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天涯の記憶  作者: カンキリ


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徒話2

 翌日の昼下がり、那由子の通っていた中学校。


 鉄筋コンクリート三階建ての校舎の屋上に、転落防止用に取り付けられた柵の、その外側のでっぱりにちょこんと座り、足を持て余し気味にぶらぶとさせながら――。

 風小は長い時間、空を眺めて過ごしていた。

 雲ひとつ無かった空を渡っていた蒼く澄んだ初夏の風が、やがて、湿度を含み出すまでの長い間――。

 それからさらに、空に夏の到来を告げるような厚い真っ白な大雲が湧き出るまでの間。

 ずっとずっと――。

 ただぼんやりと空を眺めていた。

 他にやることが無かった。

 とりあえず空を見なくてもいい理由が無ければ首が下ろせない、下ろしてしまったらほんとうにやることがなくなってしまうので、自分の存在する意味がなくなってしまうのでは無いかとか、そんなばかばかしい考えが普通に浮かんで来るほど、あきれ返るほどにやることが無かった。


「風が変わったなぁ――」


 何かきっかけが欲しくて、そんなどうでもいい独り言を言ってみる。


 まだまだ、そんな理由では首は下ろせない。


「首――いたいなぁ――」


 今のはいい感じかも知れないと、少し手ごたえを感じた。


「そら見るのも飽きたなぁ」


 自分でもびっくりするほど、ストレートな気持ちを表現できて、ホンの少し誇らしく思った。

 それで――、もう少しのような気がしてきた。

 が――。


「…………」


 続かなかった。


「や~めたぁ!」


 そう言って開き直り、ついに状況を強制終了する。

 首を左右に曲げてごきごきと鳴らし、ひとつ大きく伸びをした。



 姫緒の調査によれば、那由子の通っていたこの学校は、3年前、近くに造成された大きな団地の中に新校舎が出来たため、学校はそちらに移転し、この旧校舎がここに残されたのだそうだ。廃墟となったこの校舎は、来年には解体工事が行われる事になっているという。

 団地の造成の際にバイパスの整備もなされ、もともと街のはずれにあったこの学校は、廃墟となってからは完全に回りから取り残された格好となった。

 綾子が事故にあったといわれる大通りも、時折地元の人たちが自宅と町を行き来するのに通るわずかな台数の車以外は、今ではまったく影が無かったし、近くに商店街のようなものが無いために日が暮れば回りを行き交うのは狸や狐の類だけだとの事だった。


「ここを決戦の場にします」


 普段は、自分の考えをろくに話すことなく突っ走る姫緒が、他人に対して、身構えるようにと、そう宣言したことに対して、風小はこの戦いの重要性を感じ取っていた。

 期待されている実感を噛み締めながら、気合充分の風小に対して、しかし与えられた姫緒の命令は、「充分に身体を休める事」というものだった――。




 風小が校庭に目を移すと、レンレンの姿が見えた。何事か、印を切りながら、ふだを回りの壁や木に貼り付けている。あやかしがこの場へ侵入する事を拒むための結界の儀式だろうと風小は思った。

 校舎の中では姫緒がその同じ作業をしている手筈だった。


 現在最強の鬼追師と超級符術師の二人が結界を張り巡らせている――。

 休めと言われなくても風小の出る幕などまったく無いと言うのが現実ではあった。


 さて、どうしたものかと思案する。きょろきょろと再び辺りを眺めまわしてみる。


 ……綾子がいた。


 風小の遥か足下。

 植え込みの花壇を囲うブロックに腰を下ろし、ぼんやりと校庭を眺めている。


「綾子さぁ~ん!」


 叫ぶが早いか、風小は出っ張りの縁を蹴って、屋上からダイビングした。

 まっ逆さまに綾子目がけて落ちていく。

 初め、自分の名前を呼ばれた事に気づいた綾子は、その声の主を探してきょろきょろしていたが、ふと、自分の頭上に目を向けると、落ちてくる風小と目が合った。


「風小さん!危ない!」


 思いも寄らない――。

 脅威にも近いその事態に、綾子の口からは、最早手遅れな叫びが上がった。

 落ちて来た風小は、綾子の頭上2メートルほどで、クルリと、足を下に向ける体勢に変わると、両腕を横に広げて独楽のように一回転して見せた。

 そのとたん、風小の身体に強い浮力が発生し、ふわりと音も無く地面に着地する。

 浮力の消える一瞬間、風の巻く形に、風小の足下でほんの微かな砂埃が舞った。


「お加減どうですか?」


 何事も無かったように、にこやかに風小が綾子を覗き込む。


「は、はい、おかげで大分落ち着きました」


 綾子はドキドキのおさまらない胸を押さえながら答える。


「そうですか、それはよかったデスよ」


 悪意が無いのは良くわかっているのだが、風小の姿は今の綾子にはあやかしと言う言葉を連想させる――。

 屈託のないその笑顔が、それ故に辛い――。

 ふと、顔を背ける。


「どうかなさいましたデスか?」


「いいえ――」


 綾子は小さく首を振りながら精一杯の笑顔を作って答えた。

 襲い掛かる自己嫌悪――。

 何事も無かったかのように振舞おうとする自分が白々しすぎて嫌だった。

 しかし、心に正直に振舞うことは、それは恐ろしくてとても出来なかった――。


 ぼんやりと――、追い払おうとしていた気持ちが再び頭をもたげる。


 私ハあやかし――。ニンゲンデナイモノ。


 (コワイ、)


 那由子ノ身体ヲ乗っ取っタモノ。


 (コワイ、コワイ、)


 それ以上考えてはいけない――。と、畏怖の念。


 (コワイ、コワイ、コワイ、コワイコワイコワイ)


 考えてしまった。その事実。


 『母親を殺したモノ』


 (コ                      )


 意識が飛びそうになり、声を出して叫びそうになる。必死に、飛び散ろうとする心をかき集め、集まった意識を正しく再構成し、確認するように少しずつ言葉にする。


「でも確かに――、ちょっと、色々ありすぎて――。何をすればいいのか、何を考えればいいのか――。正直わからなくて迷ってます」


 じつは風小はその言葉に非常に驚き、すっかり感心していた。

 この状況が、とても『ちょっと』などと言う生半可なものでは無いことは風小にも十分察しがつく――。

 人間であるはずの自分がすべて否定され、あやかしであることを諭されたのだ。

 それは風小には考えも及ばない事態だった。

 風小にとって自分があやかしであるということは、自分があやかしであると信じているから以外のなにものでもない。

 姫緒や、レンレンに至っても、(多少人間離れはしているが――)人間であると風小が確信しているのは、彼らが自分達を人間だと宣言しているから以外のなにものでもないのだ。

 それ以外の方法で、モノの本質など見抜ける術などある訳がない。

 何故あやかしがあやかしなのか、何故人間が人間なのかなどと言う痴れ事は、この世が何故今ここに存在するかと言う事を論ずるようなものだと思った。

 あやかしはあやかしとして生まれ、そして生きていく。

 人間は人間として生まれ、そして生きていく。

 風小はずっとそう思っていた。

 それが当たり前であるはずだった。

 もちろん、そうでなければ摂理が乱れる――。

 はず、だった――。

 そんな大きな運命を、この娘の華奢な身体は、どこに背負って『ちょと』などと言う言葉にしたのだろう?と思った。

 しかも、この娘は『迷っている』と言う。

 つまり――。

 まだ、あきらめていないのだ。

 何事かをなさんがために可能性を探し出し、前へ進もうとしているというのだ。例えその言葉が無意識であったとしても――。

 なんと強い娘なのだろうと、風小は心が震えるのを感じた。

 風小を見つめる綾子の表情はうろたえ気味で――、鬱の色合いが濃く浮かび、それ以後の言葉は無かった――。

 が、しかしその瞳は強く輝き、そして優しい『人間』のそれだった。


「あの――。綾子さん――」


 もじもじとしながら風小が口を開く。


「?」


 綾子は無言のまま小首を傾げた。


「あの――、とっても失礼な事だとは思うのですが――。なんだかとってもそのような気分なので――。正直、お願いがありますのデスよ――」


「なんでしょう?」


「お姉さまとお呼びしたい所存ですが、ご都合はよろしいでしょうか?」


「えっ?」


 風小の突拍子も無い申し出の真意を計り兼ねて、綾子は目を白黒させながら固まってしまった。

 綾子の様子を見て風小が続ける。


「綾子さんを見ていたら、私もお姉さまがほしくなりました。ええ、綾子さんのようなお姉さまが――」


 戸惑っていた綾子の表情が輝く。


「あ、ありがとう。風小さん――」


 綾子は風小の手を取った。


「ちょっと恥ずかしいけど――、そう呼んでくれるのは大歓迎だし、むしろ、うれしいかもしれない」


「うれしい?」


「ええ――。思い出したの――。私と姉の那由子は歳が7つも離れていたせいで、じつはあまり一緒に遊んだ記憶が無かった――。という事を――。私はお姉さんと遊びたくて、いつもいつも付いて回ってた。お姉さんにしてみたらそんな私が疎ましかったんでしょうね。いつも置いてけぼりにされていたの――。だからね――」


 少し遠い目をして語っていた綾子の視線が風小の顔に戻った。


「だから――、妹がほしかった。いつも一緒にいてくれる妹が――。そしたら私、一生懸命遊んであげようって思った。どこへでも連れて歩こうって思った。手をぎゅ~と握ってあげて、絶対、絶対離さないの!」


「ああ――」


 風小が羨望のまなざしで綾子を見つめる。


「わたしは、そんな素敵なお姉さまの妹になれるのでしょうか?」


「勿論よ!」


 綾子の瞳が輝いた。


「私達、姉妹きょうだいになったのね!」


 そう言って、握っていた風小の両手に力を込める。


「ありがとう――。小さな鬼追師さん――」


 その表情からは最早、先ほどまでの陰りは消えていた。綾子のなかの心の鬼は風小によって払われた――。


「ねぇ、風小さん――。私もお願いがあるのだけれど――」

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