最初で最後の本当のデート
土曜日の午後二時。
律子は、あの公園の入り口に立っていた。
あの日、すべてが壊れ、すべてが始まった場所。
今日は、あの時の地味なリクルートスーツではない。
ほんの少しだけ勇気を出して選んだ、淡い色のワンピースだ。
眼鏡も、コンタクトに変えた。
『ロジカ』の仮面でもなく、いつもの『田中律子』の制服でもない、ありのままの自分。
心臓は、あの日の比ではなく、うるさく高鳴っている。
「……時間、ぴったりだな」
声がして、律子は顔を上げた。
そこに立っていたのは、『アース』であり――佐藤大地だった。
いつものルーズなパーカーではなく、アイロンのかかったシンプルなシャツを着ている。
あの個性的なスニーカーは同じだが、なぜか、それすらも今日は好ましく見えた。
彼は、バツが悪そうに頭をかきながら、律子を見る。
「……あんた、」
大地は、何かを言いかけて、やめた。
そして、ふっと息を吐いて、笑った。
「いや……田中さん。似合ってる」
「……ありがとう、ございます」
律子の頬が、カッと熱くなった。
「佐藤さんも……その、シャツ」
「ああ。これ、仕事でクライアントに会う時しか着ないんだけどさ」
「……そう、なんですか」
気まずい沈黙が落ちる。
もう『ロジカ』のように、論理で間を埋めることはできない。
もう『アース』のように、包容力でごまかすこともできない。
ただ、不器用な田中律子と、不器用な佐藤大地がいるだけだ。
「……あの猫だけどさ」
先に口を開いたのは、大地だった。
「こないだ、病院に連れてった。骨は折れてなかったよ。今は、うちで保護してる」
「……そう、でしたか」
律子は、心の底からほっとした。
「よかっ……」
「ただ」と、大地は続けた。
「役所にも、ちゃんと連絡した」
「え?」
「あんたの言う通りだった。保護するにしても、まず自治体に連絡して、所有者がいないか確認するのが『ルール』だった。……俺が、間違ってた」
「いいえ」
律子は、首を横に振った。
「私が、間違っていました」
「ルールを優先して、目の前の痛みを無視した。……あなたが、正しかった」
二人は、顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく、小さく吹き出した。
「……なんだよ、それ」
「……ふふ、お互い、面倒くさいですね」
大地は、律子に向かって、一歩近づいた。
「俺は、ルーズだし、すぐカッとなるし、寂しがり屋だ」
「私は、臆病だし、融通が利かないし、感情表現が下手です」
「ネットの『アース』みたいに、かっこよくはないぞ」
「ネットの『ロジカ』みたいに、完璧ではありません」
大地は、そっと律子の手を取った。
あの朝、激突した時とは違う、少し汗ばんだ、温かい手だった。
「それでも、俺は、あんたがいい」
「……はい」
「田中律子さんが、いい」
「私も」
律子は、その手を、今度は振り払わずに、そっと握り返した。
「佐藤大地さんが、いいです」
最悪の第一印象。
ネットでの、完璧な理想。
その両方を知った上で、二人は、今、目の前の不完全な現実を選んだ。
「さて、と」
大地は、律子の手を引いて歩き出した。
「とりあえず、腹減った。理屈は後だ。 なんか美味いもん食いに行こう」
律子は、満面の笑みで頷いた。
「問題ない」
二人の、最初で、本当のデートが始まった。




