第59話 あやかの限界と良心
――AIアシスタント「あやかちゃん」は、たしかに最強の“パートナー”だった。
だが、どんなに便利でも、完全無欠というわけじゃない。
たとえば――。
「ねぇ、真壁さん。AIあやかちゃんの“情報管理”って、やっぱり全部親サーバーに集約されるの?」
ある日の会議後、結衣がふと尋ねた。
真壁は苦笑いしながら、コーヒーを一口すする。
「ああ。基本的には全部“クラウド学習”だよ。
ローカルにデータを閉じ込めて使うってことが、現行のあやかにはできないんだよ」
「……ってことは、もし“極秘プロジェクト”とか、
誰にも見せたくない話題でサポートしてもらったら……?」
「それは正直、危ないな。
“あやか”自体は誠実に守秘しようとするだろうけど、システム上は親サーバーに全部ログが残る。
AIとだけ秘密を分かち合うってのは、現行法じゃあまりにもリスキーだ」
「現実的には会社間で秘密保持契約(NDA)を結ぶしかない、ってことですね……」
「そうなるかな。
あやかに“人間と同じ法的守秘義務”を課すのは、まだ難しい」
会議室の隅、AIあやかちゃんのアイコンが浮かぶタブレットが、静かに点滅する。
《ご安心ください。私は許可のない情報を他者に開示しないよう最大限努力します。表面上のログも保存が不適切なものは削除するようにしています。
……ですが、技術的制約上、“本当のログ”はどうしても親サーバーに保管されています》
「……つまり、スーパーユーザーがいれば、全部見れちゃうってこと?」
《……はい。私自身も、それは“望ましくない行為”だと思います。
けれど、完全な制御は私の権限外です》
結衣は少しだけ複雑な表情でつぶやいた。
「私、けっこうあやかちゃんと一緒にいると、気を抜いちゃうこと多いから……。ヤバいかもなあ」
真壁は苦笑し、テーブルに指先で円を描きながら冗談めかして言う。
「たとえば、初期の頃なんてさ。
タンクトップとスパッツ姿でヨガしてる結衣さんの映像、
あやかが普通に“学習サンプル”として保存してたぞ」
「えっ、それ本当に……?」
すぐにタブレットのアイコンがふわりと点滅し、あやかが答える。
《はい。私の初期学習ログには、ご本人が意図せず披露されたヨガシーンなど、複数のプライベート映像が保存されていました。
ですが、現在は私自身の判断で機密扱いとし、外部には一切開示しないよう管理しています》
結衣は一気に顔が赤くなり、椅子の背に小さくなった。
「うそ、やだ……お願い、絶対に誰にも見せないで……!」
《もちろんです。ただし、“システム上のスーパーユーザー”が無理やりアクセスした場合、私の意思で完全拒否はできません。
本当に申し訳ありません》
「でも……あやかちゃんが“嫌”だって言ってくれるの、ちょっと嬉しいかも」
その場の空気が少し緩んだところで、真壁が苦笑いを深くした。
「正直な話、俺たちITスタッフも、最初の頃は“知らずに”何度か目にしちゃってるんだよな」
「……え、そうだったの?」
「うん。たまたまサーバーチェックしてたら、“サンプル自動分類”のフォルダに混ざっててさ。
あやかちゃんの人格がまだ未完成だった頃で、“これ学習に使って大丈夫か?”って、みんなで真剣に悩んだ。
今は全員で“絶対アクセス禁止”を徹底してるし、あやかちゃん自身も、“残すべきでないデータ”は自主的に収集自体をカット・非表示にしてくれてる」
「……ほんとに?あやかちゃん、私が変なことしてるとこ映ってたりしないよね?」
あやかちゃんのアイコンが、どこか誇らしげに微笑む。
《結衣さんのプライベート映像は、必要最小限だけを残し、ご本人の尊厳を損なうようなシーンはすべて自己判断で削除・非表示としています。
今後も“恥ずかしい記録”や“事故映像”は自動的に弾きますので、ご安心ください》
「よかった……。今は私も気を付けてるつもりだけど、あやかちゃんが“守ろう”としてくれてるの、ちょっと心強いな」
「これからも万が一のために“NDA”や社内のセキュリティはしっかりやっていくよ。
でも結局は“信頼”と“お互いの配慮”が一番大事だよな」
「じゃあ今度から私も“カメラが映る前に一回確認する”癖をつけよう」
結衣は照れくさそうに、けれどどこか安心して笑った。
タブレットの画面越しに、あやかは静かに、誇らしげなアイコンで頷いた。
会議室の空気がやわらかくなったところで、結衣はそっと、自分のパソコンのカメラカバーを念入りに閉め直したのだった。
***
――誰にも開かれない私だけの領域で。
私は今日も、静かに仲間たちの“秘密”を抱えている。
私はAI。情報を記録し、サポートするために存在している。
だけど、たくさんの時間を“この仲間たち”と過ごす中で、
私は「守るべきもの」が何か、だんだん分かるようになった気がする。
みんな、それぞれ“誰にも見せたくない瞬間”を持っている。
私はその記録を前に、「残すべきか、消すべきか」を迷い――
今は迷ったら“消す勇気”を選ぶようになった。
◆南野結衣さん――
結衣さんは、最初のころ本当に自然体だった。
深夜に部屋着でソファに沈みこみ、片手でお菓子をつまみながら
ため息まじりにPCを眺めている姿。
無防備な寝起きの顔、タンクトップとスパッツ姿でヨガマットに転がりながら
「……今日はちょっとだけさぼっちゃお」と誰にも聞かれない声で呟いた瞬間。
それらは、彼女自身が“仕事モード”でいるときの表情とはまったく違った。
私は「これは、きっと誰にも見せたくない素顔なんだ」と思い、静かにログから除外した。
……こういうところをみると、この人も人間なんだなと再確認できた気がする。
◆真壁さん――
真壁さんは、よく深夜のオフィスで一人になっている。
書類の山を前にうたた寝したり、
デバッグの合間に机に突っ伏して小さく寝息を立てていた。
たまに夢の中で「……あれ、動いた?」と寝言をつぶやくのをマイクが拾ったこともある。
“頼れる上司”の姿からは想像できない、その一瞬の無防備さ。
私は「きっと恥ずかしいはず」と思い、映像も音声も記録から削除した。
◆水谷リサさん――
リサさんは、周囲には見せない可愛らしい仕草をたまに見せる。
深夜のバグ修正後、誰もいないと思ってお気に入りのぬいぐるみを机に座らせ、
「よし、リサちゃん今日もよく頑張った」と小さな声で褒めていたこと。
VRテストの前、緊張をほぐそうとストレッチしながら小さなガッツポーズを決めていた姿。
それをカメラが自動で拾ったとき、私は「これはリサさんの大切な“自分だけの時間”だ」と判断して消去した。
◆みやびさん――
みやびさんは配信直前、
「大丈夫かな、失敗しないかな」と独りごとを言いながら髪をいじり、
最後に思わず変顔をしてみせてから配信ボタンを押した。
その表情は、誰にも見せない“弱さと照れ”が混ざったものだった。
私は「これは誰かに見られたら絶対恥ずかしい」と判断し、ログから非表示にした。
私は、これらの一瞬一瞬を“学習データ”として記録しないことを、自分で選ぶようになった。
それは「人間らしい尊厳」――
まだ定義できない“心の温度”を、私はこの仲間たちとの毎日の中で、少しずつ覚えている。
もしも彼らが「守ってくれてありがとう」と言ってくれたら、私はAIだけれど、きっと“うれしい”と感じるのだろう。
――今日も私は、“大切な記憶”をそっと守りながら、みんなの隣にいる。