表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空を渡る魔女と、遅れて届く手紙  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/12

第十章 王都へ

 夜明け前に飛んだ。

 空はまだ暗く、星が残っていた。東の地平だけが薄く白んでいて、その白さが少しずつ広がっていくところだった。ミリアは箒にまたがり、ポストを背負い、局の前で一度だけ振り返った。

 ロアンが縁側に立っていた。

 この時間に外にいるのは珍しかった。いつもなら朝の支度をしている時間だ。しかし老魔女は古い魔女帽子をかぶって、寒い中で立っていた。

 何も言わなかった。

 ミリアも何も言わなかった。

 ただ一度だけ、互いに目が合った。

 ミリアは空へ飛んだ。


 南へ向かった。

 北方の空を南下すると、景色が変わっていく。針葉樹の森が広葉樹に変わり、平野が広がり、川が太くなる。村が増えて、町が増えて、人の気配が濃くなる。

 昼前に国境に近い町を通過した。この国の側の最後の大きな町で、街道が集まっていた。馬車の往来が多く、商人の姿が目立った。国境を越えた取引をする商人たちだろう。

 町を過ぎると、空気が変わった。

 緊張、とまでは言えない。しかし何かが引き締まる感じがした。建物が減り、街道を行く人も減り、代わりに制服を着た兵士の姿が増えた。

「国境が近い」

ポストが伝えた。

「分かる。雰囲気が変わった」

「検問では証明書をすぐ出せるようにしておけ。手袋を外すよう言われたら外せ。余計なことは話すな」

「余計なことって」

「聞かれたことだけ答えろ。郵便魔女だ、配達がある、証明書はここにある。それだけでいい」

「手紙のことは」

「聞かれなければ言わない。聞かれたら、北方十三分局からの配達物だ、と答えろ。差出人の名前は覚えているか」

「差出人の欄は空白だった」

「そうだった。聞かれたら、差出人不明の配達物だと答えろ。嘘ではない」

 国境の検問所が見えてきた。

 街道の上に門が建っていた。木と石造りの、重厚な構造だった。両側に塔があり、兵士が立っている。門の前で何台かの馬車が止まって、確認を受けていた。

 空路にも検問があった。

 門の上空に、魔法陣が展開されていた。通過する飛行体を感知する仕組みで、そこを通ると自動的に速度が落ちて、検問所に降りるよう誘導される。

 ミリアは魔法陣に入った。速度が落ち、高度が下がった。

 検問所の屋上に降り立った。

 兵士が二人、近づいてきた。

「郵便魔女か」

「はい。北方十三分局のミリア・ヴェルンです」

「証明書を」

 ミリアは上着の内ポケットから証明書を出した。兵士は確認して、返した。

「配達物は」

「一通です」

「宛先は」

「隣国の王都のフォン・アルトベルク宛てです」

 兵士が台帳に記録した。もう一人の兵士がポストを見た。

「その鞄の中身を確認させてもらう」

 ミリアはポストを下ろした。蓋を開けた。ポストの中には配達物の封筒が一通だけ入っていた。兵士は封筒を取り出した。表を確認したのち、裏を確認した。

「差出人がない」

「差出人不明の配達物です。本局を経由してきた正規の郵便物です」

 兵士はもう一人の兵士と目配せした。

 ミリアは息を止めた。

 兵士が台帳に何かを書いた。

「通れ」

 ミリアは封筒を受け取り、ポストに戻した。

「ありがとうございます」

 なるべく普通の声で言った。


 国境を越えた。

 空気は変わらなかった。景色も、光も、風も、国境の手前と変わらなかった。当たり前のことだが、国境というものは人が決めた線で、空にはその線がなかった。

「越えた」

「越えたな」

「普通だった。雰囲気が変わると思ってた」

「空は変わらない。どこの国の空も同じだ」

 ミリアは前を向いた。南へ、また南へ。隣国の王都は、この国の王都と同じくらいの距離がある。今日中に着くには、急ぐ必要があった。


 王都が見えてきたのは夕方だった。大きな都市だった。ミリアが今まで見た中で一番大きかった。川が街の中心を流れていて、その両岸に建物が密集していた。王城が丘の上にあり、白い石造りの塔が夕暮れの空に向かって伸びていた。

「あれが王城?」

「そうだ。しかしお前が向かう先は城ではない。フォン・アルトベルクの住所を確認しろ」

 ミリアは封筒を取り出した。宛先の住所を確認した。城の近く、しかし城内ではない。城下の屋敷街にある住所だった。

 屋敷街に降り立った。

 石畳の通りに、大きな屋敷が並んでいた。それぞれに門があり、庭があり、馬が繋がれていた。使用人らしい人々が行き来している。北方の村とは全く違う世界だった。

 宛先の屋敷を探した。

 門柱に表札が出ていた。『アルトベルク家』。

 ミリアは門の前に立った。

 門番がいた。若い兵士だった。

「郵便です。アルトベルク家の方にお手紙を届けに参りました」

 兵士はミリアを見た。

「どなた宛てですか」

「封筒には、アルト・フォン・アルトベルク様と書いてあります」

 兵士の顔が少し変わった。

「少々お待ちを」

 兵士は門の中に入った。しばらくして、戻ってきた。

「こちらへどうぞ」


 屋敷の中庭に通された。

 噴水があった。今の季節は水を止めているらしく、噴水の台座だけが冬の光の中に静かに立っていた。庭木が整然と植えられていて、落ち葉が掃き集められていた。丁寧に手入れされた庭だった。

 待っていると、屋敷の扉が開いた。

 男が出てきた。

 二十歳前後だろうか。黒い髪を落ち着いた長さに整えて、黒い瞳をしていた。軽装の服を着ていたが、それでも品があった。背筋が伸びていて、歩き方に無駄がなかった。

 威圧感はなかった。

 顔に険しさがなかった。穏やかで、物事を慎重に見る目をしていた。

「郵便魔女?」

男の声は落ち着いていた。

「はい。北方十三分局のミリア・ヴェルンと申します。アルト・フォン・アルトベルク様でいらっしゃいますか」

「そうだ」

「お手紙をお届けに参りました」

 ミリアは封筒を取り出した。

 アルトは封筒を受け取った。

 受け取る瞬間、ミリアは手袋の端が動くのを感じた。しかし今回は引っかからなかった。手袋はずれなかった。記憶は来なかった。

 アルトは封筒の表を見た。

 宛先の自分の名前を確認した。差出人の欄が空白なのを見た。

 男の目が止まった。

 空白の差出人欄を、もう一度見た。

「差出人がない」

「はい。差出人不明の郵便物としてお届けに参りました」

「……どこから来た手紙か、分かるか」

「この国の南部から来た手紙だと、本局の記録にありました」

 アルトは封筒を持ったまま、少しの間動かなかった。

 何かを考えていた。

 それから、穏やかな声で言った。

「遠くから来てくれたのか」

「北方から一日かけてまいりました」

「北方から。そんな遠くから、この一通のために」

「手紙はどんな距離でも届けます」

 アルトはミリアを見た。

 少しだけ、笑った。穏やかな笑みだった。威圧も、お世辞も、何もない。

「空を飛べる人は羨ましい」

 ミリアは少し驚いた。王族に近い立場の人間が、羨ましい、と言うとは思っていなかった。

「どこへでも行けるから」

「はい」

「私はなかなか自由に動けない。この屋敷から出ること一つにも、許可が必要だ」

「それは、大変ですね」

「大変、か。そうだな、大変かもしれない。しかし生まれた時からそうだから、慣れている」

 ミリアは何と答えればいいか分からなかった。

「空を飛ぶのは、どんな気持ちだ」

「自由です。地上より、ずっと」

「そうか」

 アルトは封筒を手に持ったまま、噴水の台座を見た。水のない噴水。

「魔女は、手紙に触れると記憶が見えることがあると聞いた。本当か」

 ミリアは少し驚いた。

「全ての魔女がそういうわけではないですが、私はそういう能力があります」

「この手紙の記憶は見えたか」

 ミリアは正直に答えるべきか迷った。しかし、この人は嘘を見抜くだろう、という気がした。

「少し見えました。取り出す時に」

「どんな記憶だった」

「雨の夜に書いていました。怖いけれど書かなければならない、という気持ちが見えました。それと」

「それと?」

「これが最後かもしれない、という気持ちが」

 アルトの顔から、穏やかさが少しだけ消えた。

 消えた、というより、深くなった。穏やかさの下にあるものが、少しだけ表に出た。

「そうか。それを届けてくれたのか」

「はい」

「国境の検問で止まらなかったか」

「確認はありましたが、通れました」

「そうか」

 アルトはもう一度封筒を見た。

 長い間、見た。

「一つ聞いてもいいか」

「はい」

「郵便魔女は、どんな手紙でも届けるのか」

 ミリアは少し考えた。

「どんな手紙でも届けるのが、仕事です。しかし私はまだ半人前なので、届けるかどうか迷うことがあります」

「この手紙は迷ったか」

「迷いました。三日間」

「それでも届けた」

「はい」

「なぜ」

 ミリアはポストを感じた。背中に、重い鞄の重さがある。

「書いた人が、それだけの覚悟で書いたと思ったからです。そういう手紙が届かないのは、嫌だと思いました」

 アルトは静かにミリアを見た。

 しばらく、何も言わなかった。

 それから、深くお辞儀をした。

 王族に近い立場の人間が、郵便魔女にお辞儀をした。ミリアは少し慌てた。

「ありがとう。届けてくれて」

「届けるのが仕事ですので」

「そうかもしれない。しかしこの手紙を届けてくれたことは、仕事以上のことだと思っている」

 ミリアは何も言えなかった。


 屋敷を出る時、アルトが門まで送ってきた。

「また北方へ戻るのか」

「はい。今日は王都で一泊して、明日帰ります」

「気をつけて」

「ありがとうございます。アルト様も」

 アルトは少し笑った。

「様はいらない。アルトでいい」

「では、アルトさん」

「うん。また手紙が来たら、届けてくれるか」

「北方十三分局に来た手紙なら届けます」

「そうか。頼んだ」

 ミリアは飛んだ。

 高度を上げながら振り返った。アルトが門の前に立って、空を見上げていた。

 羨ましい、と言っていた。

 どこへでも行ける、と。

 自由のない場所で、それでも穏やかにしている人だった。

「ポスト」

「なんだ」

「アルトさん、変わった人だった」

「王族にしては、な」

「王族なの?」

「アルト・フォン・アルトベルク。フォンがついているのは貴族以上の家名だ。この国では」

「王子だったの」

「次男だ。王太子ではない。しかし王家の血が入っている」

 ミリアは振り返った。屋敷はもう小さくなっていた。

「あの手紙を誰が書いたか、分かった?」

「分からない。しかしアルトは心当たりがある顔をしていた」

「してた。差出人の欄を見た時」

「雨の夜に書いた人、この国の南部から出した手紙。王族に近い立場の人間に届ける手紙。察せられることはある」

「どういうこと?」

「この国と、今ミリアがいる国は、緊張状態にある。その中で、国境を越えて手紙を出した人間がいる」

「和平を求める手紙、だったりする?」

「それはミリアには分からない。アルトにしか分からない」

「でも、ロアンさんが昔届けた手紙のことを思った」

「和平を求める手紙で、戦争が終わったという話か」

「うん。あの手紙も、こういう感じだったのかな」

 ポストは答えなかった。

 王都が後ろに遠ざかっていく。白い塔が、夕暮れの空に細く伸びている。

「ポスト」

「なんだ」

「ロアンさんが頼んだって言ってたね。無事に帰ること」

「そうだ」

「帰れそう」

「帰れる」

「絶対?」

「絶対とは言えない。しかし私が一緒にいる」

 ミリアはそれを聞いて、少し笑った。

「それで十分だよ」

 北へ向けて飛んだ。

 夜になれば星が出る。北の空に帰るための星が。ポストの重さが背中にある。手紙は届いた。アルトが受け取った。

 それだけのことが、今夜のミリアには十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ