第45話 ホラーリベンジ企画ーー女帝様は見守れない!?
ライトブルーファンド本社。夜の静寂に包まれた開発フロアで、モニター越しの光だけが薄暗い室内を照らしている。
「――ようやく全部決まったな」
真壁慎一は腕を組んで、プロジェクトルームのホワイトボードを見つめていた。その表面には、びっしりと英語と日本語が入り混じった仕様書が貼り出され、脇には“ホラーリベンジ企画”の文字が躍る。
「今回は“手加減なし”でお願いしますよ、真壁さん」
水谷リサが柔らかな声で、冗談めかして言う。
「もちろん。やるからには“本物”のホラーにする。女帝様の伝説回を超えるものじゃなきゃ意味がないだろ」
真壁の表情は、どこか悪戯を思いついた少年のように生き生きとしている。
「特殊個体ゾンビAIに仕様は固めた。操作もできるようにしたがVR酔いだけは気をつけてな」
その横で、西園寺隼人が小さく手を挙げる。
「演出設計、ほぼ完了です。王座ルームにも例の“感染波及”ギミック入れてます」
真壁は大きくうなずいた。
「リハーサルは一切なし。初見のリアクションが一番面白いんだから」
リサが少しだけ心配そうな顔をした。
「……さすがに結衣さん、気づかないかな?」
「バレる要素は全部つぶしたよ、仕様書にも“安全圏”の記述はしっかり入れてる。女帝様だけは本当に何も知らない」
真壁が嬉しそうに指を鳴らす。
「つまり、全員ガチ初見で結衣さんは仕様だけは知っている状態。誰がどんな反応するか、楽しみでしかないな」
リサも、西園寺も、そして周囲のスタッフたちも、どこか高揚感を隠せない。
このプロジェクトに賭ける情熱は、ただの“配信企画”の域をすでに越えていた。
「――じゃあ、あとはVTuber事務所に正式オファーを出しましょう。みやびさん、ノアさん、レオンさん、そして事務所の皆さんへ。“女帝様見守りリベンジ配信”のご招待、っと」
真壁が一つ息をつくと、静寂に満ちていた部屋が少し賑やかさを取り戻した。
同じ頃、南野結衣はタワーマンションの一室で、夜の窓の外に広がる都会の灯りを眺めていた。
デスクの上には、最新仕様書がプリントアウトされている。
結衣は静かに息を吐く。
指先がわずかに震えているのは、きっと冷房のせい――そう思い込もうとしていた。
(今回は、私は見守り役。安全な指令室。みんなの様子を、しっかりサポートしなくちゃ)
不安の影を少しだけ飲み込んで、結衣はパソコンを開く。
Discordの通知が、やがて軽やかに鳴り響いた。
数分後、VTuber事務所のDiscordグループに新たなスレッドが立ち上がる。
「【告知】メタバース宮殿リベンジ企画、本番仕様決定!」
みやびがいち早く反応した。
「おーい! 今回また本気出してくるってマジ?」
ノアもすぐに反応する。
「リベンジとか聞いてないよ、こわいこわいこわい……!」
レオンが理路整然と冷静に割り込む。
「安全圏設定なら大丈夫。仕様書にも明記されてる。問題ないはずだ」
事務所マネージャーのメッセージが流れる。
「今回、女帝様は指令室から全体を見守る“監督役”でお願いしています。サバイバー役はみやびさんたちで構成します。配信は全世界同時中継予定、よろしくお願いします!」
それぞれのメンバーがスタンプで“了解”を返し、次第にグループは賑やかになる。
だが、結衣は画面の前で小さく息を呑んでいた。
(大丈夫、私は今回は“安全圏”……みんなを陰から支えればいい)
けれど、その心の奥には、ほんの小さなざわめきがあった。
真壁は笑う。
「さあ、みんな集まったな。あとは、最高のライブを迎えるだけ――」
***
ーーそして配信当日。
メタバース宮殿の中枢――バーチャル王座ルームに、南野結衣はきっちりと座っていた。
天井は高く、足元には真紅のカーペット、モニター越しにはサバイバーの姿を映す映像が幾重にも並んでいる。
開発チームは、最終のチェックに余念がなかった。
真壁慎一は裏側でスタッフに目配せしつつ、「女帝様の“王座”からの表情、全カメラでしっかり押さえとけよ」と小声で指示を飛ばす。
水谷リサはギミックの最終チェック。西園寺隼人もVR演出のバグを潰していた。
やがて、システムからカウントダウンが流れる。
「5、4、3――」
配信画面が一気に切り替わり、世界中のリスナーがコメントで雪崩れ込む。
<待ってました女帝様!>
<今日は絶叫しないって本当ですか?>
<いや、また伝説が生まれる予感しかない>
<宮殿仕様ガチ過ぎて笑う>
女帝様は、マイクの前で静かに深呼吸する。
「こんばんは。女帝様です。本日の配信は――“メタバース宮殿ゾンビサバイバル・リベンジ回”となります。今回は私、王座ルームから見守りを……」
喉が、ほんのわずかに詰まった。
「……しっかり皆さんをサポートしますので、どうぞ最後までお楽しみください」
コメント欄が一斉に湧いた。
<いや顔、ガチで緊張してる!>
<指令室で見守るだけなのに怖がる女帝様>
<もう可愛いんだが>
<みやびが一番叫ぶと予想>
一方、サバイバー側のアバターが続々とログインする。
みやびは銃を背負った頼もしげな見た目で、「よーし、今回は絶対生き残るぞー!」と叫ぶ。
ノアは小さなバックパックを背負い、既に半泣きの表情。「……ほんとにやるの?絶対こわい……」
レオンは冷静そのもの。「みんな、最初は情報共有しよう。MAPのセキュリティルームがセーフポイントのはずだから、まずそこを目指す」
だが、初めて宮殿内部を歩いた三人の足取りが、不自然なほどにゆっくりになる。
みやびが思わず声を上げた。
「……ちょっと待って。これ、やばくない? え、なんか実写映画に迷い込んだみたいなんだけど……」
ノアが周囲をきょろきょろ見回す。
「え、ここホントにバーチャルなの? 息まで白いよ……リアルすぎて無理……」
レオンも珍しく息を呑む。
「壁のシミとか、廊下の埃とか……質感の作り込み、異常だな。マジで本物だこれ」
女帝様もモニター越しに映像を見ていたが、その臨場感に思わず身を乗り出してしまう。
「……本当に、実写映画の中に入り込んだみたいですね。音とか空気感まで、こわいくらいリアル……私も画面越しなのに、ちょっと……一人でホラー映画見てる気分です……」
リスナーたちもチャットでざわつく。
"わかっちゃいたが宮殿VRのクオリティでホラーはやべーな……"
"運営本気出しすぎ"
"怖すぎて寝られないやつ"
"ノアちゃん逃げて!"
”レオン頼りになる”
”みやび気合入りすぎ”
"女帝様が一人隔離されてて一番怖がってそう”
結衣は指令室の端末でMAP情報や監視カメラを操作しながら、さりげなく「ここの廊下は安全そうですよ」とアドバイスを入れる。
だが、その声には微妙な震えがあった。
「えっと、右手側の廊下は――たぶんゾンビはまだ……いない、はずです」
みやびが明るく突っ込む。
「女帝様、なんか声震えてません?」
ノアも弱々しく。
「やっぱり見守り役でも怖いんですね……仲間ですよ……」
レオンは笑いをこらえている。
「まあ無理しないでください」
リスナーたちはこのやりとりに大盛り上がりだ。
”かわいすぎる…!”
”見守り席でガチガチ女帝様”
”絶叫まだ?”
”みやびたち、女帝様に頼りすぎw”
配信の緊張感とは裏腹に、コメント欄は“お祭り騒ぎ”。
だが、その時――
王座ルームの巨大モニターに「WARNING」の赤い表示が点灯した。
システム音声が低く告げる。
【王座ルームに感染波及の兆候――非常防御システム起動】
結衣は思わず椅子の肘掛けを握る。
「え……?そんなはず……。王座ルームは……」
しかし、モニターの向こうでゾンビの姿が浮かび上がる。
廊下の奥から、呻き声。
背筋が凍りつくような足音が近づいてくる。
”王座ルームもやばいwww”
”女帝様、逃げて!!!”
”ガチで怖いシナリオきた”
”本当に王座まで感染とか神演出”
そして運命の瞬間。
「し、システム!?こ、これ想定外なんですけど――!?」
指令室の扉が強制的にロック解除され、結衣の視界がブレる。
彼女は呆然と立ち尽くし、そのまま廊下へ“転送”されてしまった――。
次の瞬間、みやびたちのアバターの間に、混乱した顔の女帝様が現れる。
「うそ……。なんで……」
ノアが歓声をあげる。
「きゃーっ、女帝様も来ちゃったー!!」
みやびは爆笑しながら手を振った。
「女帝様、ようこそサバイバー地獄へ!リベンジ、これが本番ですよ!」
”キタ――!”
”運営、最高すぎる”
”女帝様のリアル絶叫助かる”
”これは伝説確定”
結衣は泣きそうな顔でアバターの手を握りしめた。
「ご、ごめんなさい、私……本当に怖いのダメなんです……」
それでも、仲間たちとリスナーは温かい声とツッコミで、女帝様のリベンジサバイバルの開始を全力で見守るのだった――。