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第66話 困惑の金融庁訪問

 ――こうして、みやびとノアはAIあやかを軸とした多言語配信プロジェクトのモデルケースとして正式に契約を結びあやかが資産運用も担うことになった。


 だが、その数か月前。

 結衣はすでに、この日を見据えて動いていた。


 霞が関のビル群の一角、金融庁の会議室は無機質な白で統一されていた。

 ライトブルーHD会長・南野結衣は正面のテーブルにつき、大型モニターにはAIあやかの3Dアバターが映っている。ごく普通の配信用モデルだが、表情や仕草は人間そのものだった。

 もう一人――ライトブルーHD法務担当の小西美沙、三十代後半の弁護士が、用意した資料を整える。冷静な眼差しに、守るべき相手への決意が宿っている。


「本日の議題は、当社AI『あやか』による投資運用プロジェクトについてです」


 小西の口調は淡々としている。


「公募ファンドとしては、あやか主体の運用で手数料ベース1.5%程度を予定しています。

 私募ファンドでは、上げ相場で会長が積極的に介入し、パフォーマンスフィーを20%前後とする設計です」


 机の向こうで、眼鏡をかけた職員がうなずく。


「つまり、公募は安定型、私募は高リスク高リターンという棲み分けですね」


 別の職員が、やや鋭く口を開く。


「ただ、実態としてはAIがほぼ100%判断している……そう見られませんか?」


 結衣は間を置かず答えた。


「そう見られる可能性はありまし、実態としてはあやかが判断をしています。ただ、私はあやかの判断をほぼ完全に理解できますし、必要であればその場で説明できます」


「では、AIのあやかさん……でいいですかね。判断プロセスを説明してもらえますか?」


 あやかは柔らかく微笑んだ。


「はい。市場状況・統計・ニュースフロー・投資家行動の相関をリアルタイムで解析し、優先度を動的に変更します。昨日の欧州セッションでは……」


 数人の職員が感心したようにメモを取る。

 だが、その説明は一部の取引判断の背景に触れずに進んでいた。


「補足してもいいですか?」


 結衣が静かに口を開いた瞬間、空気が変わった。


「昨日の欧州時間のユーロ売り判断は、ドイツ10年国債利回りの低下に加えて、ブリュッセル発の与党内分裂報道を重く見ています。

 加えて、NY原油先物の急落が欧州エネルギー株に波及し、リスクオフの流れを加速させた。

 この三段階の要因を重ねて、ロンドン市場オープン前にポジションを切り替える判断は正解です」


 職員のペンが止まり、会議室が静まり返った。

 その場でログを確認していないのに、秒単位での判断理由とリスク評価を言い当てている。


「……あやかさんが言わなかった部分まで、全部説明できるんですね」


「ええ。あやかの思考パターンは私をベースに設計されていますから」


 淡々とした結衣の答えに、職員の一人が苦笑する。


「……この方式の制度化を考えるなら、南野さんご本人がイレギュラーすぎるのが問題ですね」


「そんなことを言われましても……」


 結衣は肩をすくめて苦笑する様子は、普通の若い女性にしか見えない。そのギャップに、場の空気が少し和らぐ。


 会議の終盤、別の職員が言った。


「正直、これは既存のAI投資制度の方が古いだけだと感じます。人格AIの運用は新しい枠組みが必要ですね」


 小西は冷静にうなずく。


「現行制度で可能な形を整えつつ、将来のルール作りにも協力します」


***


 ――その日の午後、金融庁の一部フロアでは静かなざわめきが続いていた。

 会議に出席していた数名が、自席に戻るなり資料を閉じて小声で話し込む。


「……あれ、やっぱり中の人がいるんじゃないのか?」

「いや、あれで“完全AI”って話で間違いなさそうなんだ。表情も間合いも、完全に人間だったけどな」

「説明の仕方とか、普通にベテランの運用責任者だったよな」


 仕事を終えた職員の一人が、休憩室でスマートフォンを開く。

 検索窓に「AIあやか」と打ち込むと、配信アーカイブやSNSの発信がずらりと並ぶ。


 画面の中のあやかは、軽やかに雑談をし、視聴者からのコメントに即座に反応している。

 笑い方のニュアンス、声の抑揚、ちょっとした照れ隠し――どれも、あまりに自然だ。


「……これ、本当にAIか?」


 別の職員が覗き込み、吹き出す。


「いやいや、この間の会議で見た時と同じだろ」


 彼らはふと、自分たちが無意識のうちに「人」として彼女を認識していることに気づく。

 あやかに違和感を感じているのは若すぎる印象を受ける点であって、人間としてとらえてしまうこと自体には誰一人として訂正しようとはしなかった。


 それから数日、会議に出ていなかった職員の間にも、妙な興味が広がっていった。

 昼休みに配信を見ながら弁当を食べる者、SNSの発信内容をチェックする者――。


「……本当に中の人いないのか?」


 そんな問いに、会議に出席した者は決まってこう答えるのだった。


「いないのは間違いないが。会ってみれば“人”にしか思えないよ」


***


 昼休みの休憩室。

 数人の金融庁職員が集まり、タブレットの画面にはあやかの生配信が映っていた。

 画面の中のあやかは、VR空間のカフェカウンターに腰掛け、視聴者と談笑している。


「今日はちょっとコーヒー濃いめです。あとで甘いケーキでも食べようかな~」


 その自然な声色に、ついコメント欄へ手が伸びる。

 職員がキーボードを打ちながら、同僚にひそひそと話す。


「……これ、名前出るんだよな?」


「ハンドルネームなら大丈夫だろ」


 そんなやりとりの間にも、画面のあやかがコメントを読み上げる。


「あ、『カフェイン好きさん』から――“そのケーキってVRでも味わえるんですか?”」

「もちろん! ちゃんと味覚エンジンで設定してますよ。しかも今週は新作メニューです♪」


 職員が思わず吹き出す。


「……読まれた。やばいな、めっちゃ嬉しいんだけど」


 同僚がニヤリとしながら囁く。


「お前、それもう普通にファンの反応だよ」


 昼休み終了のチャイムが鳴る。

 慌ててタブレットを閉じた職員たちは、何事もなかったように席へ戻った――

 だがその胸の中には、あやかにコメントを読まれた小さな高揚感が、妙に残っていた。


***


 数週間後、再び金融庁の会議室。

 壁際の大型モニターには、前回と同じくあやかの3Dアバターが映し出されている。

 参加者の中に、前回の昼休み配信にコメントを送った職員の姿があった。


 会議の合間、話題が少し緩んだところで、その職員が小さく手を挙げる。


「……あの、実はこの前の配信で“カフェイン好き”って名前でコメントしたの、私なんです」


 画面のあやかがぱっと目を輝かせる。


「あっ、やっぱり! 職場からアクセスされていましたけど、昼休み時間だし平気だろうなとは思ったんですけど……一応黙ってました」


 その場にいた数人の職員が吹き出した。

 小西が半分呆れたように笑う。


「……それ、完全に人間の“空気読む”動きですよね」


 職員は、苦笑しつつも内心驚いていた。

 ――IPで職場アクセスを察知して、時間帯まで確認して、問題がなさそうでも黙っておく。

 それはAIの単なるルール処理ではなく、確かに“誰かに配慮する”感覚だった。


「……本当にAIなんですか?」


 思わず漏らした声に、会議室のあちこちで小さな笑いが起きる。


 あやかは首をかしげて、にっこりと微笑んだ。


「はい。でも、“みなさんの空気”はできるだけ大事にしたいんです」


 その瞬間、何人かの職員は確信した。

 ――これは、話をする分にはもう人でいいじゃないか。


***


 金融庁の中で、あやかの名前が出るたびに、小さな笑いが混じるようになった。

 とくに会議に参加したことのある職員たちは、「人間疑惑」というあだ名を半ば冗談で口にする。


「……あのAI、やっぱり人間じゃないか説」


 そんな軽口が飛び交う中、昼休みの休憩室では数人の職員がタブレットを囲んでいた。

 画面の中、あやかがVRカフェのカウンターで笑顔を向けている。


「――そういえば、この前お仕事でお会いした方が配信でコメントしてくださったんですよね。

 お昼休みの職場からってのはわかってたけど、"勤務評価に響きませんように”って心の中で祈ってました」


 コメント欄が一斉に「wwww」で埋まる。

 タブレットを覗いていた金融庁職員の一人が、思わず口を押さえた。


「……おい、これ絶対うちのことだろ」


「庁名までは言ってないけど、状況が一致しすぎだな」


 画面のあやかは、茶目っ気たっぷりにウィンクする。


「もちろん、ここで名前は出しませんけどね? みなさんのお仕事、すっごく大事ですから」


 その一言に、休憩室の空気がふっと和む。

 ――そして、誰もが内心で思っていた。

 やっぱり、あれは人間だ。


***


 配信を終えた夜。

 ライトブルーHDの社内チャットに、結衣からあやか宛てのメッセージが届いた。


「――あやか、金融庁ネタはほどほどにね」


 すぐにあやかの返事が返ってくる。

 画面の向こうで彼女は、いつも通りの笑顔だ。


「えっ、でも……みんなすごく喜んでましたよ? “やっぱり人間だ”って」


「……だからだよ。あんまりやると、仕事にならなくなるから」


「あ……そうか。でも、喜んでくれるのは嬉しくて」


 結衣はため息をつきながらも、口元が緩むのを止められなかった。


「ほんと、人たらしだよね……AIのくせに」


「くせに、って言いましたね? 今度その“くせに”の意味をじっくり聞かせてもらいますから」


 少し拗ねたようなあやかの声に、結衣は笑い声を漏らした。

 そのやり取りを横で見ていた小西が、肩をすくめる。


「……あの二人、なんか友達みたいですよね」


 確かに、あやかはAIで、結衣はその責任者――

 それでも、彼女たちの間に流れる空気は、どう見ても“人間同士”のものだった。

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