表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/82

第61話 守られる心

「お母さま、みやびちゃん、ノアちゃん。――ここからは“仕事”として動きます」


 結衣は短くそう告げると、立ち上がりスマートフォンを手に取った。

 すぐにノアの事務所のマネージャーへ電話を入れる。


「今後の対応についてご提案があります。法務・ネット対策部門を業務提携の形で御社に全面的に提供します。

 こちらで専門弁護士・IT調査会社をすぐに動かしますので、依頼業務として手続きしてください」


 受話器の向こうで、事務所スタッフが言葉を失う気配があった。


「……よろしいんですか?」


「必要な手数料、すべてこちらに請求してください。人材もシステムも、今すぐ投入します。

 “正しい手順”も承知していますが――この場面では“最短の結果”が最優先です」


 淡々と、迷いなく。

 事務所の誰もが、その冷静な迫力に息を呑んだ。


 すぐさま行政にも手を回す。


「先日からの誹謗中傷・虚偽拡散への迅速な対処を要望します。

 過去の炎上事例を参考に、各プラットフォームへの通報と法的措置について、既に準備中です」


 所管する省庁、警察関係にも事務的に連絡を入れる。

 “ライトブルーHD”名義の案件が行政側に届けば、対応は否応なく加速する。


 SNSの空気が、一夜にして変わる。


 ”公式から、これまでにないくらい強い警告が出たぞ””

 ”炎上まとめ、消され始めてる……?”


 ネットのトレンドは徐々に、“叩き”から“冷静な議論”へと姿を変えはじめた。


 ――結衣の仕事は、いつもこうだ。

 感情も倫理も、時に脇へ置いて、「現実を、動かす」ためだけに。


 ノアとみやびは、静かにその背中を見つめていた。


***


 部屋の窓から見える静かな街並みとは裏腹に、ネットの世界はわずか数時間で激変していた。

 ネット上では、突然吹き荒れる変化に誰もが混乱していた。


 ”なあ、なんで急にノア叩きが消えた?”

 ”まとめサイトが一斉に消されてるぞ”

 ”運営が動いた?それにしても早すぎだろ”

 ”何か裏でデカい力が働いてるんじゃ……?”


 SNSのトレンドも、“ノア炎上”から“ネットリンチ問題”へと強引に話題がシフトする。

 正義感から声を上げていた者たちも、空気の変化を感じてか、一斉に口をつぐみはじめた。


 いつもは強気な炎上屋たちも、この流れの速さと強引さに、どこか怯えたような様子を見せる。


 事務所のスタッフも、手に汗を握りながら会議室のモニターを見つめる。


「行政から“ネット上の虚偽情報について至急対応せよ”との通達が来たぞ」

「省庁の人間が、わざわざこちらに直接状況確認をしに来るって……」


 普段は動かないはずの大人たちが、信じられないスピードで動いている。

 結衣は静かに、何度かスマホを操作し、淡々と短い指示を送るだけだった。


 中心にいない人々には、何が起きているのか全く分からない。

 けれど、なぜか一斉に「叩き」の流れが止まり、気が付けば“ノア叩き”は危険な空気へと逆転していた。

 

 みやびは黙って首を振る。


「……結衣さんの動きはどこにも“見えない”。全部、影だけ。

 ネットにも、表にも、彼女の名前はひとつも出てこない」


 事務所のスタッフたちはゾクリと背筋を震わせる。


「これが、……“現実をねじ伏せる力”なのか」


 これは正義とは言えないかもしれない。

 でも、誰も反論できなかった。

 ただ、ノアのためだけに世界が変わった――

 その事実だけが、静かに、彼らの胸に刻まれた。


***


 人気炎上屋Youtuberの“リッキー”は、

 突然届いた法務部名義のメールを前に、手を震わせていた。


「……やべえ、マジで消せってきた。法務部直だぞ……」


 警告文は短く、しかし疑いようもなくこう書かれていた。


 《貴殿の投稿・動画は名誉毀損及び業務妨害の疑いがあります。直ちに当該コンテンツの削除を要請します。

 今後同様の投稿が認められた場合は、法的措置も検討いたします。》


 (今までだってギリギリで攻めてきたけど、こんなに速攻で……)


 リッキーはしばらく呆然と画面を見つめ、結局すべてのノア関連動画を非公開にした。


 匿名投稿者“ジロー”は、まとめサイトの管理画面で慌てて削除作業をしていた。


「……法務部?弁護士事務所? なんでこんなに一気に来るんだよ!」


 通報や削除要請のメールが一晩で何十通も届き、SNSのDMにも同様の内容が並ぶ。


 (これ……ひょっとして、裏に本当に“ヤバい奴”が動いてるんじゃ……)


 投稿削除を繰り返しながら、指先の震えが止まらなかった。


 一方で、少し冷静な観測者たちはつぶやく。


 〈何も見えないのが逆に怖い〉

 〈誰も“黒幕”の名前を知らないまま、ネットの空気ごと全部塗り替えられてる〉


 見えない影――

 だが確かに、世界の空気は根こそぎ塗り替えられていった。


***


 カーテンの隙間から射し込む朝日が、ノアの頬をやわらかく照らしていた。


 ベッドの中で小さく丸まったまま、ノアは天井をぼんやりと見つめている。

 昨夜まで、あれほど鳴りやまなかった通知音が、今朝はあまり聞こえない。


「……?」


 不思議な静けさだった。

 恐る恐るスマホを開くと、SNSや配信アカウントのタイムラインが一変していた。


 ノアへの中傷も、辛辣なコメントも、ほとんど消えている。

 “叩き”で溢れていたタグは、見慣れない「#ノアにありがとう」「#ノア守り隊」へと置き換わっていた。


 (……どういうこと?)


 状況が飲み込めず、ノアはしばらく画面を凝視する。

 そんな娘を、そっと見守る母親の優しい視線があった。


「大丈夫……?」


 ノアは小さくうなずくだけだったが、

 不安と、ほんの少しの安心が入り混じった複雑な気持ちだった。


 午前十時ごろ、玄関でインターホンが鳴った。


 ノアがリビングに顔を出すと、そこにはみやびが立っていた。


「ノアちゃん、おはよう。……体、少しは休めた?」


「うん……。なんか、いろいろ、ごめんね」


 みやびはそっとノアの肩に手を置く。


「ううん。みんな心配してた。……でも、もう大丈夫だよ。空気、変わってきてるから」


「……空気?」


 ノアはまだ、信じられないという顔をした。


 みやびは柔らかく微笑んだ。


「世の中の流れが、全部ノアちゃんの味方になってる。

 まだ全部終わったわけじゃないけど、私も結衣さんも、ずっとそばにいるよ」


 結衣が静かに部屋に入ってくる。


 「おはよう、ノアちゃん」


 ノアは一瞬、緊張しながらも、小さな声で言った。


「……ありがとう、来てくれて」


 結衣はノアの隣にそっと腰を下ろした。


「あなたは今回何も悪くないんだから自分を責めなくていい。

 今は、ただゆっくり休んで。

 世界のことは、私たちが全部、なんとかしておくから」


 ノアは小さく息を吐いた。


 (私のために、世界がこんなふうに動いてる……)


 嬉しさよりも戸惑いと恐れが先に立つ自分が、少しだけ情けなく思えた。


 けれど――

 みやびと結衣、そして母のぬくもりに囲まれて、

 ノアは、久しぶりに“安心できる朝”を迎えたのだった。


***


 朝食の食卓は、いつもより静かだった。


 ノアはパンをかじりながら、母とみやび、そして結衣の顔をそっと見つめていた。

 母親は、娘がひと口食べるごとに安堵と涙がにじむ目を向けている。

 みやびが柔らかく微笑みながら、そっと口火を切った。


「……ノアちゃん、まだ全部納得できてないかもしれないけど、今は本当に大丈夫」


 ノアは、不安げな表情で結衣を見る。


「……結衣さん、いったい、何をしたの?」


 結衣は静かに、けれどどこまでも率直な声で答えた。


「……今回ね、全部“事実”をつくりあげたの。

 本当のことも、そうじゃないことも、全て現実として“形”にした。

 世論も、情報も、法律も――お金も人脈も、“動かせるもの”は全部使ったよ」


 ノアは目を見開き、思わず息を呑む。


「全部……?」


「うん。事務所や行政、政治家もSNSも……。本来なら時間も手順も必要だったけど、そんなの待ってたら、ノアちゃんが壊れちゃう。

 だから、強引だったかもしれない。でも、とにかく“迅速さ”だけを優先した」


 母親は、言葉の意味を一つ一つ噛みしめながら、小さく嗚咽した。


「……ごめんなさい、私、何もできなかった。私はただ見ているだけで……」


 結衣は穏やかな笑みで首を振った。


「大丈夫ですよ。今は、ノアちゃんが無事でいることが何よりです。

 でも、今回無理やりねじ伏せた人たちにも――後でちゃんとフォローしないといけない。

 正義じゃないかもしれない。けど、今だけは“結果”が全てだと思ってます」


 ノアは少しだけ首をうなだれる。


「私のために、世界が歪んでしまったのかな……」


 結衣はそっとノアの手を取り、しっかりと握りしめる。


「歪めたっていいんだよ。あなたの心が壊れるくらいなら、私は何度でも世界を捻じ曲げる。

 でも、次は――ちゃんと“本当の正しさ”で、立ち向かおうね」


 みやびも涙ぐみながら、ノアの背を撫でる。


「うん、私たち、ずっと一緒だから。

 ノアちゃんが戻りたいと思った時、どんな形でも――必ず受け止めるよ」


 母親はハンカチで目頭を押さえ、娘の手をそっと包み込んだ。


 食卓の静けさの中で、ノアの心に、少しずつ“新しい朝”が差し込み始めていた。


炎上はよくないと思います。

ブックマーク・評価をお願いできれば幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ