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「ロジカ」と「アース」、時々、田中と佐藤*画面の向こうの「理想の人」と、目の前の「大嫌いな人」が一致した*  作者: 伝福 翠人


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7/8

仮面の下:現実の私たちを受け入れる

あの公園から逃げ帰って、丸一日が過ぎた。


律子は、自室のPCの前で、ただ一点を見つめていた。


もう、あのチャットルームを開く資格も、勇気もない。


『ロジカ』は、死んだ。


『アース』は、あの男だった。


理想は、現実の最悪によって、完璧に殺されたのだ。


(もう、終わらせよう)


けじめをつけるために。


『ロジカ』として、最後の謝罪と別れを告げるため。


律子は、震える指でチャットアイコンをクリックした。


ルームは、静まり返っていた。


だが、そこにはすでに『アース』のアイコンが、緑色に点灯していた。


彼もまた、この場所で待っていたのだろう。


先にタイプを始めたのは、アースだった。


『アース:……いるんだろ』


律子は、息を飲んだ。


もう、あの優しい『アース』の文体ではない。


ぶっきらぼうで、無骨な、あの男の言葉だった。


『ロジカ:……います』


『アース:悪かった。あの公園では、怒鳴ったりして』


意外な言葉だった。


律子は、キーボードの上で指をさまよわせる。


『ロジカ:いいえ。私こそ、あの猫のことで、ひどいことを言いました』


『アース:……あんた、いつもあんな感じなのか。現実でも』


それは、もう『ロジカ』に向けられた言葉ではなかった。


『田中律子』への問いかけだった。


仮面は、もうない。


律子は、諦めたように、深く息を吐き、そして、打ち始めた。


『ロジカ:……そう、かもしれません』


『ロジカ:私は、田中律子は、あなたが言った通り、臆病者です』


『アース:……』


『ロジカ:私は、感情が爆発するのが怖い。他人の感情も、自分の感情も。どう対処していいか分からないから。だから、ルールにすがるしかないのです』


『ロジカ:あの朝も、駅でも、私は押し付けられる理不尽な感情に耐えられなかった。だからあなたを非論理的だと切り捨てました』


『ロジカ:あの猫の時も、同じです。可哀想だという感情より、「ルール通り役所に連絡する」という論理に逃げた。そうすれば、私が傷つかずに済むから』


それは、『ロジカ』の仮面の下に隠していた、現実の『田中律子』の、惨めな告白だった。


『ロジカ:あなたの理想の『ロジカ』を壊して、ごめんなさい』


送信ボタンを押して、律子は目を閉じた。


もう、返事は来なくてもいい。


だが、数分の沈黙の後、アースがタイプを始めた。


『アース:俺も、謝らなきゃな』


『アース:俺は、佐藤大地だ』


律子の心臓が、小さく跳ねた。


初めて知る、あの男の名前だった。


『アース:俺は、あんたが思ってるほど、包容力のある人間じゃない』


『アース:現実の俺は、ルーズで、子供っぽくて、すぐにカッとなる。……寂しがり屋の、ただのガキだ』


『ロジカ:……』


『アース:ネットの『アース』は、俺の理想だったんだ。本当は、あんなふうに、全部受け止められる男になりたかった』


『アース:けど、現実は違う。ルールとか、理屈とかで、大事なもんを後回しにされるのが、我慢ならねえんだ』


『アース:あの猫を見て、昔、ルールに縛られて、助けられなかったダチのことを思い出して……それで、カッとなった。あんたに八つ当たりした』


『アース:あんたの理想の『アース』を壊して、ごめん』


チャットルームに、静かな時間が流れる。


もう、そこには『ロジカ』も『アース』もいなかった。


ルールに怯える『田中律子』と、寂しさを抱える『佐藤大地』が、初めて、仮面なしで向き合っていた。


あの公園での衝突。


それは、単なる悪意のぶつかり合いではなかったのだろう。


(この人も、私と同じだったんだ)


律子は、そっとキーを叩いた。


『ロジカ:あなたは、あなたの正義感で、猫を助けようとした』


『ロジカ:私は、私の正義感ルールで、猫を(正しく)助けようとした』


『アース:……ああ。そう、だな』


お互いの「譲れない正義感」が、最悪の形ですれ違っただけ。


どちらも、間違ってはいなかった。


ただ、不器用な、現実の二人だったというだけだ。


『アース:……あんた、さ』


『アース:田中律子さん』


『ロジカ:……はい。佐藤大地さん』


『アース:もう一度、会わねえか』


『アース:『アース』と『ロジカ』としてじゃなく』


『アース:佐藤大地と、田中律子として』


律子は、PCの画面を見つめたまま、動けなかった。


そして、一筋の涙が、頬を伝った。


『ロジカ:……はい』


それは、ネットの理想の終わりであり、現実の、本当の始まりだった。

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