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第63話 事の顛末

 ネットの炎上が、まるで嘘だったかのように静まり返っていた。

 だが、その余韻は、消えたはずの誰かの背中に、重く残っていた。


 ――最初は、みんながやってるから。

 なんとなく“ノリ”で叩いていた。推しでもないし、嫌いでもない。

 むしろ炎上中のあの熱気やワイワイ感が、少し楽しかった。


 けれど、ある日を境に空気が一変する。

 「死人が出る」とか「本当にやばい」と、ネットのあちこちで警告や自粛の書き込みが爆発的に増えた。


 気付けば、みんな一斉に沈黙しはじめ、自分もあわてて“ROM専”になる。


 数日後。

 怖いもの見たさで5chの過去ログやまとめサイトを覗いてみると、自分があの時投下した“ちょっとキツめの悪口”や“ネタ煽り”は、なぜかほとんどそのまま残っていた。


(あれ……けっこう攻撃的なやつ、消されてないじゃん?)


 どこかホッとしつつ、同時に妙な違和感も覚える。

 まとめサイトのまとめ方も、“過激コメ”は綺麗にスルーされ、“おちゃらけた悪口”や“ネタいじり”ばかりが表に出ていた。


 スレ全体をたどってみると、本当にヤバかった“煽りのプロ”みたいな連中のレスはごっそり消えている。

 気がつくと、自分みたいな軽いノリの投稿だけが、妙に浮いて残っていた。


(……ん?これ、なんか、おかしくないか?)


 背筋がぞくりと冷えた。


 ――炎上の中心にいた人たちは、痕跡ごと消えているのに、自分たち“軽い気持ち”で煽っただけの一般人が“証拠”として残っている。


 ふとスレで見かけた一言が頭をよぎる。


『むしろ、後から掘り返されたとき一番困るのはネタ半分で煽ってた大多数だぞ』


(これ、もしまとめて調べられたら、自分だけ“悪者”扱いされるんじゃ……)


 なんとなく怖くなって、スマホの画面を閉じた。


***


 騒動が完全に沈静化し、ネットの空気は一変した。

 だが、どうしても納得できない――「悪質な加害者だけが何もなかったことになるなんて許せない」。

 そう思った自分は、事件直後に保存していたログやスクリーンショットを引っ張り出した。


 最新のスレやまとめサイトでは、

 皮肉や悪ノリ程度の軽い煽りコメばかりが残されていて、本当に悪質だったレスやIDは見事に消え去っている。


(おかしい……こんなにキレイに消せるものなのか?)


 自分の手元には、数日前まで大量に流れていた“扇動コメ”“人格攻撃”の証拠画像が残っている。

 「正義」のつもりで、その一部をネットに再アップした――

 だが、その瞬間、思わぬ違和感に包まれた。


 自分の投稿だけが、まるで“時代錯誤の亡霊”のように浮いている。

 誰も反応しないどころか、数分で自分の書き込みごと削除されたり、

 「今さら蒸し返すな」「もう終わった話」「やめとけ」みたいな冷ややかな反応ばかりが返ってくる。


(え……?なんで?)


 以前なら「よくぞ晒してくれた!」と拍手喝采になったはずの流れが、

 今回はどこか異様なまでに静かで、

 アップした自分自身が“場違い”で危険な存在になった気がして、手が震えた。


 保存データの再アップを何度か試みるも、投稿はすぐに消されるか、

 “空気読めよ”という意味深なリプやDMが届く。


(これ……やっぱり、まずいのかも)


 自分以外にも、ちらほらと「証拠」を持ち出す者がいたが、

 皆すぐに沈黙したか、アカウントごと消えてしまっている。


 (正しいことをしているはずなのに……なんでこんなに怖いんだろう)


 ネットの向こう側で、

 “何か”が今も見ているような、そんな気配に背筋が冷たくなった。


***


 数日後、都心のカフェ。

 大きな窓から初夏の光が差し込むテーブル席で、ノアとみやびが静かにお茶を飲んでいた。


「……ねぇノア、5chのまとめとか見た?」

 みやびがスマホをチラリと見せながら言う。


「うん、ちょっとだけ。……意外と“キツい書き込み”とか残ってて、正直びっくりしたよ」

 ノアは苦笑しながら、過去ログをしっかり遡ってみたことを明かす。


「運営さんや弁護士さんが動いたって言ってたけど、もっと全部キレイに消えてるのかと思った。……普通に“悪口”レベルはいっぱいあるんだよね」


「そうそう。昔のまとめとかも、“ネタ”っぽい叩き方はわりとそのまま残ってる感じがする」


 二人は顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げる。


 ノアはスマホを持つ手を少し見つめた。


「でもさ……ほんとにエグいのは全部消えてる。たぶん、あのときの自分なら絶対に見たくなかったやつだけ、きれいに消えてる気がする」

 そう言いながらも、画面に残る“辛口のコメント”をひとつひとつ指でスクロールしていく。


「……正直、このくらいなら全然大丈夫。むしろ、配信者やってれば日常的にあるし、むしろ普通に“生きてる”感じがする」


 みやびは安心したように微笑んだ。


「ノア、本当に強いよね。なんか、また普通に戻れるっていうか……配信やれる自信、出てきた?」


「うん、なんだろう……。ちゃんと“自分の居場所”に帰ってきた感じ。

 でも……」

 ノアはふと首をかしげる。


「なんで、一部だけ残ってるんだろうね。全部消してもらった方が、気持ちが楽になる人もいると思うんだけど……」


 みやびはしばらく黙り込む。

 窓の外を見ながら、そっとつぶやいた。


「……なんか変だよね。あれだけのことがあったのに、“普通に”残ってるって」


 テーブルの上でコップが静かに揺れる。

 ノアは新しい自信を胸にしながらも、どこか胸の奥に消えない違和感を抱えていた。


***


 後日、三人で集まった午後のカフェ。

 外の風景が淡く揺れる中、みやびが結衣に、ずっと胸にあった“違和感”をぶつけた。


「ねえ結衣さん、本当に“消された投稿”ってどれくらいあったの?

 なんか普通にキツめのやつも残ってるし……」


 結衣はカップを持ち上げ、ほんの少しだけ間を置いてから微笑んだ。


「うん、軽いノリで書かれたものとか、ちょっと辛口な悪口は、わざと残したの。

 本当に悪質な攻撃や扇動、集団で人を追い込むような書き込みだけを、徹底的に消したんだよ」


 ノアが小さく首をかしげる。


「……それって、なんで? 全部消した方が安全なんじゃ……」


 結衣は少し肩をすくめて、ほんのり恥ずかしそうな笑顔を浮かべる。


「全部きれいに消しちゃうと、“なにもなかったこと”になりすぎてね。

 そうすると、どこかでまた“真相究明しよう”とか“本当に悪かったのは誰だ”って掘り返す人が必ず出てきちゃうの。

 それに、誰かが保存していた悪質な投稿をまたアップしたりして炎上の種が再燃しやすくなっちゃう」


 みやびは、ちょっと難しそうに眉を寄せた。


「でも、残されたほうも、見たら嫌な気持ちにならない?」


「うん、でもね――あのくらいの“軽い悪口”や“ネタの煽り”なら、ノアちゃんならちゃんと耐えられると思ったし、逆に配信者として続けられる証明にもなるんじゃないかなって、思ったの」


「……確かに、これくらいなら大丈夫だって、自分でも思えた」


 ノアは小さく笑った。


 結衣は少し目を伏せ、声を落とす。


 みやびが「それで?」と息を飲む。


「だから、“軽いノリ”の投稿をあえて人質にしたんだ。

 もし誰かが掘り返して騒ごうとした時、悪ノリした大多数の人が“これ、自分もやってたな……”って気づいてくれる。

 そうなれば、むやみに誰かを攻撃するより、“今度は自分も責められる”ってブレーキがかかるでしょ?」


 結衣は、テーブルの端を指でなぞりながら続ける。


「ごめんね、徹底的に狙ってやっちゃったの。

 全部消すのも全部残すのも、結局誰かを追い詰めるだけだと思ったから――

 “みんなの中に自然と抑制しようという空気が生まれるように”、わざと“後ろめたさ”を残したの。

 ちょっとずるいかもしれないけど、集団心理の力を利用したかったんだ。」


 ノアは、ふとスマホを握り直す。


「じゃあ、今でも……?」


「うん。今も誰かが昔の悪質な投稿を保存データからアップしようとすると、

 私や運営がすぐに削除の手続きしてるよ。

 それだけじゃなくて、周りの人たちも“やめとけ”とか“もう終わった話”って空気を作って、

 自主的に抑制してくれてるの。……なんだか、ちょっと不思議な連帯感だけどね」


 結衣はカップを両手で包み込み、ふっと小さく微笑んだ。

 みやびは思わず息をのむ。


「結衣さん、ほんとにすごいよ……。

 でも“人質”なんて言い方、やっぱりちょっと怖いかも」


 結衣は少しだけ肩をすくめて、やわらかく微笑む。


「みんなのため、っていうより“こうしておけば一番安全”かなって思っただけだよ。

 ……私は、自分の手が届く範囲なら、できるだけ守りたいから」


 ノアもみやびも、言葉にはしないまま、

 “守られていたものの大きさ”をそれぞれ胸の奥で噛み締めていた。

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