運命の嫌がらせ:二つの焦燥と再びの悪意
「……だから、この申請は、書式が違います」
週明けの月曜日。
役所の窓口で、律子は、またしても感情的な市民の相手をしていた。
「なんでだよ! ちょっと違うだけだろう! それくらい、そっちで直しとけよ!」
「規則ですので。こちらの書式に、もう一度ご記入の上、提出し直してください」
押しに弱い自分を隠すため、律子は今日も「規則」という盾を構える。
男は、舌打ちをしながら申請書をひったくって帰っていった。
(……疲れた)
金曜の夜、アースから、二度目の待ち合わせの誘いがあった。
今度の土曜日こそ、と。
律子は、ドタキャンの不信感を拭えないまま、『問題ない』とだけ返した。
(本当に、会っていいんだろうか)
そんな焦燥感を抱えたまま、仕事を終える。
帰りの乗り換え駅。ホームは、帰宅ラッシュでごった返していた。
電車がホームに入ってくる。
律子は、列の最後尾に並んでいた。
その時だった。
「……っ、わりぃ!」
横から、強引に割り込んでくる影。
律子は、よろけて、隣の人にぶつかりそうになった。
「……!」
見ると、あの男だった。
あの朝、角でぶつかった、軽薄な男。
今日もまた、ルーズなパーカーを着て、大きなリュックを背負っている。
男は、律子に気づいた様子もなく、悪びれもせず、そのまま電車のドアに滑り込もうとした。
(……また、この人)
ドタキャンの不信感。 今日の理不尽なクレーム。 そして、今、目の前で行われた、非常識な割り込み。
律子の中で、押さえつけていたものが、プツンと音を立てた。
「あの!」
自分でも驚くほど、冷たく、鋭い声が出た。
男が、うっとうしそうに振り返る。
「……あ?」
「今、割り込みましたね」
「はあ? 急いでんだよ、こっちは」
「急いでいるからといって、列を無視していい理由にはなりません。他の方が、どれだけ前から並んでいると思っているんですか」
男は、律子の顔を見て、あ、という顔をした。
「……あんた、この前の……」
「覚えていていただけて光栄です。ですが、あなたのその非常識な行動は、公共の場において著しく秩序を乱します」
「うっせえな! たかが割り込みくらいで、ガタガタ言うなよ!」
男は、いら立ったように声を荒げた。
「こっちは、人生かかったデザインのコンペなんだよ! それに比べりゃ、あんたの順番の一つや二つ……!」
「私の順番は、関係ありません。これは、ルールとマナーの問題です」
「だから、そのルールブックみたいな言い方、やめろってんだよ!」
電車のドアが、閉まりかけた。
「あ、クソっ!」
男は、律子を睨みつけると、強引にドアに体をねじ込み、そのまま乗ってしまった。
ドアが閉まり、電車が走り去っていく。
ホームに残された律子は、怒りで肩を震わせていた。
(……なんなの、あの人)
(自分勝手で、感情的で、ルールも守れない)
あの朝の嫌悪感が、今、決定的な憎悪に変わった。
(二度と、顔も見たくない)
そして、その憎悪は、不思議なことに、アースへの不信感とも、奇妙にリンクしていた。
(ルーズな人)
(自分勝手な人)
(平気で、他人を踏みにじる人)
今度の土曜日。
アースに会うのが、本気で怖くなっていた。




