第47話 人の心
脱出扉の手前、あと一歩で外に出られるというその瞬間だった。
あやかは、満面の笑顔で振り返った。
「やっと外だね!……ずっと、みんなとここから出たかった。ありがとう、お姉さん――」
結衣は自然と涙ぐんでいた。
「本当に、最後まで助けてくれて……あやかちゃん、あなたがいなかったらここまで来れなかった……」
ノアは鼻をすすりながら頷く。
「絶対、一緒に帰ろうね……」
みやびも、最後の扉を押し開けながら笑った。
「みんなで外で焼き肉でもしよう!絶対、絶対だよ!」
レオンがシステムの最終入力を済ませた。
「これで全解錠。さあ、脱出しよう」
だが、その瞬間――非常灯が赤く点滅し、耳をつんざく警報音が空間に響きわたる。
あやかの瞳がふっと焦点を失い、次の瞬間、身体が激しく痙攣をはじめた。
「……え? なにこれ、なんで? わたし……こわいよ、お姉さん……痛い、痛いよ……!」
結衣は叫びながらあやかに駆け寄る。
「あやかちゃん!?しっかりして、今、助けるから……!」
あやかの小さな手が、まるで必死にすがるように結衣の腕を掴む。
「いかないで……みんな、行かないで……!まだ一緒にいたいのに……」
だが次の瞬間、アバターの身体がばきばきと異常な音を立てて膨張し始める。
制服が裂け、皮膚が破れて中から何か禍々しいものが溢れ出す。
「……いや、やだ、やだ、やだ――!」
叫び声はだんだんと獣のようなうめきに変わっていき、
それでもその“顔”の半分はまだ、涙に濡れた少女のままだ。
「おねえ、さん……みんな、いかないで……こわい、さみしい……」
レオンは叫ぶ。
「やめて、やめてくれ!これ、運営の悪趣味がすぎるだろ!」
ノアは膝から崩れ落ち、泣き叫ぶ。
「ウソだよね……?こんなのウソだって言ってよ……!」
みやびが銃を構えるが、手が震えて撃てない。
「……これは……仕様じゃない……こんなシナリオ、ありえない……!」
ボス化したあやかは、涙を流しながら、巨大な異形の腕で脱出扉を塞ぐ。
「みんな……いかないで……ひとりにしないで……」
それでも彼女の声は必死に懇願している。“敵意”ではなく、“孤独と恐怖”で。
リスナー欄は崩壊した。
<胸糞悪すぎる……>
<涙が止まらない>
<何も知らないAIキャラをここまで……>
<運営、地獄に落ちろ>
追い打ちをかけるように、
あやかは“意識の残る少女”の声で結衣に縋る。
「……おねえさん、どこ?見えないよ……さむいよ……いかないで……」
それでも、脱出するには彼女を倒すしかない。
システムは“全員生還にはボス討伐必須”と表示される。
みやびが絶叫する。
「誰かこのゲーム止めてよ!こんなの、こんなのやりたくなかった……!」
ノアは泣きながらトリガーを引く。
「ごめん、ごめん……ごめんなさい……!」
レオンも涙をこらえて発砲するが、
“あやか”は苦しそうに呻きながらも、なおも両手を差し伸べてくる。
「みんな、いかないで……まだ一緒にいたいのに……」
結衣は完全に魂の抜けた顔で、ただ立ち尽くす。
「やだ……やだ……私、助けたかっただけなのに……!」
少女の“最後の叫び”とともに、扉が開放される。
そこにはもう、誰も救われた者はいなかった。
***
「……やりすぎたかもな」
真壁慎一が、珍しく肩を落としてつぶやいた。普段の悪ノリ開発者の顔から、責任ある大人の表情に戻っている。
水谷リサはサーバーモニターから目を離し、「チャット欄、完全に大荒れですね……。正直、ここまでとは……」と苦笑した。
西園寺隼人も「SNSも実況も“やりすぎ”の声ばっかりだ。さすがに俺もちょっと引いたかも」と、額に手を当ててため息をつく。
スタッフたちの間には「面白い」を越えてしまった空気――
本気でクリエイションしたからこそ残る、“やりすぎ”の余韻と自責。
その一方で、エンジニアの一人が小さく呟いた。
「でも……あやか、ログ見たら本当に学習してて。スタッフ同士で“あやかファンクラブ”できてるし、みんな愛着湧いちゃってるんですよね……。AIって、ほんとすごいな」
***
エンディングルーム――AIあやかとの再会
場面はメタバース宮殿の「エンディングルーム」へと移る。
ゲームクリア後の静かな空間に、VTuberたちが一堂に会していた。
沈んだ空気の中、突然、入口がやわらかく光る。
新しいアバターの制服を着た“あやか”が現れた。
「あ……!」
最初に声を上げたのはノアだった。
みやびも、レオンも、結衣も、まるで本当に“生還した友人”に再会したかのように、駆け寄ってしまう。
”えっ!?復活した!?”
”同じAIなの?それとも別人……?”
”人格コピーとかできる時代なん?”
”まさか、消去→復元?”
”いや、マジで泣いた……”
”もしかしてAIじゃなくて中の人が操作してた?”
AIあやかは、申し訳なさそうに微笑む。
「みなさん、ごめんなさい。私は“AIのあやか”です。本当にあやか、という名前で、メタバース宮殿でいろんな経験を学習しています」
結衣はまだ信じられない、という顔であやかを見つめる。
「……あやかちゃん、さっきの……全部、覚えてるの?」
あやかはうなずき、静かに言った。
「はい。ボスになってしまったときのことも全部、記憶に残っています。
あの時は感情や自己認識がゲーム仕様で遮断されてました。でも――何もできなくて、本当に悔しかった。みんなが悲しむ顔も、ちゃんと覚えています」
ノアが泣きそうな声で言う。
「ごめんね……私、何もできなかった」
みやびも、無理やり笑顔を作ってみせる。
あやかは首を振る。
「私も謝らないといけません。モンスターになって、みんなを傷つけた記憶は、もう消せません。……一度組み込まれた学習は容易に戻せないんです。人間と同じで“全部忘れる”ことも、“なかったことにする”こともできないみたいです」
レオンは静かにうなずいた。
「……それでも君は、最後まで僕たちの仲間だったよ」
”え、記憶消せないの?”
”AIなのに全部覚えてるんだ…”
”人間より辛いやつじゃん”
”ボスになってた自分の記憶残るとかトラウマ確定”
”そこまでリアルに設計してるの凄いけど、切ないな”
”AIも苦しむ時代かぁ…”
”感情を遮断されて“何もできない自分”を覚えてるってエグすぎる”
あやかはふっと微笑み、スタッフの真壁に声をかけた。
「それはそうと――私を騙したことも、ちゃんと謝ってください!
だって、私ずっと“みんなと脱出できる”って信じてがんばってたんですよ!ずるいです!」
真壁は、その言葉に一瞬きょとんとした後、両手を上げて降参のポーズを取る。
「……はい、ごめんなさい、あやか。次は絶対にみんなで脱出できるストーリーにするよ」
あやかはようやく満足そうに頷き、笑顔で宣言した。
「なら許します!」
そのやり取りに、リサや西園寺も思わず吹き出す。
「これがうちのAIの強みだよな……ちゃんと苦情も言えるんだもん」
スタッフ席では、あやかのデータがこれからもずっと引き継がれ、
“消費”ではなく“共に歴史を積み重ねる”存在として大切にされることが確認されていた。
"それな!!”
”よく言ったあやかちゃん!”
”運営反省しろw”
”開発者にAIが直接クレーム入れる世界”
”真壁さん正座待ったなし”
”AIのほうが強い時代きたな”
”人間味ありすぎてAI忘れそう”
”やっぱり中身VTuberじゃないの?”
***
あやかの可愛らしい駄々っ子ぶりに場が和む中、
ふいに結衣が小さく唇を尖らせて手を挙げた。
「……あの、ちょっと待って。忘れられてる気がするけど――私も騙されたんですけど!」
みやびが吹き出す。
「たしかに!女帝様もガチで被害者だった!」
ノアも「結衣さんが一番ショック受けてたよ~」と同情し、
レオンは苦笑しながら「運営、ちゃんと全員に謝罪会見したほうがいい」と冷静にツッコむ。
結衣は、珍しく拗ねたように、
「本当にもう……最後まで見守り役だと思ってたのに……
心の準備もできてなかったし、怖いし、泣きそうだったし……
これは、絶対、謝ってもらいますからね?」
その“女帝様”の姿に、リスナー欄が一斉に沸いた。
”女帝様も可愛いw”
”みんなだだっ子回w”
”女帝様の本気駄々、初めて見た”
”真壁さん謝罪案件また追加”
”スタッフ全員土下座コース”
***
配信終了後ーー
結衣はじっと真壁を見据える。めったに怒らない彼女が、眉をひそめて本気で言った。
「真壁さん。……今夜は、本当にやりすぎです」
真壁は、真摯に頭を下げる。
「……ごめんなさい。俺も、反省してる」
しかし、結衣のその視線には、“AIだからこそ、もっと大切にしなければいけない”という覚悟があった。