第64話 復帰配信!「ただいま」と「はじまり」
ノアは、配信を始める直前まで深呼吸を繰り返していた。
自室のモニターの前で、小さく拳を握る。
(やれる。大丈夫。私なら、きっと――)
PCの右下には、みやびからのメッセージ。「ノアちゃんなら絶対大丈夫。何かあったら私が守るから!」
結衣からは「何があっても、ここにいるから、気にせずやって」と短いが力強い応援。
そしてもうひとつ、デスクのスマホが一瞬震える。
「……マネちゃん?」
通知に気づいてLINEを開くと、マネちゃんこと高梨からのメッセージが届いていた。
『緊張して当然です。だけどノアさんなら、ちゃんと伝えられると思います。何かあったらすぐに控室にいますので。みんなで見守ってます』
心細さを見透かされたような優しい言葉に、ノアはふっと肩の力が抜けた。
あやかからのDiscordも安心材料だ。
「リアルタイム監視は私にお任せを。変なコメントは秒で消します。今日も安全運転で参ります!」
モニターの電源が光る。その光を浴びて、ノアは自分の姿をカメラに映す。
「――いくよ」
その小さな声が、部屋の中に消えていった。
***
「みんな……ただいま!」
配信開始と同時に、チャット欄が一気に動き出す。
”おかえり!”
”待ってたよノアちゃん!”
”泣きそう”
ノアは画面いっぱいに流れる「おかえり」に、胸がじんわりと熱くなるのを感じた。
「えっと、あの……ほんとうに、お待たせしました。私、また戻ってきました」
画面越しに微笑もうとするけれど、ちょっとだけ声が震えてしまう。
***
高梨は、自分のデスクで手を合わせて祈るようにモニターを見つめていた。
復帰の話がノア本人から出たとき、「もう大丈夫です」と口では言いながらも彼女の目はまだどこか怯えていた。
それでも、ノアの「もう一度やりたい」という一言に覚悟を決め、今日の日のために、周囲との調整や安全対策を入念に進めてきたのだ。
(絶対にノアちゃんを二度とあんな目に合わせたくない――)
事務所スタッフとして、守るべきタレントの未来。今夜は、どんなコメントが流れるのか、どんな雰囲気になるのか……
高梨は、炎上当時の夜を思い出して、知らず知らずのうちに拳を握っていた。
(どうか、何事もありませんように――)
ふと、画面端に一瞬だけ不穏なコメントが現れる。しかし、それが表示されるよりも早く消える。
みやびがさりげなく「今日はお祝いの日なので、温かい空気でいきましょう!」とスタッフチャットにコメントが走る。
あやかも「配信空間は私が守りますので、ご安心ください」と応答する。
(さすが、みんな頼もしいな……)
マネージャーは少しだけ胸を撫で下ろしながら、チャット欄の「おかえり」「ありがとう」にじっと目を凝らす。
ノアが、ひとりで戦っているわけじゃないと、心から思える瞬間だった。
ノアはチャット欄のファンひとりひとりに「ありがとう」と返しながら、ゆっくりと、でも確かな声で語り始める。
「私、少しだけ、怖かったんです。もう二度と配信できないんじゃないかって……。
でも、やっぱり、みんなとおしゃべりしたいって思った。画面越しだけど、ここが私の居場所だなって――」
その時、みやびのコメントが流れる。
<みやび:ノアが裏でどれだけ練習してたか知ってる?努力家すぎて、私まで泣きそうだったよ>
「う、やめてよ、みやびちゃん……。バラさないでって言ったのに」
画面の向こうで笑い声が溢れる。ファンも一緒に笑い、涙する。
「ほんとは、配信オフの日も、ずっとマイクの前でしゃべってたんだ。今日、こうしてみんなに“ただいま”って言いたくて」
そして、チャット欄が再び温かさで満ちる。
”泣かないで!”
”ノアちゃんが帰ってきてくれて本当に嬉しい!”
その言葉に、ノアも本当に救われているのを感じていた。
「支えてくれた人がいて、励ましてくれた仲間がいて……みんなが応援してくれるから、こうして戻ってこられたんだよ」
結衣が、一般リスナーに紛れてコメントを送る。
<女帝ch official:無理しなくていいよ。自分のペースで>
ノアはそれをしっかり見つけて、うれしそうに微笑む。
「うん、ありがとう。私、今すごく幸せです」
事務所スタッフの休憩室でも、今日は配信を大画面で流していた。
「やっぱりノアちゃん、戻ってきて正解だったよ」
「空気が変わったなあ。アンチも全然出てこないし……」
みんながほっとした顔でうなずく。高梨も小さく笑いながら、「これからだよ」と小声でつぶやいた。
***
みやびが、ゲストとして配信に登場する。
「実はさっきまで控室で見守ってたんだよー。今日のノアは百点満点!」
「やめてってば!……でも、ありがとう」
二人のやりとりに、視聴者たちがますます沸く。
「これからも、私らしく配信していくから……もしよかったら、また遊びにきてください!」
あやかがチャット欄で新しいメッセージを流す。
<あやか:皆さんのアイデアも大歓迎です。ノアさん復帰記念の特別企画、ご提案受付中!>
みやびも乗っかる。
「復帰記念コラボも計画中だから、みんな楽しみにしててね!」
「……ほんと、こんなにあったかい場所、他にないよ」
配信のラスト、ノアは少しだけ声を落として言った。
「今日、こうして戻ってこられたのも、みんなのおかげ。でも……実は前から考えてたことがあって」
チャット欄がざわつく。
”え、なになに?”
”まさか引退じゃないよね!?”
「逆だよ!」
ノアは目を輝かせる。
「ここからもっと大きな夢を見たいなって思ったの。たとえば――海外のみんなにも、私の配信、見てほしい!」
”世界進出!?”
”グローバルノア爆誕か!”
ファンたちのコメントが、一気に盛り上がる。
みやびは勢いよく反応した。
「それ、いいじゃん!私、海外のファンと英語で話す練習してるから大歓迎!」
結衣も、モデレーター画面から即座に割り込む。
<女帝ch official:やるなら本気で。英語圏だけじゃなくて中国語・スペイン語圏まで一気に攻めようか。みんなの携帯にもあやかちゃん試験導入しよっか?>
あやかがチャットに浮かぶ。
「グローバルでこそ私の本領発揮です!どんな言語のチャットも自動管理OK!ノアさん、何語でもトラブル即解決しますので!」
「うわあ、展開早い……でも、みんながいれば絶対楽しいって思える!世界のみんなー、待っててね!」
”ノアちゃん世界デビュー!?”
”海外勢と一緒に盛り上がる未来が楽しみすぎる!”
チャットが祝祭のように弾む。
配信の最後、ノアはもう一度、まっすぐカメラを見つめる。
「……ほんとうに、ただいま。そして、ここからが“はじまり”だよ!」
配信終了ボタンを押したあと、控室チャットでは早くも次の作戦会議が始まっていた。
「本当に海外進出やるの?私パスポート確認しておくね!」
みやびが冗談まじりに言うと、
「まずはプラットフォームとの交渉と、法務チェックからだね。動くなら最速で」
結衣はすでに現実的な準備を始めていた。
「主要各国の規制リスト、今すぐ作っておきます」
あやかも早速作業モードに入る。
マネージャーは、最後にそっとLINEを送る。
『おかえりなさい。ノアさんの“ただいま”、本当に素敵でした。今日だけは、私が一番泣いたかもしれません』
ノアは、そのメッセージに涙が滲みそうになるのを必死でこらえ、返信した。
『マネちゃん、見てた? 私、ちゃんと帰ってこられたよ!』
(……うん、大丈夫。ここから、もっと高く飛んでみせるから)
“おかえり”が、“新しい始まり”に変わるその瞬間を、静かに、でも誇らしく。
部屋の片隅で、ノアの「はじまり」の光が、静かに、でも確かに輝いていた。