表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/82

第75話 アバターは顔より強い

 鬼怒川温泉郷の外れにある県の合同庁舎。

 普段は観光施策や地場産業の会議に使われる会議室に、今日は国と県、地元関係者、そして南野結衣が揃っていた。


 木製の長机に並ぶ名札が、いつもと違う空気を漂わせている。


「経済産業省」「国土交通省」「防衛省」


 県側は観光課長に加えて産業労働部の部長、そして観光協会の理事。


 会議が始まると、部長が軽く口を開いた。


「本日はお忙しい中、ありがとうございます。こちらとしても前例のないお話ですので、率直に意見交換させていただければと思います」


 結衣は背筋を伸ばし、にこやかに微笑んだ。


「もちろんです。今日は初めての公式の場ですから、夢物語ではなく、実体を伴う計画を持ち込みました」


 机上には数枚の資料が並ぶ。

 地熱発電設備の概念図、鬼怒川の地形を重ねたマップ、そして巨大なデータセンターの断面図。


 その図面は、地上だけではなく地下深部に広がる巨大空間を描いていた。厚い岩盤に守られた施設には無数のサーバー群が並び、冷却ラインの一部に、青く流れる鬼怒川の流水が組み込まれている。


 経産省の担当官が眉を上げる。


「……地下にデータセンターを、というお考えですか」


 結衣は頷く。


「はい。地下の地熱を直接利用して電力を確保し、冷却には鬼怒川の流水を一部使いたいと考えています。ただし全面的に頼るつもりはありません。熱汚染の問題がありますので、適切な処理を施し、最小限に抑えます。地上の景観や観光への影響も避けられます」


 国交省の担当官が真顔で口を挟む。


「河川利用は国の管理です。正式な許可が必要となります。熱排水の影響についても、環境省と合同での評価が必須になるでしょう」


 結衣は首をかしげて笑った。


「承知しています。だからこそ、こうして国の方々に先にご相談させていただきました」


 県側の課長が手を挙げる。


「ええと……仮にそれが許可されるとして、どの程度の規模をお考えで?」


 結衣は一瞬だけ考えるふりをして、さらりと答えた。


「フル稼働でなくても構いません。冷却の一部を賄えれば十分です。地熱発電そのものに冷却機構を組み込む案も併用します」


 経産省の担当官が感心したように頷く。


「かなり現実的に詰めておられる……」


 そのやり取りに、県の部長と課長は顔を見合わせる。


(想像していたよりも、ずっと具体的で……これは本当に進む計画だ)


 場の空気が一段落したところで、部長が恐る恐る切り出した。


「……資金については、どういう見通しを」


 その瞬間、結衣の唇がわずかに弧を描く。


「用意しました。――本人に稼がせました」


 静まり返る会議室。

 国交省担当官が思わず「本人?」と聞き返した。


 結衣は当たり前のように頷く。


「ええ。今、私たちが管理している高度なAIがいます。彼女が市場で稼働し、収益を生んでくれました。その利益を、このプロジェクトに投じます。ただし、収益が不足する場合は、私自身が責任をもって調達します。継続的な資金供給を前提にしているので、途切れることはありません」


 防衛省の担当官が身を乗り出す。


「……つまり、AI自身が稼いだ資金で、そのAIを守る施設を建設し、不足分はあなたが補う、と」


「はい」


 結衣はあっさりと認める。


「AIはただの計算機ではありません。社会に価値を提供できる存在です。だからこそ、彼女にふさわしい“現実の家”を用意したい」


 国側の三人は沈黙し、互いの顔を見合わせた。

 経産省担当官は唇を引き結びながら、わずかに笑う。


「……これは、国家インフラ級の話です」


 防衛省の担当官は重く頷いた。


「我が国としても、そのAIを守る意義は極めて大きい」


 国交省担当官は資料に視線を落としながら、慎重に言葉を選んだ。


「河川利用については、確かに調整が必要な規模です。しかし、地元と国が連携すれば不可能ではない。正式なルートで進めるべき案件と認識します」


 県側の反応は、対照的だった。

 課長は呆然としたまま、「AIが稼ぐ……」と小声で繰り返すばかり。

 部長は額に汗を浮かべ、ようやく言葉を絞り出す。


「と、とんでもない規模ですね。我々の感覚をはるかに超えている……」


 一方で、観光協会の理事は違った。


「ですが……ここまで考えてくださっているのなら、温泉街にとっても大きな追い風になります。電力、雇用、観光――すべてがつながります」


 結衣はその言葉に小さく微笑み、机の上で両手を組んだ。


「私は、この地域に良い変化をもたらしたいだけです。そのために、必要なことはすべて自前で準備してきました。あとは、制度的な後押しと、皆さんとの融和だけです」


 会議はその後も続き、環境影響評価や地元人材の採用など具体的な論点が次々に挙がった。

 だが全体の空気は――県が呆然とする横で、国が静かに「進めるべきだ」と頷く、不思議な温度差を孕んでいた。


 最後に防衛省担当官が立ち上がり、締めくくった。


「本件、国としても検討を加速させます。必要な折衝は、こちらで整えますので」


 会議室を後にしながら、課長は深くため息をついた。


(私たちは、想像を超えるものと向き合ってしまったのかもしれない……)


 その一方で、結衣は廊下を歩きながら、心の中で静かに思っていた。

(これで、あの子の“家”が作れる)


***


 会議が終わった後、別室に移り県の部長が切り出す。


「次の段階は地元住民への説明でしょう。環境や生活への影響を理解していただく必要があります」


 経産省担当官もうなずき、資料を軽く叩いた。


「これだけの規模ですから、地元合意なしには前に進めません。説明会は早い方がいい」


 結衣は少し考えてから、柔らかく口を開いた。


「承知しています。ただ……ひとつお願いがあります」


 県の部長が首をかしげる。


「お願い、ですか?」


 結衣は穏やかに微笑んだ。


「私は、生身の姿を公にするつもりはありません。関係者の一部にはすでにお伝えしていますが、広く一般に顔を出さないことは、これまで想像以上に戦略上の効果を発揮してきました」


 防衛省担当官が頷く。


「……正体を曖昧にしておくことで、不必要な攻撃や偏見を避けられる。なるほど」


 結衣はわずかに笑みを深め、言葉を継いだ。


「それだけではありません。私のアバターを“本人そのもの”として認識していただくことで、むしろ一般の方々には親しみを持って受け入れてもらえています。経営者としての影響力を行使するには、むしろ生身よりも効果的でした」


 経産省担当官が眉をひそめる。


「……生身よりも、ですか」


「ええ。普通の会社の社長や会長の名前を、一般の人が意識することはほとんどありません。ですが、“女帝様”という姿を前に出せば、誰もが認識し、意見を聞こうとする。匿名性を保ちながら、同時に身近な存在として浸透できる――矛盾する二つを両立できているのです」


 会議室に、一瞬だけ薄ら寒い沈黙が落ちた。

 防衛省の担当官は、その理屈がもたらす現実感に背筋をぞくりとさせる。


 結衣は淡々と続けた。


「私は縁の下で支える役で構いません。その方が制度的にも安定しますしね。ですが――アバターとして表に立つことで、“あのAIと同じ空間にいる人物”として自然に認識される。それは功績を並べる以上に、強い伝播力を持ちます」


 経産省担当官は眉をひそめる。


「……つまり、評価よりも噂の広がりを重視する、と」


 結衣はくすりと笑みを浮かべた。


「はい。発表としての華は国と県が担ってくだされば十分。私はその隣で“身近な経営者”として刷り込まれる。結果は、双方にとって悪い話ではないはずです」


 県の部長は小さくうなずいた。


「確かに、アバターなら若い世代にも抵抗感は少ないでしょう。温泉街の観光戦略とも相性がいい」


 その言葉は正論だった。だが国側の三人は、わずかに視線を交わし合う。

 彼らには分かっていた。――これは単なる“観光向けの親しみやすさ”ではない。

 匿名性と象徴性を同時に手にした経営者が、世論を握るための強力な武器を振るおうとしているのだ。


 防衛省担当官は腕を組み、低くまとめた。


「では、説明会は国と県の名で開き、あなたは“アバター”として登壇する。それでよろしいか」


 結衣は軽やかに頷いた。


「はい。それが一番、皆さんにとっても安心でしょうから」


 その言葉に、場の全員が納得したように息をついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ