝の空気が柔らかくなり、鳥の声が増えた。

 飛びやすくなった。気流が安定して、視界が開けた。冬の間縮こまっていた空が、春になって広がった気がした。

 配達の量は春になって増えた。冬の間、馬車が止まっていた地域の手紙が一度に来た。春の最初の週は、毎日いつもの倍の量を飛んだ。

 ミリアは疲れなかった。疲れないわけではなかったが、飛んでいる時の充実感が疲れを上回っていた。


 四月の第二週の木曜日だった。本局便の仕分けをしていると、ポストが伝えた。

「来ている」

「何が」

「見ろ」

 ミリアは仕分けの手を止めた。束の中を確認した。

 一通、隣国の消印の封筒があった。

 宛先はミリア・ヴェルン宛だった。

 差出人は、アルト・フォン・アルトベルク。

「アルトさんから」

「そうだ」

 ミリアは封を切った。

 読んだ。


 ミリアへ。

 手紙が届いているといい。外交経路を使っているが、確実ではないので。

 先月、和平交渉を正式に提案した。父である王に直接話した。最初は反対された。しかし話し合いは続いている。まだ結論は出ていない。

 反対する勢力は強い。しかし賛成する人間も、少しずつ出てきた。

 一つだけ、あなたに話したいことがある。

 あの手紙を届けてくれた日、あなたは言った。書いた人が、それだけの覚悟で書いたと思ったから届けた、と。

 その言葉が、わたしの支えになっている。

 誰かが覚悟を持って書いた言葉は、届いた後も生き続ける。あなたはそれを知っていて、届けた。

 私も、覚悟を持って動こうと思っている。

 結果がどうなるかは分からない。しかし動かなければ、何も変わらない。

 どうか元気でいてほしい。また手紙を書く。

 アルト


 ミリアは手紙を膝の上に置いた。

「和平交渉を始めた」

「そうだ」

「王に直接話した」

「なかなかできることではない」

「反対されながら、続けている」

「続けているようだ」

 ロアンが棚から振り返った。ミリアに手紙を見せた。ロアンは黙って読んで、返した。

「届けてよかった」

ミリアは呟く。

「そうだな」

 ロアンは反応する。

「あの手紙が、アルトさんを動かした。アルトさんが動いて、交渉が始まった」

「手紙が世界を動かすことがある。わしが若い頃に知ったことだ」

「ロアンさんの手紙も、そうだったんですね」

「そうだった。一通の手紙が、最初の一手になった」

 ミリアはアルトの手紙を大切に折って、内ポケットに入れた。エリスの手紙と、未来の手紙と、同じポケットに。


 その週の最後の配達日、ミリアは東の路線を飛んでいた。

 春の空は高く、青が深かった。白い雲が遠くに浮かんでいた。

 ポストが突然呼んだ。

「ミリア」

「なんだ」

「一つ聞く」

「うん」

「届けない方がよかった手紙があったと思うか」

 ミリアは少し考えた。

「今まで届けてきた全部を振り返ると?」

「そうだ」

「ないと思う。後悔した手紙はない」

「カレンへの手紙も」

「カレンさんは怒っていた。でも届いてよかったと言った」

「老婆の手紙は」

「あれは届けられなかった手紙だ。届けようとして、届けられなかった」

「届けようとしたことは後悔しているか」

「していない。受け取って、保管した。それが今できることだった」

「王女の手紙は、未来の警告があったのに届けた。それは後悔していないか」

 ミリアは少し間を置いた。

「まだ結果が出ていない。アルトさんは動いている。交渉中だ」

「結果によっては後悔するかもしれない」

「するかもしれない。でも今の時点では、届けてよかったと思ってる」

「それでいい」

「なんでそれを聞いたの?」

 ポストは少し間を置いた。

「お前が半年でどう変わったか、確認したかった」

「確認して、どうだった」

「変わった」

「どう変わった」

「最初は届けるしかないから届けていた。今は届けたいから届けている。それが一番大きな変化だ」

「前に私が言ったことだ」

「お前が言ったことが、本当にそうなっているか確認した」

 ミリアは少し笑った。

「ポスト、なんか最近、話し方が変わった」

「そうか」

「最初より、少し柔らかくなった」

「そんなことはない」

「ある。最初は半人前だって言ってた」

「言った」

「今は?」

 ポストは間を置いた。

「まだ半人前だ」

「それは変わらないんだ」

「しかし、いい半人前になった」

 ミリアは笑った。

 空の上で、声に出して笑った。久しぶりに、腹の底から笑った。

 ポストは何も言わなかった。しかし少し、満足しているような気配があった。


 四月の末、南からの通達が来た。内容は短かった。

 隣国において、和平派の王族が正式な和平提案を行った。双方の政府間で協議が始まっている。国境の緊張は依然として続いているが、全面戦争は回避される可能性が出てきた。

 ロアンはその通達を読んで、棚にしまった。

「アルトさんだ」

 ミリアは呟く。

「そうかもしれない」

「和平派の王族が動いた。提案を正式にした」

「そうだな」

「届けた手紙が、これに繋がった」

「そうかもしれない。しかし一通の手紙が全てを動かしたわけではない。多くのことが重なって、提案が出た」

 ロアンは伝える。

「でも、最初の一手は」

「あるいはそうだ」

 ミリアは通達を見た。

 短い文書だった。しかしその背後に、多くの人の動きがあった。王女が雨の夜に書いた手紙。アルトが受け取って決意した手紙。ミリアが峠を越えて届けた手紙。

「ロアンさん」

「なんだ」

「手紙が世界を変えることがある、って言っていましたね。若い頃に知ったって」

「言った」

「今も、変えているかもしれない」

「そうかもしれない」

「ロアンさんはそれを、何度も見てきたんですね」

「三十年の間に、何度か。大きなことは少ない。しかし誰かの人生を変える手紙は、毎回ある」

「毎回」

「毎日届けていれば、毎回だ」

 ミリアはその言葉を聞いて、少し黙った。

 毎日届けている。毎回、誰かの人生に触れている。それが半年続いた。

「もう少し続けたいと思います、ここで」

「そうか」

「追い出しますか」

「追い出さない。ここの路線の手紙は、お前の方がわしより速く届けられるようになった。追い出す理由がない」


 五月になった。北方は完全に春になった。緑が増えて、川の水量が増えた。牧草地に花が咲いた。空が明るくなった。ミリアは今日も飛んでいた。

 いつもの路線。いつもの受取人。いつもの手紙。

 東の農家への一通を届けて、次は北の集落へ向かった。

 北の集落の女性への手紙が今日の束の中にあった。

 息子からだった。

 女性は封筒を受け取った。両手で持った。表書きを確認した。

「元気だって、分かりますか?」

ミリアは思わず聞いた。

 女性は封筒を見たまま、少し間を置いた。

「重さで分かる。厚い手紙の月は、元気なんです」

「今日は?」

「厚い。今日は、厚い」

 女性はそう言って微笑む。

 ミリアは飛び立った。

 高度を上げながら、春の北方を見下ろした。緑の森と、花の咲く牧草地と、増水した川と、点在する村。その全部に、今日も手紙が届く。

「ポスト」

「なんだ」

「今日も飛んでいる」

「そうだ」

「明日も飛ぶ」

「そうだろうな」

「それだけで、十分だ」

 ポストは何も言わなかった。

 言わなかったが、重さが少し変わった気がした。背中のポストの重さが、今日は特別に感じられた。

 届けるべき手紙がある。届けたい人がいる。空がある。

 それだけが、今のミリアには十分だった。


 しかしそれは、続かなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ