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第62話 恐怖の一夜と日常への回帰

 ――それは、まさに“恐怖の一夜”だった。


 炎上系Youtuber、まとめサイト管理人、煽り系の匿名アカウント。

 普段は“正義”や“ネタ”を掲げ、誰かを叩いて笑い合う「祭り」の主役たち。


 だがその夜、全員がパソコンやスマホの画面に張り付き、固唾を飲んで状況を見守っていた。


「……来た、法務部から。警告メールだ。これガチで本物だぞ……」


「やばい、さっきアップした動画、消されてる。プラットフォーム側が動いた?」


「俺のところはギリギリ大丈夫。でも友達、DMで謝罪したって。消えたやつもいる」


「まさか、マジで“処される”のか……?」


 皆が息をひそめ、慌てて自分の過去投稿や動画を一斉に確認し、危ないものは全部“自主削除”で闇に葬っていく。


 その間にも、DMやメールの通知音が絶え間なく鳴り響いた。


「警告メールが止まらない……これ、何人に一斉に送ってるんだ?」


「弁護士からも来たぞ。“今後も続ければ法的措置”だって」


「煽りだけならセーフだったけど、さすがに嘘っぽいのは全部消したわ」


 掲示板や匿名Discordは、いつもの饒舌さが消え、不気味な静寂に包まれる。


「ちょ、あいつログインしなくなった……」


「……消えたやつ、何人もいるな」


「DMで泣きついてきたやつ、しばらく休むって。正直、笑えねえ」


「俺ももう炎上ネタやめるかもしれん……これ以上は無理だ」


 しかし朝が来てみれば、不思議なことに気付いた。


 自主削除したもの、プラットフォーム側で消されたものは確かにある。

 けれど、アカウント自体が永久BANになった者がいない。

 法的な実害も、直接的な脅迫や摘発も、起きていない。

 「処された」どころか、ただ“空気ごと押し流された”――

 不思議な感覚に囚われていた。


「……なあ、俺たち、結局どうなったんだ?」


「死ぬほどビビったけど、永久凍結もされてないし……」


「アカウント残ってる。動画も、普通の煽りは消えてない」


「俺の炎上系まとめも、“嘘盛り”“誇張しすぎ”のだけ消された。他のネタは無事」


「明確な嘘はダメ。煽り、皮肉はギリOK。誇張は加減次第。個人攻撃だけはガチでアウト」


「結局、やばいのは“人格否定”と“虚偽”だけだったってことか?」


 再びDiscordの深夜トークルームに、匿名の会話が流れ始める。


「おい、永久BAN覚悟してたのに、何も起きてないの草」


「消えたやつもいるけど、ほとんどは“自主休止”か“リスタート”してるっぽい」


「俺ら、“神の裁き”は食らったけど、全滅はしなかった。

 見えないリミットがわかったから、今度は消されない自信あるわ」


 消えた仲間のことを惜しみつつ、

 生き残った者たちは――新しい時代のグレーゾーンを慎重に探り始める。


 こりないやつらである。


***


 全てが終わった後――

 事務所のミーティングルームには、長い沈黙が流れていた。


 スタッフたちは互いに顔を見合わせながら、改めて事件を思い返す。

 傷ついたノアのために、できる限りの手を尽くしたつもりだった。

 法務も、SNS運営も、専門家も呼んだ。

 それでも、炎上の渦を押しとどめるには力不足だった。


「……結局、正攻法だけじゃ限界だったんだな」


 あの日、結衣がいつになく荒々しく事務所に現れた時のことを誰も忘れられない。


 大企業の経営者、女帝様、南野結衣。

 VTuberとして親しんでいたその人物が、本当に“現実”をねじ伏せる力を持っている――

 しかもそれを「なりふり構わず」使い切ったのだと、会議室の全員が実感した。


「どこに連絡を入れても、すぐ対応が決まる。

 行政も、メディアも、まるで世界そのものが“結衣さんの手の中”みたいで……」


 誰かがぽつりと呟く。


「もし結衣さんがあそこで動かなかったら――ノアちゃんは、もう配信どころか普通の生活にも戻れなかったかもしれません」


「いや、“ほぼ確実に”壊れてた。どんな精神ケアを入れても、誹謗中傷が止まらない限り……。

 正しいことが間に合わない現実も、あるんだって……思い知らされた」


 誰も口には出さなかったが、不幸な結末を想像して背中がぞわりとする。


「……でも、結局ネット上で暴れてた人も生き残ってますよね」


「一斉削除や警告はあったけど、アカウントを消されたり、人生そのものを潰された人はいなかった。

 “空気”を読み直せば、やり直せる余地があった」


 スタッフのひとりが、呟いた。


「結衣さんって今まで現場に普通に顔出してくれて、お菓子くれたり、どうでもいい話で盛り上がったり……あの人のあんな姿は想像もできなかったな」


 かつては、みやびやノアが「女帝様に失礼なことしたらどうしよう……」なんて緊張していたけれど、

 最近はむしろ結衣の温かさや、配信者としての一面ばかり見ていた。


「“裏側”が本当の意味で女帝様だったってこと、忘れかけてたな……」


 今、彼女にどう接したらいいのか、誰も分からず、ただ途方に暮れていた。


 ――感謝と、尊敬と、ほんの少しの畏怖。


 みやびとノアは、その空気のなかで何かが違うことに気付いていた。

 みやびは、こっそりと結衣を呼び止める。


「結衣さん……無理、してませんか?」


「だいじょうぶ。私にはこれが仕事だから」


 結衣はいつもの微笑みを浮かべるが、どこか、その目の奥にほんのり疲れが滲んでいた。


 ノアも、そっと結衣の袖をつかむ。


「……ありがとう。わたしのために、ここまでしてくれて。

 でも……もし、もう無理だって思った時は、ちゃんと休んでね。

 わたしも、みやびも、みんなも――結衣さんがいなくなったら、すごく困るから」


 結衣は、ふっと目を細めて二人を見つめた。


「二人にそう言ってもらえるなんて、私……贅沢者だね」


 その声には、少しだけ震えが混じっていた。


 事件が終わったあの日の夜、結衣はひとりになって窓の外を見上げた。


 (たぶん、正しいことなんて、最初からなかった)

 (それでも、あの子たちが前を向けたなら――それだけで、私は十分なんだ)


 結衣はそっと、自分の胸に手を当てる。


 (こんな私でも、まだ必要とされているなら――

  もう一度、優しい顔であの子たちの前に立とう)


 翌朝の結衣は、いつものようにほんのりおっとりした微笑みでスタッフや仲間たちを迎えた。


 けれど、誰もが知っている。

 その笑顔の奥には、決して触れられない“女帝”の本当の顔が静かに隠れていることを――


***

 ――ノア家の後日談


 朝倉菜摘――それが、ノアの本名だ。


「あの時の私、もうだめになる寸前だったと思う」


 深夜のリビング。

 娘がココアを飲みながら、ぽつぽつと話す。


 母親は頷きながら、言葉を選ぶ。


「うん。……あの時は、お母さんも、菜摘の顔を見るのがつらかった。

 どんなに話しかけても、あなたの目の奥に何も映っていなくて……」


 菜摘は、少しだけ苦笑いを浮かべる。


「……正直、あまり覚えてないんだ。あの数日。ずっと暗いトンネルの中にいるみたいで、

 何も感じなくて。……でも、みやびちゃんと結衣さんが来てくれて、

 “助けて”って心の底から思ったんだ」


 母親は、娘の肩にそっと手を置いた。


「ねぇ、お母さん。結衣さんね……あの時、全部“事実”をつくりあげたっていってたけど、

 話そのまんまで本当にすごかったみたい」


 菜摘は、あの日のことを丁寧に言葉にして伝えていく。


「事務所の人たちも、すごく頑張ってくれてたみたい。

 でも結衣さんは正攻法だと、私が先に壊れるって確信したみたいで事務所のスタッフに“ここからは私がやります”って指示を出し始めたんだって。

 それで――政治家の人たちや行政の人たちまで、大勢を巻き込んで一気に動いてくれたんだって」


 母親も、「南野結衣」の本当の正体と事務所から間接的に伝えられた“現場”の空気を思い出す。


 ――まさか、娘のためにこんなにも多くの人たちが、

 途方もない人数と莫大な資金を、見えないところで動かしていたなんて。


「結衣さんの今回の“力”の使い方が、正義って呼べるのか私には分からないけど――

 あの時“菜摘を救う唯一の手段”だって信じて、全部やってくれたんだね」


 菜摘の声が、少しだけ震えた。


「うん。……もし、みんなが間に合わなかったら、たぶん今、私はここにいないと思う」


「本当に、ギリギリだったんだね」


 母親は、菜摘の手をぎゅっと握る。


 (この子はもう、大丈夫なんだ)


 泣き出しそうになる自分を、どうにか堪える。


 (あの時――心が折れかけて、何もできなかった私と娘を“現実”に救い出してくれた)

 (この世の中に、あんな風に“力”を持って、それを惜しみなく使ってくれる人がいるなんて……)


 ――感謝、感動、そして敬意。

 それだけでは言い表せない、

 胸の奥のあたたかいものが、じわじわとこみあげてきた。


「……お母さん、本当にありがとう」


 菜摘が、涙ぐみながら微笑む。


 母親も小さくうなずく。


「こちらこそ。――そして、結衣さんにも、ちゃんとお礼を言わなきゃね」


 ふたりで目を合わせ、優しく笑いあう。


 あの嵐の夜を越え、

 家族の絆は以前よりも、ずっと深くなっていた。

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