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ライトブルーファンド~億り人がVTuberでやり過ぎる  作者: 桐谷アキラ
静かなる成り上がり――“普通”の隣に生まれる伝説
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第7話 急騰の中の静けさ――資本と現場、ふたつの顔

 朝――。


 目覚ましのアラームが止まっても、しばらく布団の中で天井を見つめていた。前夜まで数字と格闘して寝不足気味だ。

 それでも重い体を起こし、カーテンを開けると、変わらない朝の光が差し込んでくる。


 ぼんやりとスマートフォンを手に取り、反射的にライトブルーファンドの口座アプリを開く。

 そこには“350億”という桁外れの数字。数ヶ月前には想像もしなかった世界――だが、鏡に映るのはやはり「普段の自分」だ。


 家を出ると、街路樹の青葉や朝の匂いに、ようやく少し現実味が戻ってきた気がした。


 通勤電車はいつも通りの混雑。

 隣のサラリーマンのため息、学生たちの動画、みんながそれぞれの現実に向き合っている。

 その中で私は、誰にも悟られぬようスマホ画面を何度も点けたり消したりし、“もう一つの顔”を慎重に隠していた。


 会社のフロアに足を踏み入れると、コーヒーの香りとPCの打鍵音が心地よく響く。


「おはようございます」


 デスクに座った私に、同僚たちがそれぞれの朝を告げる。


「おはよう、南野さん」

「今日も暑いわねぇ……」


 と、穏やかなやりとりが続く。


 後輩の芽衣が小走りでやってきて、私の席にふわりと腰を下ろした。団扇で軽く自分の顔を扇ぎながら、遠慮がちに口を開く。


「南野さん……もしご迷惑でなければ、今週の目標リスト、朝イチで課長にお渡ししていただけますか? あと、昨日の書類も野間さんに再チェックお願いできたら、とても助かります……」


「うん、分かった。私から課長に渡しておくね。野間くんにも声をかけておくよ」


 そう返事をしながら、私は自然と微笑んだ。


「野間さん、昨日の資料、もう一度見てくれる?」


「了解。結衣もチェックしてくれた?」


「うん、一応数字は合わせておいたけど、フォーマットはお任せします」


「頼もしいなー。最近、南野さんすごく落ち着いてるよなぁ。何か秘訣でもある?」


 肩をすくめて私は答える。


「え?全然そんなことないよ。寝不足気味でむしろぼんやりしてるくらい」


「それから……私の進捗シートも後で見ていただけますか? 先週“顧客名”の漢字を間違えちゃって……」


「大丈夫。今日中に確認しておくね」


 心配そうに声をかけてきた芽衣はほっとしたように笑い、


「さすが、結衣さんです……いつも本当にありがとうございます!」


 と言った。


 小松原課長が私の方に書類を手渡しながら声をかける。


「うちのチームは南野さんがいると安心ね」


 私は首を振って、


「いえいえ、皆さんが助けてくださるからです」


 と控えめに答えたが、そのやりとりの中でも、どこか“遠い場所”にいるような違和感が胸の奥に残る。


 昼休み。


 いつも通りの社内カフェテリア。窓際の席でサンドイッチとホットコーヒー。

 ふと、芽衣がいつになく真剣な表情で私に視線を向けてきた。


「南野さん、もし迷惑じゃなければ……最近“NISA”とか“iDeCo”とか投資の話を耳にするんですけど、全然分からなくて。南野さんって、そういうの詳しかったりしますか?」


「投資って言っても、難しいイメージあるよね。私はそこそこやってる方だと思うよ。最初は少額で勉強のつもりが一番だと思う」


「やっぱりみんな、少しずつ始めてるんですね……。でも、私、本当に損しそうで怖くて」


「損もあるけど、焦らず身の丈に合った範囲でやるのが一番。無理はしないこと。もし分からないことがあったらいつでも相談してね」


 野間が、パンをかじりながらおどけて言う。


「そうそう。なんかSNSじゃ“うちの会社の裏には個人の大株主がいる”とか“ファンドの人が暗躍してる”とか陰謀論めいたことを言ってるやつもいてさ」


 芽衣も、困ったように微笑んだ。


「ネットの噂って、本当にどんどん大きくなっていくんですよね。でも、私の周りに“億り人”なんていませんし」


 私は、カップを手にして「みんな、地道に働いて、少しずつやりくりしてるのが現実だよ」とだけ言った。

 胸の奥で冷たい波紋が広がる。誰も私が資本家であることに気付かない、それが逆に心地よくもあった。

 本当は今この瞬間も“資本家”として世界を泳いでいる。それでも誰も、それに気づくはずがない。


 午後の会議で課長が言う。


「今期も目標未達が続いてるから、全員でアイデア出していこう。南野さん、何か現場で気づいたことは?」


 私は資料をめくりながら、


「営業リストの更新や顧客ヒアリングのタイミングを早めると反応が上がると思います。あと、事務作業の省力化も……」


“もう一つの顔”を隠しながら、ふと胸が苦しくなる。午後は雑務や電話対応、急ぎの資料修正が続いた。


「南野さーん!顧客対応、ちょっと手伝ってもらえますか?」


「すみません、すぐ行きます!」


 日常の雑踏に溶け込みながら、たった一人で“異世界”の入口に立っている不思議な感覚――それがじわじわと胸に広がっていく。


***


 夜。


 部屋の明かりを最小限にし、スーツを脱いでラフな服装になり、PCの前に座る。


「今日もお疲れさまです」


 Zoomの画面には田崎さん、小西さん、シンガポールのアンナさんが並ぶ。


 アンナは冷静な声で話す。


「資産規模がこのレベルになると、海外規制や報道リスクも増えます。シンガポール法人の管理も本格化させましょう」


 小西も続けて言う。


「法人口座の送金フローも一段厳格に。社外監査も視野に運用を体系化する必要があります」


 私は溜息まじりに言う。


「やっぱり……資本を守るだけでも、こんなに手間と責任があるんですね」


 田崎が力強く続けた。


「それでも結衣さんなら、ちゃんと切り抜けられますよ。“使い方”の設計も、そろそろ本気で考えましょう」


 Zoom越しのやりとりは深夜まで続いた。


 会議チャットには時おり、「最近ネットで都市伝説扱いされてますよ、南野さん」なんて冗談も混じる。

 私は「そんな立派なものじゃありませんよ」と笑い、重いテーマの合間に流れる軽口に、少しだけ肩の力が抜ける。


 会議を終え、ソファに沈み込む。


「350億……管理も書類も、もう普通の会社じゃなくて社会的責任の塊って感じ。たまに全部投げ出したくなるよ」


 ノートPCを開き、SNSの噂やニュースをぼんやり眺める。


「お金を増やすだけが目的じゃない。これからは何のために資本を使うのか、本気で考えなきゃ」


 自分の内側から湧き上がる声に耳を澄ませる。田崎さん、アンナさん、小西さん――専門家たちのアドバイスが頭の中を巡る。


「これからは、誰かのために、何かのために、この力を使っていこう」


 そう呟いた瞬間、心の奥に小さな炎が灯った。


 月曜日――


「おはようございます!」


 芽衣が大きなトートバッグで私のデスクへやってくる。


「南野さん、昨日の会議議事録、見ていただけましたか?」


「うん、三箇所だけ数字が入れ替わってたから、そこ直しておいて」


「ありがとうございます!直しておきます!」


「全員、会議室に集まってくださーい」


 ペンとノートを持って、私は自然と背筋が伸びる。


 会議室には朝一番の緊張感が漂う。


「今月の営業成績から確認しましょう」


 大画面モニターに売上や受注状況が並ぶ。


「全体の成績は横ばいだけど、コストが微増してるのが気になるな。改善案ある人?」


 野間は少し考えて提案した。


「電話対応の効率化なら、AI応対ツールの導入でどうですか?」


「機械化か……予算があればね」


 課長の苦笑いに、みんなも少し和んだ空気になる。

 私は“もう一つの顔”へと自然に切り替わる。


「営業リストのデータベースを有償で最適化すれば、成約率も作業時間のROIも大きく変わるはずです」


「……ROI?」


 芽衣が聞きなれない単語に首をかしげる。


「要は“手間に見合うリターンがどれくらいか”の目安だよ」


「なるほど、現場で忙しい分、余計な手間が減れば会社も助かるってわけね」


 課長が再び、問いかける。


「他に“現場の非効率”で気になることは?」


「ヒアリングをオンラインで定期化すれば、移動や会議準備のコストが圧縮できて、浮いた時間で新規開拓にも使えるかと」


「最近さ、南野は経営目線っていうか、なんかカッコいい発言増えたよな」


 野間が感心すると課長もうなづきながら評価してくれた。


「会社全体を俯瞰する視点があるのはありがたいよ」


「現場の仕事がまず一番だけど、全体を見るとアイデアも生まれやすいから」

私はさりげなく話題を流した。


 会議が終わって、みんなでコーヒーを淹れに行くと芽衣がうれしそうにこう言った。


「さっきの話、なんか新鮮でした」


「え、そうかな?みんなも同じこと思ってるんじゃない?」


「うーん、私、数字とかROIとか全然ピンと来ないけど、南野さんが言うとちょっと面白そうに思えるから不思議です」


「たまには刺激になればいいね」


 芽衣は、ちょっと照れたように笑った。


 昼休み、野間・芽衣とカフェで。窓際の席、サンドイッチとホットコーヒー。


「さっきの会議、ちょっと経営コンサルみたいだったぞ」


「やめてよ、私は普通の社員だし、現場以外のことはさっぱりなんだけど」


「でも頼りになるわー。俺、資料の計算間違いとか南野にしか頼れないし」


「そういうのは芽衣さんにも教えてあげて」


「やめてくださいよ、野間さん!数字は苦手って公言してるんですから!」


 三人で笑い合う。


 同僚とこうして並んでいると、自分の「裏の顔」なんて幻のようにも思える。


 午後は顧客対応、資料作成、電話応対。

 どこまでも普通の“気の利く社員”として、私はフロアを小走りに駆け回る。


 課長が夕方、穏やかな微笑みで言う。


「南野さん、最近チームの雰囲気がすごく良くなった気がするわ。あなたの声がみんなをまとめてくれてるの」


「ありがとうございます。みんなが協力的なので、私も助けられてます」


 謙遜しながらも、課長の言葉に少しだけ心がほぐれる。


***


 みんながそれぞれ帰り支度を始め、結衣も少し遅れてオフィスを出る。

 駅のホームで深呼吸。ライトブルーファンドの通知。田崎さんから「最近ファンド資産の動きが落ち着いてるけど、次のステージへの投資や寄付も考え始めては」とメッセージ。


 今朝まで「会社員」として働き、笑い、悩み、帰り道で「資本家」に切り替わる――そんな二重生活のリアリティに、ちょっとだけ笑ってしまった。


 家に着くと、母がキッチンで晩ご飯の支度。


「今日も遅かったわね」


「うん、ちょっと会議が長引いて」


「お昼もちゃんと食べてる?」


「大丈夫だよ」


 何気ない会話に、ほっとする安らぎ。


 夜、PCの前で専門家たちの資料やメールを確認しながら、私はそっとつぶやく。


「明日も“普通の会議”があるし……ま、なんとかなるかな」


 自分の中に「資本家」と「会社員」、ふたつの現場が静かに並んで存在している。

 そう感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。

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