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第73話 非公式の打合せ

「もし具体化するなら、地上施設は二階建てまでですね。温泉街の景観を壊さないことを条件に考えています」


 結衣がそう言うと、理事は小さく頷いた。


「なるほど……やはり景観は大事ですからな」


 話をしながら、理事は内心で結衣を値踏みしていた。

 若い女性三人組――正直、最初は観光で来た大学生か、企業の研修旅行かと思った。

 だが、この落ち着き、数字や条件の出し方は素人のものではない。


(……どこかの会社の事前調査か? 派遣されてきた担当者にしては、決裁権が大きすぎる気もする)


「この話……もし実現に向けて動くなら、県や国との調整は必須です。幸い、観光協会としても産業課や県庁の顔はつながっております」


「それは心強いです。こちらから正式な要望として上げる形にすれば、地元の意向として動きやすいでしょう」


 結衣の声は終始穏やかだが、その物言いは、まるで最終決定権を自分が持っているかのようだった。


「……失礼ですが、どちらの会社から?」


「まだ公には出せません。ただ、こういう話が近いうちに“来る”と思っていただければ」


「……来る?」


 理事はその言葉を反芻しながら、薄い笑みを浮かべた。


 会話の端々に漂う違和感は、結衣が本当は派遣社員でも地元視察担当でもないことを示していた。

 だが理事はそれを追及せず、むしろ興味を抱く。


(少なくとも、この人は口先だけでこんな数字を出すタイプじゃない。何かを動かす権限を、確実に持っている)


「では、私の方から関係各所に水を向けておきましょう。地元からの提案として形を整えれば、話は早い」


「ありがとうございます」


結衣は軽く会釈した。その仕草は、感謝を示しながらも、完全に交渉の主導権を握る者のものだった。

ロビーを出た後、みやびが耳元で囁く。


「……ねえ、結衣さん。今の理事さん、多分もう“普通の観光客”だとは思ってないよ」


「いいの。まだ答えは出させていないからね」


 結衣はそう言って、冬の朝日に照らされた湯けむりの街を見下ろした。

 彼女の視線の先には、すでに完成形の地下施設と、静かに稼働するAIサーバー群のイメージがあった。


***


 翌日昼過ぎ、理事の案内で向かったのは、温泉街から車で20分ほどの県庁分庁舎。


「今日はあくまで非公式ですよ」


 理事が念を押す。


「ええ、わかっています」


 結衣は落ち着いた笑みを浮かべたまま、みやびとノアを伴って会議室に入った。


 待っていたのは、産業観光課の若手職員二人。

 まだ20代後半といった年齢で、どこか緊張気味だ。


「観光協会の理事さんからお話は伺ってます。温泉排湯を活用した……ええと、地下型の……」


「データセンターです」


 結衣がやわらかく補足する。

 若手職員は資料をめくりながら説明を始めたが、結衣は必要な情報だけを短く質問していく。


「温泉排湯の温度変化データはありますか?」


「地熱発電の試験計画は過去に?」


「景観条例の建築制限は二階建てまでですね?」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問に、職員は戸惑いながらも必死に答える。

 やがて理事が口を開いた。


「実は……私も詳しいところまでは聞いていないんですが、この方はかなり大きな決裁権をお持ちのようで」


 若手職員が不思議そうに結衣を見る。


「どちらの会社の……?」


 結衣は一呼吸置き、淡い笑みを浮かべた。


「私、南野結衣といいます。ライトブルーホールディングスの会長です」


 沈黙が落ちた。

 職員二人は目を見開き、理事は「……えっ?」と素っ頓狂な声を漏らした。


「え、あの……ライトブルーHDって、あの……?」


「はい。日本橋に本社がある、あのライトブルーHDです」


 結衣は名刺を差し出した。ロゴが光る厚手のカードを受け取った瞬間、若手職員の背筋がぴんと伸びる。


「で、ですが……本来なら事業構想は調査員や代理の方から――」


「本当はそのつもりだったんですが、今回は私自身が見ておきたかったんです」


 結衣は穏やかに微笑むが、その声には揺るぎない芯があった。


「行政の皆さんと接触した以上、最初から責任を持つ立場がはっきりしていた方が良いでしょう?」


 理事はまだ驚きを隠せず、半ば呆然と結衣を見ていた。


***


「では、まずは規模感だけでも共有しますね」


 結衣はタブレットを操作し、スクリーンにシンプルなスライドを映した。


「地下構造、免震、防水、そして地熱排湯を利用した冷却。GPUはH100クラスを2,000〜4,000枚。推定建設費用は――およそ1,000億から1,400億円です」


 会議室の空気が一瞬で固まった。

 若手職員がペンを止め、理事は眉をひそめる。


「……い、いま、いくらと?」


「1,000〜1,400億円です。運用は年80〜120億円程度」


 結衣はさらりと答えた。


「そ、そこまでの規模ですと……国の補助事業、あるいは――」


「補助はあれば活用します。ただ、必要なら全額自前でいきます」


「……全額……?」


 若手職員の声がかすれる。

 結衣は小首を傾げ、微笑んだ。


「資金って、計画してから用意するものじゃなくて、用意してから計画するものだと思いません?」


 そのままタブレットにAIのあやかを呼び出す。

 画面の中で、淡い笑顔の少女型AIが軽く会釈する。


「はじめまして、あやかです。私は――まあ、結衣さんの相棒みたいなものです」


「この子の現実世界でのおうちは、今はレンタルなんです」


 結衣が補足する。


「でも、ここまで高度なAIを外部に預けるのはリスクが大きい。産業や経済面だけでなく、安全保障にも関わります。だから、自前の拠点が必要なんです」


職員の表情が引き締まる。


「……国防上の観点も、ですか?」


「可能性はあります。演算能力は武器にも資源にもなり得る。だからこそ、国内で、責任を持って運用しなければならない」


 結衣は一拍置いて、静かに続けた。


「もちろん、この規模の施設は地域に少なからず影響を与えます。それは避けられない。だからこそ、自分の目で見て、地元の方と直接話をしておきたかった」


「……」


「どうせ変化を起こすなら、悪い変化ではなく、良い変化であってほしい。そのための協力を、まずはこの地域から得たいんです」


 理事は深く頷き、若手職員は背筋を正した。

 昨日まで若い観光客だと思っていた女性が、今や地域と国の未来を見据える企業トップとして語っている――その落差が、会議室の空気を一変させていた。


「……非公式のつもりだったんですが」


 理事がぽつりと呟く。

 結衣はやわらかく笑い、視線を県庁の職員たちに向ける。


「ええ、今日はあくまで下見と顔合わせ。でも――始める時は、必ず本気でやります」


***


 結衣たちが去った後、会議室には妙な静けさが残っていた。

 温泉街の理事は椅子に深く腰掛け、額に手を当てる。


「……ほんと、申し訳ない。軽い顔合わせのつもりで呼んだんだが……」


 若手職員の一人はまだタブレットの画面を見つめている。


「……本物だったんですね、あの人。ライトブルーHD会長……」


「しかも、あの予算規模……」


もう一人の職員が呆れ半分、恐怖半分の声を漏らす。


「どうするんだ、これ……」


 理事が小声で尋ねると、職員は苦笑いを浮かべた。


「どうすると言われても……うちの課の手には負えませんよ。正直、国絡みになるレベルです」


 数分後、職員たちは急ぎ足で職場に戻った。

 産業観光課のフロアに入ると、すぐに課長が声をかけてきた。


「おう、どうだった? 顔合わせって言ってたけど」


「……課長、これ……かなり上に持っていかないとダメです」


「なんだ、そんなに良い話だったのか?」


「良い話というか……規模が桁違いです。建設費1,000億から1,400億、運用年80〜120億。しかも全額自前で可能、だそうで」


 課長の表情が凍った。


「……誰の案件だって?」


「ライトブルーホールディングスの、会長本人です」


 一瞬の沈黙の後、課長はデスクに置いた電話をゆっくり取った。


「……知事室、お願いします」


 知事室・同日夕方


 知事は報告を受け、腕を組んだ。


「なるほど……非公式の顔合わせに、そんな大物が直々に?」


 若手職員が頷く。


「正直、どう対応すべきか……。ですが、地域経済のインパクトは計り知れません」


「ふむ……地熱利用型データセンターか。観光資源との共存ができれば面白い」


 知事は視線を窓の外に移し、しばし考え込んだ。


「わかった。まずは非公式のまま、こちらからも情報収集だ。それと――次に来る時は必ず私にも会ってもらおう」


若手職員は内心でため息をついた。

(……あの人、本当にとんでもない波を連れてきた)

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